私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

ゆっくりと・・・

2006-09-29 12:42:26 | 私のこと
たくさんのコメントを頂きありがとうございました。
昨日は、バスに乗ってのんびりと小旅行してきました。
5時間足らずの旅でしたが、心が穏やかになっていくのを感じました。

思えば、物心付いた頃から、一人でふらふらと出掛けていました。
もしかしたら逃避行だったのかもしれませんが、それでも現実の自分から逃れて、自分をリセットする為の大切な時間だったのかもしれません。

結婚して、そんな時間を忘れていました。
旦那が働いている時間に、遊んではいけない、子どもが学校で頑張ってるのに、怠けてはいけないと、そんな風に考えていました。
何か理由をつけないと、自分のことが出来なかったのです。
それどころか、毎日のようにランチに出掛ける主婦達の姿を少し軽蔑した気持ちでいることもありました。

でも、子どもを送り出して、子どもが帰ってくるまでのわずかな時間でも、こうやってゆっくりと自分を取り戻していくことも、大切な時間の過ごし方なんだと改めて感じました。
時には、もう一人の自分になって、何かを楽しむことも、演じることもいいんじゃないかなと思いました。

昨夜は、子ども達が寝付いたあと、友達に誘われ、近くの居酒屋に出掛けました。
子どもだけを家に残している罪悪感を完全に消し去ることは出来ませんでしたが、たまにはこうやって、夜を過ごすのもいいんじゃないかなと思いました。
友達とお酒を飲んで、馬鹿笑いして・・・
そうやって過ごすことも必要なんだなと思いました。

自分を許すということは、他者を許すことにも繋がるのだなと思いました。
自分を縛っていたものは、いったいなんだったんだろう、そんな風に感じたのでした。



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ありがとうございます

2006-09-28 01:10:46 | 独り言
たくさんのコメントをありがとうございます。
そして、見守ってくださってる方々も、あらためてありがとうございます。

今回のことで、思ったこと。
まだまだ私は、自分のことを許せていないんだなということ。
旦那のメールに揺れてしまう自分を、パニックを起こしてしまう自分を、取り乱してしまう自分を、軽蔑している私がいるんだということ。

それなのに、誰かに自分の気持ちをわかって欲しくてたまらないこと。
自己否定しているくせに、人には認められたい。
矛盾している思いを抱いていること。

私を救ってくれるのは誰かではなくて、自分なんだっていうこと。
しっかりと自分と向き合わないといけないこと。

カウンセリングでの電話のやり取りも、結局は対応した相手は、すべてわかっていての態度だったのかもしれません。
逃げ場を作ると、向き合うことから逃げるから・・・

でも、ここでコメントを頂いたこと、とても励みになりました。
なかなか自分と向き合えませんでしたが、向き合うことから逃げずにいられました。
本当にありがとうございます。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
一緒に歩いていって頂ければうれしいです。




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アンブレラ

2006-09-27 23:39:19 | メッセージ
君にそっと降る雨避けて あげれる僕でいたいから
やがて止んだその後でもね 隣でぎゅっと手を握っていたいから

明るく振舞う君の奥には 寂しさがいることはわかるよ
仕事帰り道 雨模様 何が出来るかを考えたよ

例えば泣けずに水たまりが できるくらい涙がたまるなら
君を笑わせる 笑顔映してみる そしてこれ以上悲しむことないように

君にそっと降る雨避けて あげれる僕でいたいから
やがて止んだその後でもね 隣でぎゅっと手を握っていたいから

幸せな日々と死にたい日々が 代わる代わる人を取り巻くけど
この世にいる意味探してく 24時間キョロキョロしてる

もしも心打ち砕かれて バラバラになるその前には
めんどくさがらず 教えてみてよ こんな僕でも何か伝えれるから

君が君でいられることが 何より生きてく意味に変わる
やがてきっと心の隅に笑顔生まれる それに気づけますように

アスファルトこぼれて消えた 滴のように悲しみが
君を避けて通るように 肩が冷たく震えないように

君にそっと降る雨避けて あげれる僕でいたいから
やがて止んだその後でもね 隣でぎゅっと手を握っていたいから


「ゼロへの調和」アンダーグラフ

パニック続行中

2006-09-27 20:34:32 | 旦那への気持ち
メールを見てからは、ずっと気分が滅入ってる。
子どもの世話も、わずらわしい。
自分自身が、子どもになってるんだから、世話なんてしたくないのが正直なところ。
昨夜は、息苦しくて、喉が詰まって、呼吸が出来なくて、発狂してしまいそうだった。
思い出してソラナックスを0.2mg飲んだ。
誰かにすがりつきたくてたまらない。

夜、長男を寝かしつけてると、そのまま寝てしまい12時半に目が覚めた。
いいようのない不安に襲われ、寝る前にと出されていた0.8mgをそのまま服用。
そのせいもあって、朝までぐっすりというか、起きるのがやっとで、起きても真っ直ぐ歩くことすら出来なかった。


カウンセリングを受けてみようと思い、電話を掛けると、担当に確認するので10時半に掛け直して欲しいとのこと。
10時半に、掛けて直しても、話が通じない。
時間を指定したのなら、誰が出ても判るようにしておくのが筋じゃない?と怒りが込み上げてくるけど、口には出せず・・・
予約がいっぱいとのことで、一度は電話を切った。

運動会に来るということを想像するだけで、悲鳴が上がりそうになる。
このまま、その日を迎えられないと思い、もう一度、誰でもいいから話をさせて欲しいと電話をした。
担当制になってるから無理と言われ、伝言なら伝えることが出来ますとのこと。

