私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング7

2005-11-30 21:24:08 | カウンセリング
1週間の間で、子どもの頃の色んな感情が生まれ、答えが出たことは良いこと。
苦しさに気付かないでいると、アディクションとして表れるのだと言われました。
インナーチャイルドが、ずっと心の中で何を叫び続けてきたか、輪郭がはっきりしてきて、苦しさになっていると言われました。

先生「良かったね~。苦しいかもしれないけど、良かったね。
しっかりと自分を抱きしめて、自分の中のインナーチャイルドを可愛がってあげてください。」

高校の時から、退屈なのは嫌だと感じていたことについて、問題を感じていながら、心の中を見つめるよりも、仮の姿で間に合わせていっていた。
適応すると言うのは、正しい行動だけれど、自分の心を埋めていく力がなかったと説明されました。


今日は、DVの勉強と言うことで、DVから離れられずにいる気持ちを考えてみましょうと言われました。
来週までに、考えてみてくださいと項目を言われました。

DV パワー&コントロール

1 脅す
私がはむかうと、
「お前が立ち直れないくらい、めちゃくちゃにしてやる。」ってよく言われていました。

2 精神的暴力(言葉)
料理を馬鹿にされていました。
「お前は○○だから~○○なんだ」とよく言われました。
「お前は、きちがいだから、わからないんだ」とか、
「お前が、悪いから、そういう目に合うんだ」とか・・・・・
病気の時も、
「仮病だ。演技をしている」と言われていました。
「お前のやりくりが下手だから、お金が足りないんだ。」
「誰が、お前に働いてくれと言った?お前が好きでしてるのだろう。」
「お前は、日本語の使い方がおかしい」
話をすれば、
「その話のおちは?何が面白い?そんな話をして・・・・・」

3 妻の隔離(嫉妬により断ち切る)
一度、浮気を疑われ、ぐちぐちと言われ続けました。
これに対しては、あまり影響は受けてないと思うのですが、夜も遅く、休みも家を空け、子供たちがいる限り、私は、自由な行動は出来ませんでした。

4 否認と非難
暴力を振るった後
「お前が、要らないことを言うからだ。」
「わしは、軽くやっただけなのに、大げさだ。演技をしている。」

5 子どもを使う
子どもの面倒を見ようとしないので、注意すると
「お母さんは、お前らが嫌いだから、わしに面倒を見させたいんだって。」
「お母さんは、お前らが邪魔なんだって」と言っていました。

6 男の権威を振りかざす
「わしがこの家で、一番エライんよ。」
「誰が、飯食わせてやりよる。」
「わしの給料なんだから、文句言うな。」
「ここはわしの家だ。文句があるなら出て行け。」

7 経済的アビューズ
給料は、月によって金額が不安定で、旦那の小遣いのほうが生活費より、多い月があっても出してくれませんでした。
そういう時は、
「お前も働きよるのなら、金ぐらいあるだろう。」
「出来るものなら、ひとりで生活してみろ。」

8 威圧 脅迫
突然、大きな声で、罵声を浴びせる。一瞬、何が起こったのかわからない。
「あらぁ。何しよるんなぁー。覚えとけーよ。」

何度か、喧嘩のたびに出て行けと言われ、出て行きました。
泣き叫ぶ子ども達。追いかけてくる子ども達。
可哀相なことをしてしまいました。
その都度、子ども達に「ごめんね」と謝り続けました。
「お前らが可愛くないから、お母さん出て行ったんで・・・・・」と言っていました。
どうしても、頭を冷やしたい時には、長女に
「ごめんね、絶対に帰ってくるから安心して」と告げて出ることにしました。
長女は、下の子ども達に
「大丈夫よ。お母さん、必ず戻ってくるから。」と説明していました。

一度、私が出て行った後、仕事の呼び出しがあったようで、帰ると、まだ赤ちゃんの長男を残して、いなくなっていました。

私が、精神的に立ち直れないくらい追い詰め、
「死ね」と言われ、マンションの最上階まで駆け上がったこと、
実際に、玄関口の塀を乗り越えて、まさに降りようとしたこともあります。
この時は、子ども達の目の前だったので、ひどく傷つけてしまいました。
今でも、この時のことを、子どもたちは覚えていて話します。
もう、子どもたちを悲しませることは辞めたい、そう思います。

精神的に、ボロボロになって、大声で泣きわめく状態が続く時は、さすがに心配になるようで、仕事を休んでくれたり、元の状態になるまで、傍にいてくれたりしました。

今は、思い出すと辛くなりそうなのでこの辺りまでにして、また少しずつ考えようと思います。



正常な状態と言うのは、どういうものかも話されました。

ノン・バイオレンス
1 脅しをしない
2 尊敬する
3 依頼とサポート
4 正直さと行動に責任を持つ
5 子どもを使わない(子どもの教育に参加する)
6 男の権利を振りかざさない(家事の分担)
7 経済的に男女平等にやる
8 お互いに譲り合う 話し合う


理想の姿なんでしょうが、無理と思ってしまいました。
この状態になるまで、私の持ち出しが多くなり、我慢することが多くなること、それは、子どもにも影響が大きいと言われました。

