私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

昨夜のことで・・・

2007-03-31 21:52:38 | 私が離婚を決めた理由
久しぶりに離婚について考えた。
最初は、もう離婚しかないと思い、気持ちや経緯を整理しようと始めたブログ。
調停の書類も書いたし、戸籍謄本も取り寄せていた。
でも、そのまま、私の心に答えが出ぬままいた。

結論を出さぬまま、自分の過去を見つめた。
カウンセラーと過去を癒し続けた。

もし、旦那が私と同じように、過去を見つめればどうだろう。
そう考えた。
別れることも、一つの方法だけれど、お互いが自分を見つめ、その上でやり直すことも可能ではないかと思った。
縁あって一緒になった人。
二人が知り合った意味がわかるまで、このままでいいんじゃないか、そう思っていた。

別居して、1年半。
少なからず、旦那は、給料を振り込んでくれ、そしてマンションのローンも払い続けてくれた。
それについては、とても感謝している。
少なくとも生活に困ることなく暮らしていくことが出来たから・・・。

だからこそ、急ぐ必要はないと思っていた。
今、結論を出さなくても、いずれ答えが出るのだろうと思った。
それと、まだ、私は旦那に逢えなかった。
もう心をかき乱されることは嫌だった。
出来ることなら、平穏に暮らしたかった。

けれど、こうやって夫婦の関係を続けている限り、私には苦しみが付きまとう。
いつ逢うかもしれない。
いつ何かを言われるかもしれない。
何をされるかわからない。
それでは、私の心は、本当に休まることはないのかもしれない。
そう思った。

弁護士を立て、逢うこともなく、離婚するのもいいのかもしれない。
今までどおり、メールだけの連絡で、子どもがYESと言えば、面会に応じれば、もう顔を合わすことも避けることが出来るのかもしれない。

ここまで、逢いたくない、顔も見たくない相手と、やり直すことはもう無理なのかもしれない。
例え、相手がカウンセリングを受けて変わっていったとしても、常におびえ続けなければいけないのかもしれない。
私は、それを背負うことが出来るほど、強くないのではないか・・・そう思う。

子ども達の周りで、また一組、離婚がある。
もう、離婚は、非日常的なものではない。
子ども達も、もう受け入れることが出来るのではないか・・・
姿の見えぬ父親を、形だけの父親としておく必要もないのではないか。
形は変わったとしても、父親であることは、一生変わらないのだから・・・

もう、自分自身が、楽に生きられる道を選択してもいいんじゃないか?
もう、これ以上、背負う必要はないんじゃないか?
私の心は揺れ始めている。



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旦那に対する気持ち

2006-07-27 18:58:00 | 私が離婚を決めた理由
昨日、私の留守に電話が掛かっていた。
結婚前、一緒に仕事をしていた上司から。
仕事をきっかけに興味を持った不動産業を始めると、1年半前に早期退職している。

その上司の送別会をすることになるちょっと前、旦那が暴力をふるって、私は110番していた。
直後は、どうなるか覚えていろと意気込んでいたが、その後は急に優しくなり、私が勤めを辞めてからは、夜、外出させてくれることもなかったのに、私が出席出来るように計らってくれた。

その時の幹事は
「いい旦那さんだね。
 家ばかりでは、ストレスがたまるみたいだから、よろしくお願いしますって言われてたよ。」そう言った。
その時は、その幹事と旦那は、同じ職場と言うだけで、接点がなかった。
でも、家庭を大切にしているという印象を受けたようだった。

退職した上司と旦那は、同じ職場になったことはなかったが、何かで一緒に東京へ出張へ出掛けたことがあり、懇意にしていた。
だけど、その人が仕事を辞めて不動産業を始めると知ると、旦那は馬鹿にし始めた。
素人かそんなこと仕事に出来るはずがないと決め付けた。

去る上司に対しては、今までの恩も忘れ、冷たい態度を取り、今から一緒になる可能性のある幹事には、自分のいい所を見せ付けた。
旦那の、本心を見たような気がした。
私が、勤めていた時の態度と、私が辞めた後の旦那の態度、そのままだった。
その後、幹事と同じ課に配属され、幹事は旦那の上司になった。

今回、退職した上司からの電話は、もしかしたら幹事から話を聞いて、私を説得しようとしているのかもしれないと私は構えてしまった。
私は誰がなんと言おうと、気持ちが動かないだろうと思った。

でも、電話の内容は違っていた。
「知り合いの息子の嫁になってくれる人を探してるんだけど、あんたの友達に誰かいい人いない?」と言う。
思わず、
「私じゃ駄目???」って聞いてみた。
「そんなこと言ったら、父ちゃんに怒られるで…」
私たちのことは知らないんだと思った。

それと
「○○にいい物件があるんだけど、家探してる人いない?
 予算は250万円で、築30年だから改装が150万くらいかかると思うけど、
 悪くはないと思うよ。」
思わず、私が住みたいと思った。
そうしたら、マンションを売ってローンを払ってもそれ以上のお金入るじゃないと思った。
そうすれば、何にも考えることなく、別れられるじゃないと思った。

「何か物件探している人がいたら、連絡して。」
そう上司は電話を切った。
私は、電話を切った後、上司は引っ越していたので、新しい電話を知らないことに気が付き、着信記録を見て、何かのためにと番号を登録した。

でも、どうして上司は、ここの電話番号を知っているのだろう?
ふと疑問に思った。
その疑問の答えを数時間後に知った。
旦那からのメールがあった。
「○○さんから電話があり、貴女と連絡がとりたいとのことでしたから、家の電話番号を教えました。」

旦那は、別居していることを隠している様子だと、周りの人から聞いたことがある。
たぶん、何知らぬ顔で、上司にも連絡先を教えたのだろう。

私はと言えば、旦那のことを聞かれると、嘘を重ねることに疲れて、正直に別居中であることを話している。
少し前までは、別居であることを話しても、元に戻った時にやりにくいからと咎める気持ちと、私が悪いんだって思うところもあったから言えずにいた。
でも、噂好きだなと感じている人以外には、自分の気持ちも話している。

旦那は、やり直せると思っているのだろうか?
1年近くも、ほとんど会話を交わすことのないままにいる私。
旦那にとっても不安だろう。
もしかしたら何らかの形で、今の気持ちを話すことがいいのかもしれない。
でも、旦那のことを考えるだけで、嫌悪感でいっぱいになる。

