goo blog サービス終了のお知らせ 

             コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

伊予路てくてく ー5.帰札 ー

2013年04月26日 | 伊予
春の松山訪問も終わり、羽田経由で札幌に帰ります。
土曜日を除きおおむねうららかな春の日に恵まれた旅でした。悲しいことにも出会いましたが・・・。

車で空港まで送っていただき、12:00発の飛行機で羽田に向かいます。
予約時には羽田~松山便はB787が運行するスケジュールになっていましたが、例のバッテリー発火騒ぎで別機種の運行です。

松山空港でB787を検査・修理しているとのことなので空港を見渡したところボーディングブリッジから見つかりましたよ。
確か高松空港で異常が発見されて運航中止になったはずですが、それとは違う機体なのでしょうか。


機内から窓越しでの撮影なのでモヤットしていますがご容赦。
背景の何やら事故後の福島原発のようなものは帝人松山の工場。

今日 4/26 のニュースではアメリカ航空局から運行開始の許可が下りたとか。
国内の運行は順調なら6月からとのことですが本当に大丈夫かしら。
電気飛行機はどうもうさんくさくて・・・・。デジカメもすぐ故障するし、パソコンの寿命は短いし!

羽田にも駐機していましたよ。


全部で5機だったかな。着陸後の機内から見ていたので機数は自信が無い。
全日空だけでも17機あるはずですから、全国あっちこっちの空港に分散して検査・修理しているのでしょうね。

千歳行きの便に乗り換え。
ところが! 機体の油圧系統に異常があるとやらで、乗り込んだ乗客全員は次の便に用意された機に移動。迷惑料(食事代と言っていた)1000円なり。
この間の移動中にコンデジを落っことしてしまった。異常は無さそうとホッとして、さて撮った写真でも眺めようかと再生しようとしたら「画像がありません」だって!
一瞬頭が真っ白。だって松山滞在中に撮った枚数はおよそ150枚。これが全部パー?!

およそ2時間遅れで札幌に帰着しました。
それにしても色々あった松山訪問でした。

(カメラメーカーのサービスショップに出向き調べてもらったら、落下のショックでメモリーカードが半抜け状態になっていたためでした。全画像は無事でした。)

伊予路てくてく - 4. 大洲 -

2013年04月25日 | 伊予
予定をフリーにしていたので天気も良くうららかなので大洲の臥龍山荘を尋ねることにしました。
古来、鳳雛、臥龍あるいは伏龍といえば野心にあふれた青年が時期を待って飛び立つ前の姿をいいます。
ここ臥龍山荘を命名した主はどのような思いを持っていたのでしょう。
何はともあれJR松山駅から宇和島方向に向かいましょう。


岡山から特急が到着しています。


乗車するのはこちら。宇和島行きの特急で、アンパンマンのデコレーションがされています。


街路を区切るフェンスには真っ赤な新芽の灌木が。以前名前を教わったがいつの間にか忘れてしまった。

お目当ての臥龍山荘は大洲駅から徒歩20分程。商店街沿いに歩いていきます。殿町のお食事どころ「たる井」を横目に肱川を渡るともうすぐです。


大洲駅




懐かしいレトロな家屋が残っています。見る方としてはホッとしますが住んでいる方の住み心地はどうでしょう。
でも今風の通気性の悪い家屋より優しい感じがするのです。


お菓子屋さんのウィンドウには引菓子の型でしょうか、木枠が並べられています。今は使われていないのではないでしょうか。


おなじみ大洲城。天守閣のみです。城マニアではないので特に訪問することはない。でも撮っておかなくては。


どこかのどかな肱川の流れ。時期になると鵜飼でにぎわいます。

それでは山荘を拝見。
新緑の美しい季節です。
モミジ・カエデの新緑、紅・桃・白のツツジ・サツキ、苔の緑。
ウデのせいか、カメラのせいか、陽の光に映える葉や花のキラキラ感が出ないのが残念です。
















白い部分は苔がはげ落ちて石肌が露出しているわけではなく「ぼたん苔」といってきわめて成長の遅い珍しいものだそうです。


お庭の世話をしている方のちょっとした心づかいが嬉しいですね。

到着したのはお昼少し前。ちょうど客足が途絶える頃でゆっくり拝見できました。
管理をされている宇都宮さんとは若干の顔なじみ。2年ぶりの訪問でしたが思い出していただけました。
四季の山荘の姿をお話しいただき、特に雪を被ったお庭の姿や、この土地には珍しい山荘の屋根から育ったつららの写真も見せていただきました。
思い出してみると、単独やらお客様を案内したりでここ20年間に10回程お邪魔しています。
限られた季節にしか行けないので、別の季節にも訪問できればと思います。


