私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング30

2006-05-31 13:33:50 | カウンセリング
今日は、朝からちょっと憂鬱でした。
昨夜は、フッと意識が抜けるような感覚が何度も訪れていたので、早めに就寝したのにもかかわらず、朝、起きるのが辛かったです。
また、夢も見てしまったし……

仕事で、自信を喪失するようなことがあって、それがきっかけで自己否定感が沸きあがってきました。
「私なんていないほうがいいのではないか」という思い。

子ども達も、私がいないほうがいい子になるのではないか?
今日、カウンセリングだけど、カウンセラーも私の話を聞かされるのは面倒なのではないか?
私が、時間を取ったばっかりに、もっとカウンセリングを受けるのが必要な人の時間を奪っているのではないか?
根拠がないのに、漠然とした想いが浮かび上がってきます。

昨日までは、結構、心の中が澄み渡っていたのに……
昨日、治療した歯もちょっぴり疼くし、偏頭痛や肩こり、眼精疲労と、身体全体がぼんやりとした痛みに追われていたので、歯医者で貰った鎮痛剤を飲んでカウンセリングを受けました。

最初に、夢の話。
旦那の夢ばかり見て、嫌だということ。
夢に疲れてしまうということ。
アクセスを求めてくる旦那に対して、返事をしないでいることもそれなりに、労力を使っているのではないかと言われました。

そして、中学生からの生育歴を話していきました。
カウンセラーとの会話の中で、自己否定してしまう自分が出てきました。

最初に付き合った人の、前の彼女は、ミスコンでグランプリを取り、プロダクションからスカウトがくるような可愛い子だったり、自分の友達も、上級生から人気があって、引き立て役であったり……
彼と付き合うことは不釣合いだと思っていました。
それなのに、私と付き合ってくれたことや求めてくれたことが、それだけで嬉しかったのです。

カウンセラーが褒めてくれたり、肯定してくれても、否定してしまう私がいました。
「どうしてそう思うの?」の問いに、
「私は、自分勝手で我が儘だって、ずっと母や妹に言われ続けていたから」と答えました。

元々、母に「自分勝手で我が儘だから友達が出来ない」と言われ続け、自分自身が人間関係が上手く持てない事に追い討ちをかけられていたこと。
そして、それを自分の中で決定付ける出来事が周りで起きていたこと。
これが、私が自己否定感が強くなってしまった原因なのかもしれないと思いました。

でも、今の私には、それを肯定するだけの力がないように思います。
認知のゆがみ」書いていて思ったのですが、自分に対しての評価が出来ません。
他人の根拠のある言葉に対しては、納得がいったり、自分自身が必死に頑張ったことに対しては、嬉しい気持ちになるのですが、それ以外の評価については、認めることが出来ないのです。
私の中で、「自分は人から好かれるはずがない。」という想いがあったことに気が付きました。

彼とは、セックスの為だけに逢っていたけれど、でも、セックスしたら終わりではなくて、いつまでも抱き合っていたり、色んな話をしたこと。
サッカー部のキャプテンで、かっこよくて、頭も良くて、輝いていたけれど、二人でいるときには、寂しそうだったこと。
それを自分に見せてくれるのが嬉しかったことを話しました。

私にとってのセックスは、お互いの寂しさを共有する行為のような気がしていました。
>あの人のこと好きだったのは たぶん安心できるから。
>傷をなめあうようにして お互いを求め合っていたのかもしれない。
>淋しさが同じだったから
>セックスがすべてというわけじゃなかった。
>会えば いつもベットの中だったけれど 時には二人で目を閉じたまま
>すごしたこともあったし お互いの恋人のこと話してた。
>彼の胸で わけのわからない涙を流したこともあった。
>だけど 彼はすべて 受け止めてくれた。「高校時代のノートより2
彼の前だけは、自分の寂しさを表現できていたのかもしれないなと思います。

もし、あの時に、彼に出会わなかったら、たぶん今の私はいないと思います。
高校も、商業科へ進み、就職していなかったかもしれません。
東電のOL殺人事件が起こった時、私は被害者の女性の裏の顔を知って、何か自分に通じるものを感じていました。

今の若い子達の、援助交際などを見ていると、もし自分の周りがそういう環境であったなら、自分の好きな人とそういう関係を持てていなかったら、自分もそうやって誰か抱きしめてくれたり、一時的な愛情を与えてくれる人に流れていたかもしれません。

周りが、とても真面目で、私が浮いた環境だったし、そうしなくても誰かが私の傍にいてくれました。
>寂しい時、いつでも抱きしめてくれる人がいるってことが、私の心のどこかを安心させていた。
>心の弱い部分を強くしていることが出来た。「高校時代のノートより4
そう書いているように、そうやって自分を支えていたんだろうなと思います。

私は、こうやって生きてきたから、強くいることが出来たのでしょう。
消してしまい過去だし、恥ずかしい過去だけど、依存して抱きしめられていたからこそ、私はこうやって生きてこられたのでしょう。
そう思うと、私のあの過去も、私にとっては大切なものだったのかなと思います。

今回、思っていたよりも、思いが噴出してしまったし、カウンセラーも
「大丈夫?辛かったら、少しでも予約入れたらいいよ」って心配してくださいました。
次回まで、少し間が開いてしまうし、私も小学生の時を話したとき、随分と過去を引きずってしまったので不安でしたが、大丈夫みたいです。

自己否定感はまだまだ持ち続けそうだし、せっかくカウンセラーが持ち上げようとしてくださっても、自分の気持ちが変わるものではなく、否定したままだけど、それでも、私は、あの過去があったから、恋愛していたから、これくらいしか道をそれることがなくやってこれたのかなと思います。

抱きしめられること。
私にとっては、すごく大切なことだったんだなと思います。
これから私は、大切な人をいっぱいハグしていこうと思います。


ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


ホッとする時間

2006-05-30 09:00:09 | 日々つれづれ
長女が、修学旅行に出掛けていった。
友達夫妻が、集合場所である駅まで連れて行ってくれることになっていたので、玄関先で見送った。
何度も、荷物の点検をしていたのに、出発間際、忘れ物に気が付いて部屋へ戻る始末……
長女らしい。

昨日、小遣いの3500円を渡した。
以前、余分に持っていきたいと騒いでいたし、妹弟の分までお土産を買ってやって欲しかったので、
「これで、買ってやってくれる?」と余分に1000円渡した。
何だか複雑そうな顔をする長女。
妹弟の分を買うのがめんどくさいのかな、そう思ってしまった。

しばらくすると、長女がやって来て
「これ、やっぱり、いい。」と先ほどの1000円を返してきた。
「この中で、ちゃんと買ってくるから……」
話を聞くと、決められた金額よりも多く持っていくのは、気が咎めるらしい。
「○○ちゃんも、余分に持っていくのに……」とそれが当たり前みたいに言って、私に小遣いを要求していた長女。

私は、その時、それに対して何も言わなかった。
でも、自分なりに、きちんと考えたのだな、と思うと嬉しかった。
ちゃんと考える力を持っているんだな、これからはもっと長女のことを信じてやろうと思った。

母が私に3000円を小遣いにと先に渡してくれていたので、それと500円を渡したのだったけれど、母にもきちんと自分からお礼を言っていた。
いつもは、先回りして
「ちゃんと、お礼言うのよ。」なんて言ってしまっていたけれど。

そんな長女を認めて褒めた。
照れくさそうだったけど、嬉しそうに笑った。
ちょっとずつ、こうやってちょっとずつ、積み重ねていこうと思った。
今までのことを考えると、悲しくなるけれど、それはそれで仕方がない。
今から、行ったり戻ったりしながらでも、先に進めたらそれでいいじゃない。
気が付けなかったらそのままだったことに比べればまし。
比較の対象は、いつも自分の描く理想像だったから苦しいんだ。

