木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

心と個人の自律

2016-04-30 01:55:03 | ちょっと一言
ラジオにてPTAの強制加入の違法性を指摘したところ、
以下のようなコメントを頂きました。
「個人の自律的決定を尊重しましょう。」という私の主張は、
自己中心主義だそうです。
私は、すべての人は、その人なりに、
子どもを愛し、学校を愛し、地域を愛し、国を愛していると思います。
他の人の「愛の表現の仕方」が気に入らないからといって、
特定の「愛の表現の仕方」を強制することは許されません。
せいぜい「こうして欲しい」とお願いするのが精一杯でしょう。
〈但し、犯罪、不法行為に当たる場合を除く〉

ご興味のある方は、どうぞご覧ください。



何でも法律じゃ絶対に解決しない! (一庶民)2016-04-30 01:12:15
初めまして。荻上チキさんのラジオを偶然聴きました。
PTAをテーマにして話していた回なのですが、木村さんがあまりにも理論武装の(屁)理屈ばかりで、心が無いと思いました。
木村さんのように頭脳明晰で自分の意見は絶対に正しいのだというような方が「憲法に違反するからPTAに参加する必要は無い」とメディアで声高に叫ぶ事で、何の役割も持ちたくない、楽をしたい、お金も払いたくない、でも何かと言うと不満ばかりのモンスターペアレントが木村さんの(屁)理屈を借りて「強制は犯罪だ!PTAは自由参加だ!」と言い出しているように思います。
そして木村さんのような人が増えてしまったら、どんどん人との繋がりが希薄になっていくと思います。
これはPTA云々ではなく、木村さんのような考え方のが増える事を危惧して思う事です。
木村さんは自分は立派な正論を言っていると自信をお持ちだと思いますが、一方で、自分さえ良ければいい、という自己中心論だとちょっとでも自覚して欲しいなと思いました。
確かにPTAには無駄が多いです。でも、法律を盾に揚げ足取りのように批判している人というのは、すごく個人主義だと思います。すごく勝手な、個人主義です。
だから木村さんの主張には心が無いなと感じたんだと思います。当然愛も無いし、理屈で批判はするけど自分では何もしない。
アメリカのように、何でも法律、何でも個人主義、気に入らなかったらすぐ弁護士、すぐ裁判…木村さんの主張って、思考の欧米化ですよね。
木村さんの言っている事は間違っていません。でも「強制ではない」「楽しい人はやればいい」と終始強調されていましたが、『イヤだったけどやってみたら楽しかった』があるんです。
イヤならやらなきゃいい、強制したら法律違反だから!
だなんて、何でもそうやって判断しているのでしょうか。
大人だって最初の一歩を嫌がったり躊躇ったり逃げたかったりする事はあります。そんな時、木村さんのように「これは法律違反だからやらなくていいはずですよね」と席を立つ事は、単に理論武装で面倒から逃げ出しているだけです。
ちょっとでも気に入らなかったら、「強制じゃないですよね!」「法律違反ですよ!」「弁護士立てます!」。
もし木村さんのような言動をする人がいたのなら、皆から避けられるのは当然だと思います。
でも木村さんは自分は何も間違っていない、むしろ自分は被害者でイジメを受けている、これは犯罪だ!と言うのでしょうか。
木村さんの味方は、『やる前から、そもそも何もやりたくないのでPTAそのものに不満を持っている人、どうにか何もやらずお金も払わず子供は平等に扱ってもらおうという人』だと思います。少ないですよ、実際は。
頭が良すぎると、心や人との繋がり云々と言われたところで、「それは個人で感じ方違うから。各々が判断してやればいいし、繋がりだきゃ自分で自由に考えて動けばいいことだから」と一刀両断して切り捨ててしまわれるんだなぁと思いました。
木村さんにとっては簡単な事なのだと思いますが、PTAへの実質的強制参加によって世界が広がる事だってあるんです。
強制力があったからこそ、あったお陰で、です。そういう庶民的なコト、ご存知ですか?
「強制したら犯罪」「役員決めの為の集まりは監禁「PTAへの名簿渡しは個人情報漏洩」…そんな考えで全てを判断するのは頭がカチンコチンだと思います。
実際に何年も深く関わりPTAの無駄を見直し改革をしてきたレモンさんがPTAをあれこれ言うのならわかります。
でも、木村さんはいちいちあれは違法だこれは違法だと批判しているだけ。どうして「強制加入は許されない」視点しか無いんですか?
木村さんはレモンさんのように何年PTAで汗水たらしたんですか?
東大の人は特に人の意見を聞いたり自分の意見を曲げたりしないと聞きますが、まさにそんな堅苦しい理屈三昧の理論武装で、木村さんの主張には大切なものをぶち壊す人間性の乏しさを感じずにはいられませんでした。
PTAに無駄が多いこと、改革が必要な事、それはわかりますし同意です。色んな家庭もあるし、皆が皆同じ生活でもないのもわかります。
でも批判するにしてもレモンさんの言う事の方が木村さんの何万倍も納得出来ました。
そこに人としての心があるからだと思います。
コメント欄なのに長々すみません。有難うございました。

