現実において、安定的な均衡は極限状態としては想定されうるが、諸状態の一般的な態勢は準安定的なものだとシモンドンは考える。どのような見かけ上の安定状態も、最終的な安定性ではけっしてなく、一定の期間・一定の条件下で実現されているに過ぎないと見る。
ある構造が実現されて均衡状態を保っているのは、一定の限界内・一つの大きさの秩序内でのことであり、他の大きさの秩序と相互作用がないときに限られる。そのような準安定状態は、諸種の潜在性を覆い隠しており、この諸潜在性は、一旦その状態から解放されれば、突然の変化をもたらしうるものであり、その変化は、場合によっては、新しい構造化をもたらす。この構造化も、しかし、言うまでもなく、同じく準安定的なものである。
諸種の状態は、準安定的な存在様態であり、構造から構造へと飛躍を重ねる暫定的安定性だ考えれば、存在と生成とは互いに対立する概念ではなくなる。
Le devenir n’est pas continuité d’une altération, mais enchaînement d’états métastables à travers les libérations d’énergie potentielle dont le jeu et l’existence font partie du régime de causalité constituant ces états (p. 327).
生成は、一つの変化の連続ではなく、潜在エネルギーの解放を通じて現れる準安定的状態の連鎖であり、この潜在エネルギーの作用と実在とがこれらの状態を形成する因果関係の体制の一部をなしている。
準安定的システムの中に含まれているエネルギーとは、ある状態から別のある状態へと移行するという形で現実化されるエネルギーと同じエネルギーである。この〈構造-エネルギー〉という全体が存在なのである。
この意味で、存在は〈一〉であるとは言えない。存在は、一体性を超えるシステム、つまり〈一〉であることを超えるシステムとして自己多重化されている。一体性、特に個体の一体性が存在の只中に現れるのは、分離的単純化によるのであり、これが個体をもたらし、それと相関的に環境をもたらす。この環境には、しかし、一体性はなく、そこにあるのは同質性である。