私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング52

2006-10-31 12:28:19 | カウンセリング
最近、とても穏やかな気持ちであることを話しました。
苦しみやわけのわからない辛さに襲われることがなくなったと感じています。

そして気になる自分の感情について話してみました。
本来であれば、パニックになる状況に対して、無感情になってしまうのです。
例えば、自分や子どもの身の上に何かがあった時、テレビドラマや友達の子どもに同じことがあった時には湧いてくる感情が湧いてこなくなってしまいます。

子どもが、怪我をした時も、なかったことにして放っておきたくなったこと。
それに対して、心配になるのが普通じゃないのとか、病院へ連れて行かないといけないんじゃないのというもう一人の自分のささやきによって行動すること。
行動してしばらくして感情が出てくることを話しました。

自分の出来事に共感してもらえないことが多かったことから、感情が鈍磨してるんだと言われました。
でも、それによって自分を守ってきたんだと言われました。
自分が共感されていることを経験することによって、その感情が蘇ってくること、それにはミーティングなどが効果があると言われました。

1年前まで、私は苦しい状況や辛い状況にあったにも係わらず、辛いと感じていませんでした。
今まで感じていなかった痛みや苦しみを、1年かけて見直すことによって、過去の痛みや苦しみがあふれ出してしまいました。

この一年間辛かったと言うと
「ほんと、一年間よく頑張ってきたよね。」と言われました。
でも、頑張ったねと言われるとピンと来ませんでした。
私の中で頑張ったというのは、いつも誰かと比較していて、それが実証できないと自分自身で認められないのだと改めて気が付きました。

頑張ったということは、誰かと比較するものでもなく、自分自身が精一杯努力したと思えればそれでいいのかもしれない・・・
改めて、そんなことに気が付いたのでした。
今までずっと、自分より優れた誰かと自分を比べ、まだ足りない、頑張っていないと自分を認めていなかったのだと思いました。
頑張ったというのは、結果ではなく過程なのだと、自分自身で、一生懸命に過ごしたことを認めていかないと前に進めないなぁと感じたのでした。


話の流れから、ずっと話が止まっていた生育歴を話していきました。
高校から、結婚が決まるまでの間の私の中でモヤモヤしているのは、男性関係です。
当時は、自分は一途で、二股なんてとんでもなくて、一人の人を追いかけていると思っていたのですが、今、振り返ってみると、人間関係も複雑で、自分がどうやって過ごしていたのか、誰が好きだったのかよくわかりません。

抱きしめられることで安定を感じ、誰かに必要にされていることで自分の存在価値を認めていたのだろうなと思います。
男性と身体の関係になることを求め、そうかといって相手にその気持ちがあると拒む。
そういったことも繰り返されてきました。
「それは、ねこさんの叫びに聞こえるよ、『助けて』って心の声が聞こえるよ。」って言われました。

自分の気持ちを話せない分、身体の関係になり、抱き合うことは私にとっては楽だったのかもしれません。(穏やかな気持ち
相手の感情を、言葉ではなくて、身体全体で感じ取ろうとしていたのかもしれません。

「もし、今、恋をしたとして、きちんと相手といい関係性を作れるのか、自信がない。
今までと同じような関係性しか築けないかもしれない。」そう話しました。

カウンセラーは、
「こう言っていいのかどうかわからないけど・・・」と前置きをしてから
「今の僕とねこさんの関係は、今までの男性との関係よりも、深い関係だよね。
 カウンセラーとクライアントという特殊な関係ではあるけれど・・・
 そうやって人間関係を築いてから、身体の関係になるほうがいいと思わない?」
そう言われました。

もし、半年前にカウンセラーからそんなことを言われていたら、すごく依存しちゃっただろうなと思ってしまいました。それをきちんと境界線を引けていること、少し変われたのかなと思いました。