それとやっぱりずるいのだろう。
一緒に生活する気はないと思いながら、下手な形で離婚して、お金に不自由するよりも、今のまま生活費を入れてもらうほうがいいと考えている。

結婚前に貯めていた貯金や自分の稼ぎを、きちんと持っていればそこまで考える必要もなかったであろう。
浪費家の旦那の給料は、ほとんど旦那が使い、結婚後に買い換えた車、家の頭金、ローンは、私が仕事を辞めるまですべて私が調達していた。
おまけに退職金は、私の専門学校の学費を除いてはすべて繰り上げ返済に使われた。

でも、その証拠が残っているわけでもない。
「そんなこと知らない。」旦那に言われたら、それでおしまいだ。
「そうだったね。悪かった。」なんて言う人間じゃないということは、今までの生活でようやく悟った。
悟るまでの間、旦那にもそういう誠意があるのだと、それを引き出そうと必死になった。
今は、最初から持っている人間じゃないんだと思っている。

旦那が、カウンセリングを受ければ、こういう誠意が持てるようになるのか?
私は、信じてはいない。
もう信じて裏切られるのは嫌なのだ。
変わるかもしれないという、可能性すら信じるのが嫌なのだ。
旦那のことで、傷付いたり振り回されたりしたくない。
もうたくさん、そう思う。

モラル・ハラスメント

2006-03-09 20:02:07 | 私が離婚を決めた理由
このブログを書き始めて、しばらく経った時、モラル・ハラスメントという言葉に出会った。
そして加害者の男性の特徴と旦那が重なると共に、被害者である女性の考え方も自分と重なった。
そして、色んなブログに出会うにつれ、自分と同じような状況の夫婦が多いこと、行動パターンや思考パターンが酷似していることが気になった。
これには、何か目に見えない法則があるのではないか・・・・・・
それなら、専門家に委ねてみようと思ったのがカウンセリングを受けた始まりだった。

ずっと、拝読させていただいていたまっちーさんのモラルハラスメント・ブログ「欲しかった愛、もらえなかった愛。」「欲しかった愛、もらえなかった愛。続き」記事を読んでいて、ああやっぱりそうだったんだ・・・・そう思った。

「自己愛」の欠如した自分が、
病的に「自己愛」たっぷりの男に惹かれた。
それは必然であり、当然のことだったのだろう。


その文章で、今までの気持ちがストンと落ちた。

まっちーさんの言われるとおり、当たり前に、欲しいだけの愛情を受け取って育った人にはわからないかもしれない。
そして、それでも自分を大切にする術を、きちんと身に着けることが出来た人にもやはりわからないかもしれない。
成長過程において、私は「自分が大切な存在であること」「自分は愛される存在であること」そう思うことが出来ずに育ってしまったのだ。

自分の感情を押し殺して、愛を与えられることを求めるという手段だけを学んでしまった。
それは、対等な関係ではなく、自分を大切にすることもなく、束の間の、一瞬の愛で良いからと与えてくださいと求めてしまっていたのだ。

いつかは分かってくれるのだと、いつかは気が付いてくれるのだと、旦那が与えてくれる愛を求め続け、待ち続けていた。
愛情ではなく執着心。
母に求めていたことを、旦那に求めてしまっていた。
まっちーさんの記事には、私の苦しい気持ちの全てが言葉にされていた。

モラル・ハラスメントに出会うきっかけは、私の心の中にあったのだ。
家庭に起こる問題は、症状であって原因ではないのだと言われたことがある。
子どもが起こす問題行動や夫婦間の問題は、外側であって、それが一番の問題ではないのだと、問題は内側にあるのだと・・・・・

別居直前に起きてしまった様々な子どものトラブルも、私の心の中から出た膿なのかもしれない。
まずは、しっかりと自分を見つめ、癒すことに専念しよう。
自分と子どもが幸せになれるように。

ありときりぎりす

2006-02-13 20:00:29 | 私が離婚を決めた理由
何でもかんでも旦那は目の前にある問題を後回しにした。
例えば、職場に提出する書類であったり、年賀状であったり、家事であったり・・・・
職場に提出する書類は、前日になって私に見せた。
生命保険の更新手続きだったり、扶養親族の確認資料であったり・・・・
事務手続きは、私の職種でもあったので、当たり前のように私がしていた。
でも、仕事を辞めて数年立ってからは、それをするのを辞めた。
もう、制度が変わっていて、私は解らないから、自分でやってと突き放した。

年賀状の写真の準備から、印刷の手配も全て私だった。
全ての段取りを整えてから、旦那に渡しても、一向に書こうとしなかった。
結婚してしばらくは、親戚や上司にちゃんと出さないと私が笑われると思い、仕方なく私が書いた。
お正月に、旦那の実家に帰って唖然とした。
年末の掃除もされていない部屋に、出されていない年賀状が塔のように立っていた。
500枚近い年賀状を、姑一人が書いていた。
毎年、除夜の鐘を聞きながら書くのが常と言う。
でも、だんだんそうすることも馬鹿らしくなり、私は書くのを辞めた。
印刷だけはしていたのだが、気が向けば返事を書く程度で、ここ数年は、手のつけられていない年賀状がそのまま置いてあった。

家の用事の何を頼んでも後回しだった。
私があくせくと動き回っている間、寝ていてテレビを見ていた。
そのくせ自分が動き始めると、自分ばかりにやらせると文句ばかり言っていた。

そんな旦那に私は、「ありときりぎりす」の話をした。
どうせやらなければいけないのなら、目の前のことを先にやってしまったほうが、気が楽ではないのかと。
あとで慌てるのは自分ではないかと・・・・・
でも、結局いつも尻拭いを私がしてしまっていたのだ。
旦那にとっては、手伝ってもらえるその方が良かったのかもしれない。
別居する前は、そんな旦那を無視していた。
いつやろうが、旦那の勝手なのだ、私には一切関係ないのだと、私は自分に言い聞かせた。
そうすると、夜中に起きだして自分の分担分の家事をしたり、朝出かける前に、遅刻しそうだとわめきながら、こなすようになっていた。