伝言なんて言われても、伝言したからと言ってどうなるとと思う。
でも、泣きじゃくって話が出来なくて、そしたら

「泣いておられたことを、お伝えしますか?」
そんなこと伝えてもらってどうなると言うことでもない。

とにかく状況だけと思って話をする。

「かかりつけの医者はないのですか」
あくまでも事務的。

以前、病院に行って、男はそういうものだみたいなことを言われたことを伝えると

「女医さんのほうがいいかもしれませんね。」

泣きじゃくって、すみませんを連発しか出来ない私に、

「すみませんって言われたことをお伝えすればいいですか?」

もういいです。すみませんでした。
と電話を切った。

取り乱してしまう自分が嫌で嫌でたまらなくて、そんな自分を引き裂いてしまいたくなる。
電話なくかするんじゃなかった。
本当にしんどい辛い時、苦しい時に、対処してもらえないっていうのはどうなんだろう。
カウンセリングに対しても、不信感をいだいてしまった。


でも、その後、どうしようもない気持ちでいると電話が鳴った。
友達からだった。
誰とも話したくない気分だった。
やっとの思いで、電話に出ると、昨日のブログを読んで心配してくれていた。
とても嬉しくて、ありがたかった。
話しているうちに、少しずつ正常心に戻った。

電話を切った後、その勢いで旦那にメールを書いた。

「私は、いまだにトラウマを抱えて生活しています。
あなたのことを考えることも、あなたに似た人を見ることでも、パニックを引き起こします。
本当に子ども達を大切に考えてくれているのなら、私が平穏に暮らせるよう、運動会には来ないでください。」

でも、また不安は押し寄せてくる。
絶対にするまいと思っていたのに、次女に運動会の日にちを教えたのか問い詰め、責めてしまった。

自分と向き合うなんて出来ない。
そんな自分を引き裂いてしまいたい思いを、押し殺すのがやっと。




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パニック

2006-09-26 20:51:04 | 旦那への気持ち
この休みの間に行われる小学校の運動会を見に行くとメールが来た。
もうそれだけで、苦しくなる。
どうすればいいのかわからなくなる。



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カウンセリング47

2006-09-25 16:19:11 | カウンセリング
今日は、夢の話から…
夢の話をしていると、ブログを書いた時には、湧いてこなかった感情が溢れてきました。
泣きながら、子どもの自分になってしまいそうなのを引き止めながら、ゆっくり話していきました。

被害者に成り下がりたくはないのに、こうやって被害者に成り下がってしまってること、辛い思いをさせたほうは、罪の意識がないことに対する腹立ちを話しました。
もう一年以上も経っているのに、幽霊みたいなものに覚えてる自分が嫌なことを話しました。

前回のカウンセリングで、学校が始まって、生活が落ち着いたら、旦那への気持ちと向き合ってみることを提案されていました。
でも、私の中で、今こうやって問題が浮上してきたことは、話すチャンスなんだなぁと思いました。

10月から、新しい挑戦が始まる。
その時、旦那との関係に、私が向き合うことなしに、深層に抑圧したままでいるということは、これと同じことを繰り返すことになる。
いつ向こうが痺れを切らせて、強引なことをしてくるかわからない状況であり、きちんと向き合って、信念みたいなものを持たないと揺らぐ。
カウンセラーにそう言われました。


二人の価値観の違いを考えてみましょうと提案されました。

☆旦那の価値観
 権力主義
 肩書き、階級、貧富、障害など、目に見えるものを大切にする。
 支配したい気持ちがある。
 自分の気持ちを優先する。
 自分が一番大事
 
☆私の価値観
 目に見えるものではなく、本質を大切にしようとする。
 肩書きなど目に見えるものに、とらわれない。
 (旦那に比べてではなく、普通よりも気にしないほうだと思う)
 相手よりも、成り下がってしまう。

カウンセリング中に、思い出すことはなかったけれど、結婚前の一つのエピソードを思い出しました。
私たちは、職場結婚でした。
たまたま階級の高い人たちと一緒に仕事をすることが多かった私は、旦那の招待者より多くの階級の高い人たちを呼ぶことになっていました。
私にとっては、そういう人たちと知り合いだということを、他の招待者に対して見せつけようとか、そんな気持ちではなく、私を大切にしてくれた人が、たまたまその階級だったということだけでした。

そのことを、旦那は心良く思っていませんでした。
旦那は、県知事の立候補者の名前を挙げ、
「父ちゃんが、選挙で当選したら、あの人を呼ぼうと言っていた。」
そんなことを言っていました。
もし私だったら、その人に本当に来て欲しいと思っているのなら、選挙に当選しようが、落選だろうが、同じように招待すると思いました。

結婚式の招待者や席次に揉め、もう結婚式なんてうんざりだ、そんな風に思いました。
私にとっては、列席者の階級など関係ありませんでした。
私の結婚を心から喜んでくれる人に、出席してもらいたかったのです。
もちろん、出席される方々が居心地悪くなるのではいけないから、席次にはそれなりに心配りしましたが・・・

結婚式の3日くらい前、
「お前の親戚に、議員さんとかいるのか?」旦那は、そう聞いてきました。
それを聞いた、うちの両親は
「そんなこと関係ない。
 身分がどうであるとか、そんなので呼ぶのではない。
 同じように扱えないのか?」怒りました。

親戚に、議員はいました。
県外の議員であることを告げると、
「じゃあ関係ない。」旦那はそう言いました。
「そんなことばかり気にして結婚するのなら、私はこの結婚をやめる。」
私は、きっぱり旦那に言いました。
身分や家柄、そんなことで人を判断することは大嫌いでした。
翌日、考え直してくれと旦那は頭を下げました。
職業柄、歪んでいることも知っていたので、こうやって気がついてくれたのなら、それでいいと私は許しました。

結局、結婚前に気付いていた旦那の問題点を、好きという気持ちで私はうやむやにしていたのでした。
舞い上がってしまうと相手の問題点と向き合うことなく、逆に自分の問題とすり替えてしまっているのです。


「11年半の結婚生活の中で、ご主人の良かったところってどんなところ?」
カウンセラーに聞かれました。
わずか2年足らず一緒に暮らした猫のみーちゃんでさえ、いなくなった寂しさを感じることが出来るのに、居てくれたら良かったと思うことが一つもないことを話しました。
「それでも、ねこさんにとって、ご主人と結婚した意味があるんだよ。それについて考えてみよう。」そう言われました。

