たぶん四回目になるだろう。
小説「坊ちゃん」誕生百年で盛り上がっている松山は、周辺市町村との合併で人口50万人を越えているそうだ。
それでも、JR松山駅前の雰囲気は、何年も前と殆ど変わりないように感じた。
今年二度目の栂池で爽やかな空気を吸った翌週、
学生時代の寮仲間との二年に一度の交流を続けている女房殿の松山行きに同道した。
四国・九州から集まる彼女の気の置けない友人たちとは、何度かお会いしたこともあるし、
その関わりのはじめが学生時代と言うこともあって、不思議な懐かしさを感じてしまう。
徳島組の盛さん、タキちゃんのお二人はバス便での到着、
もう一人幕張からの参加は、ANA便で三時過ぎに松山入りの予定、
大分のはっちゃんは、残念ながら不参加になったそうだ。
松山空港に出迎えて下さった菊池さん、
彼女の八幡浜での結婚式に出席した折にはこの松山で宿泊したし、上の息子を連れて下宿先やバイト先のお好み焼き屋まで訪問した事を思い出していた。
JR松山駅前で、徳島からのバスを迎え、ちょっと遅い昼食。
送迎の車の中では、すっかり昔に戻ってしまった人たちの、懐かしい会話を聞いていた。
近くにあった「松山市立子規記念博物館」でも、やはり「坊ちゃん」が主役、の雰囲気。
気の置けない仲間たち、と言うのは再会までの時間はあっと言う間に埋まってしまうのだろう、
果てしなく続く会話の連鎖には到底入れて貰えない(?)私は、
一人でのんびり松山の町を歩くことにした。
翌朝も、改修中だったが、松山城に登り、愛媛大学から護国神社にある万葉植物苑辺りを散策していたのだけれど、
季節の花を撮り歩くには、暑すぎた。
それでも遠い遠い時間を共有していた五人の会話は、果てしなく続いていたのだろう。
今治にあるタオル美術館に寄って、松山には三時前に戻る旨のメールが届いたのは昼過ぎだった。
駅前での、遅い昼食の間も懐かしい会話が続いていた。
ガイド役と食事処の駐車場でお別れし、徳島行きのバスを三時四十七分に見送った。
松山から高松までだった予讃線は、瀬戸大橋を通ってそのまま岡山まで走ってくれる。
宇多津を過ぎ、車窓には海峡に沈む夕陽が見事だった。
次回は、関西方面の予定だそうだ。 (2006.08.19-20四国・松山)
OCNブログ人 2006-08-26 14:14:12
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