明日の夕方、帰ってきたときには、またひとまわりも、ふたまわりも成長して帰るんだろうな。
そんな長女の成長を喜んでやろう。
土産話を楽しみにしていよう。

長女を送り出すとホッとした。
昨夜は、起きられないといけないからと12時前に寝た。
で、途中夢を見ないように、アルコールを口にした。
朝、5時に目が覚め、うとうとしているとやっぱり夢を見た。

なんだか、再婚している夢。
そして自分の両親と同居していた。
生理的に受け付けない感じの男の人だった。
でも、この人は私を幸せにしてくれるのだと思った。
隣に寝ていて、寂しくて手を伸ばした。
抱かれそうになった時、下の階で物音がした。
続けることが出来ず、途中で辞めた。
長女が修学旅行なのに、こんなことをしていたら、母に怒られると思って慌てて起きた。
そんな夢。

何だか、私の気持ちを凝縮してるよなと思ってしまった。
夢を見ると、疲れてしまう。
結局6時に起きた。

長女の代わりに、次女がちび猫ちゃんの世話をする。
いつもよりさっさと支度をして、家を出た。
長男も、いつもより30分も早く保育園に行こうと言った。

今日は予定通り、眼科へ検診に出掛けて、ずっと放置していた歯医者へ行こう。
ちょっとしたきっかけで子ども達は、変わる。
私も見習わなくちゃ。
外は、いい天気。
しゃんとして出掛けよう。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


認知のゆがみ

2006-05-29 18:01:33 | メッセージ
昨日の記事の中に、ACは認知のゆがみを持っていることを書いたが、今、読んでいる本の中に、ちょうど詳しく書いてあったので転記してみる。


認知の歪みの10のパターン(パーンズ、D.D <1980>より)

1 白黒思想  
  ひとつのものごとを、白か黒か、100パーセントかゼロかと決めつける考え方。
  たいていの問題は、何割かの白と何割かの黒とを含む灰色を帯びている。

2 過度な一般化  嫌なことがひとつあると、世の中はすべてこれだ、と考える。

3 心のサングラス
  一滴のインクがコップの中の水の色を染め上げるように、ひとつの嫌な出来事にこだわって、
  すべての現実を暗く考えること。
  まるで黒いサングラス越しに世界を見るように。

4 マイナス化思考
  よい出来事を無視してしまうので、日々の生活がすべてマイナスのものになってしまう。

5 結論への飛躍
  これには次の2種類がある。
 A 心の読みすぎ
   あの人は私を嫌っているとあてずっぽうに結論し、そのことを確かめようともしない。
 B 先読み
   ものごとがうまくいかないと予測し、それが規定事実のように考える。

6 双眼鏡トリック
  自分の失敗や他人の成功を誇大に評価し、自分の長所や他人の欠点を過小に評価する。

7 感情の理由づけ  気分の落ち込みを、どうしようもない現実の反映だと考える。
  「私はそう感じる。だからそれは事実だ。」

8 「べき」思考
  「~すべきだ」あるいは「~すべきでない」という基準で行動しようとし、そうしないと処罰される
  ように感じる。
  その結果、罪の意識が高まる。
  他人に「べき言葉」を乱発しているときには、怒り、欲求不満、恨みを感じているのだ。

9 レッテル貼り
  「過度な一般化」の極端なかたち。
  自分の失敗について述べる代わりに、自分にレッテルを貼る。
  例-「私は負け犬だ」「私は大食いの豚だ」
  他人の行為が自分を傷つけると、その人にレッテルを貼る。
  例-「あのウジ虫め」

10 過剰な責任とり
  自分のせいではないトラブルに対し、自分が原因であるように感じる。


1 まさしくその通りかもしれない。
あいまいなこと、両方とも正しいと頭では判っていながらも、はっきりしない状態について、納得がいかない。

2・3 嫌なことがあると、ああ、やっぱりなぁと思ってしまうことがある。
その出来事に囚われて、動けなくなる。
モヤモヤとした状態から、なかなか抜け出せなくなる。

4 そうでもないかも……
通り過ぎてしまったり、嫌なことがあっても、いいことがあると忘れてしまったり、自分のいいよう(ポジティブ)に解釈することもある。
ただ、嫌なことが続くと、2・3から抜け出せない。

5 まったくその通り。
顔色や状況を必要以上に読みすぎてしまう。

6 まさに、その通り。
というか、歪んでいるんだと言われても、自分をいいように評価することは出来ない。
そして、他人をいいように評価することは得意。
他人の欠点よりも、長所が目に付く。

7 あきらめかな……

8 いつも、心の声が私を縛っている。
そして、身近な人(子どもや旦那)を縛ってきた。

9 う~ん。私は、人付き合いが下手だとか、コミュニケーションが取れないとか決め込んでいますが、他人に対しては、あまりないかな?

10 しょっちゅう感じる。
周りでトラブルが生じると自分のせいだって思う。
本当に、私のせいかもしれないことも多くある。


もし、こういう考えが頭に浮かんできたら、もし悩んでいるのが自分ではなくて友達だったら、どんな風に声を掛けるか想像してみる。
友達を励ますように、自分を励まし、労わる。
まず、自分に親切にすること、そうすれば自分を好きになれるのだそうです。
少しずつ、試してみようと思う。
こう考えていると6・10が一番歪んでるのかな?
歪んでるとはどうしても思えなくて、それは事実だと思えてしまう……

参考
家族の中の心の病」斎藤学 講談社+α文庫



ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル



ACと人格障害

2006-05-28 14:41:40 | 私のこと
2年半前、新聞に掲載された境界性人格障害の記事を見て、以前の自分と重なった。
旦那から、人格を否定された時に、自分がわからなくなり、死にたくなってしまう。
わめくように泣き続け、そんな自分をどうしたらいいのかわからなることがあった。

それほどまでに、傷ついているのに、旦那から離れられない。
見捨てられ不安がつきまとい、仕事に行こうとする旦那にしがみついた。
今、振り返っても、はっきりとその頃のことは思い出せない。
長男が産まれる前だから、5年以上は前のことになるだろう。

新聞に掲載された当事者のHPを拝見し、ますます自分と重なった。
でも、一度薬漬けにされそうになった経緯もあり、病院に行くのは恐かった。
そんな時に辿り着いたHPがここ
以前は、メニューもほとんどなかったけれど、BBSで一人ずつの質問に丁寧に答えられている様子は、こんなお医者様もおられるのだなとホッとさせた。

その頃作ったお気に入りのホルダーには、薬の密売サイトも合わせて登録してある。
いざとなった時に、薬を入手しようと考えていたのかもしれない。

久しぶりに今日開いてみると、ACについても詳しく記述があって、
「表面的にはしっかり者だが、誰にも弱味を見せられず、特に近い相手には一転して依存的となったり、自分からぶち切ってしまったりして人間関係が長続きしない」の文章に思わず、苦笑してしまった。

私は、カウンセリングを受けているけれど、専門医に詳しくテストしてもらったわけでもないから、人格障害については、実際のところ自分がどのような状態にあるのかはわからない。
でも、このHPの『ACと人格障害』のページを見て、自分なりに納得した。

「見捨てられ不安などの認知のゆがみをもつ人はACだが、その中で激しい行動化を起こす人が部分集合として境界例と呼ばれる」と書かれている。
ACの認知のゆがみによって、激しい行動化を起こしてしまうことがあるのだと思えば、自分に起こっていた出来事も説明がつく。

けれど、今はそういう激しい行動化を起こすことはなくなっている。
どうして、それが起こらなくなったのか?
一つは、飛び降りをしようとしたときに、回りの反応によってリセットされたこと、もう一つは、仕事により、以前よりも自尊心が高まったことによるのだろう。

