私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

ようやく

2006-03-31 20:51:23 | 旦那への気持ち
旦那との関係が見えてきた。
旦那もまた、辛い過去をたくさん背負ってきたのだろう。
旦那も可哀相な人なんだ、そう思えるようになった。

でも、旦那の痛みに私が気が付くことと、許すことは違う。
旦那が自分の見えない傷に気が付かない限り、私と再び生活を始めても同じように怒りが噴出してしまうだろう。
そして、私も旦那の無意識に発する言葉に、過去の傷を傷めることになるだろう。

私は、私の傷に気が付いているから、今までよりは何故自分が辛いのかわかるだろう。
それでも、傷はないわけではない、痛まないわけではない。
私が癒すよりも多くの新たな傷を受けることもあるだろう。
カウンセラーの言われた、私の持ち出しが多くなるというのはこういうことなのだろう。

私が、ここまで辿り着いて思うことは、自分がその心の傷を見ようとしない限りは、何も変わらない。
誰の手でも変えることは出来ない。
自分を変えることが出来るのは、他でもない、自分だけなのだとそう思う。

以前は、悩みの相談を受ければ、こうすればいいんじゃない?、ああすればいいんじゃない?と色々言ってきた。
その人以上に、怒りが込み上げてきて、でしゃばった行動をしてしまったこともある。

でも、今はそうしようとは思わない。
答えは、その人の心の中にある。
静かに見つめたり、時に支えたり、励ましたり暖かい声を掛けたり、時に自分の体験を話すことしか、私には出来ない。
本当の答えは、誰にもわからない。

だから、旦那のことも、やっぱりこれが限界。
今まで必死に頑張ってきた。
これ以上、傷つけ合う生活はしたくない。
今のままでは、私が抱くような温かい関係は作ることが出来ない。

今の私が、旦那を見守ることは出来ない。
どうやっても、私の行動によって、旦那は怒りを噴出してしまうだろう。
旦那の傷を守ってきたのは、たぶんおばあちゃんなんだろう。
もうおばあちゃんがこの世にいない限り、旦那の思うとおりに動いてくれる人なんていないのだ。

じっと何も言わず、旦那のことだけを見守ってくれる人。
子どもが3人いることも、私に仕事があることも全て旦那にとっては、怒りの原因になってしまう。

結婚後、親戚が集まった時、保育園から祖父母宅へ届けていた叔母さんが、
「店の前で、ひっくり返って動かなくて大変だったよ。」と話していた。
「よくお嫁に来てくれた」とも・・・・・
同じようなことを、旦那の実家の集落での結婚のお披露目会の時にも言われた。

旦那は、私以上に親の愛に飢え、おねだりを繰り返していたのだろう。
それでも、与えられることはなく過ごし、小学3年生の引越しでようやくおばあちゃんに見守られ育ったのだろう。
私よりも、もっともっと寂しい思いをいっぱい味わってきたのだろう。

だからこそ、癒さなければ駄目だと思う。
このまま、ずるずると傷付くだけの生活を送り続けても、どうしようもない。
それは、私だけのためでもなく、旦那のためでもあり、子どものためでもあると思う。

今までは、カウンセラーに言われて、なんとなくそうだと思っていたことが、ようやく私にも見えてきた。
今のままでは、離婚するしか選択肢はないだろうなと思う。
私の中でも、もし離婚したとしても何とか生活していける目処が付いてきた。

この先、どういう道を歩くのかは、まだ判らない。
でもしっかりと自分の目で見つめ、進んでいこうと思う。

春の陽射し

2006-03-31 07:19:16 | 独り言
まだ肌寒さの残っている そんな日の
目をつぶって 感じないと気が付かないような
じんわり暖かく 優しい
春の陽射しが好き

弱々しいけれど
そっと誰かに 抱きしめられている
そんな気持ちに なってくる

私も そんな春の陽射しのようになりたい

回復

2006-03-29 17:53:29 | 私のこと
時々、私は迷路に迷い込む。
焦れば焦るほど、自分を責めていく。
自分さえも見失ってしまう。

先日のカウンセリングでも、こうやって色んなことに気が付いていくことの意味を見失って苦しくて吐き出していた。

以前、カウンセラーに聞いたことがある。
いつまで、こうやって暮らしていくのかと・・・・・
たぶん死ぬまでだろうと言われた。

終わりがあるのかと思っていた私は、唖然とした。
どういうことだろう、判らなかった。

何度も読んでいる対談記事の、ダルク女性ハウス代表の上岡陽江さんは会話の中で
「私たちの心のありようって一生変わらないのよ。
依存症の私たちのさみしさとか孤独感っていうのは、残念ながら一生、変わりません。
私たちは絶えず自分の原型の、自分たちの感情のあり方を知って、それを受け入れていくしかないのよ・・・・・」と言われていた。