「本当にそうだと思うけれど、今はまだ自信がないかも・・・」と話しました。

生育歴でここに辿りつく前に、Kさんのことや、ネットで知り合った相手とのことがあり、自分の色んな感情を見ることが出来ました。
もし、そういう体験がなければ、思い出せなかった感情もたくさんあります。
すべて与えられてるのかなぁと思っています。

次回のカウンセリングまでに、もう少し当時の気持ちなど考えていくことが出来たらいいなと思います。

 


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あなたへ

2006-10-30 00:18:51 | メッセージ


優しいという字は

憂いを抱える人と書く

あなたの悲しみは

いつか 誰かを癒す

優しさに変わる







どうして こんなこと
    思っちゃうんだろう

どうして こんなこと
    感じちゃうんだろう

でも それは
   あなたの大切な
      気持ち

責めたりしないで
    ぎゅっと
      抱きしめて
        受け止めて




携帯から、画像は見えないのですね。
内容が無記入だったと教えていただきました。
それもまた、良かったみたいですが・・・
せっかくなので、画像に書いた言葉を書き記しておきます。



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カウンセリング51

2006-10-26 00:29:23 | カウンセリング
1週間の出来事を中心に話していきました。
前回のカウンセリングから、色んな出来事があって充実した生活でした。
その中で気がついたことを話していきました。

いじめの問題を考えているうちに、私は、ずっといじめられる環境下に身を置いていたこと、そしてその相手に対して、自分が変わればわかってもらえるのだと、取り入ってわざわざ離れない環境下にいたことに気がつきました。
それがいじめなのかどうかもわからぬまま、自分が悪いからそういうことをされるんだと、相手に気にいられるように行動してみようとしたり、逃げようと思えば逃げられるのに、逃げずに傍にいたことを話しました。

その中の一人に、幼稚園から中学校3年まで一緒に過ごした女の子がいました。
親同士も知り合いで、同じ町内に住んでいました。
私が、男の子から、犬の糞を上靴に入れられたのを、母に言ってくれたのも彼女でした。

私が、男の子からいじめられて泣くたびに、
「泣くからいじめられるんだ」と言っていました。
スポーツ万能で、中学校の時にはキャプテンでした。
些細ないじわるを繰り返されるのに、離れられないでいました。
わざと呼び出して、クラブに遅れるように仕向けたり、部員に無視させたりされていました。
それでも、何故か一度も怒りも悲しみも湧いてきたことがありませんでした。
仕方ないんだそう思っていました。
大人になって、最近まで彼女の夢を見ていました。
何故なんだろうと思っていました。

カウンセラーから、
「いじめられて、今だったら、なんて言い返す?」と聞かれました。
「何も言わずに、無視する。
 そして、もう取りいらない。」そう答えました。

「怒るべき時には、怒ってもいいんだよ。」
そう言われても、なんて言っていいのかわかりませんでした。

ずっと、黙っていればいいと母に言い続けられていたし、きちんとしていないから相手に言われる隙を作るんだと言われていたし、何か言い返すことなんて考えたこともありませんでした。

「彼女の一番嫌な顔を思い出して、何か思い浮かべてみて・・・」と言われました。
でも、なかなか思い浮かびませんでした。
そのうちに、嫌な上司や、旦那の顔が浮かんできました。

「何でも自分の思うとおりになると思うなって思う。」
私が、思い通りに行動しないと、制裁を加える、そんな繰返しでした。
思うとおりに行動なんて出来ないのに、そうしない私を力で押さえつける。
彼女は、キャプテンという立場で、上司は、上司という権力で、旦那は、自分が稼いでるということで・・・
私は、いつもそれに打ち勝つことが出来ませんでした。

「彼女の顔を思い浮かべて言ってみて」
カウンセラーに言われたけど、なかなか言い出すことが出来ませんでした。
やっと言えても泣きながら小さな声でしか言えませんでした。
何度も言っているうちに、ちゃんと言うことが出来ました。
「イメージワークは効果があるから、もし同じようなことがあってもきちんと言えるから。」と言われました。

