今日は、夢の話から…
夢の話をしていると、ブログを書いた時には、湧いてこなかった感情が溢れてきました。
泣きながら、子どもの自分になってしまいそうなのを引き止めながら、ゆっくり話していきました。
被害者に成り下がりたくはないのに、こうやって被害者に成り下がってしまってること、辛い思いをさせたほうは、罪の意識がないことに対する腹立ちを話しました。
もう一年以上も経っているのに、幽霊みたいなものに覚えてる自分が嫌なことを話しました。
前回のカウンセリングで、学校が始まって、生活が落ち着いたら、旦那への気持ちと向き合ってみることを提案されていました。
でも、私の中で、今こうやって問題が浮上してきたことは、話すチャンスなんだなぁと思いました。
10月から、新しい挑戦が始まる。
その時、旦那との関係に、私が向き合うことなしに、深層に抑圧したままでいるということは、これと同じことを繰り返すことになる。
いつ向こうが痺れを切らせて、強引なことをしてくるかわからない状況であり、きちんと向き合って、信念みたいなものを持たないと揺らぐ。
カウンセラーにそう言われました。
二人の価値観の違いを考えてみましょうと提案されました。
☆旦那の価値観
権力主義
肩書き、階級、貧富、障害など、目に見えるものを大切にする。
支配したい気持ちがある。
自分の気持ちを優先する。
自分が一番大事
☆私の価値観
目に見えるものではなく、本質を大切にしようとする。
肩書きなど目に見えるものに、とらわれない。
(旦那に比べてではなく、普通よりも気にしないほうだと思う)
相手よりも、成り下がってしまう。
カウンセリング中に、思い出すことはなかったけれど、結婚前の一つのエピソードを思い出しました。
私たちは、職場結婚でした。
たまたま階級の高い人たちと一緒に仕事をすることが多かった私は、旦那の招待者より多くの階級の高い人たちを呼ぶことになっていました。
私にとっては、そういう人たちと知り合いだということを、他の招待者に対して見せつけようとか、そんな気持ちではなく、私を大切にしてくれた人が、たまたまその階級だったということだけでした。
そのことを、旦那は心良く思っていませんでした。
旦那は、県知事の立候補者の名前を挙げ、
「父ちゃんが、選挙で当選したら、あの人を呼ぼうと言っていた。」
そんなことを言っていました。
もし私だったら、その人に本当に来て欲しいと思っているのなら、選挙に当選しようが、落選だろうが、同じように招待すると思いました。
結婚式の招待者や席次に揉め、もう結婚式なんてうんざりだ、そんな風に思いました。
私にとっては、列席者の階級など関係ありませんでした。
私の結婚を心から喜んでくれる人に、出席してもらいたかったのです。
もちろん、出席される方々が居心地悪くなるのではいけないから、席次にはそれなりに心配りしましたが・・・
結婚式の3日くらい前、
「お前の親戚に、議員さんとかいるのか?」旦那は、そう聞いてきました。
それを聞いた、うちの両親は
「そんなこと関係ない。
身分がどうであるとか、そんなので呼ぶのではない。
同じように扱えないのか?」怒りました。
親戚に、議員はいました。
県外の議員であることを告げると、
「じゃあ関係ない。」旦那はそう言いました。
「そんなことばかり気にして結婚するのなら、私はこの結婚をやめる。」
私は、きっぱり旦那に言いました。
身分や家柄、そんなことで人を判断することは大嫌いでした。
翌日、考え直してくれと旦那は頭を下げました。
職業柄、歪んでいることも知っていたので、こうやって気がついてくれたのなら、それでいいと私は許しました。
結局、結婚前に気付いていた旦那の問題点を、好きという気持ちで私はうやむやにしていたのでした。
舞い上がってしまうと相手の問題点と向き合うことなく、逆に自分の問題とすり替えてしまっているのです。
「11年半の結婚生活の中で、ご主人の良かったところってどんなところ?」
カウンセラーに聞かれました。
わずか2年足らず一緒に暮らした猫のみーちゃんでさえ、いなくなった寂しさを感じることが出来るのに、居てくれたら良かったと思うことが一つもないことを話しました。
「それでも、ねこさんにとって、ご主人と結婚した意味があるんだよ。それについて考えてみよう。」そう言われました。
旦那と結婚したお陰で、自分の持っている問題に気がつけたこと。
30年間生きてきて、知ることのなかった自分が子どもになってしまうことに気がつけたこと。
旦那に罵倒され、何も出来ない子どものように、ただ大声で泣き喚いたこと。
自分は、どこか精神的に障害を持っているのではないかと感じたこと。