私には、二つの選択肢があります。
旦那と共に、もう一度、夫婦の関係を再構築すること。
別れること。
再構築されている夫婦を、ブログで拝見させていただき、それが出来れば、一番いい夫婦関係になれるのだろうなと憧れます。
それとは反面、そこまで自分が耐えることが出来るのかということ、
私自身が、甘えたいという感情のやり場はどこに向かえばいいのかと言うことを考えた時、別れて新しい人生を歩む方がいいのではないかと思う両方の気持ちがありました。

でも、この項目を見た時、例え、私が努力したところで、旦那にその気がないのなら、成立しないなと思いました。

長くなったので、二つに分けたいと思います。

気持ちの流れ

2005-11-30 01:22:32 | 私のこと
突然に、色んな思いが浮かんできて、とても苦しくなった。
気持ちの流れを、書いてみる。

29日の朝の時点での私の思い。
「辛いけれど、30日のカウンセリングを受ければ、また気持ちの整理が出来て楽になれるはず。先生に任せよう。」

昼、突然に、「先生は、私一人に優しいわけではないんだ。」という思いが湧き上がってきて、独占出来ないことに対する悲しみが襲ってきた。

「先生が、私に対して優しいのは仕事だから」
「先生の優しさは、永久的なものではない」という否定する気持ち

「永久に続く優しさが欲しい」
「旦那には、それを求めることが出来ない」
「彼にずっと傍にいてもらえばよかった」という欲求

「優しさや愛は永久に続くものではない」
「一時的な感情でしかない」という諦め気持ち

「誰も、私のことを愛してはくれないんだ」
「期待すると悲しい思いをする」という自己否定の気持ち


一気に、色んな気持ちが、込み上げてきて苦しくなった。

「でも、子どもは、私のことを必要としてくれているじゃないか・・・・・」
そう思ったとき、救われた。

今までにない、独占したいという思いが、浮かんできたこと、戸惑ったけれど、この感情が生まれたことは、決してマイナスではないはず。
そして今まで、その感情について、自分を守ってきたか見えたような気がする。

2005-11-29 16:10:30 | 日々つれづれ
今日は、風が強くて、物音がするたびにドキドキして
玄関も、ちゃんと二つかぎ閉めているのに、
やっぱり、音がするたびに、おびえている私がいる。
最近は、音がしても大丈夫になっていたのに・・・・・

今日は、寂しくて、寂しくて、寂しくてやり切れない。
不安な心、誰かに抱きしめられたい。そんな気持ち。
でも、でも、今日はどんなに優しい言葉も否定的に受け取ってしまいそうで、
優しくされると恐くて逃げ出しそうな私がいる。

優しくされても、それが永遠に続くなんて思えないから。
そしたら独りの方がいいなんて思ってしまう。
肯定的なブログ書いても、日常を書いても
逃げ出したくなる私がいる。

子ども達、早く帰ってこないかな。

クリスマス準備

2005-11-29 14:33:44 | 私のこと
祭り好きな私は、クリスマスも、もちろん大好きです。
母方の祖母は、私が生まれて、最初のクリスマスに、ツリーをプレゼントしてくれたそうです。
カトリック系の幼稚園にいたという母は、クリスマスに対する思い入れも強かったみたいで、私と妹が大きくなっても、クリスマスを楽しんでいたし、プレゼントもしてくれました。
なので、妹が生まれたとき、私にプレゼントを用意しなかった父に、すごく腹が立ったといいます。
夫婦喧嘩をしなかったという母は、どうやって怒りという感情を表現していたのでしょうか?
ちょっと疑問です。

私も、結婚が決まって、新居(古いビルでしたが)に旦那が入居したのが12月だったので、最初に購入したのはクリスマスツリーでした。
今では、飾ることも少ないのですが、たくさんのディスプレイ用品を集めていました。
新婚旅行でも、ドイツにあるクリスマス用品のお店で、たくさんの小物を購入してしまいました。

子どもが生まれてからよりも、生まれる前の方が、クリスマスに対する思い入れが強かったように思います。
ただ、一度も旦那からのプレゼントはなかったんですけど・・・・
家中、クリスマス用品で飾っていましたが、今は、窓際だけになっています。
忙しくて、それどころじゃなくなってしまったこともあるのでしょう。
今は、毎年、電飾を増やしていって楽しんでいます。

今の仕事についてから、毎年12月初めに、大きなイベントがあるので、その準備にてんてこ舞いです。
家中、散らかってしまうので、クリスマスツリーを出すことにためらいを覚えてしまいます。
でも、去年も、今年も、長男にお願いされて、ちゃんと出しました。
やっぱり、クリスマスは夢があっていいですよね。
私自身、サンタクロースがいないことを知ってしまったときは、相当ショックが大きかったので、いつまでもサンタクロースを信じるような子どもであって欲しいなと思います。

私ってどんな人?2

2005-11-29 12:12:25 | 私のこと
昨日、講座の受講生さんから、こんなメールをいただきました。
彼女は、なんでも引き受けてしまって苦しんでいたので、今の私の状況を話しました。それに対してのメールです。


先生、私なんかに先生のプライベートのこんな大切なお話をさせてしまって、
本当にごめんなさい。
先生は才能も無限でそれだけでも物凄いのに、
どなたにも気遣いが凄くて、短所を探すのが本当に大変なお人です。
しいて言えば、なにもかも出来てしまう、完璧な所が短所なのかも・・。

(略)

先生はいつも、何をされるにしても、楽しんでやられているようにちゃんと
見えますよ!それは無理にそうされているんじゃないですよね?
いつか、先生が壊れてしまうのではないかと、以前からとても心配でした。
何が?どこがどんなふうに壊れるのかは説明がつかないのですが・・。
ちゃんと専門の先生に相談されているのに、私が余計な事を言ってしまって
本当にごめんなさいね。
ぜひぜひ、ご自分をいたわってくださいね!!