見捨てられ不安によって、行動化を起こしたくなるというのも納得できる。
「私は、誰からも必要とされない」という思いが高まった時、死にたくなる。
カウンセリングを受けていて、一度だけこの思いを抱いたことがある。
苦しくてカウンセリングを受けたいと、急に予約を入れ、空きがなく断られてしまった時。
このまま、ブログを書いてしまうのを辞めたら、次のカウンセリングを連絡しないままキャンセルしたら、心配してくれるのか試してみたくなった。
子どもがいるから、死にたくはないけれど、未遂を起こしてみたくなった。

あの時、友達からの電話が掛かっていなかったら、何かの行動を起こしていたかもしれない。
でも、友達は、私の不安になった気持ちを共感してくれた。
ブログで知り合った友達と直接、電話で話す機会にも恵まれた。
偶然が重なったことで、私は、行動を起こすことが出来なくなった。

消えたくなる思いや、見捨てられ不安は、何かの拍子に心に浮かび上がる。
けれども、もう、それによって行動を起こしてしまおうという気持ちは薄くなった。
そういう思いは苦しくて、掻き出してしまいたくなる。
だけど自分の心に、消えたくなる思いや見捨てられ不安があるのだと認めた。
その思いを、隠さず話そうと思うようになった。
今までは、みっともなくて隠しておきたかったのだけど。
これからは、その繰り返しなのだろう。

人間関係において、浮かび上がってくる見捨てられ不安を、話すことで勝手な思い込みであることを知り、誤った感情だということを認識する。
その繰り返しによって、見捨てられ不安は少なくなっていくのかなと思う。
今、そうしたことをカウンセリングや、新しい人間関係の中でおこなってきているのかなと思う。
学び直し……本来であれば、成長過程において身につけているかもしれないもの。
私は、学ぶことが出来ず、誤った感情を学んでしまった。

要に今までは、過去の母なり、男性が、私の見捨てられ不安を増強させる人物であったことを知る。
見捨てられ不安を抱えていることは、逆に見捨てられる行為がないと不安が募る。
見捨てられて当たり前だと思っているから、見捨てられないでいることが恐い。
安定していると、いつ見捨てられるのだろうと不安な日々を過ごす。

そして、見捨てられることのない安定した生活は、壊してしまいたくなる。
いつか見捨てられると思うと、安心して生活が出来ないから、自分から壊すか、もしくは相手が壊してしまうように仕向けていく。
見捨てられることにより、ああやっぱりと安心できる。
私にとって、不安定な状態が、安定していたのだと思う。

でも、もうそんな安定はいらない。
不安な思いを抱きたくない。
安らかで穏やかな人間関係の中に、身を置いていたい。
本当に、そう出来た時がACからの脱却なのかなと思う。


ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


悪夢2

2006-05-28 10:29:54 | 旦那への気持ち
悪夢

「キャ~」
また、自分の悲鳴で目覚めた。
「お母さん、大丈夫?」
子ども達も、私の声で、目覚めたみたいだった。

大丈夫じゃない。
目が覚めても、恐くてたまらなかった。
7時過ぎていたので、起きてもよかったけれど、起き上がれなくなっていた。
「どうしたの?」子ども達に聞かれたけれど、本当のことが言えない。

夢の中で、子どもに玄関を開けてもらった旦那がいた。
ドアを開けて、入ろうとしていた。
慌てて、閉めようとしたけれど、間に合わなくて、恐い顔して入ってきた。
走ってリビングに入り、110番を押した。
110番は、繋がったけれど、電話の向こうの女性は、何も説明していないのに、夫婦間のことだからお互いに話し合ってくださいと一方的に喋り続ける。

そこへやってきた旦那が、手に持った物で、私の頭を殴りつけるふりをして、にやっと笑った。
あまりの恐ろしさに悲鳴が上がってしまった。
一緒に暮らしていた時は、そこまで恐怖を感じなかった。
いつもビクビクしていたけれど……

ここ1ヶ月、旦那が夢によく出てくる。
何故か一緒に暮らしていて、私は嫌悪感を示したまま、子どものためにと我慢していたり……
旦那は、今までのことはなかったかのように接してくる。
どうしようと思う夢も見る。

夢から目覚めて、1時間以上の間、私は布団の中で怯えていた。
子どもの予定があったから、起きなければと思いながらもぎりぎりまで起きることが出来なかった。

これは夢なんだ、現実ではないんだと言い聞かせ、深呼吸をして気持ちを落ち着かせること数回。
ようやく起き上がれることが出来た。

次に夢を見たとき、本当に起きられなくなったらどうしよう。
子ども達が、学校に行かなければいけないから、強い意志で動くことが出来るのだろうか?
夢を見るのが恐い。
平常心を失うのが恐い。
このまま安らかに暮らさせて欲しい。


ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


リセット

2006-05-27 21:13:07 | 日々つれづれ
昨夜、記事をひとつ書いたつもり。
でも、見当たらない。
リセットっていう題で、詩を書いて、文章を書いた。
思いのままに書いた詩だから、もう一度書く気にはなれないけれど、心中だけはここに残して置きたいな。

今、私は自分の仕事を投げ出してしまいたくなっている。
4年間、続けてきた講師の仕事を、今年いっぱいで辞めてしまおうかと考えてる。
最初は、安定した仕事を得た方が、離婚に踏み切れるからと思っていた。

でも、本当は違う。
先日、友達と話していて気がついた。
良い所で、辞めてしまいたくなるのだ。

ピークの時に比べて、受講生は減ってしまった。
全国的に見てもそうで、私の講座に限ったものではなく、むしろ続いていると言われている。
最後までと思いつつ、プレッシャーに押しつぶされて逃げ出したくなる。

結局、勤めていた時もそうだった。
病気で休んだのをきっかけに、異動を言い渡された。
どちらかというと、それまで評価されてきた。
いつも特別な部署に異動させてもらっていたし、特別昇給も重なって同期よりも給料が多かった。
出世したいわけではなかった。
でも、評価されないことが恐かった。

辞めた時、
「惜しい人が辞めた」とか「勿体ない」の言葉に、
「惜しまれて辞めるうちが華だからね」って笑って答えた。
でも、本当にそうだったのだろう。
評価されなくなった自分のことを見たくなかったのだろう。

出世せずに、子育てしながらのんびりと楽な部署で働きたいと願いながら、出世コースから外される危機感に耐えられなかったのかもしれない。
しかも、ちょうど大きな仕事をやり終えて、私の遺作のようなものが各所に配布されたばかりで、私にとって都合も良かったのだろう。

そうやって逃げ出して、新しいことにチャレンジする。
一見前向きな行動。
でも、本当は自信のなさを隠すために必死なのだ。
今も、新しいことを始めたいと思っている。

こうやって、リセットしては、新しい自分になりたいと思っていたのだろう。
これまでも、色んなことをし続けている。
講師の仕事だって、初めてじゃない。
その前は、他のことを教えていたし、違う講師の資格も持っている。

「細く長く、続けることも大事だからね。」
同業者の年配の女性に言われたことがある。
今の状態が、少し無理をしていることくらいお見通しなのだろう。
一生懸命頑張るしか出来ない、いい加減にすることは出来ない、いつもがむしゃらに走り続けていることしか出来ない。

それなのに、リセットボタンを押したくなる。
逃げ出したくなる。
それでも、頼りにしてくれる人がいると、もう少しだけ頑張ってみようと思ったりする。
自分のためじゃなくて、誰かのため。
なんで自分の人生なのに、自分の居心地がいいように生きることが出来ないんだろう。

新しいことを始めたいという気持ち。
これは依存でも逃げでもないのだろうか。
思う通りになんでも、チャレンジし続ければいいのだろうか?
こんなことにさえ迷ってしまう。

自分で自分を評価すれば、リセットなんてしなくても、好きなことを好きなだけ続けることが出来るようになるのだろうか。
誰かが評価してくれなくても、ゆっくりと前に進んでいけるのだろうか?

