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エゴ=性欲理論の発展

2021-02-14 08:57:32 | 夢洪水(散文・詩・等)

       エゴ=性欲理論の発展     


性欲の強い奴ほど、エゴも強い。しかし、それは人を見ても、なかなか分かるもんじゃないし、当の本人さえも、わからないのが多い。かのフロイトのリビドーからヒントを与えられた。
性欲の顕在行為は、2通りある。


一般的に性的だと思われる行為
(性交、オナニー、アナル、口、その他、異性同性、かまわず、肉体の接触や、肉体を何らかの道具によって刺激し、本人の意識的する性的興奮を、得ようとするもの、意識の片隅にでも、性的だという概念が存在しているのが殆ど)


一般的に性的だと思われぬ行為
(例えば、勉強、スポーツ、食事、仕事(性風俗的なものを除く)、弱いものいじめ、殺人(意識の片隅にでも性的だという観念があってはいけない)

簡単に2つに分けたが、この2つが複雑に絡み合う場合もあったりして、まだまだ問題は広く深い。しかし、簡単に行く。
まず、この2つを置いておき、エゴとは何かを考える。エゴとは自分勝手、利己的、自己中心的・等として広く知れわたってる。
動物とは個々に性格を分け与えられた炭素物質なのだから、他のものより、まず自分の利益を考えるのが普通で、そうでない方がアブノーマルだ。
そこで、エゴとは、自分の利益を追求し過ぎる事から、他者によって、判断されるものなのだ。
では、何故、自己の利益(欲求)を追求しすぎるのか?

フロイトによると、性欲と自我の争いが性格を作っているらしい。
人間には生まれてから死ぬまで、ずっと性欲動の中に、トップリと浸っていたいという願望があって、それと自我(つまり性欲を抑える)のバランスが、何かによって崩されると、気が変に(神経症)なってしまうと思われた。

自我が、どのように性欲を抑えるかというと、正常な性欲発散の場に社会的健全な形で導くが、性欲を、他の行為に、無意識的に代償させてしまうというのがある。
前者は、よいとして、後者は、どのような行為に変えられるかというと、それがで、スポーツや仕事、等々で、正常な当人は、それが、あの強い性欲動の変わり果てた使い方だとは考える事が、できない。
それで、この2つを両立させて、人間は社会的に健全な性生活を、営んでゆくわけじゃろ。
この中で仕事には熱意もなく、趣味やに該当する行為に対して、全く、やる気がなくの方だけ激しく燃える人や、その逆のタイプがある。
又、両方とも全く、やる気のない人、又、両方とも異常にやる気のある人がいる。タイプとしては、こんなもんじゃろ。

さて、僕は生まれてから後天的に人間の性欲の強弱が決まってゆくとは考えない。それだけとは考えられない。
DNAの転がり方や胎内での刺激や出産の時の体外への出かた。これらにも強く影響されてくるはずである。だから生まれつき性欲の強弱は、ある程度、決まってしまっていると考える。
それが、生まれてからの生活における様々な精神的外傷により、より強くなったり、より弱くなったりしてゆくのだろう。

しかし、それも生前に与えられた特性を凌駕するものではないだろう。何しろ、母親の胎内で、人間は、その全てを作られてしまうのだから。その期間(製造期)にセットされたものが、なんとしても、生まれて成人になる過程内の影響よりも、もっと基盤的な構造が、形成されてしまうのは、あたりまえだのクラッカー。基盤によって様々な方向へ流されていくものが自然の姿でしょう。
それは、自然界の、どこにでもある。

んで、産まれた時、性欲の強い人と中くらいの人と弱い人はいるわけだ、としよう。さて、じゃ、その強さ弱さは、どうしたら見分けられるのか?神のみぞ知るである。わからない。
幼児の時だけでなく、成人になってからもわからない。
子供達の中を見てみよう。活動的で、他人をいじめるのが好きな子、平均的で目立たぬ子、正義感が強く明るい子、自閉的でおとなしく、いじめられる子。

さて、どの子が性欲が強いのか?わからない。
いじめっ子は、いじめる事で性欲を果たしているのだろう。
いじめられる方は、いじめられる事で果たしているのかもしれないし、他の事に興味を向けたりすることで果たしているのかもしれないし、じっと抑圧して、何もせず、性欲が強い場合は、自閉的になるという事で果たしているのかもしれない。ためこんでいるのだ。
正義感の強い明るい子は、真面目であるという事で代償させてるのかもしれない。

さて、子供が成長し、成人になる、事情は、たいして変わらない。ただ機能的に性交が可能になるというだけだ。
ここで、好色になる人と、そうでない人がいるけど、性欲の強さは、どっちが強いのか分かったもんじゃない。
{人間の目的は性であるので、それを追求しすぎる人間が、(意識、無意識、関係なく) エゴが、強いのだ }
性欲を即、そのものの行為として実行し続ける、いわゆる好色の度の過ぎる人が、エゴが強いとは限らない。又、性欲を、そのものでない行為として実行し続ける人、(例えば仕事熱心な人、スポーツ熱心な人とか)が、エゴが強いとも限らない。
それぞれ、強い人は、色んな方法で代理させてしまうので、わからないのだ。
結論・・・・・さっぱり、わからない。

(でも、個人的に、こう思う編)
絶対、世に好色とされてる人ほど、エゴイストだ。元来、好色でなかった人も行為を繰り返していけば、慢性的な性欲強化が行われ、エゴイストになってゆく。
人は、行為の訓練によってエゴイストになれる!
好色人間だけではなく、一芸にひいでた人は、やはり行為の鍛錬を、してきたんで、絶対、エゴイストだ。
たとえ、その人が好色でなくとも、何かのきっかけで、それまで、一芸に向けてしてきた鍛練によって定着した非性的好色が、コロリと、大好色漢となって花咲くだろう!
一芸に秀でた奴は、みんな好色でエゴイストだ!
一芸に秀でなくとも、行為と結びつかなくても、たとえ、無意識の中に好色があってもスケベな奴は皆、エゴイストだ!

ルソーによると、獣と人間の差は、思いやりと自己改善能力だそうだ。
公式① 人間 - 獣 = 思いやり、自己改善能力。

人間てやつは、こずるい奴で、公式の答の部分に、おのれの好色さ、エゴイズム代理させてしまう奴が多いんだ。
人に、「あの人は、思いやりがあって勤勉で本当にいい人ね。」
なんて言われてる奴に限って、それを正当化して、
「人生は勉強の場だ!」
とか何とか、もっともらしい事を言うが、こういうのがエゴで、自己の好色を、思いやりと、勤勉に転化させて、人に与える優しさと、自分の能力に対して、とても優越感を持っていて、それで、好色を代理させ、バランスをとっているのだ!

そんな奴は、いつか、好色が、スケベ自体に向かってく奴が多いが、じっと耐えて人生を終える悲惨な奴も、いるのだ!
人間とは、そういうものだ。


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