梅雨がまだ終わらない時期だけれど、学生時代の記憶が詰まっている懐かしい栂池に行った。
雨の中を一日、木道のあちこちに残っている雪を踏んで歩いた。
雨に濡れた花たちは、それでも同じ場所で同じように咲いていた。
カメラを持っていたとしても、花など撮る余裕の無かった学生時代に、
気の遠くなるほど足繁く通った信州。
平成に入って完成したロープウエイで、難なく辿り着いた栂池山荘からは、
懐かしい山々が見渡せる筈だった。
けれど生憎の雨、白馬乗鞍、小蓮華辺りまでがやっとだった。
それでも、あの頂の直下には、白馬大池があったっけ、
手前の天狗原からあの尾根通しに少し行くと、山の神から稗田山に抜けられたんだ、
その直下には蕨平スキー場、当時はリフトが一本しかなかったけど…そんな記憶が次々蘇った。
山荘で貰った地図には、周辺の宿泊ガイドも載っていた。
そこに、私は懐かしい「木戸花荘」と言う文字を見つけた。
場所は、この栂池高原の隣の集落、「わらび平」の文字が懐かしかった。
ただ、60軒近く記された地図には、洒落た名前のロッヂやペンションが並び、
昔「木戸花スキー・ハウス」と言う名前だった民宿が、
今「木戸花荘」になっている、と言う確信は全く無かった。
たまたま、栂池自然園のコース・ガイドをなさっている方との雑談の中で、
間違いなくその宿のご主人の名前が石田さんだと確認できた時点で、
私の「昔探し」は半分完成していた。
☆
昭和四十年冬、初めてのスキーで訪れた「ワラビダイラ」は、
大糸線・千国駅(当時は電化されていなかったし、無人駅だった)から、
民宿のある集落まではだらだら坂を歩いて20分はかかった。
地図には、そのルートもしっかり記されていた。
二日間、雨だった栂池だけれど、しっかり咲いてくれていた花たちを、しっかりカメラに収め、女房殿に無理を言ってワラビダイラに寄り道して貰った。
地図どおりの場所は…、そこは懐かしい場所だった。
真正面には、稗田山、だったけれど驚いたのは、そのゲレンデのまん前に車が入れたこと。
記憶に残っているのは、民宿からゲレンデまでは雪道を20分近く辿ったこと、
途中にちょっとした上り下りもあったこと。
「違う、こんな場所じゃない。もっともっとゲレンデまで遠かった」
少し、ショックを隠せない私に、
「途中に、観光協会があったから、そこで聞いてみればきっと解るよ」、と女房殿。
その言葉に、少しの期待を持って戻りかけた途中、車の右手に見つけた看板に、
「あっ、書いてるあるわよ。木戸花荘、あったわよ!!」、とまたまた女房殿の声。
ちょっと聞いて来るよ、と、瀟洒な建物の方へ歩き始めた私の前に、
その建物から出てこられた男性。
「あのぉ、ちょっとお尋ねしますが、
こちらは昔、「木戸花スキー・ハウス」と言う民宿をなさっていた、石田さんの……」
『そうだよ、私、石田だよ』
『そうか、私はもう喜寿だよ。歳をとってしまった』
四十年経っていた。
懐かしいワンゲル仲間の騒々しい笑い声、その民宿で大騒ぎしていた頃のさまざまな出来事、
毎日食卓に出された野沢菜の、少し苦いけれど歯ごたえのある快い食感、
屋根から固まりになって落ちてくる雪の音などなどが、交じり合って頭に溢れた。
『そうか、守男さんは七年前に死んだよ。急だったけど、大往生だった』
『まあ、よくよく尋ねてきてくれたよ。殆ど忘れてしまってるけんど、
みんな出来の良い学生さんたちだったで、覚えてる。
わしたちがここに上がってきたのはもう三十七年前のことだ。
どんどんスキー客が増えて、みんな上がってきたけんどなぁ。
そうか、京子や玲子も覚えていてくれてるか、二人とも五十越えた…』
と、長い空白は埋まりはしないと思ったけれど、案内されて木戸花荘の二階でお茶を頂いた。
奥様の優しい笑顔に、昔の優しい心配りを思い出した。
『お昼のおにぎり、たくあん二枚に川魚が二つ…』
何よりも驚いたのは、『おい、京子、珍しい人が尋ねて来てくれたよ』と呼ばれて、
顔を出された、当時小学校六年生だった(と思う)京子さん。
ご主人は二階の窓から、後姿だけだったけれど。
四十年前、蕨平という場所に私は居た。
そして今日、建物は随分立派になってしまったけれど、
懐かしい場所で懐かしい人と懐かしい昔話が出来た。
0CNブログ人 2006-07-14 17:18:46
私どもには、あんなに野の花たちが溢れている裏山が無いので(?)
