田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

冬の篠山城

2017年12月25日 | 日々の出来事

 篠山城に行きました。一般的には久留米城ですが、地元では篠山城の名で親しまれています。昨年は12月に入っても紅葉を見ることが出来ました。写真は月見櫓御門への階段です。この下に駐車場があります。

  城の正面入り口にあたる冠木御門址です。入ると守りのための桝形になっています。

 冠木御門から振り返ります。この先が二の丸址です。この辺りはブリヂストンの広大な敷地になります。久留米はあまり歴史的な遺構を大切にしなかった町です。明治に入ってお城の前は紡績工場や刑務所などになり、堀も次第に埋め立てられていきました。

 ブリヂストンは久留米が発祥の地ですが、創業者の石橋正二郎氏は地元に大きな貢献をしました。特に教育文化の分野では大学創設のための敷地建物、全小学校のプールや石橋文化センター、教育施設など数多くの寄付をしました。篠山城内にある有馬記念館も正二郎さんの寄贈によるものです。

 篠山城には天守閣がなく、多聞造りという周囲を7つの櫓で囲んだ形式の城でした。本丸御殿の跡には篠山神社があります。

 篠山神社の拝殿と本殿です。高校一年生の時、ここで合唱の授業があったことを思い出します。音楽教師は鼻髭をつけた古いタイプの先生で、威厳がありました。

 城の周りを歩きます。篠山城は比較的小さな城で、周りを郭で囲んでいたため土手のように高くなっています。左手の大きな石は石垣の一番上の部分です。

 

  櫓や郭があったところを歩きます。木々が鬱蒼としています。

  花が少しピンボケになりました。

 城の北と西には筑後川が流れています。ここは右から流れて来る筑後川と正面の宝満川の合流地点で、右手に小さくデルタ部分が見えます。実は宝満川が筑後川の旧本流です。今の筑後川は蛇行部分をショートカットした捷水路です。筑後川は暴れ川で、洪水を防ぐため中流域から下流までこうした跡があちこちにあります。

  紅葉はとうの昔に終わっていました。

 

 

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2 コメント

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静かなところ (tango)
2017-12-26 06:12:19
いい場所ですね!
櫓や郭・・・よい勉強になりました
九州様は地元の近くのいろいろな所を紹介して
くださるのでうれしいです
知らないところが多いです
ブリジストンタイヤ・・の名まえだけはよく知っています
音楽祭はこちらではソレイユホール《もと厚生年金会館》で催されています
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おはようございます (九州より)
2017-12-26 08:52:21
篠山城は普段は静かなところです。
城址に神社が鎮座しています。
城址の前はブリヂストン工場ですが、喧騒な雰囲気ではありません。
小倉の厚生年金会館には昔行ったことがありますよ。
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