アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

その2 早いお出かけは三文の徳@サイゴン

2012-10-09 19:46:14 | Weblog
本日はVietgimexはいつもより15分早く7時に出発
ホアさんファミリーが出かけるところでした。

授業までに30分あるとゆっくり景色を楽しみながらゆっくりのスクータードライブ
そしてタイガービールの工場の前で交通警察が取締り中
この朝の皆さんお勤め出かけの忙しい時間に残酷

そして12区のVietgimex近くのこの田舎でも
捕らえています。

珍しく小生はゆっくりで景色を楽しんでいたので
右端を走行で車線違反もスピード違反にもひっかかからず!!
いつもなら間違いなくやられ、早いお出かけは三文の徳って体感しました。

そして授業終了してからいつものSusiで朝食
インタビューの準備を!!

そしてアポ時間の2時間前に出発
これまた国道1号線を通って
ゆっくり景色を楽しみ
ながら

又もや交通警察をみごとにパス
本日は験がいいです。
なんとなく取材も
楽しそうな予感

そして12時半に到着
DB CourtのNgocさんも
昼食に出かけていていないのでアポ時間の2時まで90分もあり
受付の青年にどこか昼食する場所を聞くといっぱいあるって紹介される。

SaigonXann Cafeは一方通行のDB Courtと同じ通りでした。
そこで昼食しながらその1のブログでした。

そしてアポ5分前にサービスアパートへ
とっても素敵なNgocさんが迎えてくれました。
こんなにきれいな英語を話す彼女に魅せられました。

40分間の取材はとってもハッピーな時間でした。
そして彼女も小生に興味を示してくれ
楽しい取材のひと時となりました。

50%Occupancyで日本人が25%、あとはIreland, England, French, Australian, Sweedish
とっても素敵な部屋でした。アパート居住の日本人女性に挨拶される。
50-85平米とちょっと狭い感じもするがロケーションがいい。
駐在夫婦さんの住まいなら最高って
思ったが。



1500-2500ドルはもう日本でも高い方ではなんて思ったが!!

そして途中センターのホアさんから
今日からN1のプライベート授業ですよってこれまた突然の電話
さっそくリンさんに火木はセンターで教えるのでそれ以外の日に個人授業を伝えた。

雨にも濡れず午後4時前だとスイスイで帰宅
又もや長屋の若妻さんからChe
とってもきれいだが味は
小生には合わず棄却
でした。


これから初めてのN1さんの初めての授業です。
6時から8時まで!!
帰宅してから
取材の原稿
書きです。

忙しいです。

2回目の休憩
午後5時45分
夕方から珍しく青空です。
24度

この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ホーチミン情報へ

その1 DB Court近くのSaigon Xanh Cafeからブログ

2012-10-09 15:44:22 | Weblog
アポ時間まで20分近くあるのでこの美しい喫茶店から初ブログ

ガジュマルの大木があり涼を与えます。


そして近くに移転してきた日本領事館もある。
インタビュー予定のDB Courtにも行ってNgocさんが昼食休憩を
確認してから小生も昼食でした。 付近にいっぱいベト飯店あり
いい環境の3区取材付近でした。

カニの焼き飯美味しかったです。
 

 


1回目の休憩
午後1時43分
2時がアポです。

この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ホーチミン情報へ



Part 3 FujinetのPhongさんとGiangさんとの出会い

2012-10-09 01:57:40 | Weblog
Sovilacoの授業を終えて一服
夕方5時に今度日本語を教えることになったFujinetに携帯するとオフィスに来て下さいって!!

お昼に見学していたので様子は分かっている!!
そしてルームナンバーを確認して覗くと
ガラス越に微笑まれロックが解除
結構室内が広く綺麗なのに
驚く。

なんとどこかで見かけた顔って思ったら
我がベトナム4人娘の次女Chauそっくり

そしてお話していて最期に
そっくりさんのGiangさんはChauを知っているって!!
世間は狭し!! Chauも優秀だがGiangさんは東工大を卒業!!!

びっくり!!
東京は大岡山の東工大:私しゃ昔、高校生の頃に大岡山の親戚を訪れ
そこに下宿する東工大の学生さんから原子力のお話を聞かされ憧れたことがある大学

才媛ですぞ!!
そしてChau同様にっていうかベトナム女性の素敵さ愛嬌があります。優しさがあります。


そして社長のPhongさんは昔2年間研究で日本に行ったことがあるって!!
それが縁で2000年9月にFujinetを設立も日本企業を対象にした受託開発!!
当初10人スタートも2012年7月現在230名に急成長

まるで子供のような目で青年社長のような輝きで情熱的に
会社のこと従業員のことをお話しするまだ40代の素敵な青春真っ只中の社長さんでした。

N1からN3までこの会社で働く通訳さんやその卵さんたちと
一緒に日本のことが勉強できるかと思うと
来週からの火曜と金曜が楽しみです。

帰りにいつものComTamThomで夕食
本日は小生が腰に差す竹刀に
皆様なの興味が集中
侍って話しかけてきました。



帰宅後ちょっと遅い昼寝をして
ブログ書きでした。

これから明日のVietgimexの授業準備と
DB Court取材のための準備です。
なんだかサイゴンライフは
忙しくなって来ています。

でもでも楽しいです。

3回目の休憩
午後11時57分

この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ホーチミン情報へ

Part 2 ノーベル医学生理学賞・京大山中教授

2012-10-09 01:08:27 | Weblog
もう何度も我がブログで紹介してきたが
やっと京大のホープ山中教授が
医学生理学賞を!!
 京大iPS研究所

