内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

外なる源泉への回帰 ― ヨーロッパ文化の起源

2013-08-09 07:00:00 | 哲学

 一昨日・昨日の記事で紹介した Rémi Brague の Au moyen du Moyen Âge から、夏休み特別企画(?)として、もう一箇所紹介しよう。同書の " Les leçons du Moyen Âge "(「中世の教訓」)と題された章の結論部(p.78-79)で、ブラッグは、中世ヨーロッパ文化の起源がその外部にあるという歴史的事実について読者の注意を促す。以下は、その結論直前の最終段落と結論全文のほぼ忠実な訳である(フランス語をお読みになる方で、鋭い批判精神が知的ユーモアとともに煌めく上質な現代フランス語に触れてみたいと思われる方は是非原文をお読みください)。

 自分に固有のもの、 つまり個性は、それ自体で〈善〉ではない。「私のもの」は必ずしも良いものだとはかぎらない。ヨーロッパはこの固有性と善との違いについて具体的な経験をするという幸運に恵まれた。この両者の差異の経験は、ヨーロッパをその文化的起源から隔てている距離のおかげで得られた。ヨーロッパ文化を培ったもの、〈ギリシア〉と〈イスラエル〉は、ヨーロッパに属さない。それはちょうど両者をそれぞれ象徴する都市であるアテネとエルサレムがヨーロッパには属していないのと同様である。〈ギリシア〉と〈イスラエル〉がそれぞれもたらした文化を学ぶこと、それは「自分たちの過去」を回収し我がものとすることではなく、「自らの外に出る」ことである。ヨーロッパがその養分をそこに汲んでいる源泉はヨーロッパの外にある。それらの源泉は、だから、ヨーロッパ文化の源泉ではないということもありえた。しかし、それらが自らの文化の源泉となることを望む誰にとっても、それらは源泉となりうるのである。
 ここには今日のヨーロッパにとってのお手本がある。いや、地理的にその限界を特定できるようなヨーロッパ(それ自体かなり曖昧だが)を超えて、そのヨーロッパを参照・援用するすべての国・人にとってのお手本がそこにある。中世ヨーロッパ人たちは、自分たちの住処の外へ、直接的に与えられる諸経験の彼方へ、異国の古代人たちのところへ、自分たち固有の伝統の外へ、アラブ世界へと文化的所与を探しに行くことを知っていたし、事実そうすることができた。彼らは、それらの異文化の所与に働きかけ、発展させ、拡張した。しかし、彼らがそこで得たものは外から来たものに由来することをけっして忘れなかった。そして、それら源泉が外部にとどまり続けることもけっして忘れなかった。そうであったからこそ、彼らはたえずそれら源泉に汲もうとそこへと立ち返ることができた。かくして、彼らは自分たちの過去の受け取り方を〈原典〉に照らして矯正することができ、それによって源泉のより忠実な新しい受容が可能となったのである。ヨーロッパはこのようにして終わりなき弁証法的過程へと自らを投じたのである。ヨーロッパは、自分たちが同化しなくてはならなかったもの、外に留まり続けるがゆえにそれをものにしたいという欲求を引き起こし続けるものの外来性そのものをその原動力としていたのである。
 これら外なる源泉の豊かさは私たちのものではない。それらは他所からやって来る。そして、それらは私たちだけのものではない。