旦那と結婚したお陰で、自分の持っている問題に気がつけたこと。
30年間生きてきて、知ることのなかった自分が子どもになってしまうことに気がつけたこと。
旦那に罵倒され、何も出来ない子どものように、ただ大声で泣き喚いたこと。
自分は、どこか精神的に障害を持っているのではないかと感じたこと。
旦那にボロボロにされ、それなのにそのまま仕事に行こうとする旦那に
「私が悪かったから、行かないで」としがみついてる私が居たこと。

子どもを持ち、旦那と似た姿に、このままでは旦那のようになってしまうと、子どもを支配しようとしたこと。
自分の子どもの時と比べ、子どもがこうなのは旦那のせいなんだと思い込んだこと。
でも、3人の子どもを持ち、それぞれ違うこと、男女差もあることに気付くことが出来たこと。
もし借りに、私に一人の子どもしか与えられなかったら、子どもをボロボロにしていたかもしれないこと。
3人の子を与えてもらったお陰で、私は色んなことに気付くことが出来たこと。

そして、子どもの本来の姿は、自由気ままで、自己中心的で、子どもが旦那に似たのではなくて、旦那がそういう子どものままなのだということに気がつけたことを話しました。


「ご主人からの給料で生活を賄ってることについてはどう思うか?」聞かれました。

少なくとも、もし旦那の協力があったのなら、私は仕事を辞めなくても良かっただろうし、そのまま続けていれば、旦那よりも多いかもしれない収入があったかもしれない。
私が、辞めただけであって、旦那が辞めても良かった。
今こうして、次のステップへの準備をしているのは、自分のためだけでなく、子ども達の将来をも考えてのこと。
その間、お金を貰うのは当然の権利だと思っている。
そう話しました。

「旦那の給料に依存しているのだと思って自己実現するのと、権利だと思って自己実現するのとは大きく違うからね」と言われました。
「この先、ご主人がどのような行動を取ってくるか、いくつかのパターンを考えてシュミレーションしていきましょう。」そう言われました。
そうすることによって、夢を見ることもなくなるからと・・・

カウンセリングの一番最初に、前回のカウンセリングで旦那のことを余地があると言われて、自分が悪いと感じてしまったこと、そういう風に、1か10かで判断してしまう自分を感じたことを話していたので、
「一週間辛かったね。」そんな風に、仰ってくださいました。
一週間辛かったのではなくて、夢を見たのは最近のこと、カウンセリングでの話が原因なのかどうかはわからないこと、他の問題がクリアになっていったから、旦那との問題が浮き上がってきたんじゃないかと思うことを話しました。
「普通は、他の問題がクリアになると自分の問題が浮かび上がってくるのにねぇ・・・」と爆笑されました。

今回のカウンセリングの中で、何度か
「それは、ご主人の問題でしょ。」そんな風に言われました。
でも、私には、いまいちその線引きがよくわかりませんでした。
旦那の問題も自分の問題のように思ってしまうところがあるみたいです。
その辺りを、しっかりと見つめて、境界線の引き直しをしなければいけないのかなと思いました。


カウンセリングが終わってぐったりでした。
秋の空のように感じていた私の心は、重くどんよりとしてしまいました。
カウンセリングを受けたら楽になるなんて嘘です。(笑
斎藤学先生が、ワークショップの時に、
「楽になって帰ろうなんて思っちゃダメだよ。
今、抱えてる問題を宙吊りにするのが、カウンセリングなんだから・・・」
そんな風に言われました。
まさに、その通りだと思います。

でも、どんよりした気持ちで、誰にも逢いたくなかったのに、行く予定だったPTAのソフトバレーの練習に出掛けました。
中学校の時に、バレー部に所属していて、しかもみんなの邪魔になるから補欠がいいなんて思っていたのに、ずっとバレーに参加したくてたまりませんでした。
ようやく自分の思いが実現したから出掛けました。

久しぶりのバレーは、めちゃくちゃ楽しかったです。
「ソフトバレー初心者なんで、みんなに迷惑かけると思うけどよろしくね~」なんてはしゃいでいました。
でも、思いのほか、手も足も動きました。
身体が勝手に反応しているのに気がつきました。
習慣というのはこういうものなのだ・・・そんな風に感じました。

何かの部に所属しなければいけない。
やる限りには、真面目に出席しなければいけない。
いじめられても、休まずに出続けたクラブ。

でも、今こうして楽しむことが出来るのは、あの時、頑張った私がいたお陰だな、そんな風に感じました。
身体を動かして、声を出して、笑っているうちに、どんよりとした気持ちが軽くなりました。
中学時代の私から、プレゼントを貰った気持ちになりました。
そして、あの時の私に、頑張っていた意味を与えることも出来ました。
あの時の私に負けないように、頑張ってみようかな、そう思いました。


コメントいただいているのにお返事できなくてごめんなさい。
またゆっくりとお返事させていただきます。




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DVは犯罪だ!

2006-09-24 14:27:19 | 旦那への気持ち
前回、カウンセラーに、旦那のことをやり直す余地のある人と言われてから囚われている私がいる。
また別の記事で書こうと思うが、私の中で抱えているKさんのことも、ネットで知り合った相手のことも、気持ちの整理がついた。
自分の中で、しっかりとした軸が一本出来たという感じ。
心の中で、他のことがクリアになると、いつも浮かび上がってくるのが旦那との問題なのだ。
たぶん、それに向かい合いたくなくて、様々な問題を抱えたいと願っているのかもしれない。

昨夜、夢を見た。
毎回、同じような夢。
朝起きると、旦那が部屋にいた。
どうやって入ったかと聞くと、鍵をぶち壊したと、にやっと笑った。
もう、それだけで金縛りにあったようになってしまう。
別に、私に向かって何をするのでもない、そこにいることが恐怖なのだ。
家は、今、住んでいるところではなくて、古い二階建ての建物だった。
慌てて玄関に行くと、玄関の鍵が見事に壊れていた。

