私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

寂しいという感情

2005-11-19 23:16:21 | 本箱
先日のカウンセリングで、寂しいという感情について話をしたのをきっかけに、1冊の本を購入してみました。
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
副題は、「寂しくて、退屈な人たちへ」
寂しい気持ちについて、より詳しく書いてありました。
この本を読んでいると、今までの自分の姿が、すべてここに書いてあるようでした。
ここまで、すべて書かれてしまっていると、何かしら見えない力に操られていたようで、おかしく思えてきます。
私が、抱きしめられたいと思っていたことも、寂しさがいつも付きまとっていたことも、人間関係で上手く行かなかったことも、旦那との関係も、すべて原因は一つだったんだなって思います。

自分のことを否定してしまう自分、自分のことを好きになれない自分、どうしてそうなってしまったかを考える時、私が親である以上、避けては通れない問題だったなと思います。
旦那と別れて暮らしたいと思った欲求は、とても正しかったなと思います。
子どもを巻き込んでしまったことに対する嫌悪感が付きまとっていたけれど、あのまま、自分の感情を抑えて暮らしていくよりも、今、私が変わろうとしていることは、きっと子ども達の将来にも係わっていく大切なことなんだなと思います。

母が、今の生活を楽しんでいる状況を見て、安心できる私がいるように、これから先、私が変わっていくことによって、同じように安心して暮らせる子ども達がいると思います。
私が負って来た傷を、子ども達が負わなくても済むように、子ども達が自分のことを愛し、認めることが出来るように、今の私があるのではないかなと思います。

今の状況は、私にとって決して楽ではないけれど、今まで不安に思いながらも解くことが出来なかった思いが、少しずつほぐれ始めていくのを見ていると、とても愛しい気持ちになります。
今まで、本を読んだり色々してきても、解くことが出来なかったのは、自分自身が変わろうという気持ちではなく、受身の気持ちでいたこと。
ただ、そうした努力は決して無駄ではなく、こうやって自分自身と向き合ったときに、自分の持っている知識などが役に立っていること。

知らず知らずのうちに、このブログに、自分の思いを吐き出して、カウンセリングを受けるようになったり、ここで同じような状況に陥っている人と交流を持ったり、自分が回復に向かう道を作ろうとしていたんだなと思います。

10月29日~30日(カウンセリング効果?)に様々な出来事が重なってしまったのですが、ここに書いていないもう一つ、私にとってプラスになった出来事があったことにも気が付きました。
29日、偶然、高校時代からの友人に出会いました。いつも彼女に相談を聞いてもらっていたのだけれど、ある出来事がきっかけで音信普通になっていました。年賀状を交換するものの、9年近く逢っていませんでした。
逢えた時、とても嬉しくて、私は思わず、彼女に抱きついてしまったのです。
こういう行動を、私は取ったことがなかったのだけれど、彼女もまた、抱きしめてくれました。

思わず取ってしまった行動なんだけれど、今思えば、これも私の心を癒す、大きな一つの出来事だったのかもしれないなと思います。
変わろうと努力している自分を、何かしら、暖かい力が一緒になって動かしてくれている、そんな気持ちです。
まだまだ、私の心は未熟だから、大きく揺れることもあると思います。
でも、その力に、身をゆだねて、自分の力も信じてみたいと思います。

とまどい

2005-11-19 15:59:15 | 日々つれづれ
昨日、飼い猫を抱いていると、急に眠くなってソファで眠りに落ちてしまった。
目が覚めると、次女が帰ってきていた。
そんなに長い時間ではなかったのに、熟睡していたようで、玄関のピンポンにも気が付かないで、眠っていたらしい。
起き上がると、けだるく、真っ直ぐに歩けなかった。倦怠感。
また少し熱があるようだった。
そして10月3日から、10月29日からと2回もあった生理なのに、また始まっていた。
けだるさと戦いながら、仕事を進めているうちに、楽になった。
そして、心も軽くなっていた。

昨夜は、友達とコンサートに行くために、出てきていた母が泊まった。
こっちにいた頃には信じられないような行動だ。
兄姉や同窓生と遊んだり、習い事をしたり・・・・・・・
いったい今まで、私が思っていたのは、幻だったのかと思えるくらい、別人のように輝いている。
孫である、子ども達と遊び、楽しそうに声を上げて笑っている。
こんなに楽しそうにしていたところを、私は見たことがないような気がする。
私の記憶にある母は、笑顔ではあったけれど、決して楽しそうではなかった。
いつも父や子ども達のことばかり考えて、どこか縛られていたのではないか?
ようやく解放された母の姿を見ていると、私もとても楽な気持ちでいられる。

今朝、早く眠りについたせいもあって、とても目覚めが良かった。
ちょっとしたことで、遊びに来ていた妹に、厭味を言われても、気になることはなく、「まぁ、いいか」って思えた。
今までなら、チクチクと胸が痛んで、何かしら言い返していたところだったのに、浮かんだ言葉も、口に出すことがなく、飲み込めた。
楽になるって、こういうことなんだなと思えた。

昼食を取り、母を見送り、その足で、長男と公園に行った。
長男は、上手に甘えて、長女の友達に遊んでもらっていた。
「可愛い」と言われて、本当に可愛い男の子を演じている。
大人である私よりも、人を騙すのが上手いんじゃないかと思った。
どうすれば、可愛がってもらえるか、ちゃんとわかっているみたいだった。

家に帰り、ポストを開けると、1通の真っ白な封筒が入っていた。
中を見ると姑が書いたものだった。
子ども達三人の名前の最後に、私の名前が添えられていて、
”最寄り(地名の社会福祉協議会)へ来る幸便が出来ましたので届けます。
本年の新米、富有甘柿です。食べてみてください。
畑では さつまいもが大きくなって ほりに来てくれることを待っています”
と書かれていた。
どんな気持ちで、これを書いたのだろう。

何度も、旦那と話をしてみて欲しいと伝えても、話をしてくれようとはせず、
最後は、夜中に電話をしてきて、女遊びをしたことを認めたことと、反省していることを伝えてきた姑。
それ以来、何の連絡もない。
私の両親が、隣の県から出向き、話をした時も、息子とよく話し合うからと言って、何の連絡もない。
旦那は、毎晩、うちの駐車場に止めている車で、実家に帰っている。

何を考え、何を思って、こんな手紙を入れるのだろう。
こうすれば、私の心が、動くとでも思うのだろうか。
子供たちがいる土曜日。もしかしたら子ども達に逢えると思って、来たのだろうか?
荷物は、たぶん、メーターボックスに入っていると思う。なのに出せない。
この手紙を見てからは、玄関のピンポンの音さえ恐く、おびえながら出てしまう。
今は、何も話したくない。自分がここへ吐き出すことは辛くないけれど、旦那を含め、旦那と係わる人たちと話すことは気が重いし、やっぱり恐い。

せっかく、心が穏やかになってきたのに、また戸惑ってしまう。
お礼を言わないことは私の意に反するけれど、電話をすること自体、話すこと自体出来そうもない・・・・・・