中村富十郎さん:死去 人間国宝「弁慶」あたり役 81歳 - 毎日jp(毎日新聞)
天王寺屋が死んだ。
81だから、年に不足はないとも感じるが、
11月までは出演していたから急な話。
私が富十郎を生で初めて見たのは、南座の顔見世だったと思う。
15年前か。
記憶に残っている範囲では初めての歌舞伎で、
前の幕の孝夫+勘九郎の「九段目」が特に強く印象に残っているのだが、
その後の富十郎が山陰右京をやった「身替座禅」も何となく覚えている。
大名らしさを持ちつつ、ノロケて崩れるところが面白かった。
大阪で働いていた間は見ていなかったのだが、
東京転勤後は、富十郎が出ているから、と
歌舞伎座に行くことも多かった。
特に、一世一代の「船弁慶」や、
仁左衛門の菅丞相に付き合った「道明寺」の判官代輝国なんてところが
強く印象に残っている。
「船弁慶」の時は立見だったのだが、
幕見席の後ろでも知盛の霊の冷気、この世のものでない空気が感じ取れ、
さすが別格だ、と感じた。
吉右衛門との共演が多かった印象がある。
富十郎の弁慶は見ていないのだが、
「勧進帳」は吉右衛門の弁慶に対する富樫を見たし。
2人の声の良さや風情が魅力で、
高いレベルで楽しめるものが多かった。
確かに、愛知万博に当てた「弥次喜多」とか、
科白が怪しい「法界坊」とか、
これは如何なものか、と感じるものもあったが。
新聞では「勧進帳」の弁慶や「船弁慶」が取り上げられているが、
個人的には丸本物での素晴らしいものが惜しい。
声、糸に乗る調子などの技術も高く、ハラの深さもある。
特にこのあたりで、
掛け替えのない人を亡くしてしまった、と感じるなあ。
合掌…。
天王寺屋が死んだ。
81だから、年に不足はないとも感じるが、
11月までは出演していたから急な話。
私が富十郎を生で初めて見たのは、南座の顔見世だったと思う。
15年前か。
記憶に残っている範囲では初めての歌舞伎で、
前の幕の孝夫+勘九郎の「九段目」が特に強く印象に残っているのだが、
その後の富十郎が山陰右京をやった「身替座禅」も何となく覚えている。
大名らしさを持ちつつ、ノロケて崩れるところが面白かった。
大阪で働いていた間は見ていなかったのだが、
東京転勤後は、富十郎が出ているから、と
歌舞伎座に行くことも多かった。
特に、一世一代の「船弁慶」や、
仁左衛門の菅丞相に付き合った「道明寺」の判官代輝国なんてところが
強く印象に残っている。
「船弁慶」の時は立見だったのだが、
幕見席の後ろでも知盛の霊の冷気、この世のものでない空気が感じ取れ、
さすが別格だ、と感じた。
吉右衛門との共演が多かった印象がある。
富十郎の弁慶は見ていないのだが、
「勧進帳」は吉右衛門の弁慶に対する富樫を見たし。
2人の声の良さや風情が魅力で、
高いレベルで楽しめるものが多かった。
確かに、愛知万博に当てた「弥次喜多」とか、
科白が怪しい「法界坊」とか、
これは如何なものか、と感じるものもあったが。
新聞では「勧進帳」の弁慶や「船弁慶」が取り上げられているが、
個人的には丸本物での素晴らしいものが惜しい。
声、糸に乗る調子などの技術も高く、ハラの深さもある。
特にこのあたりで、
掛け替えのない人を亡くしてしまった、と感じるなあ。
合掌…。