アオゴラフォビアとスポーツ廃止法
負けちゃいけないんだ金太郎、がんばるんだ、まさかり重いのはわかる。
遠き誇りを持つ人々、社会の淵でうめいている。
うそつき鳥が多すぎるからね、多勢に一人、そんなもん。
ど^-すりゃいいの?
生産と言う名のエゴの構造的固体化に終止符をうつの?
皆、バカになって狂っちまえばよい。
いや皆、虚無で無抵抗になったらいい。
つまんないという人は殺しましょう。
面白くないと言う人は、早く淘汰しようじゃありゃせんか。
た・台風よ来れ!来い!行け!狂え!人よ、静かになれ。
スポーツ廃止法。
全ての戦争とテロと戦争テロ代理的ゲームは禁止されました。
ふふふふふふふふふ、うふ、 パチャッ。
アコーディオンとピアノとドイツ語の、ゆっくりした歌・・・で踊ろう。
ふるえちゃダメよ、おびえなさい。
か~んと死んだ青空と悪魔たちの行進。
ついては、ぼくらは白いタイルの道の下で隠れて、うらんでいる。
ひくき、くらい、しんじつよりも、たかくてあかるいうそをたっとぶのだ~れぇー?
今、みずみずしさは、しらじらしさに似ているし、
今、虚構TVは、冷たい外の人の頭ん中にだけ生きてる。
ザラ味のガラス戸の内側で、小さな影が、戯れていました。
僕は路上の小石を拾って、ガラス戸に投げつけてやりましたら、
割れたガラスの中から猛犬が、飛び出してきて、爽やかに笑うと、
鳥のように手足をハバタかせて大空を、滑空していきました。
目と口を大きく開けて見ていたら、
後ろから百くらいのクラクションの波が押し寄せてきたので、
僕は、しかたなく前進しました。なかなか抜けられません。
犬が羨ましく思い、誰か僕のザラ味のガラス戸を、割ってくれないかと、
チラと思いましたが、ああなんて非現実的で可能性のない、
たわいもない、バカな事をと、又、女や猫に言われそうで、
すぐに頭から、振り散らせて正常にして、のろのろと動いてます。
僕の母の母の写真は、たった一枚しかありません。
それも色が薄れ、ポロポロと周囲が欠落した焼け残りみたいな写真です。
その人は、とても端正な美しい顔をして、
無表情に、仮面のように、こちらを向いています。
とても整った美しい造形だと思いました。
その後の母の美しい母は自己を写すものをたいへん嫌っていたそうです。
写真などは破いたり、自分の顔のヶ所だけを、くり抜いたり、塗りつぶしたり、
なんとか、自分を消去しようとしていたそうです。
だから、残っている、その一枚の写真は殆ど奇跡に近いほど貴重なものです。
最近になって母も手に入れたそうで、母も、まさか、
母の母の写真が残っているとは夢にも思わなかったに違いありません。
それで、僕は、それを思うと、とても誇らしく感ずるのです。
ちなみに母の母は母が幼少の頃、病気で死んでしまったのです。
その人、祖母と血が繋がっていると思うと、
とてもうれし悲しく、心のかて的です。
なぜでしょう?
しりません。
虚無の不毛。リアップは愛の不毛にも使えますか?
そして、僕はやっぱり働くでしょう。
僕が何といっても、やっぱり働くでしょう、あの空の下で。
降り注ぐ、社交の針の雨の中で、薄い傘をさして働くんでしょう。
そして僕は死ぬでしょう。今、世界中で次々と人々が死んでゆくように。
ソーダの泡のように、通り過ぎる車のように、読み終えた本の記憶のように。
白い顔に暗いバックに黒い服、白い手。
その人は、いじけたように細い眉をひそめ、目を地べたに落とし、
口を閉ざして、うっすらと笑ってます。
葬儀屋と「ご臨終です」と言い放つ医者と看護婦たちは、
明るく活気にあふれていて、ラジカルで、どーもーです。
彼らは黒くパタパタと羽ばたいて世の中を生きてます。
こっそりと、うすら寒い、日のあたらぬ辻で、
うっすら満ち足りた笑顔を浮かべて死んでゆきたいと思う人はそうすればいい。
でも、満ち足りる事は、生きてきたからには難しいかもしれませんね。
たくさんの白いゴミどもが、どぶ川に、いつまでも浮いているように抜けられません。
まったく世間の奴らときたら、僕をうやまうことを知らない!
フン!だ。 困るんだよね!
だから、アゴラフォビアになんか、なっちゃうんだよ、バカ!!!
kipple