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             コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

秋の初めと言うには早い四国 - 季節のお花と番外編 -

2009年10月19日 | 伊予
西の国ですから一年中なんだかんだとお花は咲いているのですが、さすがにこの時期は少なくなります。実りの秋なんですね。
ブラブラ歩きの旅の途中で目についたお花を少々。

 
名前はなんだかわかりません。結構派手ですね。右はあちらこちらで目にします。はびこってしょうがないんだそうです。


これはわかります。ホトトギス。

 
この二つもわからない。
本州の花の図鑑を持っていないので・・・。

野の花なのか園芸種なのかわからないケースが多いのでつい撮影を控えてしまいます。

夜は矢張り通い慣れたお店に足が向いてしまいます。


マスターのお許しを得て写真を掲載させていただきました。あまり顕わにはっきりとはお見せしづらいのでストロボ無しにしました。

ふとカウンターの脇を見るとこんなコースターが。知ってる人は知っている。
上は札幌のバーの草分け「Bar Yamazaki」、下は松山の草分け「バー 露口」。記念に写真を撮らせてもらいました。
この下には「信天翁」のマスターの傑作カクテル「婆娑羅」の素晴らしい写真があります。是非ご一見を。


最後は二番町の「酒八」です。おいしいサカナを出してくれます。刺身、焼き物、揚げ物はどれも美味しくいただけます。

長くなりましたがこれで秋の入り口の松山への旅は終わりです。
今回の心残りはホゴの煮付けを食べる機会の無かったこと。でもはしりのモクズガニをいただくことが出来ました。
こういったのが旅の一期一会ですね。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/12 興居島 -

2009年10月18日 | 伊予
今日の小さな旅は興居島です。
松山市内から伊予鉄の郊外電車に乗って北東に20分ほど乗ると終点の高浜駅に着きます。
10日の結婚披露宴はこの近くでした。
高浜駅から徒歩1分で高浜港です。要するに高浜港と市内をつなぐ起点が高浜駅ですね。
今は長距離、例えば広島の宇品港へは松山観光港が起点になりますが、かつては高浜港が起点ではなかったかと想像します。
観光港までは郊外電車の路線はなく、高浜駅からバスで連絡しているので。
瀬戸内には島が沢山あります。愛媛県と広島県や山口県の間にも沢山あります。
しまなみ海道を使って今治から大島、伯方島、大三島、生口島、因島、尾道を渡れますが、
他の島同士はフェリーを使うことになります。
フェリーはいわば海上のバスですね。重要な交通機関なのですがどの海運会社も経営は厳しいそうです。
一つには高速道の大幅割引が原因のようです。
高浜港からフェリーに乗って25分ほどで対岸の興居島の二つの港、泊港あるいは由良港に行くことが出来ます。
格別観光地というわけではないのですが、街中や観光地を離れた雰囲気に触れたかったのです。
タイミングで由良港行きのフェリーを利用しました。

 
左が高浜から見た興居島。東から松山空港に向かう飛行機はこの興居島すれすれに空港に向かいます。
右が空港に着陸寸前の飛行機が見える様子です。写真中央の飛行機が見えますか?

 
頻繁に船が出るわけでもないので岸壁ではのんびり釣りをする姿があります。勤めの行き帰りに釣りをする方も結構おられるとか。
フェリーはこんな姿(場所は泊港ですが)。下は車やバイクを積むデッキ、上に旅客が乗ります。朝夕は生徒さんも乗るんでしょうね。

 
由良港に着きました。遠くに見えるのが高浜港あたりです。由良港から泊港まで約4キロほどの海岸線をブラブラと歩こうという算段です。
由良港近くにこんなしゃれたお宅がありました。個人のお宅のようです。
何となく南フランスかスペインにでもありそうなデザイン・色模様です。

 
これぞ縮刷版の地中海。海の色がとっても明るい! 北の海とは大違い。
でももちろん真夏は暑いですよね。瀬戸の夕凪もありますから。

 
愛媛といえばミカン。でも色んな種類が時期を変えて次々出てくるのでとても何がどれやらわかりません。
徳島のスダチ、高知のブンタンはそれぞれ用途が違うので、愛媛のミカンと棲み分けているようです。
ブンタンは皮が厚くて剥くのが面倒ですが、中身の素晴らしい香りが嬉しいのです。
かつて松山からスダチを遊び仲間に送ったら、「ちっちゃくて、すっぺ~みかん!」と不評でした。ま、しょうがないか。
右の写真は多分ハゼノキ。内子の蝋燭はハゼの実からとります。
蝋燭のロウも植物性のハゼの実や動物性のクジラの脂から、今はすっかり石油系になってしまっています。蝋ではなくパラフィンですね。