今、すごく揺れ動いている。
辞めたい気持ちと、新たなことを始めたい気持ち。
今の仕事は、小学校の時の夢だった。
なのにどうして辞めたくなってしまうのだろう。
大好きなこと、大切なことという気持ちはある。
でも、それに反して、逃げ出したくなっている。

今までは、そんな自分をポジティブに解釈し続けていた。
好奇心旺盛で、積極的な性格なのだと……
でも、今はじっくりと見守ろう。
本当にそれでいいのか悪いのか?
ゆっくりと考えよう。
今、迷うのは、そうやって考えることを与えられた時期なのだから……


ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


アメリカ

2006-05-26 17:34:21 | 日々つれづれ
子どもが大きくなって、自分だけの時間がたっぷり取れるようになったら、もう一度アメリカに行ってみたいなと思う。
いや、あの地で暮らしてもいいかなとさえ思う。

最初は、短大の卒業旅行。
バイトで貯めたお金で、ハワイとロスに訪れた。
ハナウマベイで足元に泳ぐ熱帯魚に感嘆し、ディズニーランドやユニバーサルスタジオでアメリカ人の豪快さを知った。
同じように旅行に来ている大学生とすっかり打ち解けて、楽しい日々を過ごした。

2度目は、湾岸戦争直後。
飛行機からホテルまですべて自分で手配して、妹の旅費も出し、従兄が住むデトロイトに出掛けた。
町のあちこちに、戦地へ向かった兵士の無事帰還を祈る黄色いリボンがなびいていた。

従兄に連れられ行ったナイアガラの滝。
自然の作り出したその美しさとそれにぴったりの町並みに心惹かれた。
まだ、日本ではあまり見られることのなかったハンキングの花が、通りのあちこちに飾られていて、あんな風に暮らしたいなと思った。

従兄と別れ、二人で飛行機に乗り、ロスへ向かった。
一度目に訪れた、ユニバーサルスタジオ・ディズニーランド・ハリウッドへ妹を案内した。

3度目は、職場の研修旅行。
もちろん費用は、自分もちだったが……
男性4人と私一人の旅だった。
すべて日程を自分達で組んだ。

用心棒が4人もいたから、結構自由に行動できた。
自然の溢れるセントラルパーク、自由の女神、貿易センター……
どうしても、もう一度訪れたかったナイアガラの滝。

体重を測定し、席を決めセスナで行ったグランドキャニオン。
堕ちてしまいそうなくらい揺れ、操縦士は、堕ちるかもしれないと脅し始めるし、男性の一人は顔が真っ青になるし、大変だった。
こんな雄大な景色の中で、死んでいくのなら、それはそれでいいかもしれないと思った。
出来ることなら、もう一度訪れてみたい場所だ。

オーランドのディズニーワールド、ユニバーサルスタジオ。
いつでも陽気で豪快な現地人。
はまったら大変かもしれないと思ったラスベガス。
帰りは、ダブルブッキングで飛行機の席がなく、小遣いを貰ってハワイに延泊し、射撃を楽しんだ。

今度、あの地を訪れるのはいつになるんだろうか?
来月、仕事仲間が勉強のためにアメリカへ渡る。
ちょっぴり、いやすごくうらやましい。
でも、子ども達を置いて行こうとは思わない。
子どもがいるから行けないのではなく、私一人で行っても、きっと楽しめないから。

今の私には、やっぱり2泊3日が限度。
数ヶ月に1回、そうやってリセットしよう。
どうせ離れるのだから、子どものことも少し忘れて、思う存分楽しんで、美味しいものを食べて、自分のなりたい自分になってみよう。

いつかまた、あの地へ行けることを夢見ていよう。
目標さえ持っていれば、叶えることは出来るのだから……


ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


言葉

2006-05-26 00:53:56 | 日々つれづれ
3月末以来、逢っていないKさんと逢う約束をした。
少しだけ時間が取れそうだったから、私から連絡してみた。
あれから2ヶ月。
逢いたいとは思うけれど、逢えなくて辛かったり悲しいわけでもない。
無理にでも時間を作って逢おうとも思わない。
すがりつきたい気持ちもない。
女友達と同じ感覚。

ただ、ちょっとしたメールが嬉しくて、それだけで頑張ろうって気持ちになれる。
不安な時、思い出すだけで、元気になれる。

元々、Kさんには、男性的なものを感じない。
男性としての魅力がないわけではない。
背も高く、かっこいいし、スポーツマンだし、仕事も出来て、思いやりもある。
でも、何故か男性的なものを感じない。

恋愛対象として、問題外な男性ならともかくとして、そうではない。
充分に恋愛対称だし、好きだと思う。
私にとっては、今までの好きとは違う。
好きって、もっと辛く苦しいものだと思っていたから。

逢う約束をしたのは3週間後。
しかも、場合によっては逢えないかもしれない不確定なもの。

お互いの日程が、偶然と思えるほどぴったりだった時、
「待ち遠しいね。」そうメールが来た。
「待ち遠しいな」でもなく、「待ち遠しいよ」でもなく、「待ち遠しいね」。
私も、同じように思っていることを前提にしてる言葉。
私の気持ちはお見通しのようで、ちょっぴり恥ずかしくもあり、嬉しくも思う。

でも、きっと私だったら、そんな言葉使えない。
やっぱり、「待ち遠しいな」か「待ち遠しいよ」だろうな。
相手が同じように思ってくれてるなんて思えない。
でもそれは逆に、相手の気持ちを理解していないことに、信じていないことになるんだろうな。

「二人とも、同じ気持ちなんだよ」
そんなメッセージが言葉の中に含まれていて、温かい気持ちになる。
無意識なんだろうけれど、Kさんのそんな言葉にずっと癒されてきたのだと思う。

一緒に仕事をしていた時に、県外出張の話が持ち上がり、初めての経験に私は浮かれた。
それまで、人の世話ばかりするような仕事で、褒められることも、評価されることもなかったのに、そこでの仕事は違っていて、男性ばかりの肉体労働も含まれている仕事だったけど、苦にならず、むしろやりがいを感じていた。

けれども、女性は行かせられないと私だけ、出張に行けなくなった。
落ち込んでいたときに、
「ごめんね。僕が遊び人に思われてるから、一緒に行かせられないって思ったんだと思うよ。」そんな風に言ってくれた。
むしろ、私のKさんに対する想いが、周りにバレバレだったんじゃないかと思ったのに……

仕事で失敗して落ち込んでいたときも、自分の失敗話を話してくれたり……
子育てでいっぱいいっぱいだった私に、大丈夫って言ってくれたのもKさんだった。

年末に、旦那と別居したことを話したときも、「いろいろあった時に、応援できなくてごめんね・・・・」ってメールをくれた。
何年も、逢うこともメールすることもなかったから、出来なくても当たり前なのに、「ごめんね」って言ってくれることが嬉しかった。

旦那の言葉に、ボロボロになっていた私は、Kさんの言葉に、癒されている。
言葉って使い方によっては、鋭い刃物となって人の心をめちゃくちゃに切り刻む。
でも、身体を抱きしめられるよりも、もっと心地よい想いを心に刻むことも出来る。

