内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「エンパワメント」という言葉について

2024-05-07 23:59:59 | 雑感

 昨日の記事で話題にした「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉あるいは概念は、どうにも日本語に訳しにくい。だから、定義を与えたうえで、カタカナ表記のままにするのもわかる。それに、日本語に訳したところで、それでわかったつもりになってしまえば、それこそネガティブ・ケイパビリティに反する態度だ。
 とはいえ、なんで英語をカタカナ書きしただけの言葉を使うのかよくわからない場合もある。例えば、やはり昨日の記事で言及した小川公代の『ケアの倫理とエンパワメント』のタイトルにもある「エンパワメント」という言葉、本文には二回しか出てこない。しかも語義についての説明はまったくない。
 「……といった作品がいかにケアの倫理に基づいたエンパワメントにつながるのか……。」「ヘテロノーマティヴな集団に属さない人々のエンパワメントに繋がったのではないだろうか。」この二箇所である。文脈から推測するに、「力を与えること」くらいの意味だと思うが、「エンパワメント」という言葉を使う必然性がどれだけあるのか、すぐにはよくわからない(私だけかも知れないが)。
 そこで、国語辞典を引いてみた。すると、この語がかなり限定された場面で使われる言葉だということがわかった。例えば、『明鏡国語辞典』は、「①力をつけること。能力を引き出し活性化すること。「教育によって―を図る」 ②権限を与えること。権限委譲。「現場への―で生産の向上をもくろむ」」と、二つ語義と用法を示している。ところが、『三省堂国語辞典』は、「〈力をあたえて/権利を認めて〉もっと活躍できるようにすること。「女性のエンパワメント」」と、『明鏡国語辞典』の挙げている第一の語義に近い語釈しか示していない。それに対して、『新明解国語辞典』は、「上に立つものが下の者に権限を移譲することにより、従業員などの潜在能力を引き出し組織を活性化すること」と、使用できる場面をかなり限定する語釈を示し、小学館の『新選国語辞典』は、「(「権限を与える」の意から)組織や集団を構成する人たちに権限を持たせ、本来の能力を引き出したり、自立する力をつけさせたりすること」と、『新明解』に近い語釈を採用しているが、上下関係に言及していない点で『新明解』と異なる。
 小川氏の本では、どちらの文脈でも、文学作品が「エンパワメント」に与って力があったという意味で使われているから、ある特定の組織とか集団を前提としてはおらず、それぞれの作品が書かれ発表された社会において、それら文学作品の内容・思想や登場人物たちの行動・感情表現がいかにエンパワメントに繋がっているかということが主題になっている。
 OED によれば、empower という言葉は十七世紀から使われている。三項に分けられたその詳細な語義説明のなかで、小川氏の使い方をよりよく理解するヒントになりそうなのは以下の記述である。

To confer power on, make powerful; (in later use) spec. to give (a person) more control over his or her life or circumstances, by increasing civil rights, independence, self-esteem, etc.; to give (a person) the confidence to control his or her life or circumstances, esp. as gained from an awareness of or a willingness to exert her or his rights.

 その人たちがもっている権利をそれとして認めることで、その人たちが自分たちの生活のなかで、あるいは置かれた環境の中で、自分たち自身で生活環境をよりよく統御できるようにし、さらなる権利伸長、自立性の向上、自己評価の上昇などによって、より力を発揮できるようにすること。
 小川氏はこの意味でエンパワメントという言葉を使っていると思われる。確かに、これだけの意味を込めることができる日本語はないかも知れない。