朝日新聞からコピペ
--------------------------------------------------------------------------------
日本のノーベル賞19人目、医学生理学は25年ぶり

山中伸弥・京都大教授の受賞決定で、日本のノーベル賞受賞者は19人になる。内訳は文学、平和両賞が3人で、残りの16人は自然科学系3賞(医学生理学、物理学、化学)だ。
 1949年に日本で初めて受賞した湯川秀樹博士らの物理学賞と、10年に鈴木章・北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授が受賞した化学賞がそれぞれ7人。医学生理学賞は、1987年の利根川進博士以来、25年ぶり2人目となる。
 自然科学系は、2000年から3年連続で受賞者が出た後、5年間の空白を経て、08年以降は再び、計7人が輩出する受賞ラッシュとなっている。文科省などによると、米国籍の南部陽一郎さんを除いた日本の自然科学系の受賞者計15人は、今のところ世界で6番目に多い。
--------------------------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------------------------
「先生、細胞の塊が…」 山中氏、iPS成功への道のり

 iPS細胞は逆転の発想で生まれた。ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大の山中伸弥教授は、常識にとらわれない大胆な手法と数々の幸運で、生命科学の新たな扉を開いた。
 「先生、細胞の塊が生えてます」
 2005年、京都は梅雨の季節を迎えていた。山中さんの教授室に、研究員の高橋和利さん(現・京大講師)が飛び込んできた。実験皿に丸く、細胞がぎゅっと詰まった塊が盛り上がっているのを見つけた。世界で初めてiPS細胞ができた瞬間だった。
 整形外科医をあきらめ、基礎研究の世界に入った山中さんは、米国留学中にかかわったES細胞(胚(はい)性幹細胞)の研究をしていた。ES細胞は、夢の 再生医療に道を開くと期待されつつも、「生命の萌芽(ほうが)」である受精卵を壊して作るという倫理的な問題がつきまとった。「じゃあ、逆をいこう」。人 のまねをしない信念があった。「受精卵じゃないふつうの細胞から万能細胞を作ろう」
 1996年に英国の研究者が体細胞クローン羊「ドリー」を誕生させ、体細胞を初期化して万能細胞に変える因子が、卵子の中にあると推測できた。さらに 01年、京大の多田高准教授らが、ES細胞と電気ショックで融合させた体細胞がES細胞になることを発表。これがヒントになった。「ES細胞にふつうの体 細胞を万能化する因子があるに違いない」。ES細胞で働く遺伝子を探すことに狙いを定めた。
 だが、ヒトやマウスの遺伝子は2万~3万個。小さな研究室で一つずつ検証したら数十年かかる。ちょうどそのころ、理化学研究所が約1万の遺伝子の働きを網羅したマウスの遺伝子データベースを公開した。
 山中さんは大学時代、実家のミシン部品工場の在庫管理のためにプログラムの勉強をしたことがあった。その経験を生かしてデータベースを解析し、ES細胞で強く働いている遺伝子を100個ほど選び出した。
 実験で遺伝子の働きを調べ、世界で発表された重要そうな遺伝子も加え計24個に絞り込んだ。その遺伝子を一つずつ入れて試した。この時、高橋さんが 「(遺伝子を導入するための試薬が)余ってもったいない」と24個すべてをある実験皿に入れた。するとこの皿にだけ万能細胞ができた。
 万能細胞づくりを目指していたライバルはほかにもいた。だが、「初期化の仕組みは複雑なはず。多くの遺伝子を一度に入れると、何が起きているか働きが見えにくく、お互いが邪魔して悪い結果になる恐れもある」と遺伝子の機能を一つひとつ詳しく調べていた。
 「実を言うと、24個の中に正解がある確信はなかった。宝くじに当たったようなもの」と山中さんは振り返る。実験を10回ほど繰り返し、間違いないと確信した。秋はすぐそこだった。
 さらに作業を続ける。高橋さんのアイデアで、1個除いた23個ずつを細胞に入れた。万能細胞ができなければ、除いた1個が必要な遺伝子だ。ついに4個の遺伝子のセット「山中因子」にたどり着いた。
 成功は論文発表まで2人だけの秘密にした。高橋さんは「居酒屋でぽろっと話して聞かれたらまずい、と山中先生と話した。大学院生でもできるほど単純な方法だったから」と言う。
 ちょうど韓国の研究者によるES細胞の論文捏造(ねつぞう)問題が世界的なスキャンダルになっていた。「アジア人がまたうそをついていると思われないように」と、何度も実験を積み重ねた。
 そして06年、米科学誌に論文を発表。世界の研究者は驚いたが、親しいと思っていた研究者からも、うそつき呼ばわりされた。山中さんは「知識が邪魔をすることもある。整形外科の研修でも、やってみないと分からないことが多かった」と言う。
 海外の研究者も同じ方法でiPS細胞づくりに成功し始めると評価が高まっていった。翌07年には、米国勢との激しい競争で同着だったがヒトのiPS細胞づくりも成功したと発表し、名声は確立された。
 iPS細胞に関する京都大の特許についても今年9月までに、世界のバイオテクノロジー市場の中心となっている米国で6件取得するなど世界27の国と地域で基本特許を成立させた。
 だが、目指す治療への応用まではまだまだ越えなくてはいけないハードルがある。学生時代にラグビーのライバルチームでスクラムが崩れて脊椎(せきつい) 損傷になった選手、研修医時代に目の当たりにした手の施せない重度のリウマチ患者らの姿を胸に刻んで、山中さんは繰り返す。「iPS細胞の成果が患者さん に届かなければ、何の意味もない」
--------------------------------------------------------------------------------

2回目の休憩
午後11時8分

この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ホーチミン情報へ