私は、どんな言葉を発しているのだろう。
無意識のうちに、人を傷つけているかもしれない。
Kさんのように、人を包み込むような言葉を使えるようになりたい。

Kさんに逢うのは、二人きりでも、そうでなくてもかまわない。
ただ逢って話がしたい。
そんな気持ちにさせてくれる。
私も、そんな風になりたいな。


ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


次女

2006-05-25 12:14:56 | 日々つれづれ
最近、次女が友達と約束をして帰らなくなり、浮かない顔をしている。
次女を見ていると、自分の子どもの頃に似ていると思う。
正義感が強くて、時に攻撃的になってしまう。
それで敬遠されたり、非難を受けてしまう。

次女は、今までに何度も友達とのトラブルが起きている。
親が介入してくる。
私は、謝ることしかしな出来ずにいる。
そんなことの繰り返しだった。

でも、最近、トラブルも無くなって、友達と楽しそうにしているのを見て嬉しかった。
それなのに、最近、友達の名前を口にしなくなった。
何かあったのと聞いてみた。
友達が自分を避けているんだと言う。

話を聞いてみれば、すべてが想像なのだ。
相手の行動を読んで、勝手に嫌われていると思い込んでいる。
だから自分からも近づけない。
これ以上嫌われないように、遠ざかってしまう。

友達が、本人がいないところで他の友達の悪口を言っているのを聞いて、自分もそう言われているんだと思っていること。
たまたま、次女に腹を立てたかもしれないことで、ずっと自分を嫌っていると思っていること。
もしかしたら、あの時、こうだったからかもしれない……
自分の行動ばっかりを見て、相手の気持ちを勝手に想像してしまっている。

これって、私とまったく同じじゃん。
っていうか、次女の話を聞いて客観的に見るから、すべて想像じゃないのって思うのであって、自分の時には、やっぱり次女と同じように思い込んでいる。
自分の思いや苦しさを連鎖させていることは心苦しい。

でも、ここで自分を責めるのはやめようと思った。
少なくとも、そんな気持ちを次女は私に話している。
私は、母に話せなかったから。
今の私は、少なくとも次女の性格が悪いからそうなるのではなく、思い込みからそうなっていることが判っているから、どうしてやればいいのか判る。

そして、次女は私のために、過去を見せてくれているのだと思った。
どうして私が、人と上手く付き合えないと悩んだのかを見せてくれている。
付き合えなかったのではない、勝手に相手の想像をして、嫌われていると思い込んでいたのだ。
自分から付き合おうとしていなかっただけなのだ。

今までだったら、次女の性格を責めていたかもしれない。
こうするから嫌われるのよとか、ああするから嫌われるのよって。
それは、母がしてきたこと。

私が次女にしてやること、言ってやることは、そうじゃない。
「大丈夫よ。みんな次女のことが好きよ。」って自信を持たせてやること。
上手く出来るといいな。
近づきたいのに近づけないジレンマを、次女が捨てることが出来るといいな。
私に出来るのは、そう、見守ること。



次女は、生まれた時から、繊細な子だった。
人が大好きで、誰かが自分の傍にいてくれたらニコニコしているのに、少しでも離れると大泣きをして、眠ることも出来ず、大変だった。
だから、子ども達3人の中でも気を使って育ててきた。

昼間、ニコニコ過ごしていても、知らない人が来たり、帰省したら、夜は寝ずに泣いていた。
一晩中、抱っこして過ごすこともしばしばだった。
そして、明け方深い眠りに付く。
それは、2歳くらいまで続いた。

2歳の頃は、私と旦那の間に入って、道化師を演じていた。
そうやっていつも私の顔色を伺っていたのだろう。

3歳のとき、私が最初の流産をし、自分が抱っこしてもらっていたせいだと言って、自分を責めた。
「あの時の赤ちゃんは、ちゃんと長男になって生まれ変わってるよ。」って言ってるんだけど、未だに自分のせいだと言う。

4歳の時、長女が小学校へ入学し、仲の良かった友達が転園した。
夜驚が続き、夜尿が始まった。
大声でわめき、友達の夢ばかり見ていた。

それからは、いつも自分には友達がいないと言い続けた。
でも、保育園を覗いても、先生に聞いても、いつも誰かと遊んでいて、一人ぼっちになることはなかった。

3人の関係になると、必ず自分が身を引く。
でも、それは私も同じだった。
そこに自分がいたらいけないような気がしていた。

次女に、何度も何度も言い聞かせた。
お母さんは次女が大好きなこと。
友達も次女のことが好きなこと。
昨夜、友達が電話をしてきたのも、次女を頼っているからだということ。

次女が、身を持って私に見せてくれていることを、私も乗り越えなければいけない。
すべて、自分が勝手に相手の行動から読み取っている妄想なんだってこと。
私自身も、そこから解放されて初めて、次女もまた解放されるのかもしれない。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


妹との会話

2006-05-24 20:51:28 | 日々つれづれ
妹「今日、(職場に)新しい人が入ったよ。」

私「良かったね~。これでシフト組んでもらえるね。」

妹「本当よ~。もうみんな、自分勝手なんだから。
  よくあんなにも自分に、都合がいいように言えるよ。」
  でも、人事の人が優しくてね。
  ゴールデンウィークもほとんど出ていたら、
  『大丈夫?』って気を使ってくれて、そう言われると、『大丈夫です。』って張り切ってしまうんだけどね。
  みんな、自分の都合のいいように、『ここ3日続けて出て』って言ってくる。
  で、なかなか決まらないから、めんどくさくなって『いいよ』って言ってしまう。」

私「で、そうしても相手が感謝してくれず、当たり前のようにまた頼んでくる。
  自分が取って欲しい態度と、相手の態度が違いすぎる。」

妹「そう、それで怒りっぱなしになる。」

さすが、姉妹。同じ行動パターン。

私「今日ね。登校監視だったんだけどね。
  いつも、そんな時、書類を書かなくちゃいけなくてね。
  みんな、書こうとしない。で、ついついやってしまう。
  いつも私が書いてると思ってしまう。
  だからね、今日は我慢してみたのよ。
  そしたら、他の人が手を出した。
  簡単な感想なのに、『ここはどうする』って聞いてくる。
  でも、誰も答えないから、時間ばかり過ぎていく。
  で、思った。自分がやったほうが良かったじゃんって(笑)
  さっさと終わって、他の人も助かるじゃんって。
  今度からは、人のためにではなくて、誰かがしないからでもなくて、
  自分のために、  さっさと引き受けて帰ろうって……。
  誰かのためとか誰もしないからって思ってるときは、
  自分ばっかりって恨みの気持ちが湧いてくるけど、
  自分が自分のために動けば楽だなって気が付いた。」

私「人のことに対して怒りが湧いてきて、そんな自分に対して罪悪感も生まれてくるよね。
  罪悪感って、何かがあって罪悪感が生まれるのではなくて、
  先に罪悪感があって、それに似合うだけの罪を犯すらしいよ。
  その罪悪感は、だいたいにして親が植えつけるみたいだけどね。」

妹「ああしたらいけない、こうしたらいけないと育ってきたけれどね。
  それがあったからこそ、『ごめんなさい。ごめんなさい』って言ってきて、
  人からも、いい人だと思われてきたから、悪いことだけではないと思うけどね。」

私「でも、罪悪感が生まれてきて苦しい。
  罪悪感は、カウンセリングで持つ必要ないと言われてる。
  罪悪感なしで、そういう行動が出来るようになったら楽よね。
  その苦しさを何かで埋めるのが依存らしいけどね。」

妹「どうしても不安症状から抜け出せないのよね。心気症なんだよね。」

私「不安でいることに依存してるのよ。」

妹「そうなのよ。たまに不安な気持ちを忘れて楽しく買い物してるの。
  そしたら、『あれ?こんなに楽しいのはおかしい。』って思うの。
  そして、不安な気持ちが押し寄せてきて、ああやっぱりって、
  呑気にこんなことしてる場合じゃないって帰るの。」