110番すると警察官がやって来た。
壊された鍵の部分の被害届けと、旦那を連れ出して欲しいと頼んだ。
手錠をはめられ、警察官に連れられながら、
「おまえが、電話して取り下げれば、釈放になる。」と旦那は言った。
「そうしてあげてください。」警察官も言った。


そうじゃない。
DVを受けて、身体の傷はわずかで、直ぐに治ったかもしれないけど、そんなもんじゃないんだ、そう思った。
1年間も、会っていない、被害を受けてもいないのに、未だに苦しんでいる。
それは、幽霊みたいに、根拠も何もないけれど、被害妄想だと言われればそれまでだけど、それでも怖くてたまらないんだ。
それが、DVの被害者の気持ちなんだ。
加害者から見ても、傍から見ても、終わったことじゃないかと思えるかもしれない。
でも、違う。
心の傷が癒えぬ限り、被害者にとっては終わったことなんかに出来ないのだ。

こんな時に限って、スーパーに行くと、旦那と似た風貌の男性に二人も出会う。
会うたびに、心臓が高鳴って、息苦しくて、吐き気がする。
いつまで私は、こんな幽霊みたいなものに、怯え続けなくちゃいけないんだろう。
いつになったら、何にも気にせずに、眠りにつけるんだろう。
怯えることなく、生活することが出来るんだろう。
同じ思いを何度繰り返せば楽になれるんだろう。
どうやったらこの現実を、理解できない人に、理解させることが出来るんだろう。

DVは犯罪だ。
なのに、他の犯罪に比べて、加害者には罪の意識がない。
そして世間も、犯罪者として見ることはほとんどない。
でも、それが、どんなに被害者の心を傷つけているか、わかるだろうか。
犯罪は、犯罪として認められ、犯罪者として戒められることがなければ、この犯罪はどんどんと増えていく。
犯罪者として恥ずかしい思いをしない限りは、罪の意識を持つことなんて出来ないのだ。
どうして被害者よりも、加害者の方が、堂々と生きているのだろう。
そんなの絶対におかしい。



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地雷

2006-09-22 10:14:15 | 旦那への気持ち
無意識の感情(子どもの自分)になるトリガーになる地雷がたくさんあるのだと思う。
例えば、精神的DV or モラルハラスメントのチェックポイント。
もしかしたら同じようなことが行われていても、平気というか受け流すことが出来る人とそうじゃない人がいるのかもしれない。

私は、自分がまだ一人で何も出来ない時から、このチェックポイントと同じような支配を親からされてきた。
どうしようもなくて悲しい気持ちを、心の中に貯めてきた。
同じようなことを、旦那に言われるたびに、辛い思いになった。
もし、自己肯定感の強い人間だったら、受け流すことが出来るのではないか・・・
きちんとした怒りで、対処できるのではないか・・・そんな気がする。

たくさんの地雷があって、旦那が踏む。
結局は、親と同じ支配的な旦那の姿にもがき苦しむ。
運良く、地雷を踏まない人を選べば、地雷があることにすら気がつかないまま暮らしていたかもしれない。
地雷を踏まれるたび、何故こんなに悔しい気持ちになるのか、わけもわからない怒りが込み上げてくるのか、ずっと疑問に思っていた。
冷静に考えれば、受け流せることかもしれないのに・・・
「相手にしなければいい」何度、心に思っても、それに反応してしまう自分がいた。
それは「今の自分」ではなくて「過去の自分」の叫びだったのかもしれない。

長女が生まれてから、私が仕事を変わってから・・・
旦那の態度はだんだんと変わっていった。
私は、旦那の地雷を踏んだのだろう。
愛情深いおばあちゃんはいたけれど、両親には放置されて育った旦那。
子どもより仕事を優先にした両親。
旦那よりも子どもを、旦那より仕事を、大切にすると感じ、地雷が爆発し続けたのだろう。

お互いはお互いの地雷を踏みまくっていた。
地雷を取り除いて、癒すという作業をすることなく、地雷は一度爆発しても、そこに埋まってる限り、何度でも何度でも、爆発し続ける。
それどころか、だんだん大きくなっていく。
だんだん大きくなって、耐え切れなくなった。

12年間という月日だけが流れた結婚生活。
どれだけお互いのことをわかっていたのだろう。
もしかしたら何もわかっていないかもしれない。

最近、外から帰って玄関を開けるたびに寂しい気持ちになる。
いつも、そこには猫のみーちゃんがいた。
足音で気がつくのか、鍵を開けようとすると、玄関の向こうにみーちゃんがいるのがいつも見えた。
いるのが当たり前で、いなくなって初めてそうやって出迎えてもらっていたありがたさを知った。

でも、この一年間、旦那がいなくなってから、旦那のことをそうやってありがたく感じたことが一度もないのだ。
いないのだと胸をなでおろしたことは何度もあっても、いてくれたらよかったのに・・・そんな風に思うことや、旦那がしてくれていたから楽だったんだと思うことがないのだ。
何か言われるかもしれないと身構えることも、顔色を伺うことも、何かを相談して受け止めてもらえない悔しさも、何も感じなくてもいい。
それだけで安心した気持ちになれる。

12年間の生活は、いったいなんだったんだろう。
ふとそんな風に思った。
でも、一つだけ感謝することがある。
私に、地雷がたくさんあることに気付かせてくれたこと。
それは、紛れもなく旦那なのだ。


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過去の自分を癒すこと

2006-09-21 00:08:40 | 私のこと
カウンセリング45で、トリガーについて考えてみた。
「抱きしめられたい・・・」「すがりつきたい」
そんな子どもの私になってしまうきっかけ。

今日、たまたまテレビをつけると、「赤毛のアン」のアニメを放映していた。
それを見ていると、私の気持ちが揺らぎ始めた。
辛くて、悲しい気持ちになってきた。
それを見ながら、食欲が止まらなかった。
食べても食べても、空腹が満たされない、そんな気持ちになった。

どうしてなんだろうと考えてみた。
昭和54年1月7日から12月30日の間(小5)、日曜日の19:30から放映していたものの再放送だった。
世界名作劇場として、色んな話があった。
それまでの話は、全て見ていた。
その後の話も見ている。
だけど、この「赤毛のアン」は見せてもらえなかったのだ。