ちょっと、褒めすぎです!!
でも、こんな風に、受け止めてもらえることが嬉しいです。
若い頃は、とげだらけで、あっちにぶつかりこっちにぶつかっていました。
だんだん、学習して、そのとげを隠してきました。
ただ、外面は丸くなっても、内面はとげだらけで、
それを隠すのに一苦労です。
とげだらけの部分を、見せてしまったのが旦那なのかもしれません。
二人が、とげだらけで、ハリネズミの恋ですね・・・・・

この講座では、私が教えることを喜んでくださって、幸せに感じてもらっています。
転勤してきて、友達を持ってもらったり、子育てから解放されたり・・・・
○○ちゃんのお母さんのではない、そんな友達を見つけ、自分達の世界を広げられています。

そんな瞬間を、目の当たりに出来、とても癒されているんだなと思います。
誰かを幸せに出来ること、それは私にとって喜びなんだなと思います。
こんな風に、思ってくれている人がいる。それだけで癒され、励まされているなと思います。
私のこの場所を、大事にしていきたいなと思います。





2005-11-28 23:44:15 | 本箱
今、1冊の本を繰り返し読んでいます。
「子どもを生きればおとなになれる」 クラウディア・ブラック著 アスク・ヒューマン・ケア
子ども時代の喪失から、回復までのステップが書かれています。
いわばACから回復するための方法が、詳しく書かれています。
たくさんの事例に基づき、ステップによって、どのようなことを書き出せばいいのかわかるようになっています。

でも最初に、この本を読んだ時、流れはわかったのですが、自分自身の問題点についてわかりませんでした。
どのように進めればいいのか、本があっても、そこにたどり着くことが出来ませんでした。
少しずつ、本に沿って自分の気持ちを書き出していけたらと思っていたのですが、なかなか出来ずにいました。

6年~8年前、多くの本を読みながら、実際に自分のこととして結びつけることが出来なかったように、なかなか自分の感情にたどり着けないのです。
ここに書き出すことによって、カウンセリングを受けることによって、少しずつですが、本の内容が、わかるようになりました。
実際に経験できないことを理解するのは、とても難しいことです。
でも、本の内容が少しずつ理解でき、それに沿って答えが導かれるようになったのを感じ始めています。

自分と向き合うというのは、思っていたよりずっと苦しくて、辛いです。
遠い昔に過ぎてしまった出来事なのに、核心に触れるにつれて、悲しみが襲ってきます。
本当に、身が裂ける思いです。
今までにない心の痛みに、戸惑っています。
でも、本を読んでいると、今まで自分の行動で気になっていた部分の理由もわかってきます。

心の奥深くに、潜んでいた感情が、こんなにも私の心を動かし、行動させていたのかと思うと、ちょっと不思議な気持ちがします。
少しずつ、前に進めている、そう感じるだけで、嬉しい気持ちにもなります。
まだまだ、前途多難です。
ここでいただくコメントの対話の中で、光が見えてきたり・・・・・
もし、何か気付くこと、感じることがあったら、お気軽にコメントください。
それによって、少し前進できるかもしれません。
よろしくお願いします。

ちょっと休憩。。。。

2005-11-28 14:01:12 | 日々つれづれ
いっぺんに色んなこと、思い出しすぎたらダメだね。

苦しくて、苦しくて、切り裂かれそうになってしまう。

切ないって、こういうことを言うんだね。

なんでも、すぐに頑張りすぎちゃうのが悪い癖。

頑張って、頑張って褒めてもらいたかったあの頃。

結局、同じことしてるね。

頑張らなくてもいい。

深呼吸して、ちょっと休憩。

私の人生

2005-11-28 02:02:17 | 私のこと
TVドラマ「恋の時間」を見て、ちょっと切なくなくて、苦しくなった。
お姉さんの雪枝(黒木瞳)は、結婚前の私で、妹の香里(大塚寧々)は、結婚後の私みたいだから。

私は、26歳で結婚して、世間で言う、結婚適齢期に、ちゃんと結婚しているのだけれど、私の職場では、そうではなかった。
私の同期の女性は、みんな結婚していたし、一つ上の期の女性も、みんな結婚していた。
後輩も、結婚している女性がたくさんいた。
女性のほとんどは、職場結婚で(90%はそうかもしれない)結婚も早かった。
だから、結婚相手どころか、不倫をしていた私は、とても焦りを感じていた。
私は、このままなのだろうか?と。
もちろん、職を失わなければ、困ることもない。
でも、まともな恋愛一つ出来ないことを、悩んでいた。
その頃、「ピーターパンシンドローム」や「シンデレラコンプレックス」という言葉が流行っていて、本を読み漁った。

