馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

60年前 青春の弘法山の思い出。

2024-05-24 08:01:35 | 日記
初夏の風吹く、峠のレストランでジンギスカン料理。

続きです。
私は、展望台から山並みと相模湾を眺めながら
60年前のハイキングを回想したのだ。


箱根連山と相模湾を弘法山の頂から
初めて見たのだ。
僕は17歳になったばかり。
1964年昭和39年3月13日弘法山
煙草を吸い一休みする教頭先生の隣に
救急バッグを持つ一心が写っている。



小学6年生の林間学校の補助員として同行。
子供達を安全に山道を歩かせるために先導したのだ。
その感動が一心を登山に導いたのだ。


私のブログ名
「馬鹿も一心」は
小学校の教頭先生から
駅前に金物屋がある。
大きな入口看板に
「馬鹿も一心」が掲げてある。
買い物を頼まれた。
金物屋の親父は、気難しいが
「懸命に働き勉強も懸命にな」と言った。
その看板から名付けた。
17歳の少年は、学校のバイクに無免許で乗り
怪我もしたが、黙っていた。





小学6年生の女の子は、早熟。
僕は憧れの対象であった。
林間学校、運動会の手伝い。
歯の健診も手伝い。
具合が悪い子供を自転車に乗せ病院へ連れて行く。



20歳まで青春無頼の日々。
大学生になってから
駅で私を呼び止める制服少女。
目がクルリとした小柄な女子高生。
「憶えてますか、小学生の頃
いたんですよ」
「憶えているよ」
習字に、僕の一字を入れて
「野菊の里」を廊下の壁に貼った。
その習字を恥ずかし気に僕に言った。
彼女は高校入学して山岳部に入った。
当時 小学6年女子生徒が職員室にやって来た。
「卒業するので、サインください」。
恥ずかしそうだ。
次々に6年生の女の子が一心の机にやって来た。
何だか分からないが姓名を書いた。
テレビが白黒の時代。
現在で言うジャニーズへの憧れ。
歳も4歳程しか離れていない。
女の子の思春期
夢見る少女なのだ。
その後、20代半ば
サラリーマンになって横浜の辺地から
東京駅まで通勤した。
朝のラッシュアワーで横浜駅から乗り換える時
一心の前に立ち呼び止める女性。
「私です」
「野菊の里の女です」
まん丸い大きなフクロウの目は同じだ。
急いでいたので、挨拶だけで別れた。
それっきりだ。
その少女が少し年上の少年に憧れるように
17歳の僕は
同じく、年上の女性に憧れた。
誰もが通過する、思春期の甘美な幻想と現実が
織り成すメリーゴーランド!


江の島観光。 初めてのキス。
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/8da2a3402aa48916788c43dfdc975745


その少女達も既に70歳を越えた。
すれ違っても分からない。

草原情歌(中国民謡)~ZENZI









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