ハイビスカスがまだ咲いていました。明るく強い日射しによく似合う花です。


この和気比売神社についてはここで。
 
由良から泊に着きました。フェリーの時間までのんびりと釣り姿を眺めて過ごします。
予定を決めないブラリ旅もいいものです。これで鶴瓶師匠のような人柄と話術があればもっと楽しいのでしょうが・・・。
そうそう。海岸線を歩いているときたまに出会う島の人に挨拶されます。
皆さんやさしいな~と不思議に思っていたのですが、はたと気が付きました。
白のスラックスに、白の上っ張りを着ていたのでもしかしたらお遍路さんに間違えられたのではと。

次回は おまけ編 です。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/11 松山城 -

2009年10月17日 | 伊予
松山城は松山のシンボルです。どこからでも見えます。
賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明の創設者になる城で、寛永4年(1627)に完成しています。
今では全国でも珍しい、山城の名残をとどめた、山の上に立てられたお城です。
松山という名はお城の完成とともに付けられた名前とかで、かつては松に覆われた山であったからとか。
今では松は山裾に少し残っていますが、タブノキやスダジイ、クリ、クスノキなどの広葉樹に覆われています。
お城の裾の本丸は春の花見でにぎわいます。


下から結構急な坂を登って行くと立派な石垣に続く入り口につきます。

 
石垣の間から天守閣が望めます。なかなかの良い眺めですね。
右の門は筒井門と言います。国宝でしたが、昭和24年の火事で焼失しその後昭和46年に再建されました。
奥の建物は多分太鼓櫓。

  
立派な櫓と天守閣。


天守閣の北側の美しい建物。
松山城全体は夜間にライトアップされます。大全日空ホテルのラウンジから、グラスを片手に正面に見る夜景も素敵です。


近頃はやりのご当地キャラ。よしあきくんって言ったかしら。


マドンナ・ぼっちゃんの姿を借りたボランティアは記念写真に人気です。


彼ら、彼女らの交替はリフトに乗って。
そうそう。下からはリフトあるいはゴンドラに乗って行き来できます。帰りは徒歩にした方が楽しいですよ。
東雲神社側に下りた方が静かです。


松山の街の180度パノラマ。合成なので少しゆがんだりずれているのはご容赦。別ウィンドウで開いて拡大して見て下さい。
右端がフェリーの発着場のある松山観光港方面ですが、左端は伊予市や砥部方面だろうと思います。

松山城の案内は Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/松山城_(伊予国))が詳しいと思います。


伊予鉄経営の市内電車。150円。
「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」っていいフレーズですね。
日本ってやっぱり母系社会なんでしょうか。

次回は興居島編です。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/9 内子 -

2009年10月16日 | 伊予
JR内子駅から徒歩で約20分ほど歩くと、浅黄色と白漆喰の重厚な外壁に代表される「八日市護国の町並み」に入ります。
でも多くの観光客は自家用車かバスで護国の町並みの外れにある駐車場で降りるので駅前の姿は気が付かないでしょう。

 
列車を降りて駅を出るとこんなひなびた風景に出会います。
イネは間もなく刈り取りの時期ですね。
内子線 (内子-大洲:大正5年5月1日~昭和60年11月24日) を走った蒸気機関車の内、最後の蒸気機関車で、
昭和44年4月から昭和45年3月末までの間、町内や小田川流域で生産される木炭や木材の運搬に活躍していたのだそうです。

 
護国の町並みには長らく修復中で確か昨年修復完了した木蝋生産で財をなしていた豪商の家・本芳我邸があります。
国指定重要文化財です。中には入れませんが素晴らしいお庭を見ることは出来ます。
庭を含めた屋敷の維持・管理の費用はバカにならない額なんでしょうね。

 
売らんかなのお店もありますが、お客さん任せの品を置いているところもあります。
そして小さなお宮(?)さんも。
こういうのが好きなんですね。

 
駅と護国の町並みの間は静かな商店街です。
元薬屋さんが素朴な博物館になっています。かつて商っていた色々な薬が展示してありました。


こんなものを見つけました。ドラゴンボールのキャラクターを 2.6 kg の色づけしたお米(古米)で一ヶ月半かけて丁寧に作ったものとのこと。


内子座の外観です。是非中にも入って下さい。桟敷席や、この芝居小屋を作るに当たって協力した商店の名前が歴史を感じさせてくれます。
地下にも入ることが出来て、せりの仕掛けも見られますよ。
もちろん今でも折にふれ歌舞伎を含め催し物に使われています。