でも、ある時に私は悟りを開いた。
結婚にこだわる必要はないのではないか?
自分さえ、生き生きと生活できていれば、どんなスタイルを選んでいてもかまわないのではないか?
輝いていることが出来れば、いいのではないか?
そして、自分の老後に責任を持とうと、生命保険に加入し(それまでも職場のものに入っていたが・・・)個人年金に加入した。

職場では、英語の専門学校に行かせて貰い、仕事をしながら、海外旅行を楽しみ、充実した人生を、楽しみながら過ごそうと心に決めた。
「結婚できないかもしれない。恋愛できないかもしれない」そういう不安は、吹き飛んだ。
それでも、いいじゃない。開き直った。
旦那に出会ったのは、そんな風に思って、半年もしなかった。

こう考えてみると、私の人生って、なんだか凄いと言うか・・・・・
すべて、中途半端ではあるが、
結婚出来ないかもしれないと悩み、不倫を経験して、子供が出来ないかもしれないと悩み、働く女性の苦しみを味わい、育児と仕事の両立に悩み、鬱にもなって、流産を二回も経験して、旦那に浮気されて、今、別居して、離婚を考えている。
ここまで、色んなことを経験してしまうってどうなんだろう?

チャンスの神様は、前髪しかないらしい。だから神様を見つけたときは、さっと手を伸ばして、前髪をつかまなければ、逃げてしまうという。
私は、チャンスは逃すまいとして一生懸命に生きてきたけれど、もしかしたら、色んなものに手を出してしまったのではないか?
なんだか、色んなものを拾いすぎているような気がするのは気のせいかな?

公園にて

2005-11-26 19:44:52 | 日々つれづれ
午前中は仕事をして、長男との約束どおり、午後からは公園へ出かけた。
そこには、少年O君がいた。
しょっちゅう公園で、子供たちと遊んでいるので、私も顔なじみだ。
O君が来ると、子ども達が集まってくる。
子どもと遊ぶのがとても上手い。そして秩序を教えている。
喧嘩が始まっても、上手に仲裁に入り、お互いの気持ちを汲み取ってやっている。
長男も、O君に肩車してもらったり、ゆらゆらしてもらったりして、傍を離れない。

O君は、耳に大きな穴を開け、ゴムチューブを通していた。
私「わぁ、痛くなかった?」
O君「少しずつ、大きくしていった。」
O君「見て」とズボンをめくって足を見せる。
そこには、鯉の刺青があった。
私「それも痛かったでしょう?」
O君「こっちも、こっちも入れた。」と反対の足と腕を指差す。
私「我慢強いね~」

O君は、小学生と鬼ごっこをしたりして、疲れると私のところへ戻ってくる。
そして、ジャングルシムのてっぺんで、煙草を吸い始めた。
私「灰が落ちるから、降りて吸ってよ。」
O君「僕、未成年よ。」
私「じゃあ、堂々と吸ったらダメじゃん。(笑)もう20になったかと思ったよ。」
O君「まだ、19よ。」
私「お父さんと一緒に住んでるの?」
O君「いいや、お母さん再婚だから・・・・・・」
財布から、写真を取り出し見せてくれる。
色褪せた写真には、肌着姿の男性の膝の上に、1歳くらいの子どもが座っている。
腕には、刺青が入っている。
O君「おやじの形見。一枚きりのツーショット。この1ヵ月後におやじは死んだ。」
私「病気だったの?」
O君「自殺した。おやじにも墨入ってるでしょ?」
O君には、お父さんの記憶はないだろう。それでも大切に写真を持ち歩いているのを見ると、とても悲しかった。

指は骨折して、添木が当てられていた。
私「仕事で怪我したの?」
O君「複雑骨折。指つぶれたんよ。」
私「痛かったでしょう。切断じゃなくて良かったね。」
O君「一時は切断するって言われたよ。」
O君「見て、こんな怪我だったよ。」
携帯を取り出し、怪我の写真を見せてくれる。
私「もしかして、自分で撮ったの?」
O君「痛いって言いながら撮った。」

そして手は傷だらけだった。
私「手の傷は?」
O君「腹が立って、人は殴れないから、箪笥を殴ったら、めり込んで抜けなくなった。」
私「家の中、ボコボコにしてない?」
O君「うん、箪笥しか殴らないから・・・・・」

あちこち体中に痛みを感じながら、O君は何を考えていたのだろう。
私が、痛みを感じて嬉しかったように、O君も、痛みを感じることで、生きていることを実感しているのだろうか?
ふとそんなことを考えてしまった。

O君は、彼女のことも色々話してくれた。
私「子ども好きなんだね」
O君「だって、することないし・・・・・」
長男を膝の上に乗せ、ブランコを漕ぐO君と長男の笑顔が同じように見えた。
私「なんだか似てるよ。同じように笑ってるよ。」
O君「連れて帰ってもいい??」
O君は笑った。

