内的自己対話-川の畔のささめごと

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自律システムと他律システムとの間の中道の探求―フランスシスコ・ヴァレラ『自律性と認識』

2022-02-17 20:53:28 | 哲学

 西垣通氏は、『ネットとリアルのあいだ ―生きるための情報学』(2009年)の最終章第三章第二節「タイプⅢコンピュータとは」の結末部分で、ヴァレラの Autonomie et Connaissance. Essai sur le Vivant, Éditions du Seuil, « La couleur des idées », 1989 から、他律システムと自律システムについて述べている一節を引用している。本書は邦訳されておらず、引用箇所の頁数が仏語版のそれと一致しているから、氏ご自身でお訳しになったのだろう。
 この仏語版は、Principles of Biological Autonomy というタイトルで1980年にアメリカで出版された英語版の仏訳であるが、その仏語版には英語版初版にはなかった四つの章と補遺が加えられている。しかも、原著の各章はそれぞれ別の機会に英語で発表された論文を基にしており、それに1982年から1987年にかけてアメリカで発表された四つの英語論文と補遺の仏訳が加わってできたのが Seuil 社の仏語版である。ヴァレラ自身、仏語版の前書きで、これは英語版の第二版ではなく、最新の情報を盛り込んだ延長版だと断っている。
 西垣氏は、ヴァレラがフォン・ノイマンとウィーナーのシステム理論をそれぞれ「システム外部から規定される他律システム」」「システム内部から規定される自律システム」の理論と位置づけたこと、他律システムは入力/出力で特性づけられた開放系だが、自律システムは自己言及的に作動する閉鎖系であること、前者が機械、後者が生命に対応していることを述べた上で、次の箇所を上掲のヴァレラの本から引用している。

この二つの根源的なテーゼは、一九四六年以来、神経科学、進化理論、免疫学、家族心理分析、経済学、人工知能、経営学、言語学といった多くの領域に影響を与えてきた。そして今日まで、ほとんどの領域で他律的なアプローチが支配的な役割を担ってきた。(『自律性と認識』二二三頁)

 「家族心理分析」と訳されている語は、仏語版では、 « thérapie familiale » だから、「家族療法」と訳すほうが一般的だと思う。それを別にすれば正確な訳である。
 この箇所を引用した直後に西垣氏は、「タイプⅢコンピュータは、ITの分野で、フォン・ノイマンからウィーナーへのパラダイム・シフトを象徴するものとなるだろう」」と述べているが、これは氏独自の意見で、ヴァレラのテキストのコンテクストからはかなり離れている。
 ヴァレラは、上掲の引用箇所の直後の最終章最終節を « Vers une voie moyenne » と題しており、他律システムと自律システムとを対立させ、両者を互いに排他的なシステムと彼が見ているという、ありそうな誤解に対して注意を促している。まったく他律システムを必要としないモナドのような自律システムなどヴァレラは考えていない。両者をどう調和させるか、そのための「中道」(voie moyenne)を探すことこそヴァレラの最終的な課題である。
 明日の記事ではその最終節をもう少し丁寧に読んでみよう。