私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

緩やかに、穏やかに

2006-12-30 20:15:48 | 日々つれづれ
パソコンが壊れ、昨日、新しいパソコンを購入しました。
起動や接続、インストールに追われてしまい、ようやく年賀状を書き終え、投函しました。

これまで、パソコンを購入した時は、すべて旦那がやっていました。
自分がパソコンが欲しくなる度に、私が仕事で使っているパソコンを取り上げ、新しいものを買い換えさせ、古いパソコンを旦那が使うという状態でした。
ただ一つ進んでやってくれていることだったのでお任せでした。
「わしがやってやった」と恩着せがましく、一日かけての作業でしたが、自分でやってみると、そこまで大変な作業ではなく、どちらかと言えば、パソコンを変えるためのバックアップや、新しくなったための弊害の方が大きいことに気がつきました。

上の二人の子ども達は、昨日、一足先に実家に帰りました。
長男は、相手にしてもらえないせいか珍しく昼寝をしています。
久しぶりにゆっくりと自分と向かい合っています。

今日は、mixiで知り合った男性がCDを送ってくれました。
そのCDがとても素敵で、甘く切ない歌声に、ジーンとしながら聴いています。
私がライブハウス通いをしていた頃、聴いていた音楽によく似ていて、歳も同じくらいで音楽の趣味も似ていて・・・
価値観や物事の考え方が似ているなと感じさせるような男性です。
でも、彼に対して依存したことはありません。
適度な距離を置いて、そして色んなことが話せる人でもあります。

昨夜は、やっぱりmixiで知り合った近所に住む男性が年末の挨拶だと電話をくれました。
初めてセックスした男性の同級生で、同じサッカー部で・・・
その人とのことを生育暦で話し始めたとたん出会いました。
少々、恋愛依存的な男性なので、色んな恋愛の話をしてくれますが、それでも私は依存したことがありません。
苦しい時、堕ちてしまった時に、関係性が変わってしまうのではないか、スイッチが入ってしまうのではないかと思ったことがありましたが、変わらず友達の関係でいることが出来ています。

カウンセラーにちゃんと二本の足で自分を支えていると言われたのですが、今の状態はそうなのかもしれません。
辛くて、苦しくて、誰かにすがりつきたい気持ちはなくならないけれど、そうしなくなった。
以前は、無意識のうちにそうしていたことを、しなくても済むようになったのかもしれません。
依存する相手がいないからと思っていたけれど、依存しようと思えばいくらでも出来た、でもしなかったんだと思いたいです。

今の心の状態は、とても穏やかで心地よいです。
このまま緩やかに、穏やかに過ごせたらいいのになと思います。
この一年、本当にありがとうございました。
ここでたくさんの方に、見守られ、励ましていただいたこと、何より私に勇気と力を与えてくれました。

まだまだ振り子が行ったり戻ったりですが、ゆっくりと穏やかになっていけばいいなと思っています。
パソコンからは最後の投稿になりそうです。
皆様、よいお年をお迎えくださいませ。
本当にありがとうございました。




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カウンセリング59&ミーティング13 1

2006-12-27 00:37:10 | カウンセリング
25日はミーティング、26日はカウンセリングでした。
色々な事があったので、長い記事になりそうです。
ミーティングやカウンセリングで話した出来事を中心に書いていこうと思います。

先週、旦那との接触をきっかけに堕ちてしまいました。
堕ちてしまうと、自己肯定感もなくなって、元の自分に戻ってしまいます。
その中で、昨年のクリスマスのことを思い出していました。
そして、昨年の同じ頃に書いたブログを読み直してみました。
そうしているうちに変わっていない自分と思ってしまっていたけれど、変わっている自分の姿に気がつきました。