松山着任の年から、毎年必ず2,3度は訪れていました。ですから、年々町並みの雰囲気が変わっていくのを悲しく見守ってきました。町並みのところどころにあったお店も代替わりが出来ず無くなってしまったり、大好きだった喫茶店も店主の女性が嫌気がさして止めてしまったり。
かわって売らんかなのおみやげ屋さんが少しずつ増えてしまっています。
多分もう行くことはないでしょう。

次回は松山城近辺のご紹介です。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/9 大洲 -

2009年10月15日 | 伊予
昨日の苦労が嘘のような台風一過秋晴れの空。
松山から特急に乗ってまずは大洲に行きます。30分ほどです。
大洲駅からお目当ての場所まではぶらぶら歩いて20分ほど。

 
さて、いつもの「殿町たるい」で鮎定食の昼食から始まります。
食べ始めてから写真に撮ることを気が付いた鮎。無惨ですね~。
大洲といえば「いも焚き」。愛媛県南部(南予 といいます)では秋の楽しみです。
鶏肉、サトイモ、油揚げ、大根などを放り込んだやや甘めのすまし汁です。
個人的には岩手・宮城の芋煮がこっちに伝わったのではないかと思っています。
少し南の宇和島(南予の中心)は伊達政宗の長男が奉じられた土地なので。

 
鵜飼は長良川だけと思っていませんか? 肱川の流れる大洲は結構な鵜飼の名所なのです。もう時期は過ぎましたが来年は是非どうぞ。
こういう町の嬉しいのはまだまだ個人商店があることや、味噌醤油の醸造元も街中にあることです。

 
鵜飼の屋形船が休んでいる肱川。秋から冬にかけてはこの河の上流から河口にかけて「肱川おろし」という猛烈な風が朝方吹き下ろします。
この川はかつては瀬戸内から、あるいは瀬戸内に向かっての物産運搬の重要ルートでした。内子の蝋燭もその物産の一つだったのでしょう。
そんな日本の原風景のような土地柄ですが、教会もあるというのが興味深い。
いつからあるか聞きそびれましたが、お隣が割烹だというのが嬉しいとりあわせ。
大洲と宇和島の間に卯之町がありますが、ここはシーボルトの娘、いわゆるオランダおいねが一時住んでいました。

 
10年以上前初めて訪れた「おはなはん通り」はボロボロの土壁の通りでしたが、今やすっかり改装されて立派になってしまいました。
いつのまにか小さな堀割もしつらえられています。もちろん鯉や金魚がまだ不慣れだなーといった風情で泳いでいます。
この通りをもう少し上に上っていくと私の大好きな臥龍山荘に行き着きます。
眼下に川を眺めながら、蚊遣りを焚き、友とまったりと酒を酌み交わし、談論風発なんて時間を過ごせれば無上の幸せです。
今回は山荘案内の宇都宮さんが居なかったのは画龍点睛を欠くといったところでしょうか。

 
川霧が立つので庭の樹々はしっとりしたよい風情。春の新緑・秋の紅葉が綺麗なのですが今は時期外れ。
俺も忘れるなよと元鴟尾瓦(しびがわら)と思われる魚(?)ににらまれてしまった。

 
モミジはまだ青々としています。朱くなるのはもう一月以上かかるでしょう。
でも川には落ち鮎の川下りを邪魔する仕掛けが作られています。団体さんで降りてくる鮎を投網で捕るのです。


立派な軒瓦。北海道はカラートタン屋根ですが、やっぱり日本の原風景は瓦屋根。いらかの波ですね。

ここでのお土産はやっぱり「志ぐれ」でしょう。できたてははんなりした甘さとそこはかとないもっちり感で美味しいですよ。
二本買い込みました。
大洲城はスキップして、行きに通ったなんとか商店街の道を駅まで戻り、各駅停車の列車で20分ほどの内子に向かいます。

その話は次に続く!

秋の初めと言うには早い四国 - 予告編 -

2009年10月14日 | 伊予
アラフォーの教え子の結婚を祝うために松山に出かけました。
とんぼ返りでは面白くないので公共交通機関を使ってのウロウロ旅をすることにしました。
日程は
 10月 8日 千歳ー羽田ー松山
 10月 9日 大洲、内子
 10月10日 結婚披露宴
 10月11日 松山城と今治
 10月12日 興居島(ごごしま と読みます)
 10月13日 松山ー羽田ー千歳
旅は天気次第なので、往復の日程と10日を除いて、全て出たとこ勝負のウロウロ旅です。