私「不安じゃないと不安なんだ。」

妹「何も不安を不安で消すことは無いと思うのよ。
  アルコールでも飲むほうがよっぽどましだと思うんだけど。
  何故か、不安になることを選んでる。」

妹は、私と違っていくらでもアルコールが飲める。
祖父は、アルコール依存症で、母も、酔わないタイプだ。
父は、飲むと真っ赤になり、私も父と同じで、あまり受け付けない。
でも、別居してからは飲むようになったし、かといって依存するでもない。
あまりに苦しい時、アルコールを飲むと、胸が楽になることを知った。
でも、薬と同じように必要な時しか取ることはしない。

母から、何度も何度も祖父のことを言い聞かされていて、アルコールに依存することは、心の中で悪なのだろう。
観察自己(欲求)の強い私と妹は、どうしてもこれに頼ることが出来ないのかもしれない。
飲んではいけませんという厳しい言葉が心の中に渦巻いているから。

結局、姉妹二人が抱えている問題って、ひとつなんだろうなって思う。
妹が、鬱になったのも、旦那との関係がきっかけだった。
妹は仕事を辞め、その後、旦那の問題行動が発覚した。
妹は、一生懸命関係回復を試みた。
そして、その関係が良くなり始めた頃、気持ちがストーンと堕ちてしまった。

でも、妹の旦那は、自分のせいでこうなってしまったと思って尽くしてくれた。
夫婦関係も次第に良くなった。
それなのに、妹の不安症状だけが残ってしまった。

私も、妹も、仕事という一種のステータスを失くしたことにより、自分の中での、自分の存在価値が下がったことが最初のきっかけなのだろう。
そして、他に目を向けることが無くなり、たまたま旦那の問題行動が目が付いた。
むしろ、探し当てたのかもしれない。

元々、妹は心配事を抱えていることが多かった。
それまでは、仕事の中で心配を抱えていることで、成り立っていたものが、辞めてしまい旦那に目が向いたのだろう。

そして、私は自分が不倫をしていて、いつか同じ目に遭うと決め付けていた。
逆を言えば、そうなることを待ち望んでいたのかもしれない。

お互い、旦那の問題行動を見つけてしまうことになる。
違っていたのは、旦那の価値観。
妹の場合、旦那との価値観が同じで、妹が変われば変わるほど、旦那も変わっていった。
尿管結石になった時、これは妹を苦しめた罰なのだと思い、一晩病院へも行かず苦しんだと言う。

私の旦那は、私が変わろうとすればするほど、つけあがってきた。
価値観がまったくというか、正反対といってもいいほど違っていた。

幸せな生活だと思っていいはずなのに、いつまでも不幸を抱えないと不安な妹。
傍からみたら、私だって同じなのだろうと思う。
子ども達の将来のことや、お金のこと、先のことを心配しては不安になっていた。

「○○になったら、どうするの?」
何かにつけ、予期したり、想像したりしては、不安になった。
そんな時の、旦那の答えはいつも、
「びっくりする。」
人をバカにしてると思っていた。
でも、それは、そのほうが正しかったのかもしれない。

実際に起こっていない出来事を想定しては、不安がっている私よりも、まともで楽な生き方なのだろう。
でも、私はそれが許せなかった。

勝手な不安と、罪悪感。
すべて囚われてるだけなんだと思う。
この呪縛から解放されるのは、いつなんだろう。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング29

2006-05-24 18:15:57 | カウンセリング
今日のカウンセリングは、思い切り泣いてしまいました。
今までで、一番泣いたかもしれません。
目は腫れるし、頭は痛くなるし、コンタクトは曇るし、大変でした(笑)

前回からの2週間の間に、カウンセラーに対してすがりつきたいという感情が消えていったことを話していきました。
本人を目の前にして、自分の感情を話すのはとても恥ずかしかったです。
でも、自分が傷つけられないことを判っている相手に対して、素直に気持ちを伝えることもまた、距離感を学ぶための勉強なのかなと思いながら、勇気を振り絞って話していきました。

前回のカウンセリングで、共感して貰って嬉しかったこと、それによって自分が受け入れて貰っているという気持ちになったこと。
オープンカウンセリングを受けて、自分の感情が当たり前のものであること、それでもいいんだと言われたこと。
それによって、すがりつきたい気持ちが薄れて、温かい気持ちに変わっていったことを話しました。

斎藤先生に、「そういう関係の人を17歳から57歳くらいまで5・6人、傍において置けばいいんじゃないの?」と言われたのですが、自分でもあまり気が付かないうちに、そういう行動を取りながら距離感を学んでいると思うことを話しました。
元同僚のKさんや、しょっちゅう電話を掛けてくる、自称、人生を楽しむ達人という60歳の男性、カウンセラー。
年末に東京で再会したSさんも、そうかもしれません。
次回、時間が合えば、食事に行こうと話しています。

Kさんに対しては、最初から距離感が保たれていて、それはカウンセラーがしてくださったように、Kさんはいつも私の気持ちを共感し、汲み上げてくれていて、いつも私を助けてくれていて、いつも温かい気持ちを貰っていたからかなと思います。
果たして私が、同じようにそれが出来ていたのかは不明ですが……
Sさんにしても、60歳の男性にしても、以前は距離感を保つことが出来なかったけれど、少しずつ保っていけているのかなと思っています。

すがりつきたい気持ちや苦しさをオープンにすることによって楽になれたこと。
罪悪感によってずれてしまっていた歯車に気がつけたこと。
罪悪感の連鎖や、~しなければという脅迫的なべき思考の連鎖が私で止まること。
それは私の持っている力なんだと仰ってくださいました。

「今まで一生懸命やってきて、それは重い荷物だったけれど、歯車がかみ合うと、それは翼になる。」
そう仰ってくださいました。

すがりつきたくなるとどうなるのか考えていきました。
○執着して離れられなくなる。
○自分のことよりも、その人のことが優先になる。
○自分のことを後回しにして、その人を楽しませようとする。
○相手に幸せになって欲しいと思う。

それは、純情で、純粋な気持ちだけど、想像の産物であって、現実と噛み合わないこと。
相手が、自分の想像からずれてしまうと、怒りが生じてしまうこと。
そのずれを、埋めたくて、埋めたくてたまらなくなることを指摘されました。

どうすれば、安全の距離感が保てるのか?
○自分の気持ちを大切にすること。
○自分の楽しみを確保すること。

それでも、寂しい気持ちを、相手といる楽しみに変えることが出来たら、楽しさが倍増する、それは一人でいるよりも、何倍も楽しいことなんだと言われました。

ここまで、話していると、痛くて痛くて、涙が込み上げてきて堪らなくなりました。
苦しくて、辛くても、どうしていいかわからなかった過去の想いが溢れてきました。
先日、書いた恋愛恋愛2
過去の私が、惨めでけなげで……

想像と現実とのずれをもがき苦しんでいた、それに気が付いたこと。
無我夢中に生きてきた過去を否定する必要は無いこと。
「学べなかった過去も、ねこさんにとって必要だったんだよ。
 そう思える日が来るから。」そう言われました。

まだまだ、あの辛くて悲しかった過去は、自分の中で消してしまいたいし、出来ることなら封印したままでいたかったと思います。
こうやって自分を見つめ直すことをしていなければ、誰にも話すことなんて無かったと思います。

そして、身を引き裂かれるような想いも、思い出すことも無く、ただ自分の中に湧いてくる怒りを、どう取り扱っていいのか、それがどこから生まれてくるのか判らないまま、苦しみ続けたのかなと思います。

あと2年ちょっとすれば、長女があの時の私の年齢になります。
同じ苦しみだけは、味合わせたくない。
セックスは、苦しさを埋めるための行為ではなかった。
自分を傷つけるための行為でもなかった。
もっと、幸せになるためのものだった。
自分を大切にし、自分が楽しみ、共に楽しむ。
そんな風に、なってくれたらいいなと思います。