ミーティングに参加して、先往く他の方も、こういう気持ちはずっと続いて、上手に付き合っていくことが大切なんだと話されていた。

もし、満たされて育ったのなら、自分のことを認め愛することができる人間だったら、どんなに楽だったのだろう。
私は、なんでこんな運命を背負わされなければいけないんだろう、そう考えた。
自分の運命を呪いたくなった。

そんな中で、心の中で音を立てるように、ストン、ストンと色んな気付きが生まれきた。
心からあふれる感情を残しておきたいと記事を書き続けた。

そうしているうちに新しい気持ちが生まれてきた。
良かったじゃないか。
あんなに苦しい思いを重ねてきて、その理由が紐を解くように見えてくる。
とても辛い工程だけど、それでも、今までよりもいいんじゃないかって・・・

一つ一つの心の傷が見えてくるたびに、悲鳴を上げたくなるような想いがあふれ出してくるけれど、そんな心の傷を持っているからこそ、私は人の痛みにも気付けるようになったのではないかって・・・・・

今までは、無用な感情に振り回され、人を傷つけてきたのかもしれない。
だけど自分の傷が見えてくれば、同じような心の傷を持った人の無用な言葉に傷付くことはない。
それどころか、その人に対しても、優しい気持ちで受け止めてあげることが出来るじゃないの。

傷があるから、人の傷がわかる。
そんな人に、なっていけることが出来るじゃないの。
傷があるから、癒すことも出来るかもしれない。

傷を持たないまま育っていたら、苦しむこともなかったかもしれないけど、同じように苦しむ人の痛みも気が付くことが出来なかった。
人の痛みをそっと救い上げることが出来るような、そんな人になりたいとそんな気持ちが生まれてきた。

以前、カウンセリングで教えていただいた「平和を願う祈り」
それは、こういう気持ちなのかな。

まだまだ、私は迷っても迷っても、歩き続けることが出来る、そんな気がする。

大丈夫2

2006-03-29 13:44:36 | 日々つれづれ
大丈夫

職場が変わり、それでも時々、若者会で飲みに出かけた。
仕事でこっちにくる用事があると、顔を見せてくれた。
彼が来ると、みんなが彼の周りに集まった。
誰もが、彼と話したがっているように・・・・・・

私と彼との特別な接点はなかった。
でも、彼のことが好きだった。
逢えなくても、苦しくもなく、辛くもなく、逢えたらただ嬉しい、そんな気持ちだった。

私は仕事を辞めることになり、送別会を開いてもらった。
彼は、イラストを書くのが得意で、仕事中、職場の人の似顔絵を動物に例えてよく描いていた。
その時に貰った寄せ書きには「ますますいい女になってね」とねこに例えた私の絵が描かれていた。
小学生の時のあだ名もねこだったので、やっぱりねこかぁなんて思ってしまった。

仕事を辞めて、私は専門学校に通い始めた。
クラスメイトの独身女性と、彼の職場の独身男性とでコンパを計画した。
その時、たまたま彼と歩いたのが、旦那の耳に入り、疑いをかけられた。
二人っきりで歩いていたのではなかった。

旦那は、いつのことか誰のことかはっきりと言わず、ネチネチといい続けた。
酔った勢いで、詳細を話し始め、この時のことだと気が付いた。
コンパを開くことは、旦那も了解済みのことだった。
それを伝えると納得したようだった。

専門学校を卒業して、私はあちこちで働いた。
そのうちの一つの職場が、彼の職場に近かった。
数回、約束してランチに出掛けた。

その後、私は出産して、彼と連絡することもなくなった。
それでも、ずっと彼のことは心の中にあった。
でも、もう逢う理由もなかった。
時々、思い出したようにメールを交し合うくらいだった。