公園は、O君の居場所なのかな?そう思った。
それにしても、何故か私は、こういう男の子と接点を持つことが多い。

最初は、小学校4年生の時。
家庭環境がとても複雑で、落ち着きのない男の子にずっといじめられていた。
理由は、私のことが好きだったからと後になって知る。

中学2年の時、教室でシンナーを吸う男の子を止める。
それが、きっかけなのかわからなかったけれど、長い間学校を休んでいた男の子が、突然我が家に訪れた。
「今日、鑑別出てきた。」
話したそうにしていたけれど、結局、そのまま帰っていった。

そして、先輩。
頭も良くて、サッカー部のキャプテンで、女子生徒の憧れの的で、私もその中の一人だった。
ちょっとしたきっかけで、付き合うようになった。
お兄さんは、高校へ行かず、家を飛び出していて、従兄も、大阪から出てきてフラフラしていた。
初めて抱かれた時、普段とは違う姿に驚いた。
抱かれるたびに、寂しさが伝わってきて、とても切なかった。
そして、私は自分と似てる人間だと思ってしまった。

ケーキ職人も、一族で経営していた洋菓子店だったのに、父親がお金を持ち逃げして蒸発していた。
父親の唯一の残していった車を大切に乗っていた。

教育実習をしていた時も、パソコンの授業補助に行っていた時も、傍によって来るのは、ちょっと不良っぽい生徒達だった。

好きになった相手は、不倫相手以外は、何らかの家庭の問題を抱えている人だった。
そして話をよく聞いていた気がする。
親密な関係になった女友達も、そうだった。
家庭内のゴタゴタをよく聞いた。
そして、その友達が好きになる相手も、問題を抱えている人が多かったように思う。
就職先で、仲の良かった友達の付き合っていた人は、刑務所にいた。
仕事を辞めて、何度もその人のところに行こうかと思ったと話してくれた。

もしかしたら、問題のない人なんていないのかもしれない。
問題を抱えている人ばかりなのかもしれない。
でも、普通よりも、問題を抱えている人と付き合うことが多かったような気がするのは気のせいなのか?
そして問題のある人を、ほっておけなくなってしまうのは私の悪い癖なのだろうか?

出産

2005-11-26 10:13:46 | 私のこと
若い頃から、何かあると一番に婦人科系統に不調が出ていました。
子宮内膜炎を起こして、ひどい痛みを味わったり、婦人科から離れることができずにいました。
大きな病院で、卵管が詰まっていると診断を受け、
「治療をしますか?」と聞かれました。
「治療をしなかったらどうなりますか?」と聞くと
「子どもが出来ないかもしれません」そう言われました。
でも、「治療をしましょう」ではなく「治療をしますか?」という言葉に、私はそこで治療を受ける気になれませんでした。

当時、結婚することは諦めていたのだけれど、子どもはどうしても欲しくて、違う病院で治療を受けました。
結婚した時も、すぐに子どもが出来るなんて思いもしませんでした。
子どもが出来ないかもしれない体だと思っていました。
でも、すぐに長女を身籠りました。

不倫相手は、生後直後に、赤ちゃんを亡くしました。
従妹は、5ヶ月の時赤ちゃんを死産していました。
同じように、妊娠していた職場の同僚は、出産予定日に赤ちゃんがお腹の中で動かなくなりました。
数ヶ月前に出産した同級生は、出産中にパニックになり、子どもが仮死状態で生まれてきました。
不安でいっぱいの妊娠&出産でした。

長女の出産の時、私は、産後鬱を経験しました。
出産後、激しい下痢が続き、産まれたばかりの長女と、半分隔離状態になりました。
今思えば、出産前日に嘔吐、出産当日から腹痛、産後に下痢となったので、冬ということもありロタウィルスによる嘔吐下痢症にかかっていたのではないかと思います。
でも、それに対する手当ては、行われることなく、検査と消毒が行われたのみでした。

授乳時間以外は会うことも出来ず、授乳時間も、まだ抱いていたいのに、
「お母さんが疲れるから」という理由で、さっさと連れて行かれてしました。
下痢を止めるために、てんぷらなどの食事を残せば、
「お乳が出ませんよ」と言われてしまうのです。
一人の心無い看護士の行為が、私の不安定な心を傷つけたのです。

翌日が、退院予定日でした。
同じ頃に、赤ちゃんを産んだ人たちは、日中、ずっと赤ちゃんと一緒にいて世話をしていました。
オムツの交換もしていました。
私がしていたのは、寝ていることと、お乳をあげることだけでした。
ミルクの作り方も、赤ちゃんの様子も知ることはないまま、体調も不自由分のまま、退院してしまうことに不安が生まれてきたのです。

授乳後、無理やり連れて行かれる長女を見ながら、涙が止まらなくなりました。
ずっとお腹にいたのに、突然切り離されるのは、体の一部が失くなってしまった様な感覚でした。
私のせいで、一緒に居ることが出来ないのを責めました。
今後、この子を育てていけるのだろうか、不安で不安で溜まりませんでした。
私は、一晩中泣いていました。

母が看護主任さんに、話をしてくれ、赤ちゃんのケアを教えてくれました。
もし、不安だったら、退院を伸ばしてもいいよと言ってもらいました。

私の不安が、治まったのは、その言葉ではありませんでした。
授乳に連れてこられた長女が、真っ直ぐに私を見つめ、しっかりと手を握ってたのです。
まるで、大丈夫だよと言っているように。
お腹にいるときから、長女に話しかけ、長女は私の産まれてきてもいいよって言った日に生まれてきた子です。
この子は私のことを判ってくれているのだな、通じ合えているのだなと安心しました。

