私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

公園にて

2005-11-26 19:44:52 | 日々つれづれ
午前中は仕事をして、長男との約束どおり、午後からは公園へ出かけた。
そこには、少年O君がいた。
しょっちゅう公園で、子供たちと遊んでいるので、私も顔なじみだ。
O君が来ると、子ども達が集まってくる。
子どもと遊ぶのがとても上手い。そして秩序を教えている。
喧嘩が始まっても、上手に仲裁に入り、お互いの気持ちを汲み取ってやっている。
長男も、O君に肩車してもらったり、ゆらゆらしてもらったりして、傍を離れない。

O君は、耳に大きな穴を開け、ゴムチューブを通していた。
私「わぁ、痛くなかった?」
O君「少しずつ、大きくしていった。」
O君「見て」とズボンをめくって足を見せる。
そこには、鯉の刺青があった。
私「それも痛かったでしょう?」
O君「こっちも、こっちも入れた。」と反対の足と腕を指差す。
私「我慢強いね~」

O君は、小学生と鬼ごっこをしたりして、疲れると私のところへ戻ってくる。
そして、ジャングルシムのてっぺんで、煙草を吸い始めた。
私「灰が落ちるから、降りて吸ってよ。」
O君「僕、未成年よ。」
私「じゃあ、堂々と吸ったらダメじゃん。(笑)もう20になったかと思ったよ。」
O君「まだ、19よ。」
私「お父さんと一緒に住んでるの?」
O君「いいや、お母さん再婚だから・・・・・・」
財布から、写真を取り出し見せてくれる。
色褪せた写真には、肌着姿の男性の膝の上に、1歳くらいの子どもが座っている。
腕には、刺青が入っている。
O君「おやじの形見。一枚きりのツーショット。この1ヵ月後におやじは死んだ。」
私「病気だったの?」
O君「自殺した。おやじにも墨入ってるでしょ?」
O君には、お父さんの記憶はないだろう。それでも大切に写真を持ち歩いているのを見ると、とても悲しかった。

指は骨折して、添木が当てられていた。
私「仕事で怪我したの?」
O君「複雑骨折。指つぶれたんよ。」
私「痛かったでしょう。切断じゃなくて良かったね。」
O君「一時は切断するって言われたよ。」
O君「見て、こんな怪我だったよ。」
携帯を取り出し、怪我の写真を見せてくれる。
私「もしかして、自分で撮ったの?」
O君「痛いって言いながら撮った。」

そして手は傷だらけだった。
私「手の傷は?」
O君「腹が立って、人は殴れないから、箪笥を殴ったら、めり込んで抜けなくなった。」
私「家の中、ボコボコにしてない?」
O君「うん、箪笥しか殴らないから・・・・・」

あちこち体中に痛みを感じながら、O君は何を考えていたのだろう。
私が、痛みを感じて嬉しかったように、O君も、痛みを感じることで、生きていることを実感しているのだろうか?
ふとそんなことを考えてしまった。

O君は、彼女のことも色々話してくれた。
私「子ども好きなんだね」
O君「だって、することないし・・・・・」
長男を膝の上に乗せ、ブランコを漕ぐO君と長男の笑顔が同じように見えた。
私「なんだか似てるよ。同じように笑ってるよ。」
O君「連れて帰ってもいい??」
O君は笑った。

公園は、O君の居場所なのかな?そう思った。
それにしても、何故か私は、こういう男の子と接点を持つことが多い。

最初は、小学校4年生の時。
家庭環境がとても複雑で、落ち着きのない男の子にずっといじめられていた。
理由は、私のことが好きだったからと後になって知る。

中学2年の時、教室でシンナーを吸う男の子を止める。
それが、きっかけなのかわからなかったけれど、長い間学校を休んでいた男の子が、突然我が家に訪れた。
「今日、鑑別出てきた。」
話したそうにしていたけれど、結局、そのまま帰っていった。