その後、働いていた病院に、一度だけ顔を見せに来てくれた。
同期から、そこで働いていることを聞き、その大きな病院は近くの部署への通り道だった。
気に掛けてくれることが嬉しかった。

3年前、今の仕事を始めて、カルチャーの募集広告に私の写真が載った時、彼はメールをくれた。
彼からのメールはそれが最後だった。
その後、彼にメールを出しても返事が来ることはなかった。
それでも、2年前一度だけ電話で話した。

それからは、連絡もなかった。
彼との接点も何もなくなった。
これで終わりかな、そう思った。

彼とのメールは、電話番号でやり取りしていた。
ふとしたきっかけに、私の携帯電話は、電話番号からのメールを拒否する設定になっていることに気が付いた。

用事にかこつけて、勇気を出して、もう一度メールをした。
メールは戻ってきた。
電話をしていた。
現在使われていませんと、空しいアナウンスが流れてきた。

決定的に途切れたんだな、そう思った。
悲しくてたまらない、そんな感情ではなくて、それでも彼に出逢えたことが嬉しかった。
彼のことを思い出すだけで、温かい気持ちが込み上げた。
時々、彼のことを思い出したり、彼が夢に現れ、喜んだりしながら、日々が過ぎた。

旦那と別居して、自分のことを知りたくなった時、
「○ちゃん(彼のこと)だったら抱かれてもいいと思ってるでしょ。」と言った男性に電話を掛けた。
私が、その人の目に、どんな風に映っていたか聞きたかった。
どうして、そんなことを言ったのかも聞きたいと思った。
私の彼への想いは、傍から見たらどんなだったのだろう?
旦那もそれを感じ取っていたんだろうか?

たまたま都合が悪く、話が途絶えた。
また連絡するからと私は電話を切った。

年末に、子ども達のいない時間が生まれ、友達を誘った。
断られた。
思い切って、その男性に電話を掛け、食事に行こうとそして彼を誘って欲しいと伝えた。

私にとって、本当に大胆な思い切った行動だった。
彼の電話が壊れてしまったことを知った。
「連絡をくれて嬉しかった。もう逢えないかと思っていた。」そう言ってくれた。

別れ際、何かを言いかけて
「まぁいいや、また逢えるよね。」彼は言った。
また逢いたい、そう思った。
彼も、またそう思ってくれていることが嬉しかった。


大丈夫3

木蓮

2006-03-27 18:39:13 | 独り言
陽が当たる場所は花が開き
陽が当たらない場所はまだ蕾

陽が当たる場所は大きくて
陽が当たらない場所は小さくて

それでも 同じように花は咲く
誰と比べることなく花は咲く


喧嘩

2006-03-26 18:19:24 | 日々つれづれ
地域の行事で、小学校へ出掛けた。
私は、子ども会の役員で昼からうどんの販売をすることになっていた。
長男を上の子たちに預けていたので、様子を見に行った。

「○ちゃん(長女)が、N君と喧嘩したよ。すごかったよ。」
長女の友達が言ってきた。
見渡すと、その傍に長女は座り込んでいた。
目のふちと鼻の下を引っかかれ、鼻血が出ていて、顔は腫れていた。
立ち上がらせ、顔を洗うように促した。

今までの私だったら、ここで怒り飛ばしていたかもしれない。
N君は、2学年下だった。
取り合えず、話を聞いた。
喧嘩の経緯は、ステージの前で立ち上がっていたので、長女が注意をした。
すると、N君が向かってきた。
負けずに、反撃したというのだった。

N君と我が家とのトラブルは3回目となる。
1回目は、一緒に滑り台で鬼ごっこしていた次女が押されて、滑り台から落ちて、右手首を骨折した。
2回目は、学校で、次女が鬼ごっこをしていて捕まえたら腕を殴られた。
手をばたばたさせて身を守っていたら、ちょうどその手がN君の目に当ったらしく、N君は、病院に行くことになった。
そして、今回だ。

骨折した時、次女はN君をとても恨んでいた。
先生は、N君のお母さんに謝りに行くように促したらしいが、電話1本もなかった。
それでも私は、子ども同士のことだし、逆に一緒に遊んでいて加害者になりうるかもしれないと思い、何も言わなかった。
そういう親はめずらしいと先生に言われた。