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40 コメント

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Unknown (岩井)
2016-04-30 05:06:41
PTAは任意団体、つまり同好会とかクラブみたいなものですよね。
もう20年以上前から、私はそう考えてきました。ちなみに、私はPTAに参加したことはありません(PTAが行った学校イベントのお手伝いくらいならしましたけど)が、教師をはじめ保護者連中や近隣から批難されたことはありません。これはまあ、地域特性によるのかもしれませんが。

私は自立した個人ですから、法によらない限り、他人からなにも強制されるいわれはありません。自分が納得すればやるし、そうでなければやらない。太平洋戦争中でもあるまいし、赤紙で招集みたいなことは、真っ平ごめんです。だから、入学式のあと、PTAに入って当然だという顔で教師やPTA役員が子供の教室に現れたとき、すぐさま加入を断ったのでした。

PTAって、地域社会の中でも、学校というごく限られた集団だけのことです。こんな小さな社会が全てであるかのように錯覚なさる方がおられることに、むしろ驚きを覚えます。

一庶民、とおっしゃる方には、PTAから何かを要求されたときにとりあえず「やなこった」と思うことがあるかどうかを考えて、もしあるのなら、なぜそれが嫌なのかを考えてみることをお薦めします。

周囲のみんなと同じことをするために生きていらっしゃるのならそれはそれでいいと思いますから、それについては何も申しません。

それにしても、「加入して当然」という姿勢で個人に参加を迫る団体は、なんか胡散臭いですね。
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Unknown (KK)
2016-04-30 15:09:39
ラジオを聴けませんでした。
木村さんの意見に私は全面的に
賛成です。

川端裕人さんの名言で、『強制のある
ところにボランティアの花は咲かない』
とあります。

強制されて結果的に良かった経験を
された人もいるかもしれません。
一方大嫌いになり精神的や経済的や
身体的など様々な面で苦痛を受ける
人もいると思います。

強制されて活動をしてもすべての人が
良い経験をするとは限りません。

活動出来ない理由は様々であり
どんな理由であれ希望しない人に
強制させることは出来ないと考えます。

法律論を出さなければ応じない学校や
PTAのあり方は問題がないのでしょ
うか。
人としてきちんと尊重されない
現実がPTAにあります。

お金を払わず文句を言い楽をしたい
などと括られる事はPTAで被害を
受けた人に対しては失礼だと
感じました。

私も強制加入させられていた約4年間は
割当られた活動をしたつもりです。
その上で校長やPTA側と運営の
あり方を話しても改善されず、
やむなく非加入(退会)になった
次第です。

PTAの中に残り改善に向けて努力して
いる人、努力をしても改善が出来ず
辞めた人、そもそも活動出来る
状況にない人など様々です。

PTAは保護者が会員の子ども向けに
活動する団体ではありません。
教員と保護者が学びあった成果を
学校、家庭、地域に還元するのが
目的です。
すべての子どもは支援対象であり
保護者がPTA会員か否かで差別を
する事は出来ません。

このようなPTAの基本理念を理解
していれば出て来るはずのない
意見だと思います。

学校やPTAが保護者に対して
きちんと説明をしてこなかった
結果ではないでしょうか。
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. (sloth-lily)
2016-05-01 01:34:03
「やってみたら良かった」があるから強制が許されるという発想であれば、割と何でも許されることになりますね。


例えば、自治体に、「入信するか否かは問わないが、しかし毎週日曜日は必ず教会で礼拝に参加しましょう」という制度ができたとして(ありえない話ではありますが)、
毎週行って牧師さんのお話を聴けば、案外良いなと思うこともあるでしょうし、住民のつながりもできるでしょう。


同様に「毎週日曜の朝は必ずウォーキングしましょう」という決まりができたとして、健康になるでしょうし、友達もできるかもしれない。


これも同様に、「喫煙は絶対禁止」という法律ができたとする。これも健康になることは明らかですし、本人のためになることは目に見えています。


しかし、本人のためになるからといって、これらを強制するのは明らかに憲法違反です。


やってみて楽しかろうが健康になろうが得るものがあろうが、それが確実に予想されようが、それでも、「やらない自由」「やる自由」があるわけです。


「入ってみたら意外に楽しいよ、得るものがあるよ」というのは、参加してみようよ、というお誘い文句にしかならないし、そうあるべきだと思います。


ちなみに私はPTAは参加してみようと思ってます。自分の親が嫌々参加したPTA仲間から良い友達が何人かできて、20年以上たつ今も仲良しなので、参加してみようかなと。
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訂正です (KK)
2016-05-01 06:12:47
川端裕人さんの言葉を間違えて
紹介しておりました。
大変申し訳ありません。正しくは、

