田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

鹿島と肥前浜駅

2022年08月09日 | 肥前鹿島

 少し遠出をしたくなり、鹿島へ出かけました。途中から有明海沿岸道路を走り、福富インターを降りたところに「道の駅しろいし」があります。以前は近くの国道沿いに直売所がありましたが、こちらへ道の駅として移転しました。なぜ幹線道路から離れた所にと思いましたが、インターチェンジの予定地だったのですね。これから先は一般国道を走ります。

 今日の目的地は「道の駅鹿島」。ここまで来て折弁ならぬプラ弁を食べて帰るだけです。外で食べる弁当はなぜか美味しい。

 「おしまさん」の像。江戸時代、干ばつの時におしまという村の娘が雨乞いのために有明海に身を投げたという伝説があります。沖合7キロ先に干潮の時だけ姿を現す沖ノ島におしまさんの石像があり、年に一度、何艘もの舟を仕立てての沖ノ島参りがあります。普段は行けないのでここにも設置したそうです。

 この日は数組が干潟体験をしていました。

 

 数キロ先まで干潟が続いています。並んでいる棒はたぶん海苔ひび用の支柱の廃品でしょう。満潮時になると、ひたひたと音がするように潮が満ちてきます。

 干潟に入る時に履く地下足袋が干してありました。

 四手網漁体験の棚じぶ。まだ漁の様子を見たことがありません。

 鹿島の隣町、太良町の道の駅。みかんのソフトクリームを目当てに来ましたが、ソフトの店はあいにくお休みです。食事処の「漁師の館」は閉鎖されていました。

 ここは冬場の牡蠣焼きが名物ですが、竹崎カニも有名です。同僚と諫早出張の帰り、カニを目当てにこの町の海辺の宿に泊まったことがあります。壁のポスターは海中鳥居ですね。以前紹介したことがあります。こちらです。

 太良町までが佐賀県で、この先は長崎県になります。娘が長崎にいたころ、有明海沿いの幾つもの町を横目にしながら車を走らせていました。平成の大合併で町の数が減りました。

 鹿島からの帰り道。久しぶりに肥前浜駅に立ち寄りました。この駅は数年前、木造の駅舎部分が建築当時の姿に復元されています。

 駅に隣接する建物は解体され、駅の増築部分として交流施設に生まれ変わりました。

  壁には「HAMA  BAR」の文字。ホームに直結する日本酒バーです。ここ肥前浜宿にはいまでも5軒の蔵元があります。この町を訪れる観光客を日本酒でおもてなしすることがコンセプトのようです。観光案内も兼ねて地元のNPOが運営しています。

 待合室の向こうには緑が広がり、遠くの堤防の先も干拓地です。

 NHKでよく紹介される駅ピアノ。でも人がいません。せめて鍵盤蓋が開いていたらそれらしい雰囲気になるのですが。テレビ番組では空港ピアノ、街角ピアノのバージョンがありますね。駅前はイベントが開けるよう広場になっています。

 鳥栖行きの普通列車が来るというので、しばらくベンチで景色を眺めていました。地方の駅はしばしば映画の舞台になります。旅人がホームに降り立って物語が始まり、ラストシーンで駅から汽車に乗って町を去るというパターンが多いです。

 印象に残っているのは柳川を舞台にした大林宜彦監督の「廃市」。洋画ではシドニー・ポワチエの「夜の大捜査線」。共演のロッド・スタイガーもよかった。そして高倉健の「駅 STATION」も雪の銭函駅が物語の出入り口です。主人公と濃く淡く関係をもった人たちが、素知らぬ顔をして駅舎を通り過ぎていきます。

 鳥栖行きが到着しました。向こうが長崎方面。高校生が一人、乗車していきました。最後に列車旅をしたのは昨年の10月。この長崎本線です。いや、今年の3月にも京都に行きましたが、山陽新幹線は山中やトンネルばかりを走っていて、どうも列車で旅するという気がしません。内田百閒ではありませんが、車窓に流れる景色を楽しむのが列車旅の醍醐味です。

 太良町までの往復130キロのドライブでした。いつもの行き馴れたコースですが、新しい発見や出会いもあります。男が一人、家で無聊をかこつよりはよほどいい。

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地域のお世話と | トップ | 空の旅と電車旅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

肥前鹿島」カテゴリの最新記事