伊予路てくてく -3. 呉 -

2013年04月25日 | 伊予
さてさて第三日になりました。今日は呉を一日散策です。退職された、呉在住の先生がホストしてくれました。
先生の高級車で宿舎までお迎えをいただき、そのまま松山観光港から呉港までカーフェリーで。およそ1時間。
前日とはうって変わって穏やかな好天です。



呉は海軍の町。今は海上自衛隊の基地があります。灰色に身を隠す自衛艦が数隻もやっていました。
数日前にはここから PAC3 を搭載していったそうです。どこに行ったのでしょうね。
ここには潜水艦も集結しますが、この日は一隻だけ。出払っていました。


ここでは「てつのくじら館」(正式名称は海上自衛隊呉史料館)というのと「大和ミュージアム」を拝観、じゃなかった見物させていただきます。


中は海上自衛隊の活動説明(情宣活動)です。もちろん差し障りのあることの展示・説明はありません。良いことだけをしていますから。
掃海作業の説明が一番多かったかな?


退役した潜水艦が展示してあります。まわりの車と比べると大きさがわかります。
昭和61年に就役、平成16年に除籍になった「あきしお」とのこと。館内を見学してきました。装備的には古いもの。
資料によると、
基準排水量=2,250 t、全長=76.2 m、水中速力=20 ノット、乗組員数=75名 だそうです。
アメリカの戦略ミサイル原子力潜水艦(オハイオ級)は、
水中排水量=18.750 t、全長= 170.67 m、水中速力=24 ノット以上、乗組員数=155名 ですから、大きく見えても「あきしお」はオハイオ級に比べるとずっと小さい、というか戦略ミサイル原子力潜水艦の巨大さに圧倒されます。
写真左側の金色に光る物体は旧海軍の戦艦「陸奥」のスクリュー、その手前の細長い物体は主砲だそうです。

「大和ミュージアム」(正式名称は呉市海事歴史科学館)はいうまでもなく10分の1スケールの戦艦大和の展示が目玉。
実物は263メートルあるそうですから、これと比べても前記の原子力潜水艦も相当大きい。
大和は呉で建造されたので、現代造船技術の礎を呉市が記念したともいえます。

呉の港を離れ小高い山の上へ。ここで昼食予定でしたが混んでいてダメ。


駐車場から下を見るとちょうど高速フェリーが音戸の瀬戸を驀進していました。
つつじ(平戸ツツジ?)が満開です。この時期あちらこちらで色とりどりのツツジを愛でることが出来ました。

呉から東に移動し、安芸灘大橋を渡って下蒲刈島へ。目的は朝鮮通信使の足跡の一部を忍ぶためです。
蒲刈島は12回の通信使来日のうち、11回の宿泊地になっていたそうです。



ここ松涛園は朝鮮通信使の資料を立体的に展示してあります。
行列、服装、食事などが豪壮な建物の中に展示されています。興味深く拝見しました。
ただ建物自体は富山県砺波地方にあった商家「旧有川邸」を移設・復元したものだそうです。

再び呉に戻り、黒瀬川の下流にある甌穴(おうけつ)群を見学。二級峡にあります。一級より下の二級という意味ではないそうです。

こんな説明板があります。






とまあこんな具合。水が流れていればより綺麗かもしれませんが、逆に穴がはっきり見えないかもしれません。

先生に一日ご案内いただき、お宅で休憩もさせてもらい、ご家族にもお目もじし、呉港まで送っていただき、スーパージェットフェリーで呉を辞去しました。
K先生、本当に何から何までお世話になりました。ありがとうございます。

松山では再び酒八で夕食。驚いたことにもうとっくにやめていたはずの中居さんと再会! お互い一瞬びっくりして顔を見合ってしまいました。
店の依頼で週に一、二度出勤しているのだそうです。再会を約しましたが、実現できるでしょうか。
この日の締めはまたもや「日向メシ」。ただし魚がきときとのアジでした。これはこれでおいしい。

さて明日は大洲に出かけようか。

伊予路てくてく -2-

2013年04月25日 | 伊予
退職テニス大会は午後からなので午前中は時間があります。
まずは宿近くの愛媛万葉苑へ。護国神社の隣です。お花を探してぶらぶらと。


 

 
フジの花は良い咲き加減。かぐわしい香りが漂っています。
さすが西国。北では見られないシュロだかソテツだかが。

 
いずれアヤメかカキツバタ。
さすがにツバキも終わりの時期。


すぐ近くには山頭火終焉の庵があります。


すっかり整備されかつての草深き庵の風情は無くなってしまいましたよ。
庵も棲んでいた当時からは改修されています。

 