先日、長男の公文のプリントに「ありときりぎりす」の絵があった。
表には、歌を歌いながらバイオリンを弾いているきりぎりすと、必死に働いているありの絵があった。
裏には、暖かい部屋の中で、食べ物をおいしそうに食べているありと、寒さに凍え今にも倒れてしまいそうな姿のきりぎりすの姿があった。
それを見た長男、
「なんでありは、きりぎりすに優しくしないの?きりぎりすは可哀想。
きりぎりすはみんなのために、歌っていたのに、ありは悪い!!」そう言った。
そして
「ありは悪者だから、やっつけてやる。」と・・・・

いつも寝転んでばかりの旦那を注意した時、
「わしがこうやってのんびりしているのを見ると、子ども達は安心するはずだ。
そのためにこうやって寝ているのだ。」そう言い放った。
そんな旦那の尻拭いをしなくなったから、私はやっつけられたのだろうか?
なんだか、違う気がする。
長男もそのことにいつか気がついてくれるといいのだけれど・・・・・

嫌悪感

2006-01-23 09:45:59 | 私が離婚を決めた理由
旦那のこと、少し冷静に見つめることが出来るようになったと思ったばかりなのに、また嫌悪感が甦ってしまった。
他のブログで、出産のことに触れられているのを見たとき。
きっと、これがフラッシュバックなのね。

長男のお産の時、陣痛で苦しむ私に、手を差し伸べるでもなく、優しい言葉を掛けるのでもなく、ふざけて苦しむ姿をビデオに撮っていた。
何度も「やめて」とつぶやいたけれど、両隣のベットには人がいて、控えめに言ってしまったこともあって、止めてくれようとはしなかった。

心が敏感になっているせいか、実際にされたあの時よりも、辛い気持ちが心を渦巻く。
あの時よりも、苦しい気持ちになる。

「やめて」という言葉は、どういう時でも、否認を示しているのに、旦那にとってはそうじゃなかったらしい。
無理矢理セックスされて、嫌だったときに「やめて」と発しても、わざと言っているとしか取ってくれない。

子どもたちが、「やめて」と言っているのに、ふざけ続ける旦那。
涙を流していようと、「やめて」の意味が伝わらない。

子ども達も、時々姉妹弟げんかの中で、同じことがいえる。
「やめて」は「やめて」なの。
嫌だって言っているの。
「やめて」と言われたら、絶対に止めなさい。
そんな風に、何度も、何度も伝える私。
きっと、気付かないうちに、思い出しているんだろう、自分の痛みを。

どんなに「やめて」と繰り返しても、追いかける母。
すべて、気がつかないうちに、心の中ではつながっているのだろう。


また、ネガティブモードのスィッチが入りそうになる。
掃除して、自助グループのミーティングに出掛けます♪

メールのやり取り

2006-01-11 01:38:29 | 私が離婚を決めた理由
旦那「よりを戻す気ないんでしょ。いまの生活が楽しいんでしょ」1/9 8:51

旦那「ヤキモチ妬いてんのよ。嫉妬。男と逢ってただろうに」1/9 8:58

あのメールの後、やり取りが続いた。

私「何を根拠にそんなことを言っているのかよくわかりません。誰とも二人きりで逢っていないけど?」 1/9 9:06

旦那「でも外で男と逢ってたでしょ?それは間違いないよね!」1/9 22:23

私「男と逢っていたという意味が良くわからない。偶然に、元職場の人に会ったこともあるし、皆で食事に行ったこともある。長女のダンスで、会ったこともある。
誰かと約束して、二人きりで会ったことはないけど??何の根拠でそんなことを言うのかわからない。いつ、どこで、誰と逢っていたというの?」1/9 22:34

旦那「ならいいです。ヤキモチよ。悔しいだけ」1/9 22:42

私「意味がわからないんですけど?何の根拠もないのに、私を疑って責めたの?私はあなたに自由にしてもらってもかまいませんよ。もう、あなたが何をしても私は責めようとは思わないし。だって、あなたは私から責められることも、自由になれないことも嫌だったんでしょう。私が、あなたを追い出してしまったのだから、咎められることなく、思いのままに過ごしてもらってもいいですよ。好きなだけ、女遊びしてもらっても、仕事してもらってもかまわない。子どもの面倒を見なくても、怒らないし。それをあなたは望んでいたのでしょう?私にそうして欲しかったのでしょう?
保育更新の書類が来ています。源泉徴収の写しと、証明がいるのですが・・・・・ 」1/9 22:48

旦那「根拠はある。みかけた人が言ってた。
保育更新の書類?
勝手だね!!
母子家庭でだしたらいいじゃない!!
わしなんかいなくてもいいんでしょ」1/10 0:37(メールは遅れて届いて10:00以降に届きました。)

仮に見かけた人がいるとしよう。
普通、男と女の関係かもしれないと思ったら、直接その配偶者に伝えるかな???
少なくとも、私はわざわざ伝えない。誰も、それを聞いて、幸せになれないから。
何でもない関係だろうと思うから、わざと伝えるのでは?
みかけた人って誰?それって、本当に私だったかどうかもわかんないじゃない?
似ている人の可能性だってあるじゃん?
単に、かまかけてるだけ???


旦那「無視しないでください。」1/10 8:59

私「 >根拠はある。みかけた人が言ってた。
いつか知らないけれど、それって偶然に出会った人と歩いていても、そうでしょ?悪いけど、心当たりもないし、そんな暇もない。
> 保育更新の書類?
> 勝手だね!!
> 母子家庭でだしたらいいじゃない!!
それでは、別居中で、応じてもらえない旨を、役所に相談してみます。
ただ、マンションの理事長はあなたが引き受けた仕事なので、最後まで責任持ってくださいね。
無視したんではなくて、このメールが届いたのは今日の10時過ぎですが・・・・? 」1/10 17:38

旦那「メールは昨日出しましたよ。書類は書くからポストに入れといて。ただし貴女も私とよりを戻すことを真剣に考えてよ。わしは仲良くしたいよ」1/10 20:13

別に、私は、あなたがメールいつ出そうが気にしていないんですけど?
無視したって思っているみたいだから、届くのが遅れたことを伝えただけで・・・
書類だって、書いてくれなきゃ書いてくれないでいいんだけど・・・・
それを引き合いに、よりを戻して欲しいって言われても、違うような気がするんだけど?
仲良くしたいのに、なんで、そうとは取れないようなメールばかり送るの?
「意味不明」だし・・・・・


私「今のような、以前と変わらない態度では、一緒に暮らす気になれません。私は、カウンセリングを受け続けています。具体的に変わろうとしています。その中で、まだ、あなたと暮らすことは好ましくないと判断しています。あなたは家族のために何をしていますか? 」1/10 20:29