長女は、穏やかな赤ちゃんでした。
もちろん夜泣きもするのですが、何か通じ合えているそんな気がしました。
これは、三人の子どもに共通するのですが、普段は、夜泣きをしたり甘えたりしてぐずぐず言っていても、私が体調が不良になると、どの子もいい子になるのです。
産後熱が出て、腹痛もあって、またまた鬱状態に陥ってしまった時も、長女は、おとなしく待ってくれていたり、長男が4ヶ月の時、食中毒になってしまった時も、私の横で、おとなしく寝ている長男がいました。
赤ちゃんには、不思議な能力があるのだと、私は信じています。

2度の流産を経験し、その時は一度も、心臓の動きを確認することが出来ずにいたので、長男の心臓がお腹の中で動いているのを見たとき、嬉しくて溜まりませんでした。
でも、それとは別に、不安も訪れました。
長男の妊娠を確認できる前に、私は、集団検診を受けていました。
バリウムを飲み、胃透視していました。
そのことによる、赤ちゃんに与える影響はゼロではないことを知りました。
頭痛薬も服用していました。

私は、自分を安心させるために、色んなところに問い合わせをしました。
普通の胃透視に比べ、検診車でのそれは、普通よりも被爆量が多いことを知りました。
旦那の言葉に我に返りました。
「もし、お腹の子に障害があるとわかれば、おろすつもりなのか?」
1度目の流産の時、なかなか大きくならず、心音も確認も出来なくても、納得できるまで、手術を受ける気になれませんでした。
可能性があるのなら、もう少し待ってみたい、何か障害があるにしても、生きて欲しいと願っていたのです。

もちろん答えはノーです。
お腹の子の生命力にかけてみようと思いました。
例え、何か影響があったとしても、生まれて来てくれるだけで、この手に抱くことが出来るだけでいいと思えたのです。
とはいうものの、産まれて来るまで、不安で不安で溜まりませんでした。
悲しいけれど、この不安を受け止めてくれる人は、誰もいませんでした。
両親は、不仲なのに3人目を作ったことを責め、子供のいない妹は、二人いるだけで充分だと言いました。
私を救った旦那も、気にしすぎだと私の性格を責めました。

出産中、長男の呼吸が止まってしまった時は、もしかしたらという思いが、頭の中をぐるぐる回りました。
産後1ヶ月の時、突然お風呂で痙攣を起こしてしまった時は、もう生きていてくれさえすれば、私はそれでいいと思えるようになりました。
私にとって長男は、ラッキーパーソンです。
長男が生まれて、少しずつ、私の運命が変わってきたような気がします。

それぞれ違う、三人の性格を見つめ、私は個性を知りました。
生まれ持った性格があるということを知ることが出来ました。
子どもの成長が、私の成長であるのだと思います。
まだまだ、未熟な母で、子ども達に教えることよりも教えられるほうが多かったりします。
それでも、お母さんでいることで、子供たちから無償の愛を与えてもらえること、幸せなのかもしれません。

気になること

2005-11-26 01:23:17 | 日々つれづれ
次女の友達のことで気になることがあります。
以前も、少し書いたのだけれど、
お父さんが、あちこち殴って、家の中がボコボコだって見せてくれた子のこと。

お父さんは、悪いことをしたら、包丁を持って脅すんだって。
お姉ちゃんは、とんかちで脅されて、本当に叩かれたんだって。

今日、次女はそう言いました。

うちで宿題をしているとき、
次女が、私にふざけて、私に「馬鹿なお母さん」といいました。

一人の子が、「私は、お母さんに、そんなこと言ったことない」そう言いました。

その子は、「そんなこと言ったら、お父さんにすごく怒られる」と言いました。

うちは、旦那がすぐ
「馬鹿」とか「死ね」とか言っていて、
私は、それを否定したり、怒ったりしているのだけれども、
子ども達は、当たり前の言葉のようになっていて、
何度注意しても、軽々しく口にしてしまいます。
ようやく長女は、口にしなくなったのだけれど・・・・・・
次女や長男は、すぐ口にしてしまいます。
私が、いくら言ったところで、止めようとしないので、
子ども達が、自分で気が付くまでは、もう何も言わずにいようと思っています。

その子のこと、次女が、作っている話なのか、
本当の話なのかは、よくわかりません。
でも、もし、それが本当であったら、
子どもにとって、どんな影響を与えているかを考えた時、
どうすればいいのか、考えてしまいます。

以前、保育園の園長先生に、虐待されている子どもの噂があるのだけれど、
どうすればいいか相談されたことがあります。
その子には、目立った外傷がありました。
私も気付いていて、
「どうしたの?」と声を掛けたことがあります。
「自転車で転んだ」その子は言いました。
すぐに通報するよりも、周りの意見を聞きたかったようでした。

私には、その母親と、話をすることしか出来ませんでした。
頂き物を持って、おすそ分けの形でその家を訪れ、自分の子育ての愚痴や旦那の愚痴をこぼしました。
同じように、子どもが3人いて、働いているので、
「大変でしょう。」と言っても
「そんなことないですよ~」と笑っていました。
結局、その事を報告しておしまいです。
その後、どんな措置をされたのかは知りません。