大昔、足繁く通った信州に、時間があれば出かけようと思っています。
実家に戻れば、六甲山と言う裏山があるのですけど。
雨の日は雨の日のままに、
山では、何時もそんな言葉を口にしていましたから、
カメラが濡れること以外、余り苦にはなりませんでした。
晴れた日に巡りあえれば、それはそれで良し、そう思って
これからも、時間が取れれば山の空気を吸いに出かけようと思っています。
おまけに、昔話にお付き合いいただいて恐縮です。
「この歳になると、思い出探しですよ。」なんて言ったら、
『わしには、すっかり忘れとったことを、少しずつ思い出して良かったよ。』と、
懐かしい石田さんとの会話の中で言われました。
その場所に足を運ぶことだけでも充分だったのですけどね。
帰ってから、山仲間の何人かにそこの写真をメールしました。
同じ時期、同じ場所で共有出来た時間は、
不思議に気持ちを落ち着かせてくれます。
雨の栂池、初めてトレッキングシューズを履いた女房殿も、
心配は全く無く雪道も歩き通して、雨の花たちも何とか物にしましたし。
たぶん、これに味をしめて何度かの山行きになるでしょうね。
大船・鎌倉から始まった「花繋がり」、楽しみです。
栂池の花のアルバム拝見いたしました。
雨の中、とても素敵に花を写していまして、さすが~!ですね。
栂池は憧れでしたので、私も一緒に花を見ながら登らせていただきました。
お天気が良かったら、どんなに素敵だったことでしょう。
ありがとうございました。
取引先の某大手出版社の保養施設が奥志賀に合って、編集長やデザイナーの方たちに連れて行ってもらいました。
お借りしたスキー靴は「皮靴」でした。
その保養所もバブル崩壊でなくなって、初滑りの思い出が一つなくなってしまった。
卒業した小学校も、10年ほど前に統合でなくなりました。
名門と言われた中学校も、廃校が決まったようです。
新しい思い出がたくさんできる一方で、懐かしい思い出がなくなってしまうのは、どこと無く寂しい物ですね。
林の子さんの今回の旅、素敵な時間をすごされたようで、拝見していて、こちらもほんのりと温かい気持ちになりました。
ご一緒された奥様も、素敵な思い出を作られたようですね。
我が家も女房殿と二人で、そろそろ山の風に当たりたくなってきました。
それにしても、さすがに林の子さん、たくさん花(被写体)を見つけられたようで、期待させていただいたとおり、見たい花が登場してきました。
ショウジョウバカマ、思い切ってアップで撮ったほうが見栄えがしますね。
昨年、木曽駒ケ岳でたくさん撮りましたが、お気に入りはたった一枚でした。
雫に濡れた花達、楽しませていただいてます。
それでも遠い遠い記憶のままに残っているものが
幾つもありました。
なにより、山の姿はそのままだったし、澄み切った空気を思いっきり吸い込んだり
吐いたりしていると、置き忘れていたものが戻って来るように思えました。
小谷の学生村は、確かに繁盛していましたね。
石田さんからも、受験勉強している学生さんたち見てると、
あなたたちを思い出したから、時間を取って遊びにいらっしゃい、と
何度か手紙を貰いました。
長い時間過ごした、民宿のアルバイト生活。
雪室から取り出した、少し凍ったような野沢菜を水洗いして食卓に乗せるのも
私たちの仕事のひとつでしたから、殆どの野菜類は自給だったですね。
本当に、忘れていた時間がいっぱい残っている信州です。
これからも、何度かのんびりと訪れたいと思っています。
是非、ご一緒に…。
懐かしい場所で 懐かしい人と 懐かしい昔話
林の子さんの笑顔 最高ですね♪
四十年もの時間も 一瞬に戻れたようですね。
やはり栂池の木道には まだ残雪があるんですね。
わたしも歩きたかったなぁ~。
せっかく栂池まで行ったのに・・・
信州といえば わたしにも懐かしい思い出が。
高校時代の夏休みに
数学の先生にすすめられて
南小谷の学生村へ。
一応 受験勉強という名目でしたが
そこでたまたま知り合ったお友達たちと
徹夜でトランプしたり 話したり。
ちょっと反省して 勉強もしたり。
二週間ほど楽しい時間をすごしました。
わたしが泊まった民宿のご主人は 確か千国さん。
そのあたりには たくさん千国さんがあるんですよね。
朝 前の畑で取れたミョウガがお味噌汁に。
懐かしい味です。
信州は良いところですね。
次回はのんびりゆったり歩きたいです。