突然に、色んな思いが浮かんできて、とても苦しくなった。
気持ちの流れを、書いてみる。
29日の朝の時点での私の思い。
「辛いけれど、30日のカウンセリングを受ければ、また気持ちの整理が出来て楽になれるはず。先生に任せよう。」
昼、突然に、「先生は、私一人に優しいわけではないんだ。」という思いが湧き上がってきて、独占出来ないことに対する悲しみが襲ってきた。
「先生が、私に対して優しいのは仕事だから」
「先生の優しさは、永久的なものではない」という否定する気持ち
「永久に続く優しさが欲しい」
「旦那には、それを求めることが出来ない」
「彼にずっと傍にいてもらえばよかった」という欲求
「優しさや愛は永久に続くものではない」
「一時的な感情でしかない」という諦め気持ち
「誰も、私のことを愛してはくれないんだ」
「期待すると悲しい思いをする」という自己否定の気持ち
一気に、色んな気持ちが、込み上げてきて苦しくなった。
「でも、子どもは、私のことを必要としてくれているじゃないか・・・・・」
そう思ったとき、救われた。
今までにない、独占したいという思いが、浮かんできたこと、戸惑ったけれど、この感情が生まれたことは、決してマイナスではないはず。
そして今まで、その感情について、自分を守ってきたか見えたような気がする。
気持ちの流れを、書いてみる。
29日の朝の時点での私の思い。
「辛いけれど、30日のカウンセリングを受ければ、また気持ちの整理が出来て楽になれるはず。先生に任せよう。」
昼、突然に、「先生は、私一人に優しいわけではないんだ。」という思いが湧き上がってきて、独占出来ないことに対する悲しみが襲ってきた。
「先生が、私に対して優しいのは仕事だから」
「先生の優しさは、永久的なものではない」という否定する気持ち
「永久に続く優しさが欲しい」
「旦那には、それを求めることが出来ない」
「彼にずっと傍にいてもらえばよかった」という欲求
「優しさや愛は永久に続くものではない」
「一時的な感情でしかない」という諦め気持ち
「誰も、私のことを愛してはくれないんだ」
「期待すると悲しい思いをする」という自己否定の気持ち
一気に、色んな気持ちが、込み上げてきて苦しくなった。
「でも、子どもは、私のことを必要としてくれているじゃないか・・・・・」
そう思ったとき、救われた。
今までにない、独占したいという思いが、浮かんできたこと、戸惑ったけれど、この感情が生まれたことは、決してマイナスではないはず。
そして今まで、その感情について、自分を守ってきたか見えたような気がする。
でも、私は、病院では、割り切って第三者にお金を払ってお話を聞いてもらって、お薬を貰うところだと思っています。
それでも、いい先生とカウンセラーに恵まれてよかったなって思います。
でも、やっぱり寂しくて寂しくて、一人ぼっちが怖くて、私は誰にとっても脇役でしかないんだと思うと悲しくてたまらなくなる時があります。
お子さんがいて、必要とされていて、それが生きる勇気に繋がって、読んでいてほっとしました。
出会えてよかったなって思います。
私も、自分のためにお金を使ってカウンセリングを受けることの意味をわかって始めたつもりですが、他に頼る人もなく、このブログに通ずる人たちと、先生に依存している状態です。
今日、カウンセリングで、自助グループを見つけて参加することを提案されました。
そうすることで、仲間が見つかるからって。一人ですると危ないからって。
今は、一人になると涙が止まらない状態です。
>でも、やっぱり寂しくて寂しくて、一人ぼっちが怖くて、私は誰にとっても脇役でしかないんだと思うと悲しくてたまらなくなる時があります。
同じ状態ですよね。
でも、sugarさんがこの向こうで同じように苦しみ、乗り越えようとされるのを感じる時、私は、一人じゃないんだなって思います。
一緒に乗り越えて幸せつかみましょうね。
どうぞ、いつでも、ここへ来てください。
お待ちしております。
そうそう、sugarさんの写真を見たわが子たち。
「これお母さん??」
似ているそうです。
もちろんsugarさんの方が若くて可愛い(^^ゞ
IFF参考になさってください。
斎藤先生のオープンカウンセリングは、聞いているだけで迫力がありました。
いつか私も受けてみたいなと思っています。
そして一応、2人の男の子のお母さんです。
でも、これ以上はいえません。内緒にしててくださいね。
もっと若く見えましたよ~。
カウンセラーに限らず、医療関係者、福祉の関係者は、必要以上に対象に深入りしないという線引きがあるみたいですね。
私は仕事でも何でもないですが、
今まで何人もの人の相談を受けてきました。
そして、恋されたかななんて思う事もしばしば・・・。
僕はプロじゃないので、深入りしてしまうんですね。
でも、そうやっているから僕を頼ってきたのだとは思うけど。
>一人ですると危ないからって。
・・・やはりそうなのですね。
僕と彼女は最初は共依存かなと考えていました。
でも最近僕達も自助グループという解説を目にして少しホッとしています。
私が過去に相談を受けた中で、DVによるPDSDだった人がいます。
3,4年間彼女の話を聞き続けました。
彼女は離婚後、通院して治療を受けていたのですが、数年間不安定な状態が続きました。
薬の影響で過去の記憶を数日間にわたり飛ばしたこともありました。
それが、最近とても安定しています。
身近にそうした自分を支えて理解してくれる人・・・彼なんだけど。
そういう相手ができてやっと安定してきたようです。
カウンセラーやお医者さんにもよるでしょうけど、彼女の場合は病院の治療よりも彼の存在が安定をもたらしたみたいです。
僕は専門家ではないで、それが良い結果なのかどうかは断言できませんけど、身近な理解者の力は大きいなと感じています。
カウンセリングの先生は、結構深入りしてくれる方で、たぶんご自分でもそれに気が付き、時々、意識して線引きされているのではないかという気がします。
それが恋愛感情ではなく、やはり、心理職というのは、どちらかというと共依存的な考えの持ち主がおおいのではないかという私の見解です。
そのせいかもしれませんが、身をゆだねているのには、とても心地が良いです。
その心地よさを、恋愛感情と混同してしまうのだと思います。
私自身、それを知りながら、気付いていながらも、流されてしまいそうです。
実際、カウンセリングを受けている時には、それはないのですが、一人で寂しい時に、与え続けて欲しいと思ってしまうのです。
>一人ですると危ないからって。
また、ブログの方に書いていこうと思うのですが、一人でやっていくと、出口がなくなったときに、堕ちていってしまうからと言われました。
週に一度のカウンセリングですが、自分で、先に先に進めてしまうので、私にとってはもう少し、回数を持った方が、気持ちが楽になれるのかもしれません。
自助グループに入ることは、とてもいいそうです。
ただ、お二人の関係が、その役割を果たしているようにも思います。
二人は、ある意味、共依存なのかもしれませんが、共依存というのは決して悪いものではないと思います。
どちらかが傾いてしまったらいけないのかもしれないですが、シーソーのように、お互いが保たれているのだったら、反対にベストな関係ではないでしょうか?
DVだけではないのですが、ACであることは、ある意味どこかが欠如しているので、欠如した部分を埋め合わせてくれる人いるかいないかで、回復が違うのではないかと思います。
今は出すことが出来ないでいる感情を、出せるということ、出しても安全なんだと知ることが必要なのかなと思います。
それをするには、信頼のおけるパートナーがいれば最高だなと思います。
同じように痛みを持っている人は、ある意味安全なんでしょうね。
とりあえず、自助グループ探ししてみようと思います。