 
この紅い灌木はなんだろう?
アップにしたら花の形も面白い。


朝食は道後近くの大黒屋でとるつもりですが、少々時間が早いのでそっち方向にぶらぶらと散歩。



紅色のハナミズキが咲いていた。


ライラックもあった。札幌での開花はまだまだ先です。


朝食は昨晩食べそびれた「日向メシ」にしました。そぎ切りにした鯛の切り身をだし汁に暫時つけ込み、ご飯にのせ、卵の黄身を落として細切りの海苔を散らし、少しのわさびを混ぜてかっ込みます。おいしいですよ。

テニス大会は雨がぱらつく(よりもうちょっと多いかな)中無事完了。夜は退職者2名を主客に20名程の宴会。
大学の元学長も参加されていました。幸い隣り合わせの席だったのでゆっくり歓談が出来ました。内容は ヒ ミ ツ !

今年の伊予路てくてく -1. 信天翁は死んだ-

2013年04月25日 | 伊予
いきなりの変なタイトルで恐縮です。あまりにショックだったので。

4月19日に札幌を発ち松山へ。
2年ぶりです。
テニス仲間の定年退職テニス大会に合わせて4泊5日の松山滞在です。
4/19 四国中央市で仕事をしている教え子との会食
4/20 定年退職テニス大会ならびに懇親会
4/21 呉訪問
4/22 昔仲間のおじさんおばさんと会食
4/23 札幌帰着
日を追ってブログにアップすることにします。

順調に松山に到着。宿に荷物を置き早速会食の会場へ。
昔なじみのお店へ直行です。

二番町の酒八で瀬戸のお魚に舌鼓。
話をすることが先行し、お料理の写真を撮るのを忘れてしまった。
酒が入り過ぎ、〆の「日向メシ」を頼む状況ではなかった!

二次会にはかねて予定のこれも赴任中に良く通った「信天翁」へ。卒業生への紹介もかねて。
お店の前に立ったら年中無休のはずなのになんと閉まっているではありませんか!
お休みではなさそうです。連絡先が管理会社になっていますから。
胸騒ぎ!! 動揺は隠せず!!
何があったか問い合わせ先も思いつかないのでとりあえず松山で一番古い「バー露口」へ。

露口ママに尋ねたら「信天翁」のマスターは2月頃(だったかな?)亡くなってしまったとのこと。
どう亡くなったのかお尋ねしたのですが、言葉を濁されるのそれ以上は聞けずじまい。
本当にどうしたのでしょう。どなたか事情をご存知の方は教えていただけませんか。
松山に赴任した年(平成6年)、「ピカデリー・サーカス」の雇われバーテンの頃から、また独立して「信天翁」を開いて以来のファンでした。
心から冥福を祈ります。

12年余の赴任中、毎晩のように通って夕食をいただいていた鉄砲町の「うまいおいしい」(通称「うまおい」)もこの2月で閉店。
2008年にマスターが亡くなって、奥さんががんばっていたのですが体力の限界ということで・・・。
二つのお店が無くなってしまうと松山に行く楽しみが半減です。

伊予路てくてく - その4 大洲(4/26)-

2011年04月30日 | 伊予
今回は内子を省略して大洲に直行。
15年くらい前は内子の護国の町並みも静かで一軒一軒を覗きながら散策するにはよいところでした。
でも宣伝が行きとどいてきて観光バス用の駐車場までできるようになるとはっきり言ってもうダメ。
で、ここ数年はあちら方面は大洲のみです。
観光地風の沢山の見所が有るわけではないのですが、ここをトコトコ散策するのが好きです。
かつてはありきたりの風景であった町並みも今は次第に貴重になりつつあります。
暮らしとともにある土地の姿が好きなのです。


松山29
とはいえ、写真感性が豊かではない身としてはモデルとしてよい場所しかお話し出来ません。
大洲に行く大きな目的は臥龍山荘を訪れることです。
JR伊予大洲駅からとことこと街道筋のような商店街を歩いて、殿町の「たる井」で鰻丼を食べ、肱川を渡り、道の駅脇を通って臥龍山荘に向かいます。
四季折々、現役を離れたらこんな所に住めたらなとあこがれている場所です。
本宅は町場にあって、折々に数日間を過ごせたらこれほどの贅沢はないでしょう。
豪商ででもなければできません。
今は新緑の中にサツキが木漏れ陽を受けて綺麗です。

