自らの哲学的立場から他の主要な哲学的立場のいくつかを批判した後、シモンドンは、己の立場が陥る可能性のある危険について言及する。そして、その危険の回避の仕方を示すことによって、自身の生成的存在論を支えている哲学的直観を提示する。ここにもシモンドンの哲学的世界像がよく表れている。その危険とは、存在の生成過程の記述に物理的パラダイムを用いることに伴う還元主義の危険である。
しかし、この危険は次のような仕方で回避できるとシモンドンは考える。
非生命的な諸性格に基づいた構造と機能の支えとして物理的領域を捉えるとき、それらの諸性格をその初期段階で膨張させ、さらにはそれらを増幅させる方向で考え、それらに還元する方向では考えない。確かに、物理的なものの認識の領域と生命的なものの認識の領域がある。しかし、それと同じように、物理的なものの現実的領域と生命的なものの現実的領域とがあり、それらが同じく現実的な境界によって分離されているわけではない。物理的なものと生命的なものとの区別は、構造と機能とに拠るのであって、実体的な現実に拠ってではない。
ある物理的存在様態があるのであって、それは生命発生後の物理的なものと混同されてはならない。生命発生後、物理的なものはいわばその分だけ乏しくなり、弛緩し、生命がそこから発生した全過程の残りとなる。しかし、他方、「自然なもの」(« le naturel »)と名づけうる物理的なものがあるのであって、それは前生命的(prévital)であると同時に前物理的(préphysique)でもある。生命と非生命的な物質とは、ある意味において、現実の進化の二つの異なった速度として取り扱うことができる。
ここでもまた次のような考え方から自由にならなくてはならないのだ。それは、複数の極限項を基礎として措定し、それらの組み合わせから、全現実をそれらの間に成立するすべての相対的現実として説明するという考え方である。
この考え方とはまったく逆方向の考え方をシモンドンは次のように提示する。
極限項の組み合わせから発生したと考えられていた中間的な現実が、実のところ、これら極限項を発生させ、それらを支え、その現実を限界づける極限項として極端にまで推し進めた。関係を構成する諸極限項がまずあって、それらの関係から成り立っているかのように見える現実は、実のところ、「前関係的存在」(« un être pré-relationnel »)をおそらく前提している。