そして、先輩。
頭も良くて、サッカー部のキャプテンで、女子生徒の憧れの的で、私もその中の一人だった。
ちょっとしたきっかけで、付き合うようになった。
お兄さんは、高校へ行かず、家を飛び出していて、従兄も、大阪から出てきてフラフラしていた。
初めて抱かれた時、普段とは違う姿に驚いた。
抱かれるたびに、寂しさが伝わってきて、とても切なかった。
そして、私は自分と似てる人間だと思ってしまった。

ケーキ職人も、一族で経営していた洋菓子店だったのに、父親がお金を持ち逃げして蒸発していた。
父親の唯一の残していった車を大切に乗っていた。

教育実習をしていた時も、パソコンの授業補助に行っていた時も、傍によって来るのは、ちょっと不良っぽい生徒達だった。

好きになった相手は、不倫相手以外は、何らかの家庭の問題を抱えている人だった。
そして話をよく聞いていた気がする。
親密な関係になった女友達も、そうだった。
家庭内のゴタゴタをよく聞いた。
そして、その友達が好きになる相手も、問題を抱えている人が多かったように思う。
就職先で、仲の良かった友達の付き合っていた人は、刑務所にいた。
仕事を辞めて、何度もその人のところに行こうかと思ったと話してくれた。

もしかしたら、問題のない人なんていないのかもしれない。
問題を抱えている人ばかりなのかもしれない。
でも、普通よりも、問題を抱えている人と付き合うことが多かったような気がするのは気のせいなのか?
そして問題のある人を、ほっておけなくなってしまうのは私の悪い癖なのだろうか?

出産

2005-11-26 10:13:46 | 私のこと
若い頃から、何かあると一番に婦人科系統に不調が出ていました。
子宮内膜炎を起こして、ひどい痛みを味わったり、婦人科から離れることができずにいました。
大きな病院で、卵管が詰まっていると診断を受け、
「治療をしますか?」と聞かれました。
「治療をしなかったらどうなりますか?」と聞くと
「子どもが出来ないかもしれません」そう言われました。
でも、「治療をしましょう」ではなく「治療をしますか?」という言葉に、私はそこで治療を受ける気になれませんでした。

当時、結婚することは諦めていたのだけれど、子どもはどうしても欲しくて、違う病院で治療を受けました。
結婚した時も、すぐに子どもが出来るなんて思いもしませんでした。
子どもが出来ないかもしれない体だと思っていました。
でも、すぐに長女を身籠りました。

不倫相手は、生後直後に、赤ちゃんを亡くしました。
従妹は、5ヶ月の時赤ちゃんを死産していました。
同じように、妊娠していた職場の同僚は、出産予定日に赤ちゃんがお腹の中で動かなくなりました。
数ヶ月前に出産した同級生は、出産中にパニックになり、子どもが仮死状態で生まれてきました。
不安でいっぱいの妊娠&出産でした。

長女の出産の時、私は、産後鬱を経験しました。
出産後、激しい下痢が続き、産まれたばかりの長女と、半分隔離状態になりました。
今思えば、出産前日に嘔吐、出産当日から腹痛、産後に下痢となったので、冬ということもありロタウィルスによる嘔吐下痢症にかかっていたのではないかと思います。
でも、それに対する手当ては、行われることなく、検査と消毒が行われたのみでした。

授乳時間以外は会うことも出来ず、授乳時間も、まだ抱いていたいのに、
「お母さんが疲れるから」という理由で、さっさと連れて行かれてしました。
下痢を止めるために、てんぷらなどの食事を残せば、
「お乳が出ませんよ」と言われてしまうのです。
一人の心無い看護士の行為が、私の不安定な心を傷つけたのです。

翌日が、退院予定日でした。
同じ頃に、赤ちゃんを産んだ人たちは、日中、ずっと赤ちゃんと一緒にいて世話をしていました。
オムツの交換もしていました。
私がしていたのは、寝ていることと、お乳をあげることだけでした。
ミルクの作り方も、赤ちゃんの様子も知ることはないまま、体調も不自由分のまま、退院してしまうことに不安が生まれてきたのです。