 
サツキならずともこの時期と秋に二度紅色になるモミジも素敵です。
「夏にはごく普通の緑色になるのですよ」とこの山荘の守り人のUさんに教えて頂きました。
Uさんはとても素敵なお若い方でこの山荘を訪れる楽しみの一つでもあります。
数年前から月曜日を外して訪問することを憶えました。
ここに観光バスが乗り付けて混み合う姿は見たくないものです。建物や庭の荒れも急速に進むでしょう。
どこの良き場所もそうして俗化して、通り過ぎるだけの観光地になってしまっていますから。


サツキのアップ。

 
山荘の外には大きな樹に絡まる紫色のフジの花と桃色のハナミズキが咲き、印象的でした。


民家の軒先でそっと咲いているハナダイコン。


肱川では高校生(多分)がカヌーの練習中。水に濡れてももうあまり寒いという時期ではなさそうです。
帰ってからニュースを見ていたらこの日は27℃くらいだったとか。

電線にとまったツバメの声を聞きながらもとの道を駅まで戻って、大洲訪問を終えました。

水曜日(27日)は昼頃の便で松山から日本アルプスの雪景色を見ながら札幌に戻りました。
のんびりとした5日間でした。

伊予路てくてく - その3 今治から大島(4/25)-

2011年04月29日 | 伊予
瀬戸内と言えば島でしょう。
島と言えばフェリーでしょう。
と言うことで今回は今治の向かいの大島に向かいました。
ホントはこの日は高知の牧野植物園に行くつもりでしたが、
夜の部にお約束があり、時間的に心配だったので近場の大島にしたわけ(根性無し!)。

松山18
今治港からはあっちこっちにフェリーが出ますが、大島までは片道17分です。
今治から来島海峡を挟んで対面する島が大島です。
遠くに来島大橋がかすかに見えるのがわかるでしょうか。


こっちは大島側で来島大橋を下から見たところ。


船は大島の下田水港に着きますが、ここには道の駅があって、魚介類を炭火焼きで食べられます。
でもこの写真の魚(コブダイ)は食べません。
人なつっこくアタマをなでてもらうのを楽しみに、長年(もう7,8年以上?)水槽の中で悠々自適です。
縄張り争いで大きな口の大きさを競う映像を見ますが、ここでは一匹なので残念ながら・・・。


フェリーはこれくらいの大きさ。60人乗り程度です。結構エンジン音がうるさい。

今治で今治タオルを買うつもりでしたが、手頃なお店が見つからず、結局松山三越でお買い物。

夜は一昨年結婚した後進夫婦と久しぶりの会食。
楽しい出会いだったので結構飲んでしまいました。
去年結婚した四国中央市に住む後進は仕事の都合で会えませんでした。残念!

伊予路てくてく - その2 千歳~松山(4/22, 23)-

2011年04月28日 | 伊予
千歳を 14:25 に発って、松山に向かいます。
悔しいことに窓の下は真っ白な雲が続き地上は見えません。折角楽しみにしていたのに。
瀬戸内海に入り、松山空港が近づき機の高度が下がってやっと島が見えてきました。
 
松山1 
東北大震災後の太平洋沿岸の悲惨な状態を衛星写真で見ていますから、可能性は低いとはいえ、瀬戸内に津波が来たらどんなことになるのだろうとつい気になってしまいます。

夜のお食事を仲間と昔なじみのお店で取りました。
マスターが亡くなって3年になりますが、お店もなんとか続けられています。嬉しいことです。
でも大変なんだろうな~。
明日は定年退職するテニス仲間のお祝いテニス大会です。

 
夜から朝にかけて結構雨が降ったようです。
お宿の玄関前にお花が咲いているのが見えたのでちらっとご挨拶
左の紫のお花はなんでしょう?
右はハナミズキ(Dogwood)。


それでも11時頃には雨が上がったので時間つぶしに近所を散歩します。
前回と同じく、何かお花はないかなと護国神社脇の愛媛万葉苑に向かいます。
途中の道路脇には八重桜がぽっちゃりと咲いていました。もちろんソメイヨシノはとっくに終わっています。

 
ここからは万葉苑の中です。
北海道の野の花は大分憶えましたが、四国は植生が全く違うので知らない花ばっかり。
それでも藤はわかります。右は案内板によれば月桂樹だそうです。葉っぱはわかりますが、花を見たのは初めて。

 
御幸寺山の斜面のクスノキの新芽がとってもきれいでした。言うまでもなく新緑の季節です。
トチノキの若葉は裏から見てもいいものです。札幌近郊のホオノキの新芽が楽しみです。


ツルニチニチソウだと思っているのですが、名札には「ツルギキョウ」とありました。
(投稿してから調べ直したら同じものなんですね。)


多分サツキ。
実はツツジとサツキの区別をよく知らないのです。
つつましいのがツツジ、大判で華やかなのがサツキ?