一つ目は、昨年、デパートでの催事で知り合った方と食事をしたことをきっかけに、私は人と係わることに対して抵抗がなくなりました。
それまでは、休憩時間くらいは一人で過ごしたいという思いが強かったのに、彼女との出逢いをきっかけに、誰かと過ごすことの楽しさを知りました。
彼女が書かれているブログでは、いつも素敵な詩が綴ってあり、今でも私の心を救い上げてくれます。
今年の催事では、何の抵抗もなく自分から、食事に行こうと誘えるようになっていました。
誰かと過ごすことも、一人の時間と同じくらいに大切に思えるようになったのです。

二つ目は、昨年の今頃、恋愛依存バリバリでした。
特に、過去の自分を取り戻したいような気持ちでいました。
今も、相変わらず誰かにすがりつきたい気持ちはありますが、昨年のようにはならないなと思います。

三つ目は、旦那のことで堕ちてしまう自分が嫌だったのですが、ようやく自分の問題と向かい合えるようになったのかなと思いました。
恋愛依存をしてみたり、Kさんに対して共依存的になってしまったり、妹との問題にはまってしまったり、自分の問題をすり違えていて、ようやく自分の持っている問題に戻ってこれたのかもしれないなと思いました。
自分と向き合う以前なら、何も気が付かないまま恋愛依存に走ってしまったりしていたのでしょうが、それにも気が付くことが出来て、嫌な自分の姿をたくさん見てしまったけれど、今まで無意識に行動していた部分に気が付くことが出来たのかなと思いました。

そうやって変われている自分に気が付くと、少し気持ちが楽になりました。
仕事で作ったクリスマスカードを、一日迷って、カウンセラーに送りました。
こんなものを送ったら迷惑かもしれない。
いつまでも、カウンセラーに依存しているのかもしれない。
そんな風に考えてしまいました。
でも、思い切って送った瞬間、ふっと力が抜けました。


クリスマスイブ。
いつもなら、クリスマスはこうやって過ごさなければならないみたいなものが自分の中にあって、ケーキも作らなければいけないとか考えてしまって、作れない自分を責めてしまったり・・・
買ってもおいしそうなケーキは予約でいっぱいで残ったものを買わなければいけなかったり、それで自分を責める形になったり・・・
今年は、初めてケーキをあらかじめ予約することが出来ました。
そして、クリスマスの料理も、近くで炭火で焼いているお店の前を通りかかり、長女とおいしそうよねぇと言いながら、出来合いのものを購入しました。

自分で無理をしながら準備した時は、それを喜んでくれない家族に対して怒りの気持ちが沸いてきていました。
逆に、作らなければいけないと思いながらも、出来合いのものを買った時に、手抜き料理だと言われると同じように怒りが沸いていました。
でも、長女に同じように、手抜きだと言われても、笑っておいしいねぇと話せる私がいました。
自分が作りたければ作ればいいし、買いたいと思えば買えばいい。
自分を中心に物事を捉え、行動できると、人がなんと言おう気にならないんだなと思いました。

初めてクリスマスイブを教会で過ごしました。
当初、教会で過ごすことは考えてもいませんでした。
以前、AAのミーティングに参加した際、知り合いの写真展がきっかけで導かれるように教会に行きました。
その写真展がきっかけで、長男の七五三の写真を撮っていただいて、その写真が仕上がったという連絡をメールでやり取りした際に、その方から教会に行くという話を伺いました。
AAのミーティングの教会とは違って、私が通っていた小学校のすぐ隣の教会でした。
私は、独身時代、その教会でクリスマスを過ごしてみたいと思っていたことを思い出し、どうしても行ってみたくなりました。
でも、結構夜も遅いし、3人の子供を連れて行かなくてはいけないしと迷ったのですが、次女も行ってみたいと賛成してくれ、行ってみようかなと思い始めました。

買い物の帰り、ポストを覗くと、郵便が届いていました。
先日のデパートの催事の際、出展者の方がフランスで買い付けされたアンティークのロザリオを身につけられていて、今までも何度もめにしていたのに、今回どