内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

基準とも言えない基準を「基準」として承認するという滑稽のために真剣に議論する私たち、あるいは喜劇としての大学

2018-04-12 23:04:24 | 雑感

 今日は、昨日までの学内の情況とは打って変わって、穏やかな、まるで昨日一昨日にあったことが嘘のように静かなキャンパスで、正午から二時間半に渡って、この春からサバティカルでストラスブールに滞在されている二人の日本人の大学教授に私が担当している修士課程の演習に出席していただき、学生たちの日本語での拙い発表を聴いていただいた。
 学生たちにとっては、とても緊張を強いられる経験であったと思うが、先生方がそれぞれの学生に対して、丁寧にさまざまな質問してくださり、さらには懇切な助言までくださったので、学生たちにとってはとても例外的な貴重な機会であったと思う。
 両先生のご滞在中に、学生たちには、先生方から多くのことを学んでほしいと思っている。私の方であまりお膳立てしすぎても、かえって双方にとって窮屈なことになりかねないので、まずは学生たちから先生方に直接コンタクを取るように促した。私はあくまで仲介役である。
 先生方を学科の同僚に紹介した後、学科の教員全員での会議。議題は、来年度の日本学科全科目の成績判定方法。なんでそんなことが今頃?、と思われるかも知れない。確かに、各科目の成績判定方法なんて、各教員がそれぞれ自分の授業について決めればいいことではないか。私もそう思う。ところが、フランスの大学では、その方法に関して、筆記試験か口頭試問か、試験時間・回数、その他(例えば、レポート)等々、すべての科目について事細かに決めて、それをエクセルで一覧表にし、大学評議会で承認されなくてはならないのだ。こんなことに法律並みの厳密さを求めるバカバカしさよ、嗚呼。
 正直、バカなの? って思わざるをえない話である。学期中に何回試験するか、どんなタイプの試験か、試験時間はどれくらいか、などなど。もちろん原則はあったほうがいい。でも、その原則は尊重しつつ、実際の裁量は現場の各教師に任せたらいいではないか、というのが私たち日本学科の立場である。
 だから、今日の会議では、いかに現場の教師たちが自由に裁量できるような「曖昧な」基準(だったら、そんなのいらないじゃん、などと言わないように。ここは法律文言にはやたらとうるさいおフランスざますよ)にするのかを巡って話し合い、概ね自分たちに都合の良い基準とも言えない基準について合意に達した。その意味で、今日の会議はとても有意義であった。
 その結果を表にしてまとめて評議会に提出するの誰だっけ? あっ、俺だ。ヤベぇ、急がないと。