 

 
ここ四つは自信がない。右下はカラスノエンドウかしら?

去年訪問したのは5月後半ですから今回とは一ヶ月違い。でも木や花の様子はずいぶん違うものです。

午後からはテニスで遊んで、夜の懇親会に参加し、昨日のお店で二次会をやって、この日の行事は全ておしまいです。

今日4月28日は3.11東北大震災から49日目です。
49日の法要も執り行われたとニュースにありました。
亡くなられた方の冥福を心からお祈りします。
そして災害に遭われた地域が一日も早く復興されることをお祈りします。
放射線災害が一刻も早く収束しますように。

伊予路てくてく - その1 -

2011年04月28日 | 伊予
ほぼ一年ぶりに先週金曜日から今日まで四国は松山に出かけていました。
定年を迎えた仲間のお祝い会をするのが主目的。
実はこっちで同時期にちょっとした用事が予定されていたので、今年は参加出来ないな~と思っていたら、東北大震災のあおりで予定変更。さらにはいつの間にか千歳~松山直行便は再開されているは、マイレージサービスも季節料金が適用されているはで、急遽お祝い会に参加を決定。
ということで土曜日をメインに、月曜日に教え子夫妻に会うことをサブに、サクラの終わった伊予路に出かけました。
写真付きの報告は明日からのブログに順次掲載することにして・・・、今夜はお休みなさい。


愛媛万葉苑 - 5/19~24 松山に行っていました -

2010年05月25日 | 伊予
物好きにもシニアテニス大会とやらで愛媛県の松山市に出かけていました。
定年退職まで12年余住んでいた土地なので札幌のテニス仲間に誘われたのをいいことに参加したわけです。
昔仲間にも会えますしね。
試合は2日間ですがなんだかんだで出入りを含めて5泊6日になってしまいました。

試合会場は市坪にある県の総合運動公園の中にあります。宿から市内電車とJRを乗り継いでいきます。
 
左:背景の大きな建物は坊っちゃんスタジアム。ドームではありません。暑いでしょうね~。
右:スタジアムを背にした様子。全部で24面あります。女性参加者の方がず~っと多い。平均寿命のせい?
6ゲームマッチの試合が初日4試合、2日目2試合でした。試合結果は don't ask me !

土曜日は午後からかつてのテニス仲間とテニス遊びですが、午前中は空いています。
遠出はできないので護国神社の隣にある万葉苑の中を散歩です。花狩人ですね。
 
愛媛県の県花が椿なので万葉苑の案内板にも椿のモチーフがあります。
ここは護国神社に併設されたこぢんまりした植物園です。
昭和28年(1953年)に「郷土植物園」として造られ、昭和43年(1968年)に「愛媛万葉苑」として開苑しました。
万葉集4516首のうち約1500首に約150首の植物が詠み込まれ、苑にはその中の100余種が植えられているそうです。
護国神社内には中大兄皇子、大海人皇子が伊予水軍とともに百済遠征を行うに際し、
額田王が詠んだ「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな」が熟田津の碑として刻まれ、
また歌碑の解説文がとなりに建てられています。

 
苑内の植物の脇には全部ではありませんが万葉歌が添えられています。これはカワラナデシコ。

 
こちらはなんの花か。ちょっと調べてみましたが??です。

 
ヤドリギ。

 
左はハナニラではないかと思うがよくわからない。
右は夜来香にも似ているがわからない。

 
左:トキワツユクサ。南アメリカ原産で明治初期に園芸種として輸入された帰化種。
右:ユキノシタ。かわいい!

 
橡の木の葉や実は知っているが花を見たのは初めて。遠目にも結構目立つ。
北海道にはないトトロが住みそうなクスノキは萌黄色の花の時期。空中から見ても目立ちます。


多分 シラン(紫蘭)。
ことしは自宅のベランダにも鉢植えを買ってきましたが、帰札したら咲いていました。でもまだ小さい。


アベタチバナ(クネンボ)。

 
種田山頭火の終の棲家・一草庵も殆ど隣接しています。
今回行ってみてビックリ。すっかりあっけらかんとした雰囲気になってしまいました。
観光用にはいいんでしょうが山頭火の雰囲気からははるか遠くに感じます。

 
護国神社や一草庵を結ぶ道路脇には大川と呼ぶ川が流れています。水量はあまりありません。
川を挟んで道路と住居の間には必ず石あるいはコンクリートの橋が架かっています。
薄紫の花をつけた木は何かなと思ったら 栴檀(せんだん) だそうです。香りを聴き損ねました。