コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

線路が消えていく

2022年10月18日 | よろず覚え書き


今年は鉄道開通150年だそうです。
因みに東京国立博物館も開設150年だそうです。

北海道ではどんどん線路が廃止されつつあります。
鉄路の維持はJRに頼っていますが、高速道路はそうではありません。
これでは鉄路が消えていくのは無理ありません。
炭坑が消えたことが致命的であったのではないかと思います
石炭から石油に産業構造が変わったことや、産炭地の人口減少で札幌に人口が集中したことが要因です。
北方漁業の衰退も別の要因です。
今や農産物の輸送もじゃがいもの輸送をになう他はトラック輸送にとって代わられつつあります。
生徒・学生の通学の足もどんどん制約を受けます。

鉄道に因んで想い出を少々。

千葉のぼろ屋(戦後の県営住宅)で同居していた祖父は省線と呼んでいました。
昔は鉄道省でしたからね。
次の世代は国鉄で、いまやJRになり、労働者組織もないも同然になりました。

千葉から北海道に移動したのは昭和35年(1960年)。
両親に見送られ、3月末頃走り出したばかりの「はつかり」に上野から乗って、東北線ー青函連絡船ー函館から急行に乗って函館本線で札幌へ。
かれこれ20時間かかりました。
列車が青森県に入ると乗ってくるお客さんの言葉(津軽弁?)が一言もわからないのにはびっくりしました。
4時間半かかる青函連絡船を下りると乗客の皆さんは走って列車に乗り込みます。座席確保のためです。
森駅の「イカめし」は記憶に残る味でした。
函館本線の駅弁は他に長万部の「かにメシ」もその後機会ある度に「イカめし」ともどもいただいた懐かしい味でした。
頼りない記憶によれば、その後2、3年は教養の級友とともに汽車を利用しての帰省でした。
まだ蒸気機関車に引かれての急行列車でしたので窓から入る煙に悩まされました。
この間は指定券獲得のために朝6時くらいから札幌の交通公社に並ばなければならないのが苦痛で、その後は飛行機に切り替えたので函館本線の駅弁からは離れてしまいました。

食い気とは離れますが、浪人生は千葉~四谷の往復の折り、両国橋から見る花火は夏の風物詩でした。
花火鑑賞が出来るように電車は両国橋上で徐行してくれました。いい時代でした。

駅弁と言えば信越線の「横川の釜飯」も忘れられません。
姉の嫁ぎ先が長野近くの町の病院だったので上野-長野の信越線は良く乗りました。
今と違って横川-軽井沢間はアブト式のゆっくり列車でした。
この路線の小諸駅の発車時に流される「小諸馬子唄」の尺八の音色に「あ~、旅をしているな~」と。
今は上越新幹線に切り替わってしまったので旅情からは遠ざかってしまいました。
高崎駅の「とりめし」はまだあるかな~。

今日の札幌は冷たい雨が降っています。
冬は間もなくでしょう。
西日本は秋真っ盛り? それとも紅葉の始まり?
曼珠沙華はもう終わっているでしょうね。北海道では見ることはありません。

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