授乳後、無理やり連れて行かれる長女を見ながら、涙が止まらなくなりました。
ずっとお腹にいたのに、突然切り離されるのは、体の一部が失くなってしまった様な感覚でした。
私のせいで、一緒に居ることが出来ないのを責めました。
今後、この子を育てていけるのだろうか、不安で不安で溜まりませんでした。
私は、一晩中泣いていました。

母が看護主任さんに、話をしてくれ、赤ちゃんのケアを教えてくれました。
もし、不安だったら、退院を伸ばしてもいいよと言ってもらいました。

私の不安が、治まったのは、その言葉ではありませんでした。
授乳に連れてこられた長女が、真っ直ぐに私を見つめ、しっかりと手を握ってたのです。
まるで、大丈夫だよと言っているように。
お腹にいるときから、長女に話しかけ、長女は私の産まれてきてもいいよって言った日に生まれてきた子です。
この子は私のことを判ってくれているのだな、通じ合えているのだなと安心しました。

長女は、穏やかな赤ちゃんでした。
もちろん夜泣きもするのですが、何か通じ合えているそんな気がしました。
これは、三人の子どもに共通するのですが、普段は、夜泣きをしたり甘えたりしてぐずぐず言っていても、私が体調が不良になると、どの子もいい子になるのです。
産後熱が出て、腹痛もあって、またまた鬱状態に陥ってしまった時も、長女は、おとなしく待ってくれていたり、長男が4ヶ月の時、食中毒になってしまった時も、私の横で、おとなしく寝ている長男がいました。
赤ちゃんには、不思議な能力があるのだと、私は信じています。

2度の流産を経験し、その時は一度も、心臓の動きを確認することが出来ずにいたので、長男の心臓がお腹の中で動いているのを見たとき、嬉しくて溜まりませんでした。
でも、それとは別に、不安も訪れました。
長男の妊娠を確認できる前に、私は、集団検診を受けていました。
バリウムを飲み、胃透視していました。
そのことによる、赤ちゃんに与える影響はゼロではないことを知りました。
頭痛薬も服用していました。

私は、自分を安心させるために、色んなところに問い合わせをしました。
普通の胃透視に比べ、検診車でのそれは、普通よりも被爆量が多いことを知りました。
旦那の言葉に我に返りました。
「もし、お腹の子に障害があるとわかれば、おろすつもりなのか?」
1度目の流産の時、なかなか大きくならず、心音も確認も出来なくても、納得できるまで、手術を受ける気になれませんでした。
可能性があるのなら、もう少し待ってみたい、何か障害があるにしても、生きて欲しいと願っていたのです。

もちろん答えはノーです。
お腹の子の生命力にかけてみようと思いました。
例え、何か影響があったとしても、生まれて来てくれるだけで、この手に抱くことが出来るだけでいいと思えたのです。
とはいうものの、産まれて来るまで、不安で不安で溜まりませんでした。
悲しいけれど、この不安を受け止めてくれる人は、誰もいませんでした。
両親は、不仲なのに3人目を作ったことを責め、子供のいない妹は、二人いるだけで充分だと言いました。
私を救った旦那も、気にしすぎだと私の性格を責めました。

出産中、長男の呼吸が止まってしまった時は、もしかしたらという思いが、頭の中をぐるぐる回りました。
産後1ヶ月の時、突然お風呂で痙攣を起こしてしまった時は、もう生きていてくれさえすれば、私はそれでいいと思えるようになりました。
私にとって長男は、ラッキーパーソンです。
長男が生まれて、少しずつ、私の運命が変わってきたような気がします。

それぞれ違う、三人の性格を見つめ、私は個性を知りました。
生まれ持った性格があるということを知ることが出来ました。
子どもの成長が、私の成長であるのだと思います。
まだまだ、未熟な母で、子ども達に教えることよりも教えられるほうが多かったりします。
それでも、お母さんでいることで、子供たちから無償の愛を与えてもらえること、幸せなのかもしれません。