旦那「今のように追い出しておいて、しかも子供にも合わせないどころか話しも出来ない状態でどうしろというの?たとえ子供とあっても子供が責められそうだし。」1/10 20:39

私が求めてるのは、そんなことではないんだけどなぁ。
まぁ、いいか。
いつも、こんな風に、会話が成り立たないんだから・・・・・・
これ以上の会話は意味なさそう。終了~



旦那とのメールのやり取りにも、冷静になれて来た。
でも、いつも誰かに見られているような気がして嫌だ。
この街に住んでいる以上、こんな風に、誰かが見て、それを旦那に告げるのかな?
街を歩けば、必ず、知った顔に出会うし、私が知らなくても、私を知っている人はたくさんいる。
私は、犯罪者のように、何をするにも怯えなくちゃいけないの?
たとえ、離婚したところで、それは変わらない。
この県から、出なければ、ずっとそうなのかなぁ・・・・

結局

2006-01-09 10:18:41 | 私が離婚を決めた理由
「わぁわぁ怒鳴ることです。そうすれば自分の思い通りになる、ねこが折れてくれると思っていました。強気がかっこいいと考えていました。」

「自分でもよくわからんけどねこにつんけんどんな口調や嫌味を言われたらすごく腹が立った。かーっときて怒鳴り人間性を否定するような罵倒をした。するとねこもさらに嫌味をいいエスカレートしていった。仕事がうまくいかないときや人間関係がうまくいってないときに限って無理難題をふっかけてくるきがした。わしの気持ちも知らないのにと頭にきた。だから憎いとも思ったよ。」

過去に旦那から来たメールだ。


旦那は、徹夜した後とても機嫌が悪かった、機嫌を損ねてはいけないそう思っていた。
旦那は、「仕事がうまくいかないときや人間関係がうまくいってないとき」無意識のうちにオーラを発していた。

そして、私も、それに怯えながらも、無意識のうちに反応していたのだ。
お互いに、相手のことが出すオーラに気が付きながら、自分が発するオーラに気が付かないまま、自分を守ろうと反応し続けていた。
いくら自分で自分をコントロールしようとしても、無意識レベルで行われていることに気が付けてないから、何度も同じことを繰り返していた。

「自分でもよくわからんけどねこにつんけんどんな口調や嫌味を言われたらすごく腹が立った。かーっときて怒鳴り人間性を否定するような罵倒をした。」
よくわからないうちに行動を起こしているのだ。つまり反応なのだろう。
旦那は、自分が口にしたことも、どのように暴力を振るったのかも覚えていないことが多かった。
忘れたふりをしているのだと思い、誠意のなさに腹が立ったが、本当に覚えていなかったのだろう。

結局、無意識のレベルで、私達夫婦の関係は崩れてしまったのであろう。
無意識で反応していたことを、意識できたこと大きな進歩だと思う。
ただ、それに気が付いても、やり直してみたいとは思わない。

朝、2通のメールが届いた。
「よりを戻す気ないんでしょ。いまの生活が楽しいんでしょ」
はい。正直言って楽しいです。とは返信しないけれど・・・・・

「ヤキモチ妬いてんのよ。嫉妬。男と逢ってただろうに」
今更、やきもち妬かれても、気持ちが悪いとしか言いようがない。
元々、私にはやきもち妬かれる事は心地よくないのだ。不快にしか感じない。
むしろ逃げ出してしまいたくなるのだ。

誕生日

2006-01-09 02:02:27 | 私が離婚を決めた理由
1月8日は、旦那の誕生日。
朝、子ども達にお父さんの誕生日だということを伝えた。
「電話してもいいよ。」と言った。
でも、誰も、何とも言わなかった。

私は、付き合い始めて最初の誕生日、旦那からは何も貰えなかった。
一緒に居たい。ただそれだけを願ったのに、5日後に控えた自分達の結婚式のパンフレットを友達と作りに出かけた。(普通は友達が作ってくれます)
私は、不満だった。
何故、旦那は、誕生日の私を放り出してまで、友達との付き合いを大切にするのか・・・・・
ましてや、それは友達の好意によって作られるもので、無理に作る必要もない。
結局、結婚後も、こういったことが何度も繰り返されることになる。

旦那にとって誕生日は、さほど重要なセレモニーでもなんでもなかった。
私だけでなく、子どもの誕生日も、それほどまでに大切にしようとしなかった。
やっぱり、自分が優先だった。
私にとって、子ども達の誕生日は、私にとっても記念日であるが、旦那にとってはそうではなかったのだろう。
でも、やっぱり誰からも祝ってもらえない誕生日は可哀相だと思った。
なので、子ども達に、伝えたのだけれど・・・・・

さっきメールが届いた。
「寂しい誕生日でした。あなたも子供達もわたしがいなくてもやっていけるのですね。別れますか?あなたは彼氏ができたようですね!考えを聞かせてください。馬鹿にするのもいい加減にしてください。あなたに人の事が非難できるのか?返事を下さい。」

年末、男性と共に歩いた。私は、芸能人でもなんでもない。
なのに、いつでもこんな風に、誰かから旦那の耳へ伝わってしまう。
時期が年末であること。多少なり危険性を感じたのも嘘ではないが・・・・・
そうやって、こそこそするのはもう嫌だった。
以前、結婚後好きになった男性と歩いている時も、そうだった。
旦那は、意味深な言葉で、私を責めた。
ある旦那が酔った日に、それは白状されたのだけれど・・・・・
「お前の奥さん、○○と歩いてたよ。浮気してるんじゃないか?気をつけろ。」と誰かに言われたらしい・・・・・。
やましいことをしていないと思う気持ちと、でも男性に対する好意もあって、疑わしい真似をした自分を責めた。
でも、平気で逆のことを旦那はしているのだ。
職場の女性と飲みに行くし、保育園の先生とコンパもした。
自分がしていることは悪い事ではなくて、何故私を責めるのかと私も旦那を責めた。

旦那は、そんな風に誰かから私のことを伝えられるのを、極端に嫌った。
私は、時々、自分のホームページの日記で家族のことを書いた。
ここの日記では、私の理想とする女性像が描かれている。
時には、幸せな家庭も演じてみたかった。
たまぁにある、旦那の優しさを書いてみたかった。
それを見て、誰かが旦那に言うらしい。
「また、いらんことを書いたのか!!」私はよく怒られた。
旦那のこと褒めて怒られて、私も堪らなかった。

