(みさきはちまんじんじゃ)
神戸市兵庫区御崎本町1-1-49
〔御祭神〕
応神天皇
(おうじんてんのう)
神功皇后
(じんぐうこうごう)
姫大神
(ひめおおかみ)
「のじぎく国体」が始まり、新聞やニュースで「兵庫」の文字が賑わっています。この「兵庫」という地名は、645(大化元)年に起きた大化の改新のとき、摂津国境の須磨関を守るために武器を納めた倉を設置したことに由来するといわれています。平安時代の末には初めて「兵庫」という名称が書物に見られるようになりました。ほかにも、神功皇后が三韓遠征を行った時、和田岬に流れ込む湊川の河口辺りに武器庫が作られた事から「兵庫」の名が付いたという説もあります。
三韓遠征からの帰途、神功皇后の乗った船がこの辺りで潮に巻き込まれて前に進まなくなった事から、和田岬に上陸して卜占を行うなど暫くこの地にとどまったそうです。その時の滞在地が、現在御崎八幡神社が建っている土地だと言われています。神功皇后は立派な馬を連れており、地元の人々がこの馬に秣を献上したというエピソードが残されています。
境内社の豊賀稲荷神社。社殿の東隣に建っています。
社伝によると、御崎八幡神社は神功皇后の故事ゆかりのこの地に、9世紀中ごろの貞観年間(859~876年)に神託を受けて創建されたそうです。859(貞観元)年に宇佐八幡宮で神託を受けた僧・行教が山城国男山の地に石清水八幡宮を祀ったのが翌860(貞観2)年だといわれており、創建時期が近いことから古くより交流が深く、石清水八幡宮公文所の御鍵預かり役に任じられ、毎年行われる石清水八幡宮の春季大祭・秋季大祭にはその鍵を持って京都へ向かい、神事に奉仕していたといわれています。また、神功皇后の馬の話に由来して、和田岬の方々が石清水八幡宮の馬に秣を献上していたそうです。
手水舎の並びには1995(平成7)年12月に建てられた石鳥居のモニュメント。
1995(平成7)年1月17日の阪神・淡路大震災では石鳥居が倒壊。折れた鳥居の石柱が手水舎の脇に震災モニュメントとして残されていますが、その断面をみると改めて震災の規模を大きさを実感させられます。
アクセス
・JR和田岬線「和田岬駅」下車、北へ徒歩5分
・神戸市営地下鉄海岸線「和田岬駅」下車、北へ徒歩5分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
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