コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

こつ こつ

2008年02月10日 | 野幌森林公園
関東、関西では雪が降ってあわてているようですね。
せかせかした生活でなければ風情があるといえるのでしょうが、この時代、そうもいかないようです。
里山に雪は似合うのですが、ビル街の雪は似合わないようです。
都市は冗長性を欠き、わずかな刺激で障害を発生してしまいます。
にもかかわらず、都市に人口が集中していきます。情報化と効率化の名の下に破滅に向かって走っている気がします。

 
どっと降る雪で積もったり、ハラハラと少しずつ降る雪でこつこつと積もっていくとこんなに。
大型のマッシュルームのようです。
ゾウかカバでもなければパクッといける大きさではありませんね。


この足跡はどうやらノネズミのもののよう。しっぽの跡が一緒に付いています。
きっと夜の間にセッセ セッセ コツ コツ と餌探しだったのでしょう。
キツネやフクロウには捕まらなかったようです。


オオアカゲラの木をたたく音は「コツコツ」というより「ゴッゴッゴッ」。
エサにたっぷりありつけたでしょうか?

今日は立春 + ♪あ~れ~もラン、これもラン♪

2008年02月04日 | よろず覚え書き
今日は立春。西からはヒカンザクラや菜の花の便りが聞こえてきますが、北国は今が一番寒~い時期。
それでも一時に比べると日没も5時近くとずいぶん日が延びてきました。
カラスの帰宅時間も遅くなってきたようです。



今日の夕日。日没位置も百松沢山からずいぶん北に回り始めていますね。は~るよこい! は~やくこい!

花に飢えている(?)ので、数日前、百合が原公園の市民ラン展に行ってきました。
北海道の野山にもラン科の花が結構ありますが、ラン栽培好きの人はどんなものを、というわけです。
 
沢山立派なランがありましたが、あまり派手ではない花を。名前は知りません。
やっぱり、野山のハクサンチドリやエゾスズランやアオチドリのようなあんまり派手じゃない方が好みです。
スナックの派手なお方はどうも・・・。

 
ニシキギ、マユミ、ツリバナ、ツルウメモドキなどの実がありました。
花の時期が終わって秋の野山はいろいろな実が見られますが、何がなにやらと思っていたところなので参考になりました。

海の中と海の上:送水管と無線電話

2008年02月03日 | よろず覚え書き
今日は節分。豆まきの日。でももう何年も豆まきはしていません。子供が小さい頃は毎年やっていたのですが・・・。

朝日新聞を眺めていたら、昨年10月に三重県鳥羽市の伊勢湾入り口に浮かぶ 神島 への 答志島 からの海底送水管が、作業船のいかりで引っかけられ破損、神島全体の上水道が17日間にわたって断水したとの記事が載っていました。
太平洋戦争終結後の数年は千葉市内も水道がろくに出ず、給水車を長時間待っていた記憶があります。
松山の大渇水も記憶に新しいし、北見市の断水はさらに最近の出来事。
水が供給されないというのは重大事です。

今回のお話は実は水の話ではなく、鳥羽ー答志島ー神島ラインにピピピっと反応した話です。
世界最初の無線電話は日本で行われたというのはご存知でしょうか。
無線電信はイタリアのマルコーニの公開実験成功後、日本では1897(明治30)年、逓信省電気試験所の手によって東京の月島?第五台場間の通信に成功しています。
無線電話は電信よりずっと遅れて、1914(大正3)年12月16日から1916(大正5年)年4月10日まで、鳥羽ー神島ー答志島間で無線電話の実用試験が行われた後、実用化に至ったのです。
記念碑が鳥羽駅裏の日和山に「無線電話発祥記念碑」として、日本電信電話公社によって建てられています。
無線電話の方式は火花放電式で、TYK式無線電話と呼ばれます。開発者(鳥潟ー横山ー木村;Torigata-Yokoyama-Kimura)の頭文字を採ったものですね。中心人物は鳥潟右一氏です。(横山は母の長兄)
TYK式無線電話はその後真空管方式に取って代わられますが、実用試験後の一年間で1万5千通余の通信が行われたそうです。