最後は、旦那の顔を思い浮かべて言ったんだと話すと、
「旦那さんには、もう制裁を与えてるんだから、負けないよ。」と言われました。
子どもの運動会の前、パニックを起こしてからは一度も、不安な気持ちは訪れていません。
夢にうなされることもありません。

いじめたほうは、いじめたとも思っていないのかもしれません。
知らないうちに、心の隙を付くようにして侵入されてしまいます。
自分が悪いかもしれないとか、そんな隙を上手く狙ってくるのです。
そんな隙を作らないように、侵入されないようになりたいな、そう思いました。




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カウンセリング50

2006-10-16 16:10:21 | カウンセリング
カウンセリングを受け始めて一年が経ちました。
偶然なのですが、今日のカウンセリングでは、一年前、初めてカウンセリングを受けた時と同じ内容を話したような気がします。

当時は、自分の問題点をわかっておらず、カウンセラーの
「辛かったね、頑張ったね」の言葉にただ涙をこぼしていただけでした。
自分では辛いとも、頑張っていたとも思えない出来事なのに、そうやって認めて受け止めてもらえることも、恥ずかしさ、でも、とめどなく涙が溢れていたような気がします。

今、実存の私を隠さない場所で、私の経験をコラム形式に発信しています。
一年前は、恥ずかしいと思っていた出来事を、公の場で語ることが出来始めたのです。
子育てしながら働いていた頃、私は孤独を抱えていました。
更年期障害と同じ症状を生じ、真っ直ぐに家に帰れず、本屋を放浪して、家路に着くという毎日を繰り返していました。
当時のことを思い出すと、今でも切ない気持ちが込み上げてきます。

何故、体調不良や孤独を抱えながら生きてこれたのか?
子ども達の存在は、私にとってどうだったのか?
カウンセラーと共に考えてみました。

子ども達も待ってるし、気になるし、早く帰れば楽なのに、何故、真っ直ぐに帰ることが出来なかったのか?私は気になっていました。
でも、私はそうすることによって、私を支えていたのです。

当時、本を読むことは私にとって唯一の自分のために出来ることでした。
通勤中のバスの中、昼休憩に、むさぶるように本を読んでいました。
本を読むことで、私は実世界の中では得ることのないと思っていた共感を得ていたのかもしれません。
自分と似た主人公に、悲しみに、共感し、共感されていた。
こんな想いでいるのは、私だけではないんだと・・・

でも、それだけではなく、職場で自分にしか出来ない何かをやり遂げようと一生懸命に取り組んでいたこと、それも力になっていたのではないかと言われました。

そして子ども達の存在も大きかったように思います。
今までは、誰からも必要とされないと思っていた私を、一番必要としてくれている存在。
私がいなければ生きていけない存在。
当時、家族ぐるみでお付き合いしていた、長女と同じ歳の子どもを持った家庭がそれぞれ同じように妊娠がわかったと聞いた時、私も次の子どもが欲しくてたまらなくなりました。
ちょうど、その頃、長女は歩き始めたばかりでした。
たぶん、一人では生きていけないような赤ちゃんの存在を私は求めていたのかもしれません。

仕事と家庭との切り替えが、もしかしたら本屋だったのかもしれないと話しながら思いました。
それがあったから二つの私をやってこれたのかもしれません。

子育ての苦しさ、そして自分の趣味をしたい気持ち、それを旦那に訴えても、
「子どもが嫌いだから、そんなことを言うんだろう。」と言われ、
母に話すと、
「子どもが小さいうちは、無理。」と認められずにいました。
でも、私はその中で、本屋にいることで自分を取り戻しながら生きていたのかもしれません。

今、当時のことを振り合えると、あそこまで今の自分は、やり遂げることは出来ないと思うし、よく頑張ってたと思うことも出来ます。
ただ、何も思わず、苦痛を感じることもなく出来る人がいるのに、何故私は、苦しさを感じてしまうのだろう。
その苦しさを感じてしまった自分を責める気持ちが生まれてくることがあります。