どちらかというとネガティブな性格の次女を励まし続けた。
「手でよかったね~、腰とか頭だったら大変だったよ。」
右手なので、宿題に時間が掛かる時も、
「左手で字が上手く書けるようになると便利だよ。」
ピアノの発表会も近く、フットベースボールも出来ずにいた時も、
「左手を鍛えると、右手が上手く動くようになるんだよ。」
でも、次女のことは守っていなかったのかなぁ・・・・・

2度目に相手を傷つけた時、次女は泣きながら報告してくれた。
自分の腕も、真っ青に腫れていたのに、自分の非ばかり責めていた。
「大丈夫だから、お母さんが謝ってあげるから心配しなくてもいいよ。
○ちゃんだって、痛い思いしたんだから・・・・
腕は、先生に見せたほうがいいよ。」そう言った。
先生に連絡を取ると、事情をわかっておられたらしく、気にしなくてもいいと仰ってくれた。
それでも次女の腕が腫れていることなんて気付いておられなかった。
病院への通院が終わった時も、先生が教えてくださった。

自分が骨を折った時には、相手が謝ってくれなかったのに、私が謝ることが次女にとっては嫌だったらしい。
それでも、私は何度も電話をした。
留守電も入れ続けた。
N君のお母さんは電話に出なかった。
その後出会ったとき、私はすぐに謝った。
相手も次女の骨折を気にして謝ってくださった。

今回もまた、私はすぐにN君のお母さんを見つけて謝った。
N君の顔は、あまり傷がなく内心ほっとした。
同じように傷ついている自分の子をかばうことが出来ずにいた。


でも、やられたらやり返す、怒りを抑えきれない衝動は、家庭で学んだのかもしれない、そう思った。
私と旦那は激しい言い争いを繰り返していたし、お互い怒りをぶつけ合っていた。
つかみ合ったこともあるし、旦那が私を蹴るのも見ていた。
姉妹喧嘩もとても激しい。
ボコボコに叩かれる長男だけがへらへらと笑っていたりする。

一度学んでしまったものは、もう元には戻らないのだろうか?
相手がどんな相手だとしても、やり返したら同じ罪だということを何度も言い聞かせた。
やり返した時点で同じなのだと。
そして、暴力からは何も生まれてこないことを・・・・

長女に言った。
「○ちゃんが痛い目に、遭うのは嫌だから、傷つくのは嫌だから、もう止めてね。」
私の思いは、どうやったら伝わるのだろう。

一番咲き

2006-03-25 14:33:08 | 日々つれづれ
他の木は、まだつぼみなのに、この木だけ咲いていました。
毎年、一番に咲くそうです。

陽射しはすっかり春。
桜の匂いもほんのりして、いい気持ち。


伝わらない2

2006-03-25 11:23:16 | 旦那への気持ち
「面会」で、旦那に、カウンセリングを受けるように提案してみた。
でも、「伝わらない」で書いたように、私が提案したことを、まるで知らないようなメールが来ている。

先日、逃避行してしまった彼に話してみた。
「何で、返事しないのかわからないよね~。
自分は、そんなことする必要ないと思ってるのかなぁ・・・・・・・
でも、そうだとしてもその意思を伝えてくればいいのにねぇ。
全然、かみ合っていないよね・・・・・」
そう言ってくれた。

先日、異動発令後にメールが来た。
「異動はありませんでした。ホッとしてます。東京の展示会は盛況でしたか?」
異動したら休みが増えるかもしれない、いい部署に変われるかもしれないと意気揚々にメールしてきたのは、嘘だった?
私のHPを見て、私の日程まで管理されてる。
そう思ったら、嫌になった。
あれほどまでに、私が私のHPの日記に個人的なことを書くことを嫌がっていたくせに、今度はそれを利用されているような気がして、気持ち悪いと思ってしまった。
以前は、旦那に言われてしぶしぶ、今度はそれが嫌で、あっちの日記が書けなくなった。

子ども達が、春休み。
またメールが来た。
「子供達の春休みの予定はどんなですか?」

「だからぁ
私と同じようにカウンセリングを受けて今までの人生を見直してみてください。
子ども達に逢うのも、その後にしてください。
って言ってるんですけど・・・・・・どうなのよ!」
って言いたくなってしまう。

まぁ、いいか。別に、無視すれば済むのだし。
私が、今までのように感情的にはならず、整然として、自分のことに前向きであれば、いずれ焦りが生じてくるだろう。
その時に、私が言っていることも見えてくるかもしれない。