例えば、旅行へ行く時
「また、いらんことを書くなよ。」と口止めされた。
楽しいはずの旅行の一部を公表することも咎められた。
旦那抜きの家族行事も咎められた。
それを見た人が
「たまには、家族サービスしないと・・・・」と忠告するからだ。
自分自身でも、ポジティブな私しか書かない日記に、旦那の制限までついていた。
日記を楽しみに、来てくださる方も居て、書こうとする自分を、それを咎める自分・・・・
なかなか更新できなくなってしまっていた。

結婚して、男性と二人きりで夜歩くのは、たった2回だ。
(東京を入れれば3回になるけれど)
神様は、私には見方をしてくれないのだろうか?バチがあたったのだろうか?
「彼氏が出来た???意味がわからないのですが?」返事をしてみた。
すぐに返した返事なのに、なんとも言ってこない。
私は、旦那を馬鹿にした行動を取ったのだろうか?
ここで、罪悪感を持って、自分で自分を責めるのがいつもの私だろう。
でも、それはしたくない。
あの時、私が取った行動は、私にとって必要だったから。
それが原因で別れることになってもかまわない。
ただ慰謝料は欲しかったなぁ・・・・・・

揺れる心(追記)

2006-01-06 23:24:02 | 私が離婚を決めた理由
子ども達に、
「お年玉と荷物届いてるよ。ちゃんと電話してね。」
とお願いした。
長女が、最初に電話して、お礼を伝え、
「妹の○に代わります。」と次女に交代。
次女も、お礼を言って
「弟の○に代わります。」と長男に交代。
長男も、ちゃんとお礼を言って、話をしていた。

長女と次女は小さい時しか逢っていないし、長男は、旦那の親戚に逢っていない。
それでも、物怖じせずに、お礼が言えて、子どもの方が偉いじゃん。
私は、色んなことにこだわってばかりいて・・・・
そんな風に、思ってしまった。

実家にも、同じように電話をして、ちゃんと話をしていた。
「おばあちゃんと話すの嫌だったのに、いっぱい話しかけてくるから疲れたよ。」
私に気を使ったのかな?
長女も次女も、姑に遊んでもらったことは無い。
うちに来ても、テレビを見ているか、新聞を読んでいるし、実家に遊びに行ってもそうだったから。
舅は、自分の子どもは付き合ってくれなかったと私と子どもを連れて、山によく入った。
私は、自然と親しむことが大好きだった。
姑は、一度も付いて行ったことは無い。

私の実家へ帰ると、父と母は、これでもかというくらいあちこちに連れて行く。
特別なところではないけれど、この正月休みも、近くの公園で草すべりをしたり、広いのに、車のいない駐車場で、キックボードを走らせたり、凧を揚げたり、キャッチボールをしたり・・・・
なのに、私には、そうやって外で遊んでもらった記憶が無い。

覚えているのは、叔父の住む自衛隊の敷地内に、よく訪れていたこと。
従姉達とあちこち遊んだことだけ覚えている。
両方の実家へ帰っても、やっぱり従兄姉と遊んだ記憶しかない。
何故なんだろう。とても不思議だ。

でも、子ども達には、楽しい思い出がたくさん残るようにしてやりたい。
皆に愛されて育って欲しい。
私も、子ども達を、見習わなくちゃいけないな。
子ども達が、電話を掛け終わった後、私の胸の苦しさは、すっと無くなった。
「ありがとね」子ども達に感謝した。

揺れる心

2006-01-06 17:25:53 | 私が離婚を決めた理由
旦那の実家から、郵便物が二つ届いた。
一つは、書留。
宛名は子ども達3人。わざわざ旦那の名前に方をつけて・・・・
中身は、旦那の両親からのお年玉と親戚から預かったお年玉。
そこには、漢字で、親戚の名前と続柄が書かれていて、電話かはがきでお礼をするように書かれていた。
一昨年の、お年玉は、旦那に預けて、旦那は子ども達に渡すことのないまま、そのまま使って、それを済んだ事だからと、見過ごしたのに・・・・・
私の親が、お中元を送っても、お礼一つなかったのに?

もらったからお礼を告げるのは、当たり前のことなんだけれど、子ども達には、読めない漢字だよ。
それを書いたのは、数年前まで小学校の教師だった姑。
子ども達ではなくて、子供たちを通して、私にすることを無言で要求するの??

こんなことで、悲しみが押し寄せてくるのは、私が小さい人間だからって責めてしまう。
でも、電話、出来ないよ。
旦那の実家と係わり合いを持つことで、自分を認めてもらえなかったことを思い出してしまうから。

そして、もう一つは、ゆうパックで、米・みかん・りんごと書かれていて、別便で後から届いた。
もう開ける気はしない。
孫を思う気持ちと、祖父母から愛される子ども達の当然の権利を奪ってしまうのはいけないこと。
判っているんだけれど・・・・・・

前回、メーターボックスに入れられた荷物は、開けるには開けたけれど、そこにあった柿だけは、剥く気になれなくてそのまま腐らせて、異臭を放っていた。
お礼と、気持ちが揺れるから、こういうことは当分避けて欲しいとやんわり手紙を書いた。
米は、かろうじてハイザーの中に移せたけれど。
あれで精一杯だったのに。
判ってもらえなかった思いが蘇ってくる。
しつこいのかなぁ。いつも言われているみたいに。

なんでこんな風に思ってしまうんだろう。
なんでありがとうって気持ちになれないんだろう。
小さいよね。こんな自分がとっても嫌。
こんな時に限って、前向きなブログ書いて、表ブログにも書いて、気持ちに蓋して、逃げようとしている。
蓋したまま、電話しちゃえば良かったかな・・・・・。




結局、子ども達に、電話させてしまった・・・・・
これでいいことにしよう。ずるいかなぁ。

殺意

2005-12-19 00:19:23 | 私が離婚を決めた理由
旦那のことを、殺してしまいたいと思ったことがある。
ののしられて、何故こんな思いばかりしなければならないのかと・・・
寝ている間に、首を絞めたら、私は解放されるのではないかと・・・
でも、こんな男の為に、何もかも失ってしまうのは嫌だと思い、実行出来なかった。
私が、出来ることといえば、暑い夏、窓を閉めて暖房を入れることと、冬にこっそりと窓を開けて置くことくらいだった。
心臓麻痺でも起こしてくれればいいのに、切に願った。
仕事中、交通事故を起こせばいいのに、そんな風にも思った。
そうすれば、一生困らないくらいの保険金が入るだろうから。

