内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「僕のもの、君のもの」という格差原理が追い払われた修道院の「平安な」共同生活への頌歌

2018-12-02 19:37:14 | 哲学

 聖ヨハネ・クリゾストム仏訳全集第一巻の「敵対者たちに抗して」というタイトルの下にまとめられらた教説の一つ「修道院生活について」の中に « le tien et le mien » という表現で、自他の所有を区別する世俗社会の原理に言及している箇所がある。その箇所を含んだ一節の前節では、世俗社会の不平等・不幸・不和の例が列挙され、それと対比される形で、当該節では、修道院生活には、そのようなものは一切ない、とその生活の平安が謳われている。そこでは、一切が等しく分かち合われ、完全な統一性が実現されている。そこで生活する者たちは、同じ一つ魂を持っているとまで言われる。こうした記述がかなり延々と続き、いくらなんでも修道院生活が理想化されすぎており、現実がこの記述どおりだったとは信じがたい。しかし、それは今の私たちの問題ではない。
 上掲の « le tien et le mien » が出てくる箇所だけを引いておこう。

Le tien et le mien, ce principe de tout désordre, sont bannis de ce séjour ; toutes choses y sont communes, la table, l’habitation, le vêtement (Œuvres complètes, tome I, p. 96).

 その他の箇所でも、« le mien, le tien » あるいはそれに類似した表現が用いられているときは、常に同じ原理が批判の対象とされている。つまり、自他の所有を区別することがすべての混乱と不和の始まりだ、ということである。しかし、すべてのものが共有され、成員間に完全な平等が成立している共同体ということなら、それは理想化された原始共産制とどこが違うのであろうか。
 その平等で調和がとれた状態からの発展を拒否し、その共同体の中で自足し、その外部とのコミュニケーションを断つことによってのみ、そのような平穏な共同生活が成り立つのだとすれば、そこで享受されている閉鎖的平安を破壊する « le mien, le tien » こそ、閉鎖的共同体から開かれた社会への発展の契機であり、その発展過程に争いは不可避である、という反論も当然出てきてしまう。
 このような問題も念頭に置きつつ、« le mien, le tien » 原理が批判的に言及されている別の説教いくつか読んでみよう。