内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

電子化された願書から志願者たちの肉声を聴き取る

2018-04-17 21:01:28 | 雑感

 つい先日のことですが、「あんまり難しくてわけのわからん記事だと、読まなくなっちゃうから、もっと親しみやすいストラスブール便り的なもの書いてほしいなあ」といったような要望を間接的に身内から聞きました。
 お気持ちはわかります。でも、私は、基本、このブログは自分のために書いております。もちろん、そんな拙ブログの記事を読んでくださる方たちがいらっしゃるのは嬉しい。最近も、学生の一人から、「先生、毎日読んでます」と聞いて、それはとても嬉しかった。
 しかし、読んでくださる方たちに受けの良い記事を書くことがこのブログの第一義的な目的ではありません。かと言って、何を書こうが俺の勝手だろう、という傲岸な気持ちでいるわけでもないのです。時には、本当に、読んでくださる方々にわかっていただきたいという切なる思いをもって書くこともあるのです。
 さて、前置きが長くなりましたが、ここのところ続けて話題にしている入学志願者書類選考の話を今日も続けさせていただきます。
 あっ、その前に一言。体調の方はほぼよくなりました。ご心配いただいた方々にここで心より感謝申し上げます。
 今日は、朝から夕方まで、216通の願書に目を通し、機械による順位計算には反映されていない情報の中から、日本学科への志願者としての適性を判定する要素を抽出し、それをExcelで一覧表にするという作業に明け暮れました。先ほどその表を同僚たちに送信しました。明日は授業があるのでこの作業を休みますが、木曜日に再開し、その日のうちに終わらせます。
 今日、この作業をしていて、志願者たちについていろいろなことがわかって、面白かった。
 願書は、すべて電子化されており、それをコンピューターの画面で見続けるので、眼にはいいことありません。でも、その画一的なフォーマットの物言わぬ冷たい願書の中の志望動機書を読んでいると、すべての願書からというわけではありませが、志願者たちの肉声が聞こえてくる思いがすることがあります。それが聞こえてくると、こちらも応答したくなります。
 「ああ、それで日本学科を志望するっていうわけなんだね。日本のことを好きでいてくれる気持ちは嬉しいけれど、正直に言うと、やめたほうがいいと思うよ。就職ないから。もっと将来性のある学科に行ったほうがいいと思うけど」と、もし本人に会って話すことができるのなら直接言いたい気持ちなった願書が少なからずありました。
 それらの志願者の成績は、優秀あるいはとても優秀なのです。日本に何らかの憧れを持っているのです。でも、これまで、どれだけの学生たちがそれが幻想に過ぎなかったことを大学に入ってから気づかされ、失望し、将来について生き迷うことになったことか。
 昨年9月の今年度はじめに、入学したばかりの一年生に向かって、あらまし次のようなことを言いました。
 「日本学科を卒業しても就職はありません。ちゃんとした就職がしたいのなら、必ず他の勉強をしてください。日本のことをずっと好きでいたいのなら、他の学科でしっかり学問の方法論を身につけてほしいのです。「日本学」などという学問は存在しないのですから。」
 志願者諸君よ、私が何よりも望んでいることは、君たちが君たち自身の将来のためにより良き選択をすることなのです。私は選抜などがしたいのではない。できることなら、君たちの進路の選択に少しでも役に立ちたいだけなのです。