でも、それよりもまず先に、自分がそうならなくちゃいけないなと思います。
本当の幸せや、本当の愛というものをしっかり感じていけるようになって始めて、それは子ども達に伝えていくことが出来るのかなと思います。

傷つけられてばかりの旦那に、わかってもらおうと必死になっていました。
自分の描く理想の夫に近づいて欲しいと怒りが溢れていました。
裏切られてもなお、いつかは判ってくれるのだと信じていました。
でも、判ってもらえない相手に、自分の理想を押し付けても、溝は大きくなるばかりで、傷も広がるばかりでした。

今はもう、傷つけられたくない。
自分を傷つけてしまうかもしれない相手とは、適当な距離を置きたい。
自分のことを理解してくれる人、そんな人に心を開いて、素敵な関係を作ることが出来たらいいなと思います。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


心理学的性格の分析

2006-05-24 00:56:38 | 自分考察
FortuneTeller
生年月日と性別で分析されます。


基本性格
・穏やかで、人見知りしない対人対応を心掛けている人。
・穏健派、性格、思想、行動などが穏やかで極端でないタイプの人。


女性性格
明朗快活で大らかな人。
表面的にはマイペース、何時も穏やかで楽天的に見えるが内心は苦労性で理屈っぽさがある。
忍耐強く冷静に合理的な問題解決を心掛ける知的な人で、感情に左右された言動や曖昧な態度を取る事は少ない。
人を裏切る事無く正直で温かい付き合いをする。


表層意識
あなたは、何事もマイペースで悠々ととした印象を与える人でしょう。
でも弱い人を守るためには権力に立ち向かっていくような過激な一面もあり、心を許した人には誠心誠意尽くした対応を心がけられるタイプです。
そしてまた、正義感の強い博愛の精神を持つ人情家なので、まわりに対して面倒見のいい、頼まれるといやと言えない親分肌の所があり頼りにされます。
基本的には平和を愛し、学校や家庭、職場など生活圏全体を見渡してのバランスを取る感覚は抜群なものがあります。
でも、言葉のキツさは自他共に認める所で、友情や愛情を持って言う一言にも、笑いながら言う一言にもけっこう傷ついている人がいる筈です。
そして、根性と頑張りで何事にも挑み、何でも一応はそつなくこなしますが、其れゆえの器用貧乏な面には本人も満たされない思いがあるでしょう。
仕事に対しても家庭でも全て手抜き無しの頑張り屋でなせばなるの精神でハンパではないです。
職場においてもムードメーカーで人に祭り上げられる事も多いでしょう。
そして、強い自我を持っているため環境に影響される事なく自分の世界を築いていく事が出来るでしょう。
外見的にはどっしりとしていていかにも落ち着いた印象を与える人ですが、幼少の頃は大人びていても年を取るごとにだんだんと若々しくなって社交的になっていく人でしょう。
また、表面では柔軟で包容力を感じさせる一方、内面ではしっかりとした自我の主張を持っており、着実に人生の目標に到達していく、息の長さもあります。
金銭や名誉にこだわり、それを手に入れるための努力を惜しま無いのですが、野心から一歩引いた時には本来のよさがでる人でもあります。


社会意識
あなたは、体の奥から自然に湧き出る強いパワーで、何事をするにしてもやり遂げてしまう人なのでしょう。
体力的にも精神的にもタフで、耐久力も、自ら行動を起こす積極的な強健もあり、周囲を巻き込む、言わば渦巻きの中心的な人でしょう。
また、考え深さも持ち合わせ、人見知りも無く、その活動の裏側にはしたたかな計算やアイデアがあり、手がけた事の成功率は高いモノがあります。
でも、性格はきつくなく、人当たりのソフトな、優しくて温厚な人柄でしょう。
当然人も集まり易く、信頼も得られ、リーダーとしては最高の人でしょう。
また、弱者を守るような親分肌で包容力もあり、楽天家だから、周りに緊張を与えず、中心人物として適正なのでしょう。
正義感の強い博愛主義者ですが、自分や他人に対しては甘い所があり、ケジメが曖昧でルーズになりがちな傾向にありますが、人に合わせるのが上手くて自分の心に忠実な事から、人を恨んだり後悔はあまりないでしょう。
そして、事業運や独立運は旺盛なのですが、やや自尊心が強く、このプライドの高さから人に頭を下げる事が嫌いで、サービス業等は最も不向きな傾向にあります。
また、客観的に分析する力はありますが、即断即決は苦手なので、スピードを求められる仕事よりは権威などを尊重する官僚的な組織の仕事が良いでしょう。
そして、実力も能力もあるので、自信過剰になり易く、どうしても自分本位になるので注意が必要でしょう。
また、頭もよく学問や文芸的な素養も良いものを持っています。


深層意識
・活気に満ち、年老いても若さを失わない人。
・永遠の少女、少年の気質。
・やんちゃで反発心と反抗心を併せ持つ。他者を強く意識する。
・社会への不条理さや窮屈さを過敏に感じ取る。
・どんな事も無駄にしないで、自分なりに吸収し、表現する。
・故に、劣等感をポジティブな思考へと転じて、成長の糧とする人。
・優れたバランス感覚と工夫する力を持つ。
・大胆さと繊細さ、寛大さと小心さ、相反する気持ちを内包する。
・時間をかけて成功する大器晩成型です。


だいたい当ってるけど、社会意識の項目はピンときません。
まぁ、生年月日だけでこれだけのことが決まっていると思うとちょっと恐いかも…



ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


癒し

2006-05-23 22:19:27 | 日々つれづれ

子ども達が連れてきた猫ちゃんたち。
とっても癒されてる。
一匹だった時よりも、ずっと安定していて、あまり泣かないし、寝る時は、重なり合ってるし、最近ではじゃれあうようになってとっても可愛い♡→ܫ←♡

        
ももちゃん 二週間でこんなに丸くぬいぐるみみたい。


ダンボール箱を覗くと、こんな風に見つめてくれる♪


もう一日中でも、眺めていたい、そんな気持ち。
うちの子ども達が生まれてきた時も、そうだったなぁ・・・・・・
可愛くて、可愛くて、今じゃあ憎らしいけどね(^^ゞ

なんだか私のために来てくれたのかなぁってそんな気持ちになる。
子ども達も頑張って、家にいる間の世話は全部してくれてる。
トイレトレーニングも始まって、少しずつ楽になる。
もうすぐ離乳食。
子ども達が生まれてきた時のことも、少しずつ合わせて話していきたいな。
獣医さんが仰っていた「動物は15年で人生を収縮して見せてくれる」ってこと本当だなぁと思う。
自分達も、こうやって大切に育てられたんだって、わかってくれるといいな。


今日は、朝から雨で、いつもは自転車なんだけど、仕方なくタクシーで出掛けた。
そうしたら、午後から雨が止み、迷ったけれど歩いて帰ることに。

大きな重いかばん。
食料品。
花屋で購入した、水やりしたばかりの苗。

両手に荷物を抱え、1キロちょっとの道のりを歩いた。
とっても疲れてしまって後悔したくなった時、再開発中の空き地で発見。

         
ミント                     カモミール


ミントとカモミールの群生。
カモミールは種が飛んだのか、空き地中あちこちに生えていてびっくり。
いつもは自転車で通るから気が付かないのに、歩いたお陰で気が付くことが出来、疲れが吹き飛んだ。

今朝も、長男が植えたスイカの種から芽が出ているのを発見。
先週、スイカを食べた後、
「植えたら、芽が出るかもしれん。
スイカがなったら保育園に持っていって皆で食べてもいい?」なんて言っていた。