「赤毛のアン」を見せてもらえない理由は、母が嫌いだったからだ。
そばかすだらけで、空想好きで、おしゃべりな女の子であるアンが、母は大嫌いだったのだ。
見ているとイライラするからと見せてくれなかった。
小3の時に大好きだった「キャンディ・キャンディ」によく似た主人公で、何かしら惹かれた。
そばかすがあって、空想好きで、おしゃべりで・・・私と一緒だった。

私の家には、子供の頃、テレビが一台しかなかった。
見る番組は、親に決められた。
高校の頃、流行った「俺たちひょうきん族」も見せてもらえなかった。
こんな下品なものを見てはいけないと父に言われた。
変わりに、父の好きだった「8時だよ!全員集合」がいつもつけられていた。

見たいテレビを見せてもらえなかった悲しみと、自分と似ているアンを否定されたことで、私は傷付いたのだろう。
どこの家庭でも繰り広げられることだと思う。
でも、それまで私は自分を否定されていると思っていたから、そんな些細なことでさえ、自分を否定されていると感じ、必要以上に傷付いてしまったのだろう。

私は、大人になってから、母に「赤毛のアン」を見せてくれなかったことに対して、抗議した記憶がある。
でも、高校に入ってからは「赤毛のアン」のシリーズの小説を読破したり、マンガを買ったり、映画を見たりした。
過去、テレビを見せてもらえなかったことなんて、私の記憶からはすっかりなかった。

でも、過去の子どもの頃の悲しみにつながることは、私にとってのトリガーだった。
そう言えば、「自傷」を話したときも、そうだった。
過去の自分の悲しみに触れると、何の前触れもなく、私は私でいられなくなってしまう。
予感を感じて、止める間もなく、子どもの私の感情になってしまう。

今の私に沸いた感情によって引き起こされるのであれば、大人の私はそれを引き戻すことも出来るだろう。
でも、子どもの頃の傷は、癒していくしか方法がないのだろう。
傷は、治っているように見えて、まだかさぶたで、何かの拍子に剥がれ落ちて、血を流してしまう。
傷は残っても、完治させていく作業を、少しずつしていかないといけないのかもしれない。

生育歴を話すのは、過去の傷をわざと傷つけることにもなる。
でも、こうやって少しずつ安全な空間で癒しておくことが大切なんだろう。
なんでもない時に、感情が噴出してしまわないように。
過去の自分の傷に触れることがトリガーだとしたら、まだまだ私にはたくさんの地雷が隠されているんだろうなと思う。
どこにあるのかわからないんだから、踏まないようになんて出来ないけど、あらかじめ、掘り起こして見つけておくことも大切な作業なんだなと思う。
先を急ぐことは出来ないんだな、一つずつ、一つずつなんだなと思った。



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カウンセリング46

2006-09-19 17:46:53 | カウンセリング
ここ何日かとても穏やかな気持ちだったので、カウンセリングの日を忘れてしまいそうでした。
しかも、もうしばらくこの穏やかな気持ちを維持したいから、受けるの嫌だなぁと思ってしまったほどでした。

最初に、ここ一週間のことを話していきました。
男の人の弱さを支えてあげたいという感情に引き込まれそうになること。
でも、直接、助けてあげることじゃなくて、気付くチャンスを与えられる人になりたいと思うこと。
チャンスは、受け取る側が、チャンスと思うかどうかによって違うし、気付かなくてもいいんだということ。
それを気付いてもらったときに、今度は与えられているような、爽やかな気持ちになることを話しました。

助けようと思っている時には、相手から感謝を求めたり、見返りを求めたりしていてしまうけど、相手が自分で気付いてくれた時に、今までとは違った、報われている気持ちになることを話しました。


ネットで知り合った相手との会話で、不安の感情についても考えていきました。
今回、自分の中の不安を正直に話した時、相手の気持ちを考え、アイ・メッセージで自分の気持ちを伝えられたこと。
それに対して、相手が受け止めてくれ、それなりの回答をくれて、安心したこと。
大人のままの自分で、境界線を保つことが出来たこと。

それに対して、今までの自分は、不安な気持ちを自分の中で留め、相手の行動を想像することにより、不安な気持ちが募り、子供の自分に代わってしまうこと。
子供の自分になると、気持ちが爆発し、感情が噴出すこと。
「何故~してくれないの。○○して欲しい」そういう感情になってしまうこと。

今回は、感情をリセット出来ていたことで、穏やかに話が出来たこと。
前回のカウンセリングで、トリガーについても意識しながら話したことで、子どもの自分にならずにすんだことを話しました。
自分の中で、子どもの自分に切り替わる瞬間を感じることが出来たことも、境界線を持てたまま話すことが出来た要因かもしれません。


カウンセラーに、
「先々週のねこさんとは、ずいぶん違うんだけど、どうして?」と言われました。
先々週のカウンセリングは、前半15分くらい、子どもの感情で話してしまっていて、何を話したのか記憶にありません。
たぶん、違いを感じているのは私ではなくて、カウンセラーだったり、それを突きつけられる相手側なのかもしれません。

不倫相手にも、旦那にも、「時々、わけのわからない子どもみたいになる」ことを指摘されていました。
でも、それ以前のことを考えると、そこまで子どもの自分は出ていなくて、蓋をしていたような気がします。
もう少し、この二人の自分を見つめていくことで、色んな問題が見えてくるのかもしれません。


そして今後のことを話していきました。
10月からの学校のことや、アートセラピーに興味を持っていること。
2年間の間で、自分の問題をどのように整理をつけていくかによって、人生が変わってくるだろうと言われました。
その間に、旦那との問題も話していく必要があるのではないかと提案されました。