そこまで思いながら、旦那が別れようと言った時には、泣いて謝った。
一人で生きていく自身がなかった。
でも、今、こうして旦那の手も借りないで生活が成り立っている私がいる。
給料を入れてもらっていることも、もちろん大きいけれど、子ども3人抱えながら、生活に支障もなく、困ることもなく・・・・

今はもう、死んで欲しいなんて思わない。
子ども達の父親として、やはり生きていてやって欲しい。
でも、もし何かで、死んでしまうことがあれば、
私は、泣けるのだろうかと思う。
何の気持ちも沸き起こることなく、ただそこにたたずんでいるだけのような気がする。

私が、私であるという感情はあるのだけれど、旦那のことを考えたとき、私は、私が存在していないかのように感じる。
私の感情が、恐ろしいほどに無なのだ。
あんなにも苦しく、あんなにもぐつぐつと沸きあがっていた感情が、まるで心を失くしたかのように、何も感じてこないのだ。
過去の自分や、子ども達のことを考える時、痛みや苦しみが胸に疼くのに、旦那のことを考えた時は、すべての感情を消してしまったかのように感じてしまう。

これが正常なのか、異常なのかはわからない。
ただ、安らかに時が過ぎていく。
ずっと、このまま向き合うことなく、日々が過ごせていけるのならどんなに楽だろう。
もう、あの苦しみや怒りは味わいたくはない。
私が、殺意を抱いていたのは、旦那ではなく、自分のこんな感情なのだろう。
今ようやく、殺すことが出来ている。
押し殺すのではなく、消えてしまっている。
これが、永遠に続けばいいのに・・・・・

ビデオカメラ2

2005-11-13 01:14:03 | 私が離婚を決めた理由
またまた、フリーズしてしまいました.........


せっかく取れた、みぞおちの何かが、また詰まっていてとても苦しい。
取れるまでは、その存在にすら気が付いていなかったのに、一度取れると、こんなにも苦しかったのかと驚く。

そしてふと思い出した。
先日の斎藤先生の講演会の中での摂食障害の女性とのやり取りを。
その中で、先生は治す方法について、
「普段と違うことがある日(ユニークディ)に、吐くことを我慢してみる。もしその日に吐かなかったら、ユニークディに起こったユニークイベントと考える。
次の日も、ユニークディと同じ気持ちになって、同じように過ごしてみる。
7日も止めてしまったら、どんよりとした気分になってしまうだろう。
3ヶ月止める事が出来たら、吐いてみるのも良いだろう。
そうすると吐くことがどんなに辛いことか気が付くだろう」
と話された。

初めは、寂しさで揺れ動き、落ち込んだ。
今、旦那と離れて暮らし始めて3ヶ月ちょっと。
私が旦那に依存していたのなら、この摂食障害の話と同じなのではないか?

メールのやり取りを転記してみる。自分が打ったものとはいえかなり感情的で攻撃的だ。

私「ビデオカメラ返してください」

私「ビデオカメラ返してください」

旦那「明日いりますか?」

私「いる。何故持ち出すの?信じられない。」

私「泥棒!何故勝手に持ち出すの?」

旦那「締め出される前に使ったの。なんで泥棒なんですか?あなたのものなんですか?今晩中にポストに入れときます」

ここまでの私の心情は書いた。
旦那にしてみれば、ビデオのことはすっかり忘れていたのに、泥棒を意識的に使ってしまった私に対して、腹を立てているようだ。

私「充電はどうするつもり?充電しないと使えないよ。意味ないじゃない。
運動会などあって、いることぐらい判るでしょう。
少なくくとも、あなたのものではないよ。
子どもを撮る気も、見る気もなかったあなたのものじゃないよ。
子どものための物だと思うよ。
しかも、私の撮ったテープは少なくとも泥棒だ。」

旦那のメールに対して、忠実に答えを書いてると思う。

私「ビデオテープも大切だから、ちゃんと返してね。」

旦那「意味がわからん。予定も教えてくれないくせに勝手なことばかりいわないで下さい。あなたの言い分が理解できません。家から締め出して子供にも逢わさず電話にもでようとしない。全く話し合いをしようとしない。あまりにも自分勝手で自己中心的ではないですか。こちらは話し合いたいし非もみとめているのに」

意味がわからんというのがこちらも意味がわからない。
私としては、少なくとも一度も自分から使ったことの無いビデオカメラを断りも無く、持ち去り、必要性があることも気が付かないで、今まで返してくれなかったことに対して腹を立てている。
旦那としては、家のものを持ち出して何が悪い。話をしないから、行事もわからず返さずにいたんだ。自分が悪いのではなく、話をしない私が悪いのだと言いたいのであろう。

旦那「テープはまた返します。たちまちビデオと充電器を1時までに入れときます。よろしくお願いします」

これは、旦那の私に対する、精一杯の誠意だろう。

私「充電は?テープがないと録画できないんですけど?テープと充電お願いします。私のためではなく、子どものためです。1時に入れられてもどうしようもないので、明日7時までに両方をお願いします。少なくとも、予定を言わなくても、あなたが持ち出した後、運動会がありましたよ。あなたも見たのではないですか?」

夜1時までということは、その時12時だったので、一時間も待ち続け、寒い中を1階の集合ポストまで取りに行かなくてはならないのか?
わざわざ着替え、その間に、長男が起きるかもしれないのに(しょっちゅう起きる)充電したい時に、出来なかったのは、あなたのせいだから、あなたがビデオカメラが撮れる状態にしておくべきだ。
私の思いをもう一度告げるが、旦那への回答は無い。

旦那「 勝手なこといわないで。テープはかうけども充電はできません。なんとかしてください。明日は何があるんですか?教えてください。子供は私に帰ってきてほしいと思っていませんか?子供のためにはふたりがいいと思うのですが。今の状態は子供のためになるんですか?あなたのためじゃないんですか?」

