内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

恥と羞恥

2015-02-12 21:43:50 | 雑感

 今日は疲れている。昨晩、ブログの記事を投稿した後、コンピュータの調子がおかしくなり、よせばいいのにあれこれいじっていたらますますおかしくなり、とうとう再起動しても画面が真っ暗なままで、どのキーを叩いてもまったく反応しなくなってしまった。コンピュータに向かって「この役立たず」などとさんざん喚いて罵倒し(馬鹿である)、もう一台のつねに同時に稼働させているコンピュータの方で仕事は滞りなく処理したが(さすがである)、面白くない。そんなわけで、さっさと寝るつもりが、結局午前一時まで苦虫を噛み潰したような顔をして(いたと思う)、コンピュータを睨みつけていた(ちょっとアブナイんじゃないですか)。
 今朝は、昨夜のショックで、7時半にようやく目が覚めたが、恐る恐る抜き足差し足でコンピュータに近づいてみると(意味不明)、ちゃんと初期画面が立ち上がっているではないか。「なあんだ、機嫌直してくれたんだ」と迂闊にも喜んで、念の為に再起動したのが間違いのもとであった。また真っ暗画面に戻ってしまった(また修理に出さなくてはならないのかと思うと憂鬱)。
 しかし、万難を排して、明日の講義の資料作りはしなくてはいけない。無情にも真っ暗な画面のコンピュータを横目で冷たく一瞥して、「もう君とはやり直せないかもしれない」などと訳の分からないことを呟きながら、もう一台のコンピュータで資料作りは無事完了(ざまあみろ)。昨日の予定では、朝一でこの作業を済ませ、午前中にプールに行くつもりだったのに、予想以上に時間がかかったこともあり、それもかなわず、午前中は資料作りだけで終わってしまった。
 午後一時半にIKEAからの配達。書斎に置く整理戸棚が届いたのである。その組み立てと資料の整理で午後は潰れてしまい、しかもなぜかひどく疲れた。組み立てであんまり右腕を酷使したから、腕がだるいし、肘を曲げる角度によっては鋭い筋肉痛が走る。もう何もしたくない。
 とは言いながら、さっき修士一年の学生から届いた日本の大学に留学するための志望動機書はすぐに添削して、もう送り返してあげた。もうほとんどもとの文章が残らないくらいに直したから、日本語としては完璧だが、これじゃ本人が書いたんじゃないってすぐにわかってしまうよなあ、やりすぎたかなあと反省している。しかし、わざとぎこちなさを残すように添削するのはもっとむずかしい。
 ここまでの与太話は、今日の記事のタイトルとは何の関係もない。では、なぜこのタイトルにしたかというと、「恥と羞恥」をテーマとした「現存在分析フランス学会」の研究集会が五月末日にパリのエコール・ノルマルであるのだが、そこで「日本文化における恥と羞恥」について話してほしいという依頼が一昨日学会責任者からメールで来て、即座に承諾し、昨日今日とその学会責任者とテーマについてメールのやり取りをしていたからなのである。
 ある高名な先生が依頼を断ったから私にお鉢が回ってきただけの話なのだが、今から十四年前、まだ博士論文を書いている時に、同学会が木村敏を研究テキストとしていたときに、西田哲学について一度話したことがあり、これも何かの縁であろうと引き受けたのである。しかし、引き受けただけで、何を話すかはこれから考える。
 今日は疲れた。右腕も痛い。風呂にゆっくり浸かって、体をほぐしてから寝ることにする。