まずは10月8日に札幌から松山へ。
まいりましたね。予定では昼頃の千歳発の便で羽田経由で松山着は3時半頃のはずでした。ところが!!
そうです、台風襲来です。
千歳で待ち、羽田で待ちで、結局松山に着いたのは夜の9時過ぎ!
家を出てからかれこれ12時間の旅になってしまいました。到着できただけでも良しとしないと・・・。
現役時代には飛行機のトラブルは皆無に近かったのですが、退職してからは使用回数の割にはトラブルに出会います。
すっかりツキが落ちたのでしょうか・・・。

次回から数回に分けて旅の報告をしましょう。

サクラには少し早かったが - 7.松山 -

2008年04月05日 | 伊予
土曜日になりました。この日は定年退職記念大テニス大会がE大コートで行われます。
今回の松山訪問はこれが第一の目的です。筆者が定年を迎えたときにも開いていただき、今回はそのお礼もかねての参加です。
午後1時からの開催なので、それまでの間は護国神社付近をブラブラと。
護国神社の左には万葉植物園がありますが、時期が早いのでお花を見ることは出来ませんでした。植物名は万葉名が併記されています。

  
サクラの咲き具合は倉敷と同程度。護国神社に向かう桜並木はもう一息といったところ。
この記事が載る頃は満開でしょう。札幌はもうひと月後ですね。


ここは一草庵。放浪の俳人・種田山頭火が最後の庵を結んだところ。
いくつか句碑も建っています。
これは没後55年を記念して建てられた、「おちついて 死ねさうな 草枯るる」の句を刻んだ句碑。
他に「鉄鉢の中へも霰」などの句碑があります。
道後温泉へは徒歩で20分ほどで、よく通っていたそうです。ワタシは今回行く機会がありませんでした。

1時からはお目当てのテニス。
懐かしの方々と再会できました。
例の腱鞘炎であまり動けませんが、パートナー(「ウマ」っていいます。ウマがいいと騎手が下手でも・・。)に恵まれて準優勝することが出来ました。
定年退職記念なのに、当人は何故かよい成績にならなかったのは主催者の陰謀かしら?それともご本人の張り切りすぎ?
夜は懇親会。その後はいつものお店で二次会。5人で楽しく過ごしました。お店のマスター達にもご挨拶。

日曜日は雨の予報なので、計画を変更し松山泊はこの晩で終わりにしました。本当は他にも訪問したい土地はあったのですが天気には勝てません。

翌日はマスター達と昼食をとり、松山駅まで送っていただき岡山へ。お見舞いのはずがなんだか逆みたいでした。
本当に有り難うございました。


岡山一泊後、岡山空港から昼頃の飛行機で札幌に帰った、サクラには早い松山訪問でした。
松山の皆さん、春からあっという間に夏になってしまいます。お身体に気をつけてお過ごし下さい。

このシリーズはこれにておしまい。滞在期間の割には沢山の記事になりました。

サクラには少し早かったが - 6.内子 -

2008年04月05日 | 伊予
大洲から内子までは特急で一駅です。
駅から「八日町・護国の町並み」まではトコトコ歩いて20分くらい。
内子はかつてハゼの木から採る木蝋で栄えた町。
  
ず~っと改修中だった本芳我邸はベールを脱いでいました。でも庭以外は拝見することは出来ません。庭のモクレンが綺麗でした。庭木の手入れもよく行きとどいていますね。こういうお屋敷の維持管理は大変でしょうね~~>


内子に行く一つの目的はお気に入りのT珈琲店で美味しい珈琲をいただくこと。
初めて内子に行ったときに見つけたお店で、その頃は珈琲店の看板すら出ていませんでした。
でもこの日は「都合により休ませていただきます」とのこと。と~っても ざ~んねん!!

 
瓦屋根に植木のある家っていいですね。でも「冬は寒いんですよ~」だそうです。北海道に比べれば冬は短いからいいじゃありませんか。
内子座は大正5年、和紙や木蝋取引華やかな頃に旦那衆や商店主の寄付で造られた小屋です。
中の壁に寄付した方々の額を見ることが出来ます。
一時ボロボロでしたが、昭和60年に劇場として再出発しました。
奈落から回り舞台を操作できます。
今年も8月23,24日の両日「内子座文楽」が開催されます。
人間国宝の鶴澤清治さん(三味線)、吉田文雀さん(人形)をはじめとする方々の出演だそうです。


町立図書館の中ではおひな様が飾ってありました。このあたりの雛祭りは旧暦で行います。
八幡浜市真穴地区では長女の初節句を祝って旧暦3月3日に近い毎年4月2日から3日にかけて自宅に座敷雛を公開します。