私に出来ることは、極力、その子に声を掛け、話をすることです。
そして、その両親に、
「○○君、よく話をしてくれるよ~」と褒めてあげています。
父親は
「○○は全然言うことを聞かないから困る。嫁さんの言うことなんか全然聞かない」とよく言います。
でも、その父親と一緒に、剣道に出かけるその子は、とても嬉しそうです。

わが子は、よそから見たらどうなんでしょう?
外でも、私達が喧嘩をしていることをよく話す次女。
お父さんが帰ってこないことを保育園の先生に話した長男。
どのように受け止められているのかわかりません。
ただ、それでもいいかなと思っています。

子ども達は、自分だけでなく、多くの大人に守られて大きくなって欲しいという思いがあります。
なので、地域の行事には、積極的に参加させています。
今は、希薄になってしまっているいわれる地域の連帯ですが、幸い、私の住んでいる所は、年配の方のパワーにあふれ、ありがたい環境です。
悪いことをしたときには、親でなくても叱ってもらい、いいことをした時も褒めてもらう。
異年齢の子と係わる中で、いいことも悪いことも、出来るだけ低年齢で経験して、乗り越える力を持ってほしい、そんな人のふれあいの中で、子どもを育てたいと思っています。

子ども達を取り巻く環境は、だんだん厳しくなっていきます。
その中で、私に何が出来るのかなと思います。
今回のようなことが本当であれば、何をどうすべきなんだろうと思ってしまいます。
傷付いているのは、もちろん子どもなんだろうけれど、今こうやって色々と考えていると、そうする親の気持ちにもなってしまい、複雑な心境です。

痛み

2005-11-25 20:30:59 | 日々つれづれ
昨日、ドアで、思い切り指を挟んだ。
失くなってしまったと思っていた感覚が、ちゃんと存在していることに気が付いた。
とっても痛かったんだけれど、痛みがあることが嬉しかった。
痛みを感じることが嬉しかった。

以前、病院で働いていた時、爪の後がぎっしりと付いた、腕を見たことがある。
私よりも、いくつか若い女の子で、よく話をして帰っていた。
何度も何度もつねって、痛みを感じることで、自分の存在を確認していたのかもしれないな、そう思った。
あの時、わからなかった彼女の痛みや苦しみは、今なら共感することが出来る。

毎回、楽しみにしていたカウンセリング。
今日は、カウンセリングを受けることにも悲観的になっていたけれど、今までで一番、カウンセリングを受けてよかったと思った。
あんなに押しつぶされてしまいそうだった心が、今、また自分の所に戻ってきたそんな気がする。
辛いけれど、苦しいけれど、自分から逃げないでいよう、また思えるようになった。

カウンセリング6

2005-11-25 11:46:03 | カウンセリング
なんだか、自分が自分でなくなったような感情を、ここ数日いだいていて、かと言って、何も出来ない訳でもなく、日常をちゃんと過ごせているのだけれど、それが、とても辛かった。
昨日、泣くことが出来なかったら、今日のカウンセリングもキャンセルしてしまいそうな気持ちだった。
それでも、やっぱり、せっかく予約したんだからと電話した。
どんな風に、今の自分の感情を伝えていいのかわからなくて、心に思いつくことをすべて話した。


先生「『離人感』が生まれてきてるんですね。消えてしまいたいとか思いますか?」

私「『失くなってしまいたい』そんな気持ちです。」そう答えた。
今までと違う感情に、私はとても戸惑っていた。

先生「こういう状態を良いと思いますか?」

私「揺れないということは、いいと思う。だけど、感情が生まれてこないことはつらい。
焦りもイライラすることはマイナスだったけれど、焦りによって生まれてくるものもあって、それがないことは、プラスではない。」

先生「退屈なんですね」

私「?」

先生「退屈な状態って好きでしたか?」

私「いいえ、好きではありません(笑)」

先生「共依存って、感情も思考も忙しい状態なんですよ、子どもより、手が掛かる大きな子供がいて、それの世話をしてるというのは・・・・
それで埋められていたものが無くなって、穴が開いた感じですよね?それを受け止めるのはいいと思いますか?悪いと思いますか?」

私「いいことだと思います。(惑)」

先生「空虚を受け止めることで、成長していくんですよ。その空虚を埋めたくてアルコールなどに依存するのは、結局は破滅でしかなくて、それは単なるすり替え行為に過ぎないんです。
空虚と向き合う中で、何かを見つめる。一人で生きていくこと、自分で生きていくことっていうの寂しいんです。
今まで、ばく進し続けたのに、今までと違う気持ちに気付いて、今までは、とても強いパワーで色々な事をしてきて、寂しさを埋めてきたんだということに気が付くのは大事なことです。
自分を大事に、自分を抱きしめてあげて、それを上手く埋めていくことが、回復へのステップなんですよ。」

今、私が抱いている感情は、間違ったものでも、おかしいものでもなく、回復の過程なんだと説明してもらって、とても安心しました。
今までと違う感情が生まれてくることに、戸惑って、こんな感情だから、上手く行かないのかもしれないって自分を責めて、でも、それも感情的ではなく、淡々とした気持ちでいて・・・・

