昨日日曜日の午前中、26キロ走った。今月一日の個人最長記録をまた1キロ更新した。最初からそのつもりではなかった。15キロ前後にするつもりで走り始めた。走り始めは体もどちらかといえば普段より重く感じられ、15キロもしんどいかなあと思いながら、のろのろ走っていた。
ところが、14キロほど走ったところで不思議なことに体が軽くなった。疲れも感じない。ペースを上げられるほどではないが、まだ走れそうだ。17キロを超えたころ、さらに不思議なことに、体が浮くように感じられ、足が軽くなった。一種のトランス状態に入ったのかも知れない。
しかし、エネルギーは相当に消耗しているはずだ。調子に乗り過ぎて無理をすると、足腰を痛めてしまうかも知れない。ペースはそのまま、体の変化をいわば内側から自己観察しながら、とにかく行けるところまで行ってみようと、頭に描いていた予定のコースからあえて大きくはずれ、遠回りをすることにした。体のどこかに痛みが出れば、走るのを止めて歩けばよい。結果、自宅前まで休まずに走れた。2時間40分かかった。こちらも最長記録更新である。帰宅後、風呂にゆっくりと浸かり、足の疲れを癒やした。
今朝はさすがに両足が少しだるい。ジョギングは2キロ半にとどめ、あとはウォーキング4キロ半にした。ウォーキングの途中、自宅付近のアスレチックコースの体操器具を使って若干の筋トレを行った。ウォーキングは久しぶりだ。ここ一ヶ月ほど、買い物時や大学構内で少し歩く以外はほとんど歩いていなかった。歩くという感覚が新鮮に感じられるほどだ。試験監督以外、大学へも出かけることがなかったこの二週間ほどは、起きている間にしていることといえば、外を走る、机の前に座って読書あるいは原稿を執筆する、台所に立って調理及び食器洗いをする、部屋を掃除している、洗濯物を干したり畳んだりする、食事をしながらドラマや映画を観る、これらでほぼ尽きる。
モンテーニュの『エセー』の一節を思い出した。
Nous sommes de grands fols : Il a passé sa vie en oisiveté, disons nous ; je n’ay rien faict d’aujourd’huy. - Quoy, avez vous pas vescu ? C’est non seulement la fondamentale mais la plus illustre de vos occupations.
Les Essais, Livre III, Chapitre XIII, « De l’expérience », PUF, 1965, p. 1108.
それにしてもわれわれは大変な愚か者なのである。だって、「彼は人生を無為にすごした」とか、「今日は、なにもしなかった」などというではないか。とんでもない言いぐさだ。あなたは生きてきたではないか。それこそが、あなたの仕事の基本であるばかりか、もっとも輝かしい仕事なのに。
『エセー』第三巻第一三章「経験について」 宮下志朗訳 白水社 2016年