昨日、就職の話をしてきた。
私の為に、間に入って話を進めてくださった方がいた。
まだ今の仕事もすぐに辞めるわけにはいかないので、空きがあったら声を掛けてくださいとお願いした。
遠いところだったら、すぐに空きがあるらしいけれど、長男は小さいし、通勤に時間も掛けられないことを伝えると、近場があったら連絡するからと仰ってくださった。

今の仕事を縮小して、就職するかもしれないと同業者の友人に話した。
私の仕事を自分の店で引き受けてもいいから、デザインだけでも続けて欲しいと辞めないで欲しいとメールをくださった。

今まで、私は自分は人間関係を作るのが下手で、困った時には誰も助けてくれないんだと思い込んでいた。
母親にも
「あんたみたいな性格だと友達も出来ないよ。」
人間関係が上手くいっていた時も、
「最初だけで、ずっと上手くいかないよ。」と言われ、
妹にも
「性格だけはお姉ちゃんよりも自信がある。」と言われ、
旦那にも
「お前みたいな奴に、友達なんか出来るはずがない。」と言われ続け、
自分からは、誰にも近づけずに、連絡を取れずにいた。
人が困った時には、自分を犠牲にして助けようと思っていたけれど、自分が困っていることは言い出せなかった。

もちろん、家族だからということで私も自由気ままにやっていたし、同じように相手を傷つける言葉をたくさん発してきたのだろう。
自分のそうしたことには気付かずに、相手の言葉に傷ついていた。

でも、こうやって人に頼るしかないと状況に追い込まれ、弱みを吐いてしまったら、助けてくれる人も、共感してくれる人もたくさんいた。
伝わらない相手もいる。
だけど、心を開いたら、伝わる相手もいる。
私は、それに気が付くことが出来たこと、幸せに思う。
気が付けなかったらずっと、嫌な自分のままだったと思う。
私は、たくさんの温かい人たちに囲まれていたんだと改めて思う。
気が付けたことに感謝します。
そしてありがとうございます。

欲求

2006-03-24 10:19:13 | 自分考察
昨日の斎藤学先生のブログを拝読して、自分に当てはめて考えてみた。

人間は自分の欲望というものがむき出しにならないように常時軽くカギをロック(施錠)しておくものだということ。しかしこれをいつも締め切っていてはダメで必要なときにはアンロック(解錠)出来なければならない。(略)欲求の出過ぎは不健康なとき。しかしそれなりに身体が必要としているとき。過食しかり、性欲昂進しかり。


どんな理由で、過剰になってしまうんだろう。そう思った。
心の中の空洞を埋めたくなるということまでは、判っているのだけど、その空洞はどこから生まれてくるのか判らなかった。
自傷」を書いて思った。

結局、愛されているという安心感やそのままの私で生きていていいよという価値観を与えられないまま育って、そんな足りない部分を何かで埋めようと一生懸命だったのではないかと・・・・・
埋めても埋めても無くなりはしない、ただその行為をしているその一瞬だけ、その足りない部分から目をそむけることが出来るのではないかと・・・・・
そのほんの一瞬、生きていることを実感でき、それを求めて繰り返すのではないかと・・・・・

斎藤先生のブログにこのことが書かれていなかったら、私は考えてみようという気持ちにならなかったけれど、こういう偶然が重なるとなんだか嬉しい。



自己には大きく分けて「A:観察自己=自己を観察して叱咤激励する自己」、「B:対象自己=Aの観察対象となる欲望の塊」、「C:AとBとの関係を調停する自己」の三種がある自己には大きく分けて「A:観察自己=自己を観察して叱咤激励する自己」、「B:対象自己=Aの観察対象となる欲望の塊」、「C:AとBとの関係を調停する自己」の三種がある。
 AとBは常時葛藤しているのが普通で、Aが優位でBが萎縮している人はロボットのように暮し、なぜ生きているのかわからないと感じている。Bが表面に出てAの規制力の弱い人は幼児的で周囲の人を困らせる。AはBを批判し抑圧しようとするので、Bはこれに反撥する。反撥を受けたAは更に規制力を強めBとの対立と葛藤は次第に苛酷なものになりがちである。Cはこの葛藤を緩和しようとする自己の一部であり、Cの力が充分な人を「大人(おとな)」というが、こういう人は少ない。
 始めはCの力が微少なので、これを強化するためにCの代弁者を自分以外の「人物」の力を借りることがある。こうした「人物」をセラピスト(治療者)という。