カウンセラーから見ると旦那は、「再調整する余地がある人」だそうです。
そう言われると、ちょっと責められている気持ちになってしまいました。
カウンセラーは、決してそんなつもりで言われているのではないとわかっているし、私の受け取り方の問題です。
白か黒か、1か10かを決めたがる私は、旦那のことをそう言われると、自分が悪いのではと感じてしまうのです。
子どものことなども配慮したり、考慮したり上でのカウンセラーの言葉だと知りながら、自分を否定しにかかっている自分の姿をはっきりと感じました。
まだまだ、あいまいにすることが出来ない感情と向かい合っていかなければいけないのかなぁと思いました。

ネットで知り合った相手と会うことになっていることを告げると、
「アルコール依存者が、アルコールを飲むようなものだからねぇ~。」と言われてしまいました。
確かに、そうなのかもしれませんが、対人関係については、排除することも出来ないし、そうかといって、子どもの私を排除することも出来ません。
大人の私と子どもの私が、共存していく方法を身につけていくしかないのかなと思います。
そのためには、失敗を繰り返しながら、学んでいくしかないのかもしれません。
避けて通ることは簡単だけど、もしそうすれば、それだけの人生しか歩めなくなってしまうから・・・
今までとは違った生き方の選択もしていきたいと思っています。

生育歴もなかなか進みませんが、現在の問題を解決することによって、過去が癒されたり、過去をより詳しく見たり感じたりすることが出来るように思います。
来週は、問題が起こらなければ、生育歴を話していきたいなと思っています。



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精神的DV or モラルハラスメント

2006-09-18 14:34:14 | 旦那への気持ち
9月15日のスーパーモーニングで、モラルハラスメントについて放送されたらしいです。
そこで紹介されたチェックポイントだそうです。

1. 出された食事が気に入らない時、別の物を食べる。

2.妻の趣味、特技が理解できない。くだらないと思う。

3.「どうして?」「こんなことも分からないの?」と言う。

4.体調は、悪くても妻なんだから家事は、すべき

5.言い訳、反論されると「そうやって俺を非難するのか?」と言う。

6.家の中がきちんと片付いていないと不完全なところを探し「一体毎日何をしているのか」と皮肉、嫌味を言う。

7.妻の前でため息や舌打ちをする。

8.妻が楽しそうにしていると不愉快になる。

9.妻に長時間、説教することがある。

10.「誰のお陰で生活できるんだ」と言う。


こうやってみると、全部当てはまってます。
平成13年に、DV防止法が施行された時には、まだ精神的暴力がこれに当てはめられていなくて、モラルハラスメントという言葉により、精神的暴力が説明されていたのだと思いますが、平成16年の改正から、この精神的暴力も、DVとして認められています。

モラルハラスメントという言葉は、被害者にとって使いやすい言葉です。
なぜなら、被害者は、被害者意識よりも、自分が悪いからこうなってしまうのかもという考えを持ちやすい人間のように思うのです。
「私は、DVの被害者である」とは声を大にしていえない性格の持ち主のような気がします。

私自身も、身体的暴力を振るわれるまで、自分がDVの被害者であることは考えてもみませんでした。
それどころか、公の相談機関に電話して、相談員から指摘を受けた時でさえ、それを否定しました。
「いいところもあるから、私も悪いから・・・」

モラルハラスメントという言葉にであったからこそ、救われたような気がします。
でも、モラルハラスメント=DVなんだということを忘れてはいけないのかなと思います。
たぶん、DVと言えば動いてくれやすい公的機関も、モラルハラスメントという言葉を使うことによってあいまいになってしまうような気がするのです。
モラルハラスメントの被害者だと気がつけたなら、
「DVの被害者なんだ」と法律によって守ってもらう方法もあるのではないかと思います。

ただ、DV法が改正になった時、旦那は、仕事上その説明会に出席しています。
改正DV法の中に精神的暴力という言葉が含まれながら、それがどういうことか知らないということでもあるでしょう。
モラルハラスメントという言葉だけが、独り歩きするのではなく、精神的DVとはこういうものだという解釈として、一緒に進んでいく方がいいような気がします。
そうではない限り、うちの旦那のような人に、精神的暴力としてDVの申請をしたところで、良くあることだとか当たり前のことだ、それをDVという方が、おかしいのではないかと言われて、二次的被害を受けてしまうような気がします。

精神的暴力という定義をあいまいにするのではなく、モラルハラスメントを精神的暴力の定義として当てはめるといいのではないかと思っています。
精神的暴力は、DV=犯罪なんだということを、もっともっと浸透させることによって、言葉を慎む男性も出てくるかもしれないし、我が身を振り返る夫が出てくるかもしれません。
男性の中には、古い考えや捉われから、男尊女卑的な考えを持っている人も多いと思います。
でも、そういう人に限って、法律という言葉に弱いような気がします。
自分のしていることが、法律に引っかかると知ったら・・・また違ってくるのではと思うのです。

モラルハラスメントを叫ぶ時、合わせてDVなんだということを広めていくことが大切ではないかと思います。
いかがでしょうか?


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穏やかな気持ち

2006-09-16 22:47:15 | 日々つれづれ
わずか10分程度の電話だったのに、あれから穏やかな時間が流れている。
あれほどまでに私を苦しめていた、身を切るような痛みも見捨てられ不安も浮かび上がってこない。
すっかり相手を信じているわけでもなく、不安がないわけでもない。
でも、耐え難い寂しさではないのだ。

もしかしたら普通(あまり普通という表現は好きではないけれど…)は、恋愛の始まりはこんな感情なのかもしれないと思った。
だとすれば、なんて不必要な感情をいくつも私は抱えているのだろう。
あの苦しみがなくなれば、なんて楽に生きられるのだろう。
ほんの少し前までは、その苦しみさえ当たり前なんだと、思って生きてきたけれど・・・

昨夜は、小説を読んだ。
群青の夜の羽毛布」山本文緒著 文春文庫
過干渉な母親に支配されている主人公のさとるが、恋人の鉄男を通して、少しずつ自分を取り戻していくというストーリー。
母娘問題、姉妹問題、恋愛依存について描写されていて、とても自分と重なった。
違うといえば、ここでは父親も大きな問題を抱えている。
機能不全の家族の連鎖、それによる弊害、感情などが上手く描かれていると思った。
DVDの解説などでは「サイコサスペンス」のように書かれていたが、私から見ると、ありふれた日常のように感じてしまう。
もしかしたらACの自覚がない頃に読んでいれば、親娘の問題点に気がつかなかったもしれない。
それとも、何か自分の問題として気付けたのかな?

