内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「風」の文藝史

2015-02-14 18:49:44 | 講義の余白から

 今朝からずっと「風」のことを考えている。
 といっても、外を吹く風のことではない。それに今日は昼過ぎからよく晴れ、風もない。先週届いた整理戸棚にしまう書類の整理も済み、これで書斎はほぼ望んていた通りの形になった。とても満足している。ベランダに面している全面二重窓越しには、視界の中で重なり合う冬枯れの樹々の向こう側に透明な冷気に満たされた青空が広がる。その窓を背にすると、部屋の奥には、棚の一列に左右にゆったりと空間をとって配置されたステレオとその上の棚にお気に入りのバッハのCDが並べられている整理戸棚が見える。朝からずっと好きな音楽を聴いている。今聴いているのは、マリア・ジョアン・ピレシュ演奏のシューマン『森の情景』。部屋の奥に向かって左右の壁には、左側に六つ、右側に四つの本棚が並んでいる。先月末に買い足した四つの本棚のおかげて、蔵書のすべてを、ところどこに空きスペースを取りながら、ゆったりと配列できるようになった。それまで段ボール箱に詰めたままだったCDも一つの本棚にすべて並べることができ、それらの背ラベルを眺めていると、あれこれと聴きたくなる。十九年前にフランスに来てすぐに買った楕円形のテーブルを今も使っているのだが、先週整理戸棚が届くまでは、ステレオとCDの置き場になっていて自由に使えなかった。今はそれを第二の仕事机兼食卓として使えるようになった。これで同時進行中のいくつかの研究のための参考文献をそこら中に広げたままにしておくことができるようになった。
 昨日の講義では触れる時間がなかったのだが、芭蕉の俳諧の境地を説明する言葉として「風狂精神」という言葉が使用教科書に出てくる。そしてその下に括弧して「風雅に徹する心」と一言注してある。しかし、これだけで「風狂」が何を意味しているのかわかるくらいなら教えるのに苦労はないが、「風雅」にしてからが説明を要する概念である。それに「徹する」とは、どういうことなのかも説明しなければならない。来週の講義では、それらについて『野ざらし紀行』を読みながら説明するので、その準備のためにあれこれ参考文献を読み始めた。ちょっとやそっとで扱えるようなテーマではないことはもちろんわかっていたが、それらを読み始めると面白くなってしまい、気がつくと夕暮れである。ちょっと森の入り口を散歩して引き返すつもりだったのが、その森の霊気に引き込まれ、どんどん深入りしてゆき、日も暮れ始めたというのに、どこから引き返したらいいのかわからなくなってしまい、途方に暮れているような状態だと言えばいいだろうか。
 今日のところは、帰り途を見つけるために、ちょうど地図を開き磁石で方向を確かめ自分の現在位置を探すように、辞書の定義をいくつか書き付けることで満足し、今夜は「森」の中で「野宿する」ことにする。
 手元の旺文社『古語辞典』(第十版)を見ると、「風雅」のところには、第一の意味として、「詩歌・文章の道。文芸。詞章」とあり、用例として、『太平記』の一節が挙げてある。第二の意味は、「蕉門で、俳諧の道」とあり、『去来抄』の一例。その後に「語史」として、「中国の詩の「六義」の中の風と雅で、「風」は「ひなぶり」、「雅」は「都ぶり」で、風雅で詩を代表させたのがもと。中世末・近世には、「詩歌・文芸」の意。特に蕉門では「俳諧」の意」との説明がある。確かに『古今和歌集』「真名序」にも、「和歌有六義。一曰風、ニ曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌」とある。「風狂」の方はというと、第一の意味が「気が狂うこと。狂気」で、例は『沙石集』から採られている。第二の意味は、「風流に徹すること。風雅に心を奪われること」とあり、例は『三冊子』から。この第二の意味の中に出てくる「風流」の項も見ると、意味が五つに分けてあって、その最初の三つを引くと、第一が「意匠をこらすこと。美しく飾るさま」、第二が「伝統。先人が残し伝えた美風」、第三が「[風流韻事の略]みやびやかなことをして遊ぶこと」とある。「風流」の形容動詞としての用例は、やはり『古今和歌集』の「真名序」に見出だせる。
 「風雅」「風流」「風狂」の他にも、日本の文藝の要諦を理解する上で鍵となる概念には、「風月」「風姿」「風体」「風韻」など、「風」を最初の一字とするものは少なくない。これらの諸概念それぞれの用例を通時的に丹念に辿る概念史的アプローチと、それぞれの時代におけるそれら概念間の、さらには隣接諸概念との間の弁別的価値を相対的に規定する構造主義的アプローチを組み合わせ、さらにはそれに形而上学的次元の考察を加えれば、一つの「「風」の文藝史」が構想できるのではないかと妄想している。