気になること

2005-11-26 01:23:17 | 日々つれづれ
次女の友達のことで気になることがあります。
以前も、少し書いたのだけれど、
お父さんが、あちこち殴って、家の中がボコボコだって見せてくれた子のこと。

お父さんは、悪いことをしたら、包丁を持って脅すんだって。
お姉ちゃんは、とんかちで脅されて、本当に叩かれたんだって。

今日、次女はそう言いました。

うちで宿題をしているとき、
次女が、私にふざけて、私に「馬鹿なお母さん」といいました。

一人の子が、「私は、お母さんに、そんなこと言ったことない」そう言いました。

その子は、「そんなこと言ったら、お父さんにすごく怒られる」と言いました。

うちは、旦那がすぐ
「馬鹿」とか「死ね」とか言っていて、
私は、それを否定したり、怒ったりしているのだけれども、
子ども達は、当たり前の言葉のようになっていて、
何度注意しても、軽々しく口にしてしまいます。
ようやく長女は、口にしなくなったのだけれど・・・・・・
次女や長男は、すぐ口にしてしまいます。
私が、いくら言ったところで、止めようとしないので、
子ども達が、自分で気が付くまでは、もう何も言わずにいようと思っています。

その子のこと、次女が、作っている話なのか、
本当の話なのかは、よくわかりません。
でも、もし、それが本当であったら、
子どもにとって、どんな影響を与えているかを考えた時、
どうすればいいのか、考えてしまいます。

以前、保育園の園長先生に、虐待されている子どもの噂があるのだけれど、
どうすればいいか相談されたことがあります。
その子には、目立った外傷がありました。
私も気付いていて、
「どうしたの?」と声を掛けたことがあります。
「自転車で転んだ」その子は言いました。
すぐに通報するよりも、周りの意見を聞きたかったようでした。

私には、その母親と、話をすることしか出来ませんでした。
頂き物を持って、おすそ分けの形でその家を訪れ、自分の子育ての愚痴や旦那の愚痴をこぼしました。
同じように、子どもが3人いて、働いているので、
「大変でしょう。」と言っても
「そんなことないですよ~」と笑っていました。
結局、その事を報告しておしまいです。
その後、どんな措置をされたのかは知りません。

私に出来ることは、極力、その子に声を掛け、話をすることです。
そして、その両親に、
「○○君、よく話をしてくれるよ~」と褒めてあげています。
父親は
「○○は全然言うことを聞かないから困る。嫁さんの言うことなんか全然聞かない」とよく言います。
でも、その父親と一緒に、剣道に出かけるその子は、とても嬉しそうです。

わが子は、よそから見たらどうなんでしょう?
外でも、私達が喧嘩をしていることをよく話す次女。
お父さんが帰ってこないことを保育園の先生に話した長男。
どのように受け止められているのかわかりません。
ただ、それでもいいかなと思っています。

子ども達は、自分だけでなく、多くの大人に守られて大きくなって欲しいという思いがあります。
なので、地域の行事には、積極的に参加させています。
今は、希薄になってしまっているいわれる地域の連帯ですが、幸い、私の住んでいる所は、年配の方のパワーにあふれ、ありがたい環境です。
悪いことをしたときには、親でなくても叱ってもらい、いいことをした時も褒めてもらう。
異年齢の子と係わる中で、いいことも悪いことも、出来るだけ低年齢で経験して、乗り越える力を持ってほしい、そんな人のふれあいの中で、子どもを育てたいと思っています。

子ども達を取り巻く環境は、だんだん厳しくなっていきます。
その中で、私に何が出来るのかなと思います。
今回のようなことが本当であれば、何をどうすべきなんだろうと思ってしまいます。
傷付いているのは、もちろん子どもなんだろうけれど、今こうやって色々と考えていると、そうする親の気持ちにもなってしまい、複雑な心境です。