 初めて男の人と寝た時に、さとるはそう思った。裸で抱き合うということは、なんて素晴らしいことなんだろうと胸が震えた。人間のぬくもり、肌触り、汗の匂い、心臓の音。みんなそこにある。抱きしめた腕の中にある。映画を見たり食事をしたり、話をしたりプレゼントをもらうことよりも、さとるはセックスする方が好きだった。
 さとるは男の人が好きだ。男の人とは裸で抱き合える。言葉が足りなくてうまく分かり合えない時は、裸になって抱き合えばいい。そうすれば、すんなり心が解け合う時がある。


自分の気持ちがそのままそこに書かれていた。
ただセックス自体が好きというわけではない。
そこに快感があろうとなかろうとあまり関係はない。
ただ抱き合って繋がっていることに、安心した。
いつも私の恋は、抱き合うことから始まった。
さとるのように始まりはいつも自分からそれとなく誘ってしまうのだ。
そうやって関係を持つことからしか始められなかった。

でも、どうしても好きという感情を抱けない相手とは、そうなることが出来なかった。
流されそうで、流されない。
最後のところで、何かが踏みとどまってしまう。
旦那との関係が崩れていったのも、もしかしたらそれが原因だったのかもしれない。

セックスを求めながら、快楽に溺れることが出来なかった。
わずかな感覚の違いがから、私は旦那とセックスすることが苦痛になった。
お互いに言葉でうまくコミュニケーションが取れなかったのに、セックスすらしなくなると、二人の関係を築くことも難しくなってしまった。

そう考えると、Kさんとはセックスをすることなく、唯一、関係性を維持し続けたたった一人の男性なのかもしれない。
Kさんは、父にとてもよく似ていた。
意識していたわけでなく、カウンセリングを受けながら、そんな風に感じるようになった。
仕事上でも、子育てをする上でも、ただ一人の理解者だった。
仕事には厳しかったけれど、見守ってくれるような人だった。
今まで、母の言葉に見えなくされていた父の人間像を、Kさんに重ね合わせていたのかもしれない。

私の思っていた父と、実際の父はあまりにも違っていた。
妻も子どもも守らず、仕事人間で、冷たいと思い続けていた。
私にとって父は、目障りで、思いやりがなく、愛情に欠ける人間だった。
でも、そう思うことすら許されなかった。
父を尊敬すべきだと思っていた。
私は、ずっと父を好きだと思えないことを悩んでいた。

この小説の中の主人公であるさとるも、父に愛されたいと願いながらも、愛してくれない父に対して、怒りの感情を持つ。
でも、決して愛されていないわけではないのだ。
母親からを通して父親を見てしまってるのだ。

もしかしたら私もそうだったのだろうか・・・
父親に愛されたいと願っていたのだろうか・・・
この辺りは、まだよくわからない。
母は、自分の父親を憎んでいた。
私が、父親を、そして父親である旦那を好きだと思えなかったのは、何かしら関連していると10年くらい前に気がついた。
まだ、そこから先には進めていない。
いずれにせよ、今こうやって踏み出していることが、それを解く鍵のような気がしている。

この穏やかな気持ちは、いつまで続くのかな。
あの引き裂かれるような感情と何度向き合えばいいのかな。
まだまだ、自分の感情と向き合うのは恐い。




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電話

2006-09-15 01:02:21 | 日々つれづれ
今日は、mixiで知り合った方とメールを交わした。
とっても明るい日記だったけど、何かしらもの悲しげで、気になって自分の話を書いてメッセージを送った。
そうしたら、色々と揺れる思いのメッセージが返ってきた。

その後の日記に、心が穏やかに爽やかになったと書かれているのを拝見して、自分だけじゃなくて、誰もが心の中で彷徨ったり、悩んだりしてるのだなぁと感じて、でもこうやって話すことで救われることもあるのかなぁと思った。
そのこともあって「居場所」を書いた。
そうしているうちに、私の心もすっきりしてきた。

今夜は、空が澄み渡って、月も星もとてもきれいだった。
夜になる度に、猛烈な痛みが襲っていたのに、その執着からも解けていた。
そしたら電話が鳴った。
ネットで知り合った相手からだった。
素直に自分の気持ちを話した。
過去のこともあって、何かにつけて不安になること。
電話やメッセを切ることですら、捨てられる気持ちになること。
でも、それはすがりつきたい気持ちではなく、子どもの私ではなく、ちゃんと大人の私として話が出来た。

電話が掛かってきたのが、昨日だったら、上手く話せなかったかもしれない。
秋空のように、澄み切った心でいられたから、きちんと話せたのかもしれない。
自分の気持ちを話していると、感情が湧きあがって泣き出してしまいそうだったけれど、それでも大人の私として話すことが出来た。

相手もきちんと話してくれた。
電話は着信拒否していないこと。
本当に電波が入りにくかったり、家に帰ると電源を落とすことが多いこと。
まだ私も気持ちの整理しないといけないこともあるだろうから、二人の関係をゆっくりと築いていけばいいと思っていたこと。
でも、私が盛り上がってしまったので、とまどったこと。

そして私に対してこう話してくれた。
「ねこちゃんは、相手に対して依存しすぎてしまうところがあるよね。
過去のこととか色々あると思うけど、それは、相手が僕じゃなくても、誰に対しても、少しずつ直していったほうがいいと思うよ。
もっと自分の生活を大切にして、その合間に僕がいるっていうような…。
だから、連絡がなくても、でーんと構えていればいいんだよ。」