旦那にボロボロにされ、それなのにそのまま仕事に行こうとする旦那に
「私が悪かったから、行かないで」としがみついてる私が居たこと。
子どもを持ち、旦那と似た姿に、このままでは旦那のようになってしまうと、子どもを支配しようとしたこと。
自分の子どもの時と比べ、子どもがこうなのは旦那のせいなんだと思い込んだこと。
でも、3人の子どもを持ち、それぞれ違うこと、男女差もあることに気付くことが出来たこと。
もし借りに、私に一人の子どもしか与えられなかったら、子どもをボロボロにしていたかもしれないこと。
3人の子を与えてもらったお陰で、私は色んなことに気付くことが出来たこと。
そして、子どもの本来の姿は、自由気ままで、自己中心的で、子どもが旦那に似たのではなくて、旦那がそういう子どものままなのだということに気がつけたことを話しました。
「ご主人からの給料で生活を賄ってることについてはどう思うか?」聞かれました。
少なくとも、もし旦那の協力があったのなら、私は仕事を辞めなくても良かっただろうし、そのまま続けていれば、旦那よりも多いかもしれない収入があったかもしれない。
私が、辞めただけであって、旦那が辞めても良かった。
今こうして、次のステップへの準備をしているのは、自分のためだけでなく、子ども達の将来をも考えてのこと。
その間、お金を貰うのは当然の権利だと思っている。
そう話しました。
「旦那の給料に依存しているのだと思って自己実現するのと、権利だと思って自己実現するのとは大きく違うからね」と言われました。
「この先、ご主人がどのような行動を取ってくるか、いくつかのパターンを考えてシュミレーションしていきましょう。」そう言われました。
そうすることによって、夢を見ることもなくなるからと・・・
カウンセリングの一番最初に、前回のカウンセリングで旦那のことを余地があると言われて、自分が悪いと感じてしまったこと、そういう風に、1か10かで判断してしまう自分を感じたことを話していたので、
「一週間辛かったね。」そんな風に、仰ってくださいました。
一週間辛かったのではなくて、夢を見たのは最近のこと、カウンセリングでの話が原因なのかどうかはわからないこと、他の問題がクリアになっていったから、旦那との問題が浮き上がってきたんじゃないかと思うことを話しました。
「普通は、他の問題がクリアになると自分の問題が浮かび上がってくるのにねぇ・・・」と爆笑されました。
今回のカウンセリングの中で、何度か
「それは、ご主人の問題でしょ。」そんな風に言われました。
でも、私には、いまいちその線引きがよくわかりませんでした。
旦那の問題も自分の問題のように思ってしまうところがあるみたいです。
その辺りを、しっかりと見つめて、境界線の引き直しをしなければいけないのかなと思いました。
カウンセリングが終わってぐったりでした。
秋の空のように感じていた私の心は、重くどんよりとしてしまいました。
カウンセリングを受けたら楽になるなんて嘘です。(笑
斎藤学先生が、ワークショップの時に、
「楽になって帰ろうなんて思っちゃダメだよ。
今、抱えてる問題を宙吊りにするのが、カウンセリングなんだから・・・」
そんな風に言われました。
まさに、その通りだと思います。
でも、どんよりした気持ちで、誰にも逢いたくなかったのに、行く予定だったPTAのソフトバレーの練習に出掛けました。
中学校の時に、バレー部に所属していて、しかもみんなの邪魔になるから補欠がいいなんて思っていたのに、ずっとバレーに参加したくてたまりませんでした。
ようやく自分の思いが実現したから出掛けました。
久しぶりのバレーは、めちゃくちゃ楽しかったです。
「ソフトバレー初心者なんで、みんなに迷惑かけると思うけどよろしくね~」なんてはしゃいでいました。
でも、思いのほか、手も足も動きました。
身体が勝手に反応しているのに気がつきました。
習慣というのはこういうものなのだ・・・そんな風に感じました。
何かの部に所属しなければいけない。
やる限りには、真面目に出席しなければいけない。
いじめられても、休まずに出続けたクラブ。
でも、今こうして楽しむことが出来るのは、あの時、頑張った私がいたお陰だな、そんな風に感じました。
身体を動かして、声を出して、笑っているうちに、どんよりとした気持ちが軽くなりました。
中学時代の私から、プレゼントを貰った気持ちになりました。
そして、あの時の私に、頑張っていた意味を与えることも出来ました。
あの時の私に負けないように、頑張ってみようかな、そう思いました。
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