私は、AもBも普通よりも過剰に強いかもしれない。
それは「エゴグラムによる性格診断」を見ても判る。
そして、Cが欠落している。
結婚生活に置いては、AもCも欠落している旦那と暮らし、そんな旦那の分まで頑張ろうとBを押さえ込んでいたのだろう。
そしてBが爆発したように思う。

二人の女性の例が挙げられているが、どちらも私に当てはまる。
性非行が続き、肥満によって止めたというのもそのまんまだ。
そして、「ある限界を超えて」親しくなる男性に怒りをぶつけてしまう。
というのも、同じだと思う。
その中で、カウンセリングを受けていることは、意味のあることなのだなと改めて感じた。

人が何かを学ぶ時、一番適している時期があるであろう。
語学を学ぶ時は、出来るだけ幼少期の方が適しているし、オリンピックに出場するような選手がそれを始める時期もまた、幼少期が多いことから、三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
そんな時期に、学んでこなかった私は、大人になって学ぶのだから、必要以上に時間を要することと思う。

でも、少しずつだけれど、心の中で育っているのが見えている。
それが時々嬉しくなる。
学ぶということは、楽しくてウキウキするものであって欲しい、そう思う。

欲求は身体が欲しているもの。
無理に止めようとせず、罪悪感で縛ることなく、ゆっくりと観察するのもまた面白いのかもしれない。
そこに何かが、発見できるかもしれないから・・・・・

入浴

2006-03-23 20:43:12 | 日々つれづれ
色んな偏見にとらわれて生活しているけれど、時々、意識的にそれを打ち破らないといけないことが訪れる。
そんな中の一つが入浴だった。

毎日お風呂に入って、身体を洗って清潔を保つべきである。

そんな風に、私は考えていた。
だから長女と次女がまだ赤ちゃんで、二人いっぺんに一人で風呂に入れるのが大変な時でも、自分は裸で駆けずり回りながら必死で入浴させていた。
そして、眠たそうにする子どもを無理やりに風呂に入れたこともあった。

昨年春、長女のアトピーが悪化した。
それまでは夏場に、膝や肘の裏に湿疹が出来ることと冬にあかぎれが出来ること、お尻にぶつぶつが出来る程度だった。
そしてロコイド軟膏を時々つけてやっていた。
そんなある日、体中が黒ずみ、湿疹が出た。
ロコイドよりも少し強めの薬のチューブを2本出された。
全身だったので、あっという間になくなった。

それまでは、1本を何ヶ月もかけて使う程度だったのに、そんな量を使うことはさすがに怖くなった。
ウーロン茶風呂がいいというのを見つけて、薬を止めた。
数日後、今までなんともなかった顔が腫れ上がった。
でも、今まで通っていた小児科に見せることはためらわれた。

インターネットで調べ、一軒の皮膚科を見つけそこへ行った。
今までに会った事のないような、とっても優しい女医さんだった。
長女に優しく症状を尋ねた。
「お風呂を入るのを我慢できる?」長女に聞いた。
指示されたことは二つだった。
お風呂に入らないこと。
食事の記録をつけること。

お風呂に入ることによって、薄くなった皮膚が剥がれ落ち、よけいに刺激を受けやすくなるのだと説明された。
今までは、汗を出来る限り洗い流しなさいと言われていて、まったく逆の話だったのでびっくりした。
それでも、藁を掴む思いだったので、そんな簡単な方法で治るのならと思い試してみた。

1週間後、顔の腫れはすっかり引いた。
風呂に入りたかったら無理しなくてもいいよ、痒かったら掻いてもいいよ。
甘いものや油物は少し控えようね。
そんな風に指示された。
日に日に、身体の黒ずみは薄くなった。
思ったよりも、体臭もすることなく、髪だけ時々洗髪した。
1ヵ月後、すっかり元通りになっていた。
薬といえば、抗ヒスタミン剤のシロップを飲んでいただけだった。

今年の冬は、手のあかぎれもさほどひどくならず、お尻のぶつぶつだけだった。
それも薬をつけることなく、ひどくなれば入浴を控えるという方法で、悪化することなく保っている。
身体を石鹸で洗うことも止めた方がいいということで、冬場痒がる長男も身体を洗うことは止めている。
たったそれだけで、今年の冬は痒がることもなく過ごした。