旦那にとっては、急にいると言っておいて、そんなこと今更出来るはず無いだろう。
旦那は、私が答えなかったことに対して、もう一度思いを告げる。

私「じゃあ、今すぐ玄関の前の牛乳箱に入れて置いてください。
テープはコンビニにもあるでしょう。
ポストまでは取りにいけません。
テープは、私が撮った物です。
それに続きが撮りたいと思うのは勝手ですか?
どちらが身勝手なのか、よく考えてみてください。
ビデオカメラが無いことには、今日気が付きました。
運動会は父にビデオ任せたし........
購入してから一度たりとも家族のために自分から使おうともしなかったあなたが
まさかビデオを持ち出しているなんてこと夢にも思わなかったから。
家族は撮ろうとは思わなくても、他では勝手に持ち出してまで撮りたいものがあったんですね。」

再度、自分の思いを告げる(しつこいかも......)厭味まで言ってしまった。
そして自分の都合のいいように相手に行動させようとしている。

旦那「ポストに入れときました。起きてるようだからだしてください」

旦那「悪いけどメールが来る前にポストに入れました。見てください。テープも買ってます。」

寒いのを我慢して、取りに行ってみた。
そこで、待ち構えられていたらどうしようと思った。
ビデオカメラと充電器があった。おまけに充電は切れていない。
テープは、車が動いていないところを見ると、わざわざ購入したのではなく、買ってあったものらしい。


何度読み直しても、私のほうが怒り、取り乱している。
そして、旦那は、私の怒りの理由に気が付いていない。
そんな風にして、すれ違ってばかりいたのだろう。
こんな会話では、私も旦那もむくわれない。

私はパソコンでメールを打ち、旦那は携帯でメールを打つ。
時間が掛かる分、旦那のほうが冷静だ。
直接、電話で話していたのなら、怒鳴り飛ばされていたであろう。
その場で話していたのなら、ビデオカメラは返してもらえず、壊されていただろう。

私は、どうだっただろうか?
変わらないだろう。同じことを何度も何度も旦那が答えてくれるまで、いい続けたであろう。
私の怒りは、ビデオが手元に無いことではなくて、
旦那が持っていったことに気が付くまで、2時間も探してしまったこと。
断りも無く、勝手に持っていったこと。
それと今までビデオを撮ってくれなかったことにあるのだから。
私がカメラとビデオカメラ2台使っていようと、妹がカメラマンを引き受けようと、旦那は我冠せずにいたということが私の怒りの原因なのだから。
いくらビデオカメラが、戻ってきたところで、私の心は静まらない。
静まらないどころか、伝わらないことで怒りは増幅してしまうのだ。

もし、謝ってくれたら、どうだろう。
たぶん、私はいいよって言うだろう。怒りも収まるだろう。
私の怒りを認めてくれないこと、それが一番の怒りの理由だろう。
でも、私は自分の怒りを直接伝えては無い。

もしこれが子どもに対してだったどうやって会話をしただろうか?
数日後に必要で、余裕があったらどうだっただろう?

「ビデオカメラ持っていった?」
「勝手に持っていかないでよね。2時間も探したんだからね。」
「何に使ったの?」

ちゃんと聞けるのではないか?

明日までに、充電しておかなければならないことで、追い込まれ、
探しても見つからないことで焦り、子どもを寝かしつけることが出来ないことで自分を責め、
もしかしたら、旦那が子どものビデオが欲しくて取ったのかもしれないという想像で、さらに怒りを増したのではないか?
自分で自分を追い込んでしまっている。

少し、私が成長したのは、怒りの理由がわかったこと。
そして、ビデオを手にした時、私の心は静まったこと。

ビデオカメラ

2005-11-12 23:28:45 | 私が離婚を決めた理由
ここ最近、イライラすることも無く、過ごしていたのに、今日は旦那がいたときのような気持ちになってしまった。
明日、子どものダンスのステージがあるので、ビデオカメラを出そうと思ったらない。
保育園、小学校の運動会は写真に専念して、ビデオは父に任せたので、気が付かなかった。
最後に使ったのは、8月7日。
ビデオカメラだけなら、片付けの問題かもしれないけれど、充電用のコードも無い。
その時、一緒に使った一眼レフはあるのに.........
旦那が持ち出したに違いない。

今まで、行事に参加できなくても、撮ったビデオを見たいとも言わず、旅行に行ってもめんどくさがって撮ろうともしなかったくせに、この場に及んで持ち出すのに腹が立つ。
子ども達の為に残しておきたいから、生では見ないで、ビデオを撮ったのに、生で見たほうがいいから、心に残るから、撮る必要が無いと言っていた旦那が、取りかけのビデオテープまで持っていってしまっている。

子ども達の為に買ったビデオを、私が撮ったビデオテープを旦那は何のために持ち出したのか?持ち出したら困るくらいわかっているだろう。
結局は、自分のことしか考えていないのだ。
私や子どもが困ることなんてどうでもいいのだ。

「ビデオカメラ返してください。」何度メールをしても返事が来なかったのに、ここまで打ったところで返事が来た。
「明日いるの?」
やっぱり、持ち出している。
何時間も掛けて、私はビデオカメラを探していた。
もしかしたら私の収め方が悪かったかもしれないと思いつつ........
子どもを寝かしつけることも出来ず、イライラしながらメールの返事を待っていた。
待っている間、探す以外に、何も手が付かなくなってしまった。

旦那と別居するまで、私は毎日、こんな思いでイライラしていた。
帰ってこない旦那を待ちながら、自分勝手にしか動かない旦那の姿を見ながら。
穏やかに暮らしていると忘れてしまっていた。
私は、毎日、こんな思いをしながら暮らしていたのだ。
こんなにも心を休めることなく暮らしていたのだ。

別居をして、物音がしたり、車が駐車場に止まっているのを見て、旦那の存在を意識するたびに、恐いと思った感情は、こういうことだったのだ。
毎日、イライラしながら、落ち着かない生活を思い出し、怯えていたのだ。
そんな生活するのは嫌だと、拒否反応が生まれていたのだ。

別居していく中で、私は、すでに忘れかけていたのだ。
あの休まることの無かった生活を。そして心は忘れずにしっかりと覚えていたのだ。
記憶が薄れ、やり直しても大丈夫かもしれないと思う気持ちを、恐いという感情で、心は必死に止めていたのだ。
恐いという感情がなくなるまでは、旦那とやり直せないと思っていた。

「いる。何故持ち出すの?信じられない。」「泥棒!何故勝手に持ち出すの?」
怒りをぶつけてしまった。
「締め出される前に使ったの。なんで泥棒なんですか?あなたのものなんですか?今晩中にポストに入れときます」

