田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

吉野ケ里歴史公園ー主祭殿と北墳丘墓

2017年09月11日 | 吉野ヶ里

 吉野ケ里歴史公園に来ました。夏休みも過ぎた平日なので入園者は少ないです。環濠入り口をから「南内郭」の方へ歩きます。小学生が係員に引率されています。社会科見学のようです。

 「南内郭」が見えてきました。ここは何度か来たのでパスして「北内郭」へと行くことにしました。今日の目的は「北内郭」にある主祭殿です。吉野ケ里遺跡は広大な丘陵地に点在しているので、一度に見るのは大変です。

 「北内郭」の建物群です。ここだけ二重の環壕で囲まれています。

 その手前に倉庫群があります。それぞれ道具類や稲穂、織物などを収める倉が並んでいます。倉は高床式です。

 

 主祭殿に来ました。ここは吉野ケ里でも最も重要な施設で、まつりごとを行う場所です。発掘調査の成果や古代中国の事例などを参考に復元しているそうです。高さは16.5メートルあります。「北内郭」は補修工事中で、主祭殿の内部しか見学することが出来ませんでした。

 主祭殿の2階では吉野ケ里のクニの重要な祀が開かれています。王やリーダー達、さらに周辺のムラの長が集まっているところです。重要なことを決める時は巫女のお告げを聞きます。

  3階に上がりました。巫女が祖霊からのお告げを授かっています。

 主祭殿を出て「北墳丘墓」に来ました。この辺りが南北に長い吉野ケ里歴史公園の中間点になります。

 この建物は「祠堂」です。歴代の王の祖霊へお供えを捧げ、お祈りをする建物です。左の柱は祖霊の宿る柱です。向こうに見える草に覆われた小山が「北墳丘墓」です。

 「北墳丘墓」の内部です。発掘された当時の姿を残しています。ここで14基の甕棺が出土しました。歴代の首長や高い身分の人達が埋葬されたと考えられています。幾層もの土を盛って作られ、発掘時は高さが2.5メートルでした。

 北墳丘墓まで遺跡の東側を歩いてきましたが、ここからは少し西寄りを歩きながら戻ることにしました。

 遊歩道をぶらぶらと歩きます。少し吉野ケ里のスナップ写真を撮りました。

 吉野ケ里遺跡には環壕がめぐらされています。水を張っていたかどうか分からないので、「濠」ではなく「壕」という字を当てています。以前と比べて蔓草が茂っています。これだけの面積を管理するのは大変でしょう。

  物見櫓です。

 「大賀ハス」と物見櫓。「大賀ハス」は弥生時代前期の蓮と考えられています。千葉県の地下の泥炭層から見つかった3個の種から、大賀博士が昭和27年に1個だけ花を咲かせることに成功したものです。世界的に有名になり、私も小学生の時にこの逸話を少年雑誌で読みました。

 吉野ケ里では純粋種の大賀ハスを育てています。

 水田では赤米が栽培されています。初めて見ました。

  柿の木と古代住居。

 環濠入り口近くに戻ってきました。広い原っぱです。吉野ケ里を歩いていると、子供のころ昆虫採集やピクニックでの田舎道の風景を思い出します。

  帰りしなに東口のエントランスを振り返ります。公園で歩いたのは1万2千歩ほどです。心地よい疲れでした。

 

 

 

 

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