内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

断章間散歩の愉しみ ― パスカル『パンセ』の場合

2018-12-06 19:24:54 | 読游摘録

 12月1日の記事でヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を話題にしたとき、その中にフランス語のまま引用されているパスカル『パンセ』の一文 « Ce chien est à moi » が含まれている断章の原文を掲げた。
 『パンセ』を読むときは、セリエ版をまず手に取ることが多い。その後、ラフュマ版、ル・ゲルン版、ブランシュヴィック版の順で注を読む。上掲の一文が含まれる断章の次の断章は、ブランシュヴィック版以外はすべて « Diversité » という表題がついた断章である。
 『パンセ』を読む愉しみの一つは、お目当ての断章のすぐ隣に思いがけず別の興味深い一節を発見することである。今回は、« Ce chien est à moi » という一文を含んだ断章を確かめようとと思って『パンセ』を開いたら、その次の断章の表題 « Diversité » が目に飛び込んできた。実は、こちらの断章にもとても気になる一語がある。それは « suppôt » という語である。
 それについて話す前に、まず表題について、参考文献に依拠しつつ意味を確かめておこう。
 「多様性」と通常訳される diversité は、今日、生物多様性(biodiversité)や文化の多様性という文脈などで使われるときは、守られるべきもの・大切にされるべきものとして語られることが多い。つまり積極的価値として語られる。ところが、この断章での多様性はそうではない。その点について、電子版パスカル『パンセ』という大変精緻に構成されているサイト(L’édition électronique des Pensées de Blaise Pascal)の注解とル・ゲルン版の後注に注目すべき言及がある。
 今日のところは、明日の講義の準備があるので時間が取れない(今日は深夜営業になります、トホホ……)ので、『パンセ』の当該の断章(ラフュマ65、ル・ゲルン61、セリエ99、ブランシュヴィック115)の原文を引くにとどめる。

Diversité.

  La théologie est une science, mais en même temps combien est‑ce de sciences ? Un homme est un suppôt, mais si on l’anatomise, que sera‑ce ? la tête, le cœur, l’estomac, les veines, chaque veine, chaque portion de veine, le sang, chaque humeur du sang ?
  Une ville, une campagne, de loin c’est une ville et une campagne, mais à mesure qu’on s’approche, ce sont des maisons, des arbres, des tuiles, des feuilles, des herbes, des fourmis, des jambes de fourmis, à l’infini. Tout cela s’enveloppe sous le nom de campagne.