内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』を読みながら(六)

2015-02-03 06:43:11 | 読游摘録

 昨日の記事で紹介した「月の隠れた面」という講演の最終部分は、それまでの文脈からやや離れ、アメリカ研究者としてのレヴィ=ストロースが人類史における日本の位置についてその見解を示すことで締め括られている。
 最新の比較言語学的研究の成果によって、ウラル語族の言語が北アメリカの太平洋側にも存在し、従来考えられてきたより遥かに広い範囲にわたって、アルタイ語系の言語が存在することが明らかになってきているということを踏まえた上で、その観点から日本の占める位置を「一種の堆積丘、たえず堆積し続ける層の重なり」と捉え、この一見孤立した堆積丘は、実は「ヨーロッパ=アメリカと呼んでもよい台座の上にあり、日本だけがその存在を証明している」と言う。そこから、「フランスにおける日本研究」という枠組みを遥かに超えた次のような考察を講演の最後に示す。

そうなると、いわば月の、目に見える側 ―― エジプト、ギリシャ、ローマ以来の旧世界の歴史 ―― からではなく、月の隠れた面 ―― こちらは日本学者、アメリカ学者の領分です ―― から歴史に取り組む者にとって、日本史の重要性は他の歴史、つまり古代世界や、古典期以前のヨーロッパの歴史の重要性と同じくらい戦略的な意味を持ってきます。太古の日本がヨーロッパと太平洋の架け橋の役割を果たし、日本とヨーロッパそれぞれのシンメトリックな ―― 似通っていながら対極にある ―― 歴史を発展させたと考えるべきでしょう。赤道を境に季節が逆になるのとやや似ていますが、領域も軸も異なっています。ですから、今回のシンポジウムのテーマであるフランス―日本という角度からだけでなく、遥かに広い視野から、人類の過去の最大の謎である領域に近づく重要な鍵を、日本が握っているように思えるのです(57-58頁)。

 徒に日本の特異性・固有性・優位性をそれ自体で論うのではなく、人類史的視野から日本を位置づけること、学問的にそれを行うことは、それこそ途方もなく膨大な、多数の研究者の共同作業からなる学際的研究を必要とするだろう。しかしそれはそれとして、仮に専門的な研究に携わらないとしても、このような視野を持っておくことには、それ自体、とかく近視眼的になりがちな私たちの「世界史的」視野を相対化してくれるという効用がある。