保育園で、トマトやきゅうりの苗を植えたので興味が湧いたらしく、花の苗も欲しがって一緒に植えた。
種もどこに植えたのかも知らなくて、最初のうちは、毎朝水やりしている様子だったけれど、インフルエンザになってからは放置していた。
幸い、雨の多いお天気だったし、ちょうどいい場所に植えていたみたいで、いくつも芽を出していた。

それを見たら、とても嬉しくなった。
改めて、植物が芽を出すこと、芽吹くことに大きな癒しの力を感じた。
冬の間、枯れたように思えていた植物も、青々とした芽を息吹いている。

で、苗が欲しくなり、購入。
家に帰って、ベランダのプランターに植え替えた。
少しずつ、手入れしていきたいなと思う。

ここ数年間、放置したベランダ。
それでもなお、8年前の植物がなお生き続けているのは奇跡に近い。
過保護に大切に育てるよりも、少し苛め気味に育てる方が強い力を持つ。
水は、足りない方がいい。
そうすることにより、本来持っていた生命力で生きていく。

肥料も何もやっていない植物達が、子孫を残す為に必死に花を咲かせる。
絶滅するかもしれない危機感が花を咲かせる。
過保護にすることは、本来持っていた力を奪う。
水が少し切れただけで枯れてしまう。
寒くなっただけで枯れてしまう。

人間も植物も同じなんだなと思う。
旦那のため、子どものためと、結局、力を奪っていたのかもしれないと思う。
植物のことはわかっていたのに、人間に対してはまったくわからないままだった。

でも、今年は、まったく放置ではなく、綺麗に咲かせるための僅かな手助けをしていこう。
ほんの少しの肥料と枯らさない程度の水やり。
子ども達にも、同じくらい。
愛情はたっぷり、でも見守る、そんな風に出来たらいいな。




ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


恋愛2

2006-05-21 23:27:30 | 日々つれづれ
一つ前の記事を書くと、フラッシュバックって言えばいいのかなぁ、過去の感情が蘇って苦しくなった。
一人、お風呂の中でボロボロ泣いた。
今、そんな気持ちじゃなかったのに、寂しくって辛かったあの頃を思い出して、涙がこぼれた。

子ども達を寝かせて、同じ時期に、恋愛ではなく心の吐き出しをしていたノートを見ながら、尾崎豊の「壊れた扉から」を聞いている。

あの時のコンサートツアーで、私は2列目で、いつもならどんなことが合ったって、もう一人の自分が冷ややかに私を監視しているのに、その時ばかりは、もう無我夢中で酔いしれて、我を忘れて踊りまくって乗りまくってたなぁ・・・・・
私が、ライブハウスに通うようになったのは、それからだったかもしれない。
ライブで音楽に身を任せている時が、唯一、自分から逃げられたのかもしれない。

なんだか、タバコが吸いたくなった。
ライブハウスでは、いつもタバコを吸っていた。
私がタバコを吸うのは、ライブハウスか、バス停からの帰り道か、深夜だった。
友達の前では、吸うこともなかったし、そうする場所もなくなって、今はまったく口にしていないけど。

以前、自分の居場所だったのかもしれないって書いたことがあったけれど、自分から逃げられる方法だったのかもしれない。
死にたいって思うのは、嫌なことから逃れたいためでも、誰かから逃げたいわけでもなくて、自分から逃げ出したいからって、思ったことがある。

私は、こうやって自分から逃げ出していたんだなと思う。
そして、そこでは違う自分を演じていたから。
たぶん、きっと私の消えてしまいたい思いは、そうすることで満たされていたのだろう。

無くなってしまいたい。
そんな風にカウンセラーに話したことがあるけれど、あの頃も、今までの人生すべてリセットして、新しい自分に生まれ変わりたいと思っていたのではないか。
シュルシュルと溶けて無くなってしまいたい。
そんな願望は、心の中に宿り続けてる。

この想いを胸の痛みは、ずっと心から消えないのだろうか?
上手く付き合っていくしかないのだろうか?
恋してその人に依存し続けることで、この胸の痛みは恋愛によるものだとずっと思っていた。
本当は、痛みの方が先にあったのに……

斎藤先生のワークショップで、罪悪感が先にあって、それに似合うだけの罪を犯すと言われていたけれど、胸の痛みも同じだ。
みぞおちにいつも何かが詰まっているそんな感覚。
それは、小学1年生の時から合ったはず……
しょっちゅう胃が痛いって、保健室へ行っていたもの。

その痛みに似合うだけの、悲しい出来事を味わってきたのかなぁ。
悲しい状況に、わざと身を置いてきたのかなぁ。
嫌だな、そんなの。
それよりも、痛みを忘れてしまう夢中になっているほうを選択したいなぁ。
いや、それも同じか。結局はそれに依存していることになるかな。

どうすれば痛みから解放されるんだろう。
諦めることかなぁ。
これが私って思うことかなぁ。
痛みと共存することかなぁ。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル

家族

2006-05-20 23:51:03 | 日々つれづれ
すっかり良くなった長男。
朝7時に目覚め、さっさと着替えて見せに来た。
私はといえば、布団に包まっていたけれど、そうそう寝てもいられず、仕方なく起き出した。

実家からの宅急便。
家で実ったさくらんぼと薔薇の花。

箱を開けると、薔薇の香りがしていい気持ちだ。
まだ、ガーデニングなんて言葉が流行っていない頃から、母は花を育てていた。
プランターにたくさんの花を咲かせ、園芸誌の取材も来た。
実家に帰ってからは、庭に花壇を作り、たくさんの花を咲かせている。
今の時期、薔薇が見事らしい。

この季節、何かと学校行事やらで忙しくて、帰省した事がない。
薔薇を楽しみに、多くの人が訪れ、接待も大変だと言っている。
でも、それもまた楽しみなのだろう。
一度は見に来てと言われつつ、毎年、花を贈ってもらって眺めることで終わっている。

さくらんぼは、以前、私がプレゼントしたもの。
他にもブルーベリーやみかんの木がある。
それを収穫しては送ってくれる。ありがたい。

前日の父のブログには、収穫後の写真と、孫に送る旨が書かれていた。
私も同じように愛されて育ったのだろう。
ただ、ほんの少しのボタンの掛け違いで、その愛情を受け取れずに来てしまった。

それと一緒にお金の入った封筒があった。
定期が満期になったから妹と私に送ってくれた。
今まで、そんな風にしてもらったことはなかった。
慎ましやかな年金生活を送っている両親に申し訳ないような気がした。

でも、こうやって一人で三人の子どもを育てている私に、何かしてやりたい気持ちでいっぱいなのだと思う。
私にだけ送ったら、私が受け取らないことを知っているから……

少し前に壊れてしまった食器洗い機。
このお金を足して新しいのを購入しよう。
父と母の気持ちを形に残しておこう。

父も母も、精一杯の愛情を注いで育ててくれたのだと思う。
不器用で、一生懸命になりすぎて、それで苦しくなってしまったけれど、あれ以上、どうしようもなかったと思う。
間違いなく、私は愛されて育ったのだと改めて思った。



夕方、体調が悪くなった。
身体がだるくてだるくてたまらなかった。
熱を測ると微熱。
自律神経の乱れだ、たぶん。

でも、長女の優しい言葉が嬉しくて、時間が掛かりながらも夕食の準備をした。
皆がいるから頑張れる。
フラフラしながらハンバーグを何回にも分けて焼き続けた。
半分は、いざという時の為に冷凍。
残りは、明日サンドイッチにして食べよう。

久しぶりに、パンを焼くようにセットした。
サンドイッチに似合う、全粒粉パン。
美味しいって食べてくれるといいな。
明日は、パンの焼ける匂いをかぎながら目覚めよう。




ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル