アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

Part 3  いくつかの大学にチャレンジ  12・10

2009-12-10 23:12:24 | Weblog
いつものように
もう我が息子といってもいい
ビン君9歳と
軒下喫茶で日本語の勉強

彼の親父とは義兄弟の契り
したがって我が義弟の息子は
我が息子も同然!!
まあ甥っ子でもいいや!!

彼がやがて日本に留学する時代を
夢見て
教えるにも愛情がこもります。

義弟が持ってくる毎朝の食事にはまって
食べ過ぎ傾向大!!
結構美味しい!!

軒下喫茶の授業:本日は何故だか
師匠のビザのことが話題にあがってこない。
気弱な小生
義弟が切り出すのを待つことにした。

師匠とお母さんのが取れれば
この厳しくなったビザ問題とはいえ
小生の就労ビザも簡単と
師匠!!

なんだか明日が待ち遠しい!!が
アウトの気もする。
義弟は自分関連のものはゲットしているが
日本人を相手にしたビザは初めてだから!!

師匠もダメでもともと:だめもとで頼んでいるからと
あわてず明日を待つことに!!


夜間に授業が行われる
語学センターも面白いし
企業での教育も味があるが
午前午後と授業のある
二学期制大学の
3年あるいは4年制の学生に教える
じっくりした長ーーーーい教育のコースも
毎日入れてないと
人間が堕落しそうであり
日本語教師の職をアプライ
就活チャレンジしている。

1年4ヶ月の努力の賜物
培ったコネクションで
おもむろながら決まってきている。

ほぼ3校OK
もう一つくらい入れたいところで
うまく行くと日曜日以外は
埋まりそうです。

ほんまに貧乏性の性格です。

じっくりと一人の時間で
自分を見つめたいと思いつつも
それは早朝だけで十分
朝から夜は若者たちと接していたいのです。

1区のサンワタワーに行くまでに
いろいろの連絡事項に時間を費やし
また昼休時間帯には
短くなったHCMC滞在を懐かしむように
師匠がKazuさんを呼んでおり
うどん鍋と
その後の軒下喫茶でくつろいだ時間を過ごした。

もう8-90%くらいのクリスマス用デコレーションが
ダウンタウン1区では整っている。
そして本日はサンワタワーの前の通り
グエン・フエ通りの飾りつけは
はやくも新年ハッピーニューイヤーのものでした。

シェラトンホテルはもうバッチリ飾りつけ終了
古典楽器演奏は本日春のうららの隅田川----
これが日本曲ではラストでした。

サンワタワーもゴージャスに飾り付け終了
いつか写真載せます。

本日の授業はフーンさんと
ハウ君の二人だけ!!
もうプライベート授業
効率よくまた雑談も楽しく
過ごすことができました。

明日からは僕ちゃん学校の
12月期も始まります。

忙しくなりそうです。

ずっとずっと連絡途絶えていた
歯科大の非常勤さんから
今年がラストの非常勤で
記念にサイゴンを訪問したいと
連絡が入る。

嬉しいことである。

ああかなり頭が働くなってきている
夜に弱い小生
ここで
おやすみなさいです。

10:05pm

サイゴン生活の感動をブログしています。
63歳の我が友・知り合いへの
メッセージと日記です。 
ベト情報は少しです。
そして近い将来、
孫たちが
グランパのサイゴン生活のブログを
読んでくれることを期待しながら。
だからサイゴン生活真剣です。

ここまで読んでくれた人
この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ベトナム情報へ







Part 2 Khanh Ly 美しい昔 Diem Xua 12・10

2009-12-10 22:34:40 | Weblog
サンワタワーから帰宅すると
なんとTienさんが、
一人でビンロンの田舎から戻っている。

きっと都会が恋しいんだって思いました。
そして小生が食事していると
カン・リーの曲をDVDでかけてくれる。
懐かしき
我がブログを賑わせてくれた曲:
美しき昔 Diem Xua を日本語で歌う彼女が!!

インターネットで調べると
彼女の来日の経過や
チン・コン・ソンの関連が詳細に報告されている。
記念に掲載しておきます。

Khanh Ly first public appearance occurred in 1959, in a radio talent search for children sponsored by Saigon Radio. The show was broadcasted throughout Southern Vietnam. Khanh Ly was only 14 years old at the time. During this contest she won second place.

In 1962, at the age of 17, Khanh Ly began her professional music career. She performed at many clubs in the Southern Vietnamese Highlands. Most notable of which was Da Lat, South Vietnam's premiere locale for lovers and vacationers.

In 1964, Composer Trinh Cong Son requested for Khanh Ly to return to Saigon and perform. At the time, Khanh Ly refused this offer from this young promising composer.

In 1967, by chance but according to many it was serendipity, they met again, thus began a famous and fruitful collaborative effort between these two stellar figures in the Vietnamese music industry. Khanh Ly began performing Trinh Cong Son Music. According to Khanh Ly's recollection, it all began at Quan Van club in Saigon. After a very short period of time, Khanh Ly and Trinh Cong Son gained phenomenal fame across the entire country.

Continuing in their collaboration, Khanh Ly and Trinh Cong Son started to perform at numerous colleges and universities. These performances led to more daring ventures. Khanh Ly became the first Vietnamese woman to headline her own shows. These shows usually lasted the minimum of four hours and within those hours she would perform 40-45 songs entertaining the people of Vietnam.

The Vietnam war escalated in 1970 to heights unseen previously. During this period, Trinh Cong Son composed a group of songs dedicated to the hope for peace and tranquillity. At the same time, Khanh Ly began to expand and share her talents with the troops fighting for peace and freedom. She performed in various front lines for the South Vietnamese troops.

In addition, Khanh Ly contributed her talents to various religions in order to raise funds for numerous causes. From 1967-1975, Khanh Ly has performed for students, soldiers, and religious orders without ever charging any fee. This fact shows the humanitarian side of Khanh Ly that many fans never get to see.

In 1969 the Vietnamese Government sponsored Khanh Ly to travel and perform in Europe. She became the first Vietnamese entertainer to perform on foreign lands. Her performances were primarily for Vietnamese exchange students and the Vietnamese communities in Europe. In 1970, Khanh Ly took her talents to the United States and Canada.

In 1970, Nippon Columbia invited Khanh Ly to Japan in order to attend the Osaka Fair and also to record the songs Diem Xua and Ca Dao Me in both Japanese and Vietnamese. Trinh Cong Son specifically requested Nippon Columbia to choose Khanh Ly as the performer for this recording.

In 1972, Khanh Ly ventured out and opened her own night club named Phong Tra Khanh Ly. This club was located at 1214 Tu Do, Saigon, Vietnam. In 1975, Khanh Ly and her family departed Vietnam by boat, she presently resides in Cerritos, California USA.

In 1979, Columbia Nippon once again contacted Khanh Ly. She soon traveled to Japan and recorded an album consisting of music by Trinh Cong Son. In 1982, Bunka Honso Radio invited Khanh Ly to attend the Asia Music Festival that featured artists from numerous Asian countries.

In 1985 Khanh Ly formed Khanh Ly Productions managed by her spouse Mr Nguyen Hoang Doan. Khanh Ly Productions currently has:

30 Music Titles
4 Music Video Features
A Motion Picture - The Life of Khanh Ly (currently in production)
In 1987, Khanh Ly returned to Japan to record the soundtrack for the Motion picture The Boat People. In1988, Khanh Ly was invited to the Vatican for a special ceremony to honor 117 Vietnamese priests who died for the cause of Catholicism. During this event, Khanh Ly was personally introduced to Pope John Paul II.

In 1992, Khanh Ly was invited to the World Youth Festival held in Denver, Colorado USA. She performed there for the masses. This was her second meeting with Pope John Paul II. This was a great honor for Khanh Ly since she is a very religious person.

Khanh Ly is truly the people's star. Throughout her illustrious career, she has been constantly on the move, recording music, and performing for people all over the world. Her humanitarian effort has not gone unnoticed by her peers as many generations of young performers have looked to Khanh Ly as an example of a fine Vietnamese woman and a bright shining star in the Vietnamese music industry.

Copyright (c) 1996-1999 VEN Productions

このまま師匠らがHCMCに棲めばと思うが
無理でしょうか??

今日は沢山の出来事がありました。
Part3 以降に記述します。

階下からはカン・リーの曲が
ずっと流れています。
そしていまもDiem Xuaが。

8:55pm

サイゴン生活の感動をブログしています。
63歳の我が友・知り合いへの
メッセージと日記です。 
ベト情報は少しです。
そして近い将来、
孫たちが
グランパのサイゴン生活のブログを
読んでくれることを期待しながら。
だからサイゴン生活真剣です。

ここまで読んでくれた人
この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ベトナム情報へ






Part 1   Gone with the 風と共に去りぬ ランさん 師匠 12・10

2009-12-10 07:06:12 | Weblog
平成21年 12月10日 木曜日

午前3時半
サイゴン市ゴーバップ区レバントー通り
師匠宅の温度は20℃
虫の音がひびき
まるで日本の秋

おっ月様は南の軌道をとりながら
東45度の位置で
下弦ながら眩しく黄色く輝いています。
あと2-3日で北側のベランダからは見えなくなりそう。
一方、南側からは見やすくなってきている。

昨夜のランさんの作る夕食
パーフェクト
ほんとに予算5万ドン以下で作っているのって感じの
とっても
師匠には悪いが、さすが女性、 とっても、とっても
師匠の作る食事よりも美味しいのでした。

なすび、人参、ジャガイモ、たまねぎ、お肉、
などの煮物、キャベツやサラダにおつけもの
お惣菜のボリューム 味付け
すべてが満足で
過不足なく、我が胃の中にすっぽりおさまる。
デザートのおミカンまでもOKでした。

師匠が帰宅していなかったので
恐らくは彼女のアイディアで作ったはず。

しかし
そんなことすら知らずに頂く
まことに
親鸞和尚じきじきの他力本願
合掌です。

彼女は料理を作るだけで
一緒に食事することなく
挨拶程度しか日本語が話せないとかで
小一時間で我が洗濯物と共に去ってしまった。

去ってしまうといえば
昨日の講義で最も印象的だった今までに見た映画は?
で、 Gone with the Wind 彼女らは日本のタイトルは
知らないが
風と共に去りぬ が一番と!!

ベトナム女性の
しかも大学4年生
次のベトナムを担う
将来のエリートさんたちが
クラーク・ゲーブル(レット・バトラー)、
ビビアン・リー(スカーレット・オハラ)について
おしゃべりする。

あの南北戦争の風の中で、風と共に去っていった、
アメリカ南部タラの地でのゴージャスな生活
そこを逞しく生きていくスカーレット
わたしゃ、
輝く目でおしゃべりする彼女たちの中に
タラのテーマをハミングしながらも
スカーレット:ビビアン・リーの
強き生き方を見るのでした。

小生の大好きなローマの休日 Roman Holodayなんて
子供っぽくて圧倒され恥ずかしいくらいでした。

師匠は一人でビンロンから
8時過ぎに戻ってきました。
閑散としていた工業団地は想像を超えて
活気に満ち溢れ
Tienさん親族も知り合いも商売を
あるいはアパート経営を!!やり始めているらしい。
それに伴い
建築業者も忙しく
折角の訪問でも会えなかったとの由。

師匠一家も
25部屋のアパートを作ることで
合意
師匠の描いていたユートピアは
またもや遠のくも
Tienさんは田舎の地で
寂しがることもなく楽しくやっていくだろうと
師匠の談でした。

さてさて
師匠とお母さんのビザ問題を含めて
どのような一日が待っているのでしょうか??
我が一日一生も賑やかです。

本日も朝8時はVinhくん親子と団欒
夕方は1区サンワタワーです。

一回目の休憩

5:00am

サイゴン生活の感動をブログしています。
63歳の我が友・知り合いへの
メッセージと日記です。 
ベト情報は少しです。
そして近い将来、
孫たちが
グランパのサイゴン生活のブログを
読んでくれることを期待しながら。
だからサイゴン生活真剣です。

ここまで読んでくれた人
この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ベトナム情報へ