内的自己対話-川の畔のささめごと

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個体は自己同一性より豊かな関係性を有した存在の一齣である ― ジルベール・シモンドンを読む(121)

2016-10-09 15:45:11 | 哲学

 ILFI の結論部の 317頁から320頁の内容を私なりに要約すると以下のようになる。
 シモンドンは存在を本来的に「多相的な」(« polyphasé »)ものとして捉えている。その複数の相のうちの一つが現実に顕現しているとき、他の諸相もまた潜在的なものとしてそこに現在していると考える。今ある相の下に現れている存在は、他の諸相の下にも現れうる存在として、現勢化されているということである。
 存在は必ずある形を取って現れるという前提に立てば、存在が多相可能的であるということは、ある形がその形であるのは、その他の形にもある条件下で成りうるかぎりにおいてだということになる。
 この形の可変性・可塑性は、つねに他の形との関係において決まる。ある形が単独でまったく他の形から独立に変化することはない。
 以上のような存在の形についての考え方が、シモンドンを独自の « information » 概念へと導く。形は別の形との関係においてこそ己自身も可変的・可塑的な存在である。そのような形の相互連関的多相性・可塑性の動的現実を一言で言い表しているのが « information » なのである。
 したがって、ある形を有した存在、つまり、ある仕方で個体化された存在は、自己同一的存在ではなく、他の個体化された存在を介して成り立つ自己関係存在である。他によって媒介された自己関係存在である個体は、自己同一性よりはるかに豊かな内容を包蔵している。
 このような関係存在としての諸個体のネットワークとして生成しつつある現実を司っている原理が「転導性」(« transductivité »)である。この転導性原理から以下の帰結が導かれる。
 ある個体化された存在は、自分自身が変わるためには、その変化の原理が他の存在にも新たに適用され、自他複数の個体間に拡張的に共有されなければならない。言い換えれば、複数個体間に内的共鳴が成立しなくてはならない。
 この共有・共鳴は、しかし、なぜ可能なのか。その可能性の条件は何か。それは、すべての個体化された存在に何らかの仕方で残っている「前個体化存在」(« l’être préindividuel »)によってすべての存在は本来的に繋がっていることである。
 今日の記事の冒頭に示した結論部の頁の枠を越えて、一言先取り的に付け加えると、多相化した個体の生成過程の途上で個体間にその前個体化存在に基づいた繋がりが再び見いだされるとき、その繋がりが「通・超個体性」(« la transindividualité »)である。