『強制のないところにはボランティアが
花咲く』です。

お詫びと訂正をさせていただきます。
ボランティアは自発的にする事であり
強制とは馴染まないと考えます。
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恐ろしい、そして悲しい (Mame)
2016-05-01 23:19:35
この考え方こそが、PTA問題の根底にあるものだと感じました。

他人を強制すること、思想の違いを許さないこと、そして非難すること・・・こちらのほうがよほど「心がなく」「自己中心的」と感じます。

人権をお考えならば、このようなコメントは出てこないはずではないかと思います。
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Unknown (Unknown)
2016-05-02 12:10:25
木村さんのような考え方の人、そうではない人、部分的に似ている人など、同程度の割合で存在していることを願います。いろいろな色彩が動きながら平衡を保っているのがいいですね。
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横ですみません>KKさん (猫紫紺)
2016-05-02 19:29:26
「今の一番の問題は強制、義務にボランティアの花は咲かないっていうのは世界共通」(吉田、p44)

とは、川端裕人さんではなく、吉田博彦さんの言葉です。
NPO法人教育支援協会理事の。
詳しくは、wikiのPTA項目「行政の対応」欄をご参照ください。
議事録がwikiからリンクされています。

横入りコメントで、失礼いたしました。

…私自身は、日本は法治国家である以上、PTAも法と倫理のルールに従わなければならないと考えています。
でも、法律論を出すと、「ケンカ売ってる」「自分のエゴを通すために理論武装してる」と受け取られがちなのも、悲しい現実です。

だけど、法治国家である以上、ルールは法律によるわけです。人がルールではありません。そこは、わきまえる必要がありますよね。私たちは、個人個人、自分の頭で考え、自分の意思で、法律に触れない範囲で自由に行動できることの保証が、民主主義なわけですから。
善意から発しているからと言って、PTAの役の強制が許されていいってわけではありません。

PTAは、お金をとって、人の労働力を運営に必要とする団体です。そこに参加する人に対して、「こんな団体だけど入る?」と聞くのは、人として最低限の礼儀だと思います。
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猫紫紺さん (KK)
2016-05-02 21:08:27
おっしゃる通り、間違えていました。
ありがとうございます。
川端さんにお詫びをお伝えしました。
失礼しました。

たくさんの意見が出てきていますね。
コメントを読むのを楽しみしています。
返信する
KKさん(猫紫紺) (猫紫紺)
2016-05-03 01:50:24
KKさん
さっそく返信くださり、ありがとうございました。

木村草太先生は、憲法学者でいらっしゃいますから、
憲法の成り立ちを把握なさると共に、当然、PTAの成り立ちや目的をご存知の上で、発言なさっていると思われます。

PTAは義務ではありません。
法的には任意の団体ですから。
なのに、なんとなく強制的なものだと、みんな思わされているところに、PTA問題を解くカギがあると思えてなりません。

一庶民さんのコメントの
『イヤだったけどやってみたら楽しかった』
が成立するのは、仕組みとしてでの強制はなく、人から人へ「やってみない?」とお誘いする関係性があって初めてうまれるものだと考えます。
PTA入退会が会員(会員予定者)の自由意思を保証して、正当なやり方で人を誘うという構図です。

だって、私は、PTAは「任意団体」だということを、地元の教育委員会はおろか、文科省にも、内閣府にも確かめてきました。「PTA の入退会自由に関する請願書」という書名をもって内閣に行ったのですもの。
PTAは任意という事実には、議論の余地はありません。

木村先生のおっしゃる「心と個人の自律」とは、
かの有名な『ベルサイユのばら』の言葉を借りて言えば、
「人の心に命令はできませんぞ」
ということになると思います。
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Unknown (ぶきゃこ)
2016-05-04 06:59:26
個人ブログにおけるコメントの取捨選択は法的には勿論、倫理的にも何の問題もないと考えます。
むしろ、いかなる斟酌も加えず書き込まれるままに放置することは、インターネット上で言論を掲載するという社会的行為を行う上での管理責任を問われるものと考えます。

たとえ選択の判断要件に個人的な趣味が入ったとしても責められるものではありませんし、そういったことが問題なく行えるからこその任意作成の個人ブログであり同様の権利はどなたにもあるのだと思います。
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