先生「虚脱感が寂しさに、そして何かに変わる過程をしっかりと見つめてください。辛いけれど、それをじっくりと体験することはすばらしい経験になります。
自分を大事にして、自分をしっかりと抱きしめてあげてください。
自分が楽になるには、何年も掛かります。それで対等な関係になれるのです。」

先生「『離人感』を持ちながらも、子どものことも仕事も出来ている、生活に適応できているのだから100点ですよ。」

認めてもらえるって、嬉しいことだな、そう思った。
今までと違った感情を抱くことで、不安でたまらなかった思いを、肯定に変えてもらって、とても楽な気持ちになれた。
あんなに迷ってた、カウンセリング、受けて良かった。

水風船

2005-11-24 14:55:16 | 日々つれづれ
ここ数日、心の中に、水風船を抱えているようだった。
不感症になってしまったかのように、動じず、それが不安だった。
そして、だんだん重くなっていく心。
月曜日は、本当に鬱状態で、抜け出せなかったらどうしようかと思っていた。
何かの弾みで、パシャンと割れてしまいそうだった。
今までの、胸のつかえとは、また違う、どんより重たい感じ。

数日間、感じることも、吐き出すことも出来ずにいた。
自分と向き合うことも出来ずにいた。
感じないことは、ある意味、とても楽なのだけれど、これじゃあ嫌だと思った。
感情がなくなってしまった、そんな感じだった。
笑うことも出来るけど、何かが違っていて、今までなら、焦るはずなのに、焦ることもなく、飄々としている自分が、何か違和感だった。
泣いたら、楽になれた。
心の中の重たい水風船が、無くなった。

感情を持ってしまうことは、時に、苦しいけれど、感じないことも辛いな。
今は、自分と向き合いながら、流されてみよう。心の向くままに。

ようやく泣けた

2005-11-24 12:44:17 | 私のこと
私から彼と連絡取らなくなっても、彼からは、相変わらずメールが届いていて、暖かい気持ちに包まれていたけれど、このままが続くわけでもない。
彼の優しさに包まれ、抱きしめられるような日々を過ごしてみたかったけれど、私にはそれに踏み込む勇気もなかった。

彼は、子供が一人いる女性と、周囲に反対されながら結婚した。
子どもが生まれ、そして、家族のために一生懸命過ごし、そして離婚していた。
彼の話を聞いていると、こんな人と一緒に居たら、幸せだろうなと思った。

彼とは、趣味の話もしたし、もしかしたら、一緒に仕事することも出来るなと思った。
一緒に、ご飯のメニュー考えて、一緒に買い物に行って、一緒にご飯作って・・・
そんな風に、暮らせたら楽しいねって話していた。
子ども達と一緒に釣りに行って・・・・・
今まで、夢見た生活が、彼となら出来ると思った。
何か困ったことがあっても、話を聞いて、分かち合ってくれて、そんな生活が出来ると思った。

けれど、別れた奥さんは、何もしてくれなかったと言ったそうだ。
もしかしたら、私も、彼と過ごしたとしても、優しさに包まれたとしても、彼にどんなに愛されようとも、やっぱり言ってしまうかもしれない。
今の私のままだったら、彼の気持ちにさえ、甘えることも出来ないまま、愛を求めるばかりで苦しくなってしまうだろう。

そう思うと、私に出来ることは、ここを教えることだけだった。
彼に、待って欲しいとか、傍にいて欲しいとか、話し相手になって欲しいとか、そんなこと求める資格なんてないと思ったから。
彼の人生の中で、私に足止めされることは、決してプラスになるなんて思えなかった。
この先どうなるかわからない、決めることすら出来ない私のために、彼の大切な時間を、弄んでしまうことは嫌だった。

そして、2週間ちょっと前、彼からメールが届いた。
「ねこちゃん。さようなら。短かったけど本当、会えてよかった。彼女が出来たわけではないけど、やっぱり今の状態は、淋しい、どこか深い海に沈んでしまいたくなる。今までありがとうね。ねこちゃんも頑張ってね。」
何も感じなかった。感情が止まってしまったみたいに。なんで泣けないんだろうと思った。
でも、これでいいんだと思った。こうするしかないんだと思った。



今、浜田省吾の「Thank you」聞いていて、急に彼のこと思い出して、涙が止まらなくなってしまった。

今も君がこの世界に生きていることにThank you

まるで君は自分を燃やして辺りを照らす太陽
燃え尽きることなんてないと思ってた

今も君がこの世界に生きていることにThank you



彼に会うまでは、こんなにも自分自身の弱さを話したこともなくて、それでも彼は、一生懸命に話を聞いてくれて、受け止めてくれようとしていた。
逢ったこともない相手なのに、必死で支えようとしてくれていた。
こんな風に、誰かのこともう一度好きになりたいな、そう思わせてくれた。
彼との出会いがあったからこそ、今こうして、自分と向き合える私がいる。
本当にありがとう。
上手く言葉に出来ないけれど、私もあなたに出逢えてよかった。

もう、たぶん、ここを見てくれていることはないと思う。
だけど、私が、こうしているきっかけを作ってくれたのは、彼だから、彼のことちゃんと書いておきたいと思った。