その気持ちをカウンセラーに話すと、
「残念ながら、何も苦しまずに出来るようになることはないよ。」
そう言われました。
そういう気持ちを責めるのではなく、自分ではどうしようもないのだと手放し、ハイヤーパワーにとめてもらうのだと言われました。
こういう葛藤は、必ず突き当たる壁なのだと言われました。

一年前には、受け止めることも整理できなかった問題を、一年後の今、こうやって整理出来始めていること、ちょうど一年になるカウンセリングでそれを話題に出来たこと、そしてカウンセラーとも同じ想いを共感できたこと、嬉しい偶然でした。

心の旅は、まだまだ終わっていません。
生育歴も、高校時代で止まっています。
でも、今生きていくことに必要なことを、少しずつ強化しながら歩むのもいいのかなと思っています。

ここでの吐き出しがのんびりになってしまいました。
でも、それは私にとっていいペースになってきたのかもしれません。
この場所に依存するのではなく、強迫的に吐き出すのではなく、自分のありのまま思いのままに、この場所と付き合えるようになってきたのかもしれません。



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一番

2006-10-14 00:50:51 | 私のこと
心の中では、ずっと一番になりたいと願いながらも、そんなこと出来るはずないとか、そうじゃなくなる時が怖くて、一番になろうとしませんでした。
本当は、誰かのたった一人の大切な人になりたいと思いながらも、わざわざ一番じゃない関係性を望んできたような気がします。

今、私だけを大切にしてくれる誰かに愛されたい思いでいっぱいです。
自分だけを見てくれる誰かに、傍にいて欲しいと願っている私がいます。
永遠なんてものは、存在しないのに・・・
1対1の関係性を求めてしまっています。

自分の一番の理解者は、他者ではなくて、自分であればそれでいいのに、今もなお、誰かに認めてもらいたい気持ちを手放せずにいる私がいます。

気持ちはとても穏やかで、苦しい思いや、辛い思いは何もないのに、私一人だけを愛してくれる誰かが傍にいて欲しいと、そして抱きしめた欲しいと、そこから離れられない私がいます。

それは渇望なんだとわかっています。
そこからは、積み上げるような人間関係が生まれないこともわかっています。
なのに、幻想のようなものに私はしがみつきたい気持ちでいます。

穏やかなのに、寂しくて、寂しくてたまらない。
きっと、これが生きていくうえでの、本当の寂しさなのかもしれないと思います。
この気持ちとしっかり向き合って、この寂しさと上手く付き合えるようになって初めて、回復なのかもしれません。

ネットで知り合った相手とも、きちんと気持ちの整理も出来て、付き合えるようになったし、その上で逢ったところで、揺らぐこともなく、再び依存することもなくただ一人の友達としての感情しか湧いてこなくなりました。

でも、ふとした拍子に寂しさに、誰かに依存したくなってしまうのです。
ふーっと引き寄せられてしまうような、危うさを持っているのです。
今は、この感情としっかりと向き合っていくしかないんでしょうね。

そして、この感情を手放すことが出来た時、本来の関係性を築くことが出来るのかもしれません。
寂しさは、自分でそっと抱きしめていよう。
もう少し、寂しい気持ちと向き合っていよう。




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カウンセリング49

2006-10-11 18:02:20 | カウンセリング
最初に、「もう負けないよ。」って言葉を頂いたことで、パニックを起こすことなく乗り越えることが出来たことを伝え、御礼を言いました。

前回のカウンセリングから、自分自身で今後「12ステップミーティング」を開くことを提案されていました。
それについて私が考えること、どのような形で開催したいと思うかなど話していきました。

私が1年間してきたことにとっても意味がある。
経験や希望や力は分かち合わないと意味がないよ。
ブログとかmixiで伝えることもいいけれど、現実のコミュニケーションも大切だと言われました。

