内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日々の哲学のかたち(3)― 共同生活・技術・方法

2022-05-30 23:59:59 | 哲学

 Exercices spirituels philosophiques(以下 ESP と略す)は序文から最後の詳細目次まで含めて三三一頁あり、主要部分は九章からなっています。第一章の前に五〇頁を超える序説があり、本書全体の要点がそこに示されています。懇切丁寧な導入の役割を果たしているこの序説をまずは通覧していきましょう。
 型どおりというか、exercices spirituels とは何かという問いから始まります。最初の一文は、古代において、それは哲学に他ならなかったという宣言です。古代以降今日まで、基本的にそれは変わっていないと著者は考えています。
 しかし、これではあまりにもざっくりとしいて、答えになっていないとも言えます。実践としての哲学とは、生きていくなかで出遭うさまざまな困難、苦痛、不幸、災厄などを乗り越えていくために「いかに生きるか」という問いに答えようとするものだ、というだけでは、古代ギリシアに始まるとされる哲学の起源の説明としてはまったく不十分です。
 人間が生きるところには例外なく、困難、苦痛、不幸、災厄はあるのですから、それらに直面して、「いかに生きるか」という問いとそれに対する答えのこころみも世界中いたるところにあり、それらがすべて哲学であり、exercices spirituels なのであれば、わざわざそう呼ぶ必要もないし、そう呼んだところで何がわかるわけでもありません。
 いきなり、因縁をつけるようなことになってしまいましたが、この問題は、本書に限らず、一般的に exercices spirituels を論じようとするときに必ずつきまとう問題なのです。そこで、パヴィの文章をそのまま辿るのではなく、その中から exercices spirituels を特に特徴づける要素を取り出していきましょう。
 まず、これは昨日の記事でも少し触れましたが、それは規則的な実践だということです。その実践は言説にはかぎりません。生活全般において実践されるべきものです。言葉による実践は、それが対話や問答であれ、書かれたものを通じてであれ、全体的な実践に有機的に組み込まれるべきものです。
 では、何のための実践かというと、ものの見方を変えるためです。それも、単にある見方から別のある見方へと移りゆくことではなく、それまでとはまったく違った見方を身につけることです。
 この実践は、独りでも不可能ではありませんが、古代においては、多くの場合、師に導かれてはじめて可能になりました。同じ学派の人たちは、師を中心として共同生活を送ることもしばしばありました。
 もう一つ大事な点は、この exercices spirituels の実践のためには技術と方法が必要だということです。
 技術と方法は学派ごとに異なっており、学説も異なり、最終目的も根本概念も異なりますが、上記の諸点においては共通していたのです。