子どもの清潔は親が指導するべきだと思っていた私の考えは、見事に吹っ飛んだ。
過剰な清潔が、本来持っている免疫力さえも洗い流してしまっていたのかもしれない。

”おとうちゃん”

2006-03-23 17:39:55 | 日々つれづれ
片道1時間半掛けて、免許の更新に行って来た。
団地の中を走り、なかなか目的地に着かず、疲れてしまった。
免許の更新に、バスで行く様な間抜けは私ぐらいかなぁと思ったけど、結構居るからびっくりした。

免許の更新が終わった後、知り合いに逢ってきた。
急に訪ねて来た私を、その人は温かく迎えてくれた。
「おとうちゃんは、退職しても同じ仕事をしてるよ。」
その人は、そう話してくれた。
採用時の研修で、1ヶ月間お世話してくれたその方は、自分のことを”おとうちゃん”と言う。
寝泊りしながら過ごしたそこでの生活の中で、”おとうちゃん”としてみんなを育ててくれようとしていたのだろう。

「旦那さんも元気?」そう言われて、素直に私は言った。
「実はね、別居してるんです。」
「そうか・・・・まぁ色々あるよね。」
同じように1年間お世話になった旦那の事もよく知っている。
それでも、それ以上は何も言わなかった。
いつものように、子ども達のことを考えたのかとか、どうしてそうなったのかなんて聞かなかった。
ただ静かにそう言ったきりだった。

名刺を渡して話をしていると、
「おとうちゃんも、名刺持ってくるね。」と名刺を見せてくれた。
指定文化財の認定を受けている神楽の会長代行、保護司、育成協議会の会長、講師とたくさんの役職が書かれていた。
「忙しそうですね。」
「そうよ、おとうちゃんは忙しいんよ。でも、楽しんでやっているうちはボランティアを続けていこうと思っている。」

競争社会の中で、競争することもなく、出世することもなく、ただ暖かく”おとうちゃん”として見守り続けてくれた方。
人望も厚く、月に幾つもの結婚式にも出席し、重なる時には梯子までされていた。
今は、お母さん、奥さん、長男夫婦と孫と一緒に生活されているそうだ。
そして、3時には近くに住む娘もやってきて、女4人のお茶会が始まるそうだ。
うちは、託児所になってる、そう笑っておられた。

忙しい中で、同期の親睦会や旅行までいつまでも一緒に参加してくださり、実家のみかん農園にも招いてくださっていた。
偶然にも、奥さんは、私の中学時代の恩師の妹さんで、世間の狭さも感じさせられた。

人と自分を比べることなく、自分の信念をしっかりと持って、暖かく見守ってくださる方。
仕事を辞めた後も、同じように誰の為にでもなく、同じような姿勢で地域を暖かく見守り続けられている。
本当に偉い人というのは、出世することでもなく、お金をたくさん稼ぐことでもなく、こうやって誰に評価されることがなくても、ただひたすらに自分の行く道を切り開いているこんな”おとうちゃん”のような人のことを言うんだろうな。
こんな”おとうちゃん”に少しでも近づくことが出来たらいいな、そう思った。

帰りました

2006-03-22 19:02:48 | 日々つれづれ
ようやく憂鬱な気分から抜け出して帰ってきました。
出掛ける前まで、泣き出しそうな気持ちで大丈夫かななんて思っていました。

結婚してから同じ職場で好きだった人に逢ってきました。
彼の異動が決まって、簡単には逢えないところに変わってしまうこともあり、同じ方向に出掛ける用事があったのでランチに誘いました。
朝メールを見ると、昼から休みを取るのでゆっくり話したいとメールがありました。

ゆっくり逢いたい気持ちと、今の状態で逢ってしまうとすがってしまいそうで怖かったです。
それと彼に対する感情が”依存”とは思いたくなかった・・・・・
心の中に、彼に逢うことに対してやましさもあって、用事にかこつけて逢おうとしていたのに、その用事を別の日にずらしてまで彼と逢ってもいいのか迷いました。

でも、私と過ごす為に異動の引継ぎの忙しい時期に、時間を割いてくれようとしている彼の気持ちを無にしたくありませんでした。
現実から逃避することになっても、やっぱり自分の気持ちに素直でありたいと思いました。