ミーティングに行くまでに何を話そうか考える。
終わった後も、仲間が話してくれたことや、分かち合ったことを考える。
カウンセリングも、1時間話したことで終わりではないように、グループにはそういう意味がある。
現実は重いこともあるし、画面上では、言葉と行間でしか読み取れないけれど、実際のコミュニケーションでは、表情や涙という言葉にはならないメッセージがあると言われました。

実際、ミーティングに参加していて、自分ではもうどうしようも出来ない過去の想いを泣きながら話して、いつまでもこだわっている自分が嫌に思えた時、ふと顔を上げると他の人たちも、一緒に泣いてくれていました。
それまでは、自分すらも認めることが出来なかった想いを、親にも否定されていた想いを、ただうなずきながら泣いてくれてる姿に、受け入れられていることを感じました。

言葉なんてなくても、一緒に泣いてくれる人それだけで強くなれるような気がします。
自傷した時、泣いてくれた母の姿は、私にとっていつまでも心に残っていたから・・・
あの時の母がいなかったら、私は、同じように自分を傷付け続けたと思うから・・・

普通の家庭に育って、自己肯定感のしっかりしている人は、何があってもタフだと思う。
でも、12ステップを踏みながら自分を見つめることによって、スピリチュアルやセレニティを与えられる。
そして、一日、一日を感謝することが出来るようになると言われました。

本当にそう思います。
このブログを始めた頃は、自分の身に起きたことを恨み、旦那を非難することしか出来ませんでした。
でも、今は、辛い出来事も悲しい出来事も、与えられていると感じることが出来るようになりました。
1年間で、一番大きく変われた点は、その部分だなと思います。

そしてもう一つ。
今までは、行事や仕事の度に、緊張が付きまといました。
子どもの運動会も、寝坊する夢を何度も繰返し見て、熟睡できず、早朝覚醒していました。
それが当たり前だと思ってました。
母からも、眠れなくて当然だと言われ続けていました。
結婚式に、遅刻する旦那が信じられませんでした。
でも今回、早朝覚醒はするものの、夢を見ることはありませんでした。

仕事の前日から当日に掛けて、いつも忘れ物はないかとか、不安が付きまとっていたのに、何も感じなくなりました。
現実感がなく、おかしいのかもしれない、離人っぽいのかもしれない、そんな風に思っていました。
何も感じないことが、逆に不安に思えていました。
そのことをカウンセラーに話すと、
「それが回復だよ」と笑いながら言われました。

小さい時から、何かあるたびに、不安な気持ちや焦りや緊張感で身動きが取れなくなってしまっていたのに、何もないということはこんなにも楽なんだと思いました。
不安な気持ちよりも、何とかなるよという思いが私の心の中に湧き上がってきます。
でも、何もないというのは、不感症になったみたいで、気持ちが悪い。
今まで、自分に寄生していたものが急になくなると、逆に寂しいというか、おかしくなったんではないかと思ってしまうのです。

カウンセラーと話しながら、旦那からの手紙をテーブルの上に置いたまま出掛けようと思うと話しました。
「無理して渡さなくてもいいし、でも渡しても大丈夫だよ。
 持ったままでいるのも、気になるだろうし・・・」
「旦那の職場の前を通って、車も見て、本当ならパニックになるような場面でも大丈夫だったんだから、手紙を仮に見ても大丈夫だよ。」
そう言われました。

一つずつ、踏みしめてもらってること、それによって力を与えてもらってるなと感じます。
今日は、カウンセラーが他の人から貰った素敵な言葉をいっぱい話して頂きました。
その言葉がいつか自分のものになって、誰かに渡していけたらいいなぁと思っています。