最後に使ったのが8月7日。私が、実家に帰ったのが10日。
確か、デジカメの充電をした時には、ビデオカメラはあったはずだ。
私と子どもが実家に行っているのをいいことに、自分の為にビデオカメラを使ったと言うのか?
子ども達のためには使わないのに、いったい何のために、必要だったのだろう。

旦那と別居した後、運動会も、他の行事もあったというのに、必要だと言うことに気が付かないのか?
そうだろう。旦那は準備などしたこと無かったのだから........
また少し、旦那から気持ちが遠のいてしまった。

別居生活

2005-10-24 18:08:57 | 私が離婚を決めた理由
別居生活が始まって、2ヶ月が過ぎた。
旦那とは、2005年8月10日以来、顔を合わせて話をしていない。
8月20日に家から追い出してしまって、現在に至っている。
その間、2回ほど家に帰ってきている。
一度目は、居ない間に、荷物を取りに帰り、
二度目は、次女を学校の近くで待ち伏せして、一緒に家に入ったようだ。
一度、私もマンションの玄関前で待ち伏せされたが、無視・・・・
未だ、逢うどころか、電話でも話す気は起こらない。

一つは、嫌悪感から、
そしてもう一つ、優しい言葉を掛けられると、許してしまいそうだから。
相反する二つの気持ち。でも、両方とも私の気持ち。

私は、別居に至るまで、何度も旦那との離婚を考えた。
だから、こうなるに至っては、何の後悔もない。
でも、旦那にとっては予期せぬ出来事だったと思う。


私は、この二ヶ月、色んなことを考えた。
本を読み、いろんな人の話を聞き、変わろうとしている。
このままの状態ではダメだと思っている。
旦那は、どのように思い、過ごしているのだろう。

しばらくは、駐車場の車の中で、寝起きし、最近は実家へ帰っているらしい。
皮肉なことに、家から単身赴任先だった職場よりも、家から実家のほうが遠い。
やる気になれば、仕事が忙しくても通うことが可能なんだなぁと思ってしまう。
それでも、たまに車が止まっていることがある。
車の中で、寝ているのだろうか?気にすることがとても辛くなる。
いっそのこと、車を他の場所へ動かして欲しい・・・・・・
車がある限り、玄関の音がするたびに怯えなければいけない。
玄関の2重ロックを切って、入ってきた旦那。
その後、大声で罵倒された、あの時のことよみがえるから・・・・・

玄関口まで来なくなり、ようやく安心できるようになった。
私の気持ちが、本気なことをようやく気が付いたのだろうか?
電話の電話帳機能を使って、電話が出来るようになった長男が、たまに旦那に電話する。
それが、嬉しいらしい。メールで報告してくる。そして逢いたいと・・・・・
同じように、私の実家にも、妹にも電話していることを旦那は知らない。
子供は、自分のことを思ってくれていると安心しているのだろうか?

旦那の実家からも、真夜中に電話がかかって以来、何の連絡もない。
そしてわざわざ話をするために出かけてきた、私の両親に対しても、何も連絡がない。
毎日、家に帰らずに戻ってくる息子を見て、どう考えているのだろうか?
あの時のように、一人の大人だがやったことだから自分で責任を取るしかないと思っているのだろうか?

せめて、旦那は、私よりも苦しんでいて欲しい。そう思うのはわがままで自分勝手だろうか?

誰の家??

2005-10-21 20:42:12 | 私が離婚を決めた理由
7年前、今の住居に引っ越してきた。もちろん引越しの準備は、すべて私だった。
もともと、一戸建ての家が欲しくて、あちこち見て回っていた。
出かけるたびに、「ここは狭い」「ここは寒い」「ここは駅から遠い」「ここは古い」
すべての住居に、難癖をつけた。多分、買う気なんかなかったのであろう。
半分冷やかしのつもりで、見て回っていたのだろう。
長男である旦那は、親の土地を貰うつもりで居た。
でも、2人の子を持ち、保育園の送り迎えだけで、疲れきっていた。
おまけに、官舎は、掃除当番や管理人当番(交代で管理人の役割をする)が回ってきて、その度に仕事を休むのも私だった。
もっと便利のいいところに住みたかった。
しかも、当時は近くに住んでいた、私の両親が、父の定年退職と同時に、隣の県の家に帰ることとなっていた。

2人目の子の育児休暇中に、建ち始めたマンションを購入したいと旦那に告げた。
「マンションなんて欲しくない」また、難癖をつけた。
私が提案したことを素直に認めることが悔しいのだ。
旦那の両親も、賛成した。そしてみんなで説得し、しぶしぶ購入を決めたのだ。
でも、旦那はみんなの前で、ちゃんと納得し、必要性も認めたはずだった。

”お前が勝手に決めたマンション”それ以降、ことあるごとにそう旦那は言う。
大声でわめき散らすので
「恥ずかしいからやめて」と言えば、
「わしには関係ない。ここにずっと住む気はない」
(あんたは、関係なくったって、私も子供も恥ずかしいじゃない・・・・)

「町内の行事、手伝って」と言えば、
「わしには関係ない。わしはここの土地には関係ない」
(子供はお世話になっているんだけれど・・・・)

「夜中にドアをばたばたするのはやめて、近所迷惑よ」
「マンションにしようと言ったのはお前だ」
(あんただって、ここでいいって言ったじゃん・・・・)

そのくせ喧嘩をすると
「気に食わんのなら、出ていけや、ここはわしの家だ」
(結婚前に持っていたお金も、退職金も支払いに回したんで、私のほうが支払った金額多いんだけど・・・・・)

「離婚するんなら、このマンションはやらない。売って処分するから」
(私はいいけど、子供が困るようなことして、子供は可愛くないわけ?売ったってローン支払ったら、残りはわずか。
それを分けたら、慰謝料にもならないんだけど・・・・)

だいたい、私が勝手に買ったマンションで、ずっと済む気がないんなら、お前にやるよって言ってもいいじゃん。
あんたには、”先祖代々から伝わる土地”があるんだろぉ~
親も、金をいっぱい持っているんだろぉ~
”おまえんちみたいな貧乏人じゃない”って言ってたじゃん!!
ケチケチするなぁ~!!ケチ男!!!






あーすっとした・・・・・・・・