  
やっと満開近いサクラを見つけました。ソメイヨシノなのかしら?
内子駅と護国の町並みの中間、中川の河岸でした。知る人は知っているようです。

H6年に初めて行ってから年に1~2度行っていましたが、護国の町並みは行くたびに観光地化が進んで趣が減っているように感じます。
一昨年に行ったときにT珈琲店のオーナーも同じ感じを持っているようで「もうお店をやめようかしら」と言っておられました。

内子から松山に戻って、夜はいつものお店で常連さんと一杯。そしてお気に入りの「信天翁」さんへ出かけマスターにご挨拶。
シングルモルトとスコッチを一杯ずついただいてご帰館。

<松山のサクラへ to be continued>

サクラには少し早かったが - 5.大洲 -

2008年04月05日 | 伊予
27日は倉敷ー岡山ー松山と移動し、松山泊でした。
松山在職中にお世話になったK先生を訪問後、週4,5日は食事で助けて頂いた「居酒屋UO」へH先生と。
松山単身赴任中、それなりに心身を健康に保てたのはこの店のお蔭なのです。瀬戸のおさかなメインの食事でした。
ここのマスターが病を得ているので、そのお見舞いが松山訪問の目的の一つでした。
遅い時間にもかかわらず、マスターがオコゼのお造りをつくってくれました。
美味しかったこと! なんとお礼を言ってよいやら。

翌27日はアンパンマン列車で大洲まで。主目的は臥龍山荘訪問です。
JR大洲駅からタクシーで2メーター、徒歩で30分程度ですが、足首の腱鞘炎で歩きづらいので贅沢に(?)タクシーにしました。
  
山荘脇でタクシーを見送り、入場料500円を払って見学。
屋内はなにやら機材が一杯。受付のUさんに伺うと翌日のTV収録の準備とか。
準備中のスタッフに尋ねると、4月5日および12日にBS2で放送予定の番組のよし。
で、春まだ浅めのお庭を拝見。
Uさんが「今朝ほど雨だったので、苔が綺麗ですよ」と教えてくれました。

  
パッとしない写真になったのは、光の加減と当方のウデのせいです。

  
この山荘は、文禄時代、藤堂高虎の重臣・渡邊勘兵衛がここ肱川河畔に庭園を造り、その後大洲藩主の遊賞地となっていましたが、維新後に明治の貿易商・河内寅次郎が構想10年・造築4年をかけてほぼ現在の形になりました。
対岸にはサクラとツツジで有名な冨士山(とみすやま)が望めますが、川と山の中間に無粋な建物があって写真は断念。

  

  
山荘を下り、「しぐれ」を買って、大洲まちの駅「あさもや」で芥子漬け「カッパの涙」をお土産に。


肱川橋から大洲城を撮り、いつもの「殿町・たるい」で昼食。
鎌倉時代の築城とされる大洲城は、肱川に面した4層4階の天守が再建されたものです。
夏になるとこのあたりでは鵜飼が楽しめます。
肱川の河口は瀬戸内海側の長浜になります。冬の朝は「肱川おろし」といって猛烈な風が河口に向かって吹き下ろすので有名です。

大洲から内子までの一駅を列車で移動。<内子編は to be continued>

サクラには少し早かったが -4.倉敷・美観地区-

2008年04月04日 | 伊予

阿智神社界隈の散歩の後には矢張り美観地区のお散歩です。
まずはエルグレコで朝食代わりの珈琲を。
(でも行くたびに風情が無くなっていく気がします。)
  
神社から下を見ると美観地区の様子がわかります(左)。左上から右下に堀割を、また手前には本町のいらかの波を見ることが出来ます。
堀割の左右にはサクラが並びますが、チラホラと咲いている程度。
立派なお屋敷は有隣荘。黄土色に緑色の混じるツヤのある瓦が同系統の塀の色とよく調和しています。
残念ながら内部には入れませんが、植木職人さん達が丁寧に松の手入れをしている姿を懐かしく眺めていました。

  
中央はもちろん大原美術館正面。今回は入りませんでした。西洋美術はもちろん素晴らしいのですが、好みから言うと、東洋館・工芸館や分館が好きです。うぐいす張りのような床と展示作品がマッチしているような・・・。
(左)堀割のサクラはこんな状態。でも今週末は満開でしょう。
(右)堀割遊覧船はやめにしました。島根・松江城を巡る屋形船の印象が新鮮だったので。


知ってる人は知っている陶芸店(うふっ!)。もちろんお店の中は拝見しました。

< そして 岡山駅から「しおかぜ」で松山へ、 to be continued>