この街から離れて、違う街で過ごすことも考えました。
結局、待ち合わせして、食事をして、雨も降っていて居場所もなくなって、カラオケボックスに行きました。
思いのほか暗くて、隣り合わせに座ると緊張してしまいました。
仕事で、二人きりの部屋で作業することはあっても、こんな風に二人きりになるとなんだか妙に意識してしまいました。
でも、なんでもないかのように二人は話し続けました。

今の私の状態。
逢う前にカウンセリングで1時間中泣いていたこと。
気分的に辛くて堕ちてしまっていたこと。
彼には、駄目な自分も隠すことなく素直に話すことが出来ました。
たぶんそれは、彼も隠すことなく弱みを見せてくれていたからかなと思います。
今まで誰にも話せなかった職場で抱えてしまったトラウマも話すことが出来ました。

8年前の二人に戻ったみたいでした。
職場での飲み会の帰り道、何故か二人歩いて帰ってしまったこと、深夜の喫茶店でただずっと一緒に居たくて、帰りたくなくて遅くまで話し込んでしまったことを思い出しました。
結局、カラオケでの2時間もあっという間に過ぎてしまいました。

その後、バス停でバスを待っていたものの、もう少し一緒に過ごしたくて、デパートの最上階で、街を見下ろしながら、タイムリミットぎりぎりまで話し続けました。
バスから降りて、子どもみたいにお互い手を振り合って別れました。

帰宅後、しばらくして嬉しいメールが届いていました。
私の気持ちも彼の気持ちも同じなんだろうな、そう思いました。
それでも、私はこれ以上彼に近づくことはしないし、たぶん彼も同じなのだろうなと思いました。
こうやって、彼に想いを抱きながらこうやって過ごすこと、それ自体、不貞行為なのかもしれません。
また次に逢えるのが、数ヵ月後なのか、数年先なのか判らないけれど、彼への想いはもしかしたら、ずっと変わらないのかもしれないなと思いました。

彼のことを心に想うだけで、温かい気持ちになれる。
心が安らいで、苦しくなくて穏やかな気持ちになれる。
近くに居ても、遠くに居ても、ずっと逢わなくても、ずっと連絡が取れなくても、変わらなかったそんな気持ち。
これが恋愛なのかそうではないのか自分でもよくわかりません。

でも、この気持ち、大事にしていきたいなと思います。
今までは、自分自身の気持ちばかりみて、相手は自分のことを思ってくれていないのだろうと勝手に想像して、独りよがりの恋愛を繰り返していたけれど、彼もまた、同じように私のことを大切に想ってくれているんだなっていうことを、改めて感じることが出来たこと、よかったなと思います。

誰も愛してくれない自分ではなくて、こうやって想いを寄せた時に、同じように想っていてもらっていること大切にしていきたいと思います。
5時間余りの逃避行でした。
ここ数日、現実から逃げ出したいばっかりで苦しみもがいていたけれど、また現実としっかり向き合っていきたいと思います。

逃避行

2006-03-22 11:25:35 | 日々つれづれ
逃避行してきます。
ここに書いちゃったら、本当の逃避行にならないけれど、そうでないと帰ってこられなくなりそうだから・・・・・・

カウンセリングでも、話すつもりが、話せなかったけれど、それで少しだけでも自分を認めることが出来るようになって戻って来られたらいいなぁと思います。

自分からは逃げることなく、自分の気持ちをしっかりと見つめて帰ってこようと思います。

だから、束の間だけれど、現実から逃避してきます。
その後、またゆっくり自分の気持ち、素直に綴ることが出来たらいいなと思います。

感謝

2006-03-21 19:43:34 | 独り言
感謝します

苦しさに 潰れてしまいそうな時

手を差し伸べてくれる あなたがいることを



感謝します

光を失ってしまいそうな そんな時

あなたの詩が 私の心を包んでくれることを



感謝します

どんなに逃避したくなっても

現実に戻してくれる 子ども達がいることを



感謝します

すべての出逢いに意味があり 私を豊かにしてくれ

見守ってくれることを



感謝します

苦しくても わくわくする出来事に

生きる望みを与えられていることを



感謝します

今こうしてここに

自分の気持ちを 綴っていられることを



ありがとう