私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

愛とは・・・・・

2005-11-02 14:53:56 | 私のこと
カウンセリングを受けていて、ふと思ったこと。
寂しさに、話し相手欲しさにテレクラに電話したり(話し相手にはなりませんでした)チャットで知り合って話をしたりしていました。
カウンセリングってお金を払って話し相手を見つけるという、テレクラとあまり変わらないのかもしれないなと思ってしまいました。
寂しさをどう処理するかが違うだけであって、していることはあまり変わらないのかもと、不謹慎にも考えてしまいました。
もちろん相手は専門家なので、電話を切った後の感情は、月とすっぽんとなるわけですが・・・・

仕事を辞めて、派遣で病院に務めていたことがあるのですが、精神科や心療内科に通う患者さんが、先生のことを好きになるというパターンをよく見てきました。
カウンセリングを受けてきて思うのですが、自分のすべてを受け入れてくれて、共感してくれて、愛されていると勘違いしても仕方ないだろうなと思います。
自分自身、先生のこと好きになったらどうしようなんて考えたこともありますが、どうやらそれは、大丈夫みたいです。
ただ、もう少し早く、カウンセリングを受けていたら、恋していたかもしれませんね(笑)

彼とのことも、どん底に落ち込んでいたときに、共感して話を聞いてくれて、それが恋だと思ってしまったのかなと思います。
ただ今も
「また一週間頑張ろうね~」とか
「昼間はすごく暖かいね~」とか、
私が返事しないであろうことは予想できているのに、メールを送ってきてくれて、その何気ない会話が、私の心を暖かくしています。
もしかしたら、彼とだったら、幸せに過ごすことが出来たのだろうか?
たぶん答えはノーです。
私があのままの私でいる限り、私は幸せではなかった、そう思います。
これからのことを考えたとき、彼とだったら上手くいくのか?
これは、まだ私にはわかりません。
わからないからこそ、本当の気持ちがわかるまで彼にしがみつくのではなく、彼とは旦那と同じように距離を持っていたいと思っています。
すがりたい気持ちを今は、カウンセリングの先生にゆだねようと思っています。
(先生、迷惑だったらゴメンナサイ!!)

本当の愛とは、相手に甘えてすがることでもなく、相手に何かを求めることでもなく、
互いに寄り添いあって行くものではなかったのかなと思います。
私も旦那もそれが出来なかった。
そんなたわいもない会話を楽しむことが出来ないほど、二人とも余裕がなく、そして病んでいた。
そんな気がします。
相手に満たしてもらうことばかり考えて、自分で自分を満たすこと努力をしていなかった。

長女が赤ちゃんだった頃、私を求める姿を見て、必要にされている喜びを感じたことがあります。
子供の親に対する気持ち。そんな気持ちこそが本当の愛なのかもしれないな、そんな風に思います。
相手に何かしてもらいたいからとかではなくて、無償の愛、そんな素直な愛の姿を見習わなくてはいけないなそう思います。

カウンセリング3

2005-11-02 14:23:09 | カウンセリング
30分以上かかって打ち込んだブログ、フリーズしちゃいました。
最近、ウィルス対策ソフトとの相性が悪くて、突然、再起動してしまったりしてがっくりです。


今日は、3回目のカウンセリングでした。
前回からのカウンセリングの間に、様々な出来事があり、私の心の中も大変動しました。
偶然に、高校の時からの友達に再会したり、私の心を引き出すことの出来るような出来事が次々起こりました。
あまりにたくさんの出来事がいっぺんに起こってしまったことは、神様がほんの少し私に手を差し伸べてくださったのかなと思えるくらいです。

カウンセラーの先生も、ブログを読んでくださっていて、私に起こった出来事について喜んでくださいました。
自分が変わろうという努力や様々なサポート、勉強していることによるもの、そして私の強い心がそうさせたのだと言われました。
でも、色んなところから、先生やコメントをくださっている皆様はもちろん、本当に色んな目に見えないパワーを感じています。
それは、とても不思議な気持ちです。

「今、気持ちが高ぶっているでしょう。少しずつ踏み固めていきましょうね」
そんな風に言われました。
本当に、ハイテンションで、でもまた、堕ちちゃうんだろうなぁと覚悟している自分もいます。

ただ旦那との関係を見返したとき、旦那を責めるのではなく、自分を責めるのではなく、私がこうだったからこうなったんだ。
旦那がこうだったからこうなったんだと冷静に考えることが出来る私がいます。
私から発した言葉も、旦那が発した言葉も、それぞれ意味を持ち、否定するべきものではなく、そうするしかなかったんだなと考えることが出来る私がいます。
否定するのではなく、認める気持ちが心から生まれたこと。とても不思議な気持ちです。

「タフ・ラブ」という言葉を教えていただきました。
何でも受け入れて許すことが一般的な愛だと言われているけれど、
相手を突き放すという、そんな愛もあるのだと。
厳しくて、冷たいように思われるかもしれないけれど、それは強い愛なのだと。
そして、今、私が旦那に取っている態度がそれではないかということを言われました。

それについては、まだよくわかりません。
まだまだ、旦那の車を見ると、そこにいたらどうしようと考え、姿を見るのも嫌だなぁと拒否してしまう私がいます。
まだまだ逢って話をする気持ちにはなれないのです。
ただ、それを今どうこう考えるよりも、もっと自分のことをわかった上で、自分はどう思うのか、どうしたいのかを考えていければいいなと思います。

夫婦は一緒にいなければならない。子供の為に離婚してはならない。
そんな概念で自分を苦しめてきたように思います。
そうではなくて今自分がどうしたいのか?そんな素直な気持ちを大切にしていきたいと思うのです。
それは、我儘ではなく、私が私らしく楽な気持ちでいることが、周りにいる人を楽にさせるのではないかと思います。
最近、よく話をするようになった長女。話す順番を争うように子供たちが喋りまくります。
以前は、緊張感の漂う空間で、誰一人としてくつろぐ事が出来なかった食卓。
いつもイライラしていて、子供たちの言葉を聞くことが出来なかった私。
一緒に居ないことが、悪いことばかりじゃないということも目に見えてきています。

だから自分で自分を傷つけることはよそうと思うのです。
まだまだ、変わり始めたばかりの心、一進一退を繰り返すと思います。
今の状態を、手放しで喜んでしまう自分が、まだまだ成長しきれていないようにも思います。
それでも、一歩ずつ進めていること、自分で認めようと思います。
今まで、自分のこと認められずにきたのだから、それに気が付いた今は、大げさなくらいに、自分なことを喜んでやろうと思います。