内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

学部三年生小論文口頭試問、あるいは学問的問題意識の覚醒について

2018-04-20 22:59:51 | 講義の余白から

 今日は、学長室がある建物を除いて、すべての大学の建物の封鎖が解除された。しかし、どの建物へのアクセスも一ヶ所に限定され、その入口には警備員が立っており、身分証明書を提示しないと中には入れなかった。しかも、入れる時間帯は午前8時から11時半までに限られていた。
 午前10時に、私が指導教官である学部3年生3人と普段授業を行なっている建物の前で待ち合わせ。その建物内の空いている教室で、彼らが先週提出した小論文についての個別口頭試問を行うためである。それぞれの学生に対して、10分間のプレゼンと10分間の質疑応答を行なった。
 テーマは、それぞれ、文学作品の翻訳可能性(テオフィル・ゴーティエ『 La Morte amoureuse 死霊の恋』、ラフカディオ・ハーンによるその英訳『 Clarimonde クラリモンド』、芥川龍之介によるハーン訳からの重訳『クラリモンド』の比較を通じて)、落語のユーモアの普遍性と固有性(欧米のワンマン・ショーとの比較研究)、江戸時代から明治・大正・昭和にかけての美人画の変遷(その女性の表象史を通じて見た社会・政治・文化・技術の諸領域における日本の近代化とその多様性)。
 先月から今月にかけて、私の指導の下、彼らはこれらの主題についてA4サイズ10頁ほど小論文を作成した。いずれも論文の構成はまだまだ稚拙であったが、いずれも、修論さらには博論にまで発展・深化さうる問題性を把握できていたという点で、十分合格点を与えられる内容であった。
 面白いのは、普段の授業の成績と学問的問題把握のセンスとは別物だということである。例えば、美人画をテーマに選んだ女子学生などは、普段のテストの成績はまったく振るわない。二年・三年どちらも、日本式に言えば、「裏表」をやっている。ところが、この小論文には、これまで見せたことのない積極的な姿勢で取り組み、私が紹介したかなり浩瀚な文献をちゃんと読み込み、今後の発展・深化が期待できるいい論文を書いてきた。
 大学入学時に美術史専攻か日本学専攻かで迷い、その迷いを引きずったまま日本学科で自分のやりたいことが見つけられないままにここまで来てしまったが、ずっと気になっていた美人画を今回小論文のテーマに選んで、自分がやりたいことが初めて見つかったと、授業中には見せたことのない生き生きとした表情で、それこそ目を輝かせながら話してくれた。
 学部卒業後、彼らがどんな進路を選ぶのか、私は知らない。しかし、今回の小論文の作成を通じて、長い時間をかけて探求するに値する「鉱脈」を彼らがそれぞれ掘り当てたことだけは確かである。いささかなりともその手助けができたことを嬉しく思っている。