私も、最初は、連絡を待っている自分が嫌で、電話を待つよりいいやと思って、電話も携帯も着信拒否したこと。
でも、携帯は履歴が残って、かかってきたのを見ると揺れたこと。
そうやっていつまでも、引きずってる自分が嫌になってしまったこと。
だから、いい結果にしろ、悪い結果にしろ、もう一度きちんと話して、中途半端なままは辞めようと思ったこと。
でも、その気持ちを伝えても、電話が掛かってこなかったので、仕方ないなとようやく気持ちの整理がついたことを話した。

でも、もう一度逢うことから始めようということになった。
逢ってもないし、何も始まっていない。
もしかしたら逢ってみたら、お互いに違うなと思うかもしれない…
「また連絡するから、でーんと構えててね。」
少しずつ、進んでいこうと言ってくれた。

まだまだ揺れるのかもしれない。
でも、もうちょっと進んでみよう。
そう思った。

「またね」
電話を切っても、見捨てられ感は湧き上がって来なかった。
一つ、進めたのかな。



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居場所

2006-09-14 15:55:47 | 独り言
人は一人で生きていけないから

寂しい時 人の心に 場所に

居場所を求めてしまうけど

でも 本当は

自分の居場所を

自分の心の中に 見つけることが

大切なんだよね


このままでいいよ

ありのままでいいよ

そのまんまの自分を 受け入れられた時

自分の居場所が見つかる


人生は そんな

居場所探しの旅なのかもしれないね


今のままでいいよ

あなたのままでいてね



昨日のカウンセリングで、機能不全の家庭で育った私たちほどではないけど、誰もが痛みを感じながら生きてるのかもしれないねって話になりました。
最初から、自分の居場所を持ってる人もいるのだろうけど、みんな手探りで自分の居場所を求めてるのかもしれないな、そんな風に思いました。
自分の居場所を見つけて笑顔でいられることを信じていたいなって思います。
そして、ここを見てくださってる方々も笑顔でいられますように。




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カウンセリング45

2006-09-13 13:14:29 | カウンセリング
今回は、一週間の間に見えてきた自分の感情を話していきました。
誰かに抱きしめられたいという感覚は、今の自分ではなくて、子どもの自分の感情であるということ。
入れ替わっていく瞬間に気がつけたこと。
そうなってしまうと、自分は上から見ているだけになってしまうこと。

同じサイクルに入っていく時、色んなきっかけが見えてくる。
再発を繰り返して、螺旋状に回復に向かっている。
螺旋は、上に行けば行くほど小さくなること。
その度に、気付きがあって、頂上には回復と自由がある。
どういう時に、その気持ちが出てくるのか考えてみましょうと言われました。

恋愛は、相手側にも原因があるかもしれないけれど、薬物依存にしても、依存するのは薬物のせいではなくて、そこに気持ちがいってしまう自分の問題なんだと言われました。
トリガー(引き金)になる条件を見つけていきましょうと言われました。

私が、抱きしめられたいという気持ちになるのは、不安になった時。
自分に迷いが生まれた時。
それについて詳しく考えていきました。

○他人と自分とを比較して、自分を否定してしまう時。
○自分の守るべき存在(母、妹、子ども、友人)との関係が上手くいかなくなった時。
○自分では何も出来ないと感じ、支えてくれる誰かが必要だと思う時。
○感情の線引きが出来なくなった時。

そして、自分が底の部分にいる時には、誰でもいいから、一瞬でもいいから、嘘でもいいから抱きしめて欲しいという感情になってしまうことを話しました。
でも本当は、そういうときにこそ、誰でもじゃなくて大切な人に傍にいて欲しいと思うのだと言われました。
頭の中では、わかっているのに、感情が湧き出してしまうこと、それを止められないことを話しました。
回復なんてしなくても、相手がどんな感情でもいいから、傍にいてくれる時だけ優しく抱きしめてくれるなら、それでもいいんじゃないかと思えてくるのだと話しました。
その感情に流されてしまうと、螺旋は一気に下を向いてしまうのだと言われました。

そして、底にいるときに、色んなことをして、その辛いことを忘れる行動に移す自分がいること、そうしていると痛みが消えていくことを話しました。
でも、それは自分の辛い感情に蓋をしているだけで、今までと同じじゃないかと感じることも話しました。
でも、それは悪いことじゃなくて、そうやって生きてきた力なんだ、自分の力を確認することは大切だと言われました。
きちんと自分が苦しいことや辛いことに気付いているのだから、今までと同じじゃないよと言われました。
私の中の子どもは、他の時に可愛がってあげればいいと言われました。

基本的なパターンを知ると、苦しくなる前に問題に気付けて、少しずつ成長していくのだと言われました。
繰り返すことにより成長していけるのだと・・・
でも、また繰り返さなくちゃいけないのだと思うと恐いです。
今までは、感情が麻痺していて、痛みを感じなかったのに、むしろ色んなことが感じられるようになって、今までよりもずっとずっと苦しいです。
これが素面で感じてるっていうことなのかもしれません。

月曜日のミーティングでステップ1をしたこと。
それによってお手上げ状態の自分をしっかりと見つめたこと。
ステップ1だったのもハイヤーパワーかもしれないねと言われました。
それによって自分自身が楽しむことを見つけることが出来たのかもしれないと・・・

斎藤先生は、ミーティングの「言いっぱなしの聞きっぱなし」を母親、「12ステップ=掟」で父親だと言われているそうです。
最初のうちは、言いっぱなしで、誰の意見も聞けないことがとても寂しかったし、聞きっぱなしも、ついつい口を挟みたくなる自分がいました。
でも、うなずきながら、涙を流してくれる仲間がいることに安心したり、自分語りでも静かに聴いてくれる仲間がいることを嬉しく思っています。
これまでなんとなく、いつも自分に合ったステップが用意されているような気がして、それによって自分の気持ちが導かれたり・・・
他の方の話で、自分の問題に気付けたり・・・

しっかり自分を見つめながら、時に紛らわしながら、進めていけたらいいなと思いました。
カウンセリングの前に、一つブログを書いたことで、落ち着いて色んな話が出来ました。
いい話が出来たと言っていただけたカウンセリング。
来週は、また堕ちてたりして・・・



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