田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

吉野ヶ里歴史公園を歩く

2015年09月24日 | 吉野ヶ里

 連休中に佐賀の吉野ヶ里歴史公園に行ってきました。

 もともとこの公園は工業団地として整備される予定でした。しかしこの一帯は古くから色々な出土品が出ることで知られており、昭和61年から本格的な発掘調査が始まりました。

 その結果、弥生時代の最大の環壕集落であることが確認され、また魏志倭人伝に記されている邪馬台国を彷彿とさせる遺跡が発掘されて、全国的に注目されました。その後、国立歴史公園として整備されることになり、現在、県営部分もあわせて87ヘクタールの広さがあります。

 遺跡には詳しくないので、説明はこれくらいにします。また公園は広く、全部見て回ると一日がかりではないでしょうか。

 この公園には10年程前、甥と姪を連れてきたことがあります。でも二人ともあまり興味を示さず、歩き疲れて帰ったことがあります。

 公園の東口エントランスです。西口には子供のための遊具広場があります。

 

 環壕です。水が張られていたかどうか確認できないので、「濠」ではなく「壕」という字を使うそうです。柵列と逆茂木で敵の侵入を防いでいました。何だか怖そうです。

 

 「弥生くらし館」では奴国展があっていました。奴国は今の福岡市一帯です。

館内の土器復元作業室です。この日は休日で作業はあっていませんでした。

  特設テントでは勾玉作成などの体験教室があっていました。大勢の親子でテントは一杯です。勾玉づくりは4年生以上だそうです。良い記念になるでしょう。テレビでも放映されていたようで、今日会った小学生の孫が、自分も作ってみたかったと言っていました。

 大きな広場もあって、家族連れが弁当を広げていました。自然がいっぱいの公園で、ピクニックを兼ねて訪れるのには最適だと思います。

 

  古代の住居や倉庫が復元されています。屋根が地面まで届く建物は竪穴式住居です、中に入ると地面が掘り下げられています。高床式は食物倉庫や祭祀の建物です。以前来た時は、等身大の人形で当時の様子が再現されていました。今回は建物の中には入りませんでした。

 

  向うに見えるのは物見櫓です。

  ずっと遠くの方まで遺跡と公園が広がっています。

 

  公園センターの ショップとレストランです。

 

  おまけです。当時もイノシシはいたのでしょう。

 

 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます。 (京都で定年後生活)
2015-09-24 08:03:53

吉野ヶ里遺跡、一度は訪ねてみたいと思っていますが、まだ行きかねています。
実は私は遺跡も好きなのです。
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お元気そうで (九州より)
2015-09-24 09:42:45
体調が戻られたようで何よりでした。
吉野ヶ里遺跡は広いので、事前に、どのように歩くか計画していった方がよさそうです。
個人的には、一番良かったのは環壕です。ずっと続いていますが、眺めていると横に弥生人が立っているような気分になります。
返信する
知識がなくて (fuyou)
2015-09-24 11:14:03
はじめまして
いつも素敵な記事内容に感嘆いたしております
ありがとうございます

無知でございますがあの櫓はJRの走る列車からみえましたね
工業団地にならなくてよかったですね
太古のロマンをたどってあんなにも多くの人々が集うことができますもの
広大な地に多くの人々が訪れ一日でも古きを探ね憩うことができればまた新たないい考えで生きる勇気につながるかも

行ってみたいですね
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fuyou様へ (九州より)
2015-09-24 16:08:12
コメントありがとうございます。
吉野ケ里歴史公園は広い公園で、気持ちが伸び伸びとします。
たまにはこういう所で、古代の人達の生活に想いを馳せるのも楽しいものです。
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