田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

阿房列車(旺文社文庫)

2015年11月07日 | 読書・映画日記

 内田百閒の鉄道旅行記シリーズである。第3阿房列車まで刊行されており、現在は新潮文庫などに収められている。

 

 内田百閒は夏目漱石門下で、小説よりも本書をはじめとする随筆で知られている。百閒先生は頑固かつ軽妙洒脱な人物であり、黒澤明の映画「まあだだよ」のモデルとなった。映画の中で鉄道唱歌を延々と歌う男が登場するが、先生は大の鉄道好きであり、宮脇俊三などの鉄道紀行の先駆けとなった。また作家の阿川弘之は百閒先生に敬意を表し、その海外旅行記に「南蛮阿房列車」というタイトルを付けている。

 「阿房」とは秦の始皇帝の「阿房宮」からとったもので、「阿呆」と掛け合わせた先生一流の駄洒落であるらしい。だから書名も「あほうれっしゃ」である。

 本の書き出しに「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ」とあるように、ただ汽車に乗ることが目的で旅をする話である。昭和25年に大阪に1泊旅行して以来、文学上の弟子であり国鉄の職員でもある「ヒマラヤ山系」君を同道して、気儘に各地を鉄道で旅した。まだ蒸気機関車の時代である。

 私が百閒先生に惹かれるのは、先生が車内で雑誌を読んだり居眠りしているひとの気が知れないというほど、車窓からの風景を見ることが好きだったからである。先生が学生時代、帰省で東京と郷里の岡山を行き来していた頃、終点に着くと顔の半分が煤煙で真っ黒になっていたというほどである。

 私も列車やバスに乗っているときは、外の風景を見ていることが好きである。大学の時に京都と九州を何回も往復したが、いつも車窓から景色を眺めていた。当時は京都から急行で10時間、特急で8時間かかっていたと記憶している。

 在来線は市街地の中心部に駅がある。線路の間際まで事業所や人家が建てこんでおり、窓から街の様子や人々の生活風景を見ることが楽しみであった。また地方によって景色や町の佇まいが異なり、社会勉強にもなった。

 中国地方では、列車から見る家々の屋根瓦が茶色であった。夜行列車で岩国市を通った時は、煌々と輝く石油コンビナートの風景に驚いた。神戸の須磨か舞子辺りでは、海岸沿いに別荘風の洒落た家が点在しており、羨ましさを感じたりもした。百閒先生は九州にはたびたび来たが、山陽本線や鹿児島本線の描写には懐かしさを覚える。

 京都駅を朝はやく出発し、夕暮れ時になって列車が筑後川の鉄橋を渡る時、郷里に帰ってきた安堵感で心が落ち着いたものである。あのような列車の旅をすることは、もうないだろう。

 

(追記)

 2018年に中公文庫に収められた「ヒマラヤ山系」さん、こと平山三郎氏による「実録阿房列車先生」を読むと、百閒先生の旅行事情や人となりがわかって興趣をそそる。(2019.8.31記)

 

 

  

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