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割れ鍋に綴じ蓋

2010年04月01日 08時42分31秒 | 社会
ちょっと前だが、「隠すマスコミ、騙されるマスコミ」(小林雅一)読了。
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最終章以外はアメリカでの事例や筆者の経験が描かれている。
事例そのものは異なるが、同様の価値観や問題点は日本でもあると思う。
報道される側がマスコミを利用しようとし、
マスコミは売れてナンボ、スポンサーが付かなければ
人件費も経費も賄っていけないのだから、
必然と言えば必然。

最終章は日本での「記者クラブ」のあり方について。
「記者クラブ」による独占のため、海外メディアが日本について報道せず、
それが国益を損ねている、という話もあった。
湾岸戦争で金を出したのにそれが報道されない、とか。
近年海外メディアが日本撤退をさらに進めている、という話を
思い出しながら読んでいたが、
マスコミが「国益」と言いつつ、
結局自社なり自分の組織なりの利益を優先する以上、
日本が滅ぶまで変わらないだろう。

「記者クラブを解体せよ」と言ってもムダなのでは、と最近思う。
「記者クラブ」なるものが情報提供側にも参加新聞社にとっても
近視眼的にはマイナスでない以上、
「我社だけが抜ける」とは言えないだろう。
そこから情報の提供を受けて書く、という
ルーチンになっているのではないか。
そして、記者はこのルーチンをこなすことで給料をもらい、生活する。
こんな報道は「ジャーナリズムではない」と思うが、
一度この仕組に組み込まれて、
そこからの配分が生活の糧になり、既得権になっている以上、
放棄するのは難しい。

「特ダネのプラス評価」よりも「特オチのマイナス評価」が社内的に大きい以上、
記者は記者クラブに寄生してそこから情報を得て生きるしかない。
この「記者」(決してジャーナリストではない)を評価する基準は
変える必要があるだろう。

しかし、簡単に変えられるのか。
新聞記者も私企業である以上、儲けなければ高給の記者を食わせていけない。
儲けにつながらないのであれば、評価基準を変えることはできないだろう。
しかし、「特ダネ」によって売上が増えるのか。
毎日新聞が倒産寸前に落ち込んだのは、
(取材手法が拙いと思われたせいでもあるが)
「特ダネ」のせいではなかったのか?
また、「特ダネ」目当でサンゴに傷つける程、精神が腐っているかも知れない。

結局、読む側がそのあたりの背景を意識しつつ、
話半分に情報に触れる習慣を付ける必要があると思う。
それが「商業主義」の影響の下で「真実を伝える」と称する報道機関との
正しい接し方ではないのか。
そもそも語られないことがあるから、非常に難しいのだが、
民主主義の下で意思決定をする個人として、持つよう努力すべき習慣なのではないか。

ところが生憎、読む側は、
ニュースソースやその意図、
さらには記者がどうやって飯を食っているのかを気にせず、
自分の先入観と矛盾しなければその「物語」を真実の全てと捉えているように見える。
あるいは「事実だったら、取材過程は気にしなくてもいいんじゃないの?」と
何の問題視もせず、マスコミの権威を受け容れる。

そう考えると、
今の「記者クラブ」は民主主義の基盤として相応しくなく、
全くジャーナリスティックでもない上にジャーナリズムを阻害する制度だが、
日本の身の丈に合った制度なのでは、と思ってしまう。
残念ながら。
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