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エゴの克服

2009年11月17日 08時42分59秒 | 社会
「日本の食と農」(神門善久)読了。
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現代の食や農業の危機について、分析している本。
巷間マスコミなどで発信されている内容の誤謬や、
農水省の徒に複雑化・全体を不可視化する施策などを
過去から遡って挙げている。
ただ筆者の問題意識は、
そのような状況の元にあるのは国民の無関心や、
全て官僚のせいにする姿勢、
あるいは土地の権利を主張するといった「エゴ」にあり、
(マスコミもその意識を煽っている)
それを改めなければ結局変わらないのでは、というところにあるようだ。

具体的に、真面目に調査されており、
一読する価値があると思う。
ただ、この「エゴ」を挙げて「それを改めよ」と言ったところで、
具体的にどうすればいいんだろう、という疑問を持った。
農地の転用規制については
「制度をきちんと運用する」ことが提案されていたが、
これとてエゴで動く連中は受け入れない恐れがあるし、
それに迎合する農水省・マスコミも積極的に動かないだろう。

この「権利意識を抑える」議論は「官僚批判」と同様、
最近よく見聞きする話。
「モンスター・ペアレンツ」にしても「クレイマー」にしても、
結局は己のエゴを肥大させ、権利のみを主張する連中が「恥」の意識なく、
他人に迷惑を掛ける構造に違いはないだろう。
しかし、一度持ってしまった「権利のみを主張する」意識を抑えるのは難しい。
また、「権利のみを主張するな」などと言う連中は得てして
「昔は良かった」とか権威主義的、専制的な状態を理想化する
時代遅れの遺物だったりする。
自分の既得権は特別視することを求める右翼紙まである。

そんなことを考えつつ、
この本で書かれていた「住民自治」の中での権利の相互抑制は
現代に適合する一つの方向かな、とは思う。
そして国家は、その枠組を保障したり、
行き過ぎた抑制を監視する役割を担う形。
ただこれとて、一部の住民が
「自分のことはほっといてくれ、勝手にする」と思っていれば
実現しなくなってしまう、脆い仕組だろう。

なぜ相手のことを意識せず、己の権利のみを主張するのか。
それは、権利を持っている状態が当然であり、
それが与えられたもの、制約のあるものだ、と
認識していないためではないか、と感じる。
(「認識していない」という意識もない)
そして、権利が剥奪され、それを取り戻す経験をしなければ、
このあたりのエゴは変わらないのでは、と思う。

そのような経験が可能であり、適切なのかどうか。
例えば徴兵制とか、全員に集団生活をさせるとか。
まあ、「家庭のしつけ」とか「厳しい校則」とか言う人間もいるのだろうな。
個人的には、このあたりをお上が主導して下々の者が従うのは、
全体主義的で嫌なのだが。
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