内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成のその都度の瞬間がオプティマルだと考える楽観主義 ― ジルベール・シモンドンを読む(127)

2016-10-15 16:35:13 | 哲学

 今日の記事では、ILFIの324頁から325頁にかけての段落を読んで私が考えたことをそのまま記す。その私の考えがシモンドン理解として妥当かどうかは差し当たり問わずに、そのように考えることが私自身の哲学的思考にどのような方向性を与えてくれるかを提示する。
 存在をその中心から捉えようとするモンドンの生成論的存在論は、存在の初期状態として緊張状態を想定する。その状態には、共立不可能な諸要素が可能的なエネルギーとして内包されている。存在は、己の内に内包されたそれらの共立不可能な諸要素のうちのいくつかを自己多相化することで問題として顕在化させ、その問題的な状態に一定の構造と機能をもった個体化によって解決を与える。しかし、その解決はけっして最終決定的なものではなく、その解決がまた新たな問題的状況を発生させる。潜在的な問題の顕在化、それに対する暫定的な解決としての個体化、その個体化の結果として発生する新たな緊張状態、その問題として顕在化、その問題に対する解決としての構造と機能を備えた個体化、この無限の繰り返しが生成である。この生成は、しかし、存在の初期状態の不完全性に起因する負の連鎖ではない。この生成こそが端的に存在そのものにほかならない。
 シモンドンの存在論は、存在を何らかの実体に還元するあらゆるタイプの還元主義的実体論に反対する。それとまったく逆方向の思考を提示する。存在は自己生成過程そのものなのであり、その過程で発生する諸問題を解決しつつ、無限に自己を増幅していくと考える。
 このようなパースペクティヴから一切の現実を見るならば、個体と環境という対立や葛藤を内包しうる関係も、形態形成情報と物質という相互に異なり相補性をもった様態として個体化された存在同士の関係も、存在の自己生成過程の一局面あるいは一齣として、いわば存在の全生成史の中に統合される。
 このような思考方法は、いたずらに問題を固定化し、袋小路に追い詰められてしまうことを私たちに回避させ、一見共立不可能に見える対立的要素間にこそ問題解決の糸口が隠されているはずだという、置かれた状況に対するどこまでもオプティミストな態度を保持させる。
 ここでいうオプティミストとは、しかし、「そのうちなんとかなるだろう」という無根拠な楽天主義のことではない。生成過程に生きる個体の生のその都度の各瞬間がオプティマルだと考える、現在に対して徹底的に肯定的な姿勢のことである。