カウンセリングが終わって、出掛ける時に、手紙を置いていきました。
私の目の前で、手紙を開けられることは怖かったし、子ども達の反応を見ることも怖かったので、いない間に見てもらおうと思っていました。
家に帰ると、次女が受け取った手紙が広げておいてありました。
パソコンで印刷された文字が並び、図書カードが入っていたみたいでした。
見ても、なにも感じませんでした。
ドキドキすることも、苦しくなることもありませんでした。
なんだか不思議でした。

今まで、私は無駄な感情をいくつも抱えてきたことを知りました。
そして、その感情に振り回されていたことに気付きました。
自分でコントロール出来なかった感情なのに、心から消えているのはなんとも言えない感じです。
回復とは、こういうものなのだと改めて身を持って知ったのでした。

まだまだ手放さなければいけない感情をいくつも抱えていることでしょう。
一つずつ、一つずつ、進んでいけたら、それでいいかなと穏やかな気持ちでいることが出来ていること、感謝です。



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言葉

2006-10-11 00:16:51 | 日々つれづれ
子ども達の運動会の代休や、三連休で仕事がたまり、自分と向き合うことからちょっとの間逃げていました。

昨日は、子ども達と出掛け、バスで旦那の職場の前を通ることを思い出した時、不安な気持ちが襲ってきました。
一人だと、逃げることも出来る。
でも、子どもと一緒の時、そういうわけにはいかない・・・・。
そして、職場に旦那の車が止まっているのが見えた時、不安でいっぱいになりました。

ちょうど昼時。
終点のバス停から、旦那の職場は目と鼻の先。
偶然に出会ったりしたら・・・・

『もう、負けないよ』
カウンセラーの言葉が胸に蘇りました。
力強くて、しっかりとした口調で言われたその言葉。
それを思い出すと、不思議と力が湧いてきました。


今日は、次女の誕生日。
仕事から帰る途中、メールが・・・
「家のメーターボックスに○○(旦那の実家)から結衣のプレゼントや新米が入ってます。開けてみてください」

玄関先まで来たんだと思うと、やっぱり胸が苦しくなった。
そして、郵便ポストには、旦那からと思われる3人の子どもに宛てた手紙が・・・
その時、
『もう、負けないよ』
また、カウンセラーの言葉が蘇りました。

手紙を子ども達に渡すことは出来ませんでした。
旦那の実家からの荷物が届いていることは、子ども達に伝えたけれど・・・
旦那の手紙を見た子ども達の反応も怖い。
それによって、自分が不安になるのも怖い。

子どもは、父親から愛されていた方がいいけれど、でも私には出来ません。
それでもいいかと思うことにしました。
自分の身を守ってもいいんじゃないかと思うようにしました。
子ども達を、見ているのは私一人で、子ども達のためにも、揺れることなく暮らせることが一番だから・・・
いずれ、自分の問題を解決できた時、渡すことが出来たらいいなと思うことにしました。

でも、カウンセラーのくださった言葉に、私は助けられました。
たかが一言、されど一言。
人を傷つけるのも、殺すのも、そして暖かく包むのも言葉なんだなと思いました。
私も、そんな魂のある言葉を発することが出来るようになりたいと思ったのでした。



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カウンセリング48

2006-10-04 17:48:26 | カウンセリング
今日、カウンセリングを受けるのに、少し勇気が要りました。
旦那からのメールがあって、取り乱した状態で、電話をしてしまったので、気まずい気持ちでいっぱいでした。
気まずさから、逃げ出したい気持ちもありました。
たぶん、今までの人間関係において、そうやって逃げてきたような気がします。
けれど、逃げ出すことは今までと同じだなぁと思って、勇気を出して電話をしました。

でも、カウンセラーの一声は
「大丈夫だった?」の優しい言葉でした。
それがとても嬉しかったです。
「もう大丈夫。」と伝えると、
「すごいねぇ~」と褒めていただきました。

前回のカウンセリングの後、辛くなったこと、そこに旦那からのメールが来て、パニックになったこと。
でも、少しずつ自分を取り戻せていけたこと。
運動会の当日には、開き直った気持ちになれたことを話しました。

何故、当日ブレなかったか考えていきました。
いつまでもパニックを起こしてしまう自分が嫌だったこと、でも、ブログに吐き出しても受け入れてもらえたこと。
そして、身近にも、たくさんわかってくれる仲間がいることに気がつけたこと。
を話しました。

その仲間は、一年掛けて、少しずつ自分が築きあげたものなのだと言われました。
今まで、出すことの出来なかった自分のダメな部分、嫌な部分、辛い気持ちや苦しい気持ちを、ブログに綴って、もしかしたら非難されてしまうかもしれないと思っていたのに、受け入れてもらって、実生活でも同じように、少しずつ自分を出す努力をしてきたこと。

一年間、自分を見つめてきて、それを続けてきたこと。
心の友達を作ったこと。
それは、自分が作り上げたものなんだと、
「もう負けないよ」そんな風に仰ってくださいました。

混乱に陥った時、周囲の人間が怖くて仕方のない時、一番信じられないのは自分なんだと言われました。
一年間歩んできた自分を信じること、そうするとブレないんだと言われました。
この先も、揺れる時は「I'm OK.」今までこれだけやってきたんだから大丈夫と思うようにするといいと言われました。

私自身が思っている自己評価とカウンセラーが客観的に見ている私の評価が大きく違うこと、カウンセラーの評価に、自分の評価が追いついていくことが今後の課題だと言われました。

まだ、私自身は乗り越えられたという実感はありません。
また同じように、繰り返してしまうかもしれないという恐怖感もあります。
でも、もしそんなふうになっても、今回と同じように、友達や支えてくれる人々のことを思い出すと強くなれるのかなと思います。

カウンセラーが
「僕が今まで貰った言葉を言ってるんだよ。」と言われた時、数ヶ月前に、自分が感じたことを思い出しました。
ちょっとした相談を聞きながら、無意識のうちに、自分がカウンセラーから受けた言葉が出ていたこと。
こうやって言葉や共感のバトンを渡すことが出来たらいいなぁと思いました。

今回のカウンセリングでは、宿題を頂きました。
まだまだ先が見えないのですが、自分が考えていることが、少しずつ形になればいいなぁと思っています。



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出会い

2006-10-03 23:50:49 | 日々つれづれ
出会いって不思議だなと思う。
ちゃんとその時々に、自分に必要な人に出会わせて貰ってるなと思う。
5月に知り合ったママ友さん。
最初は、子どもの遠足のバスで、ちょうど隣に座り合わせた。
転園してこられたばかりの様子だったから、私から積極的に話しかけた。
そしたらご主人が、旦那と同じ職場だったから、びっくりした。

あれから5ヶ月。
少しずつ、色んな話を交わした。
彼女は、役所内の不登校児のクラスを受け持っている。
私は、もうすぐ進学することなども話していた。

今日も、帰りに子ども達が一緒に遊び始めたので、話をした。
以前住んでいた所で、市の子育て支援によるカウンセリングを受けたことがきっかけで、カウンセリングの勉強をしたらしい。
それが、きっかけで今の仕事をされているとか・・・
虐待児童の支援にも興味を持たれていて勉強中。
私は、そのお母さん側のケアが出来たらいいなと考えていることを話した。
彼女は、実際に不登校児などと接しながら、お母さん側の支援の必要性を感じていたということだった。

ただ漠然と考えて、勉強しようと思っていたことが、また一つ繋がった気がする。
ちゃんと同じ道を歩もうとする仲間を用意して貰っていたこと、そしてそのことに気がつけたこと。
なんだかありがたいなぁと思った。

まだまだ色んな繋がりが生まれてくるのかなと思うと、わくわくする。
辛いことや、悲しいことは、いつか恵となることを、少しずつ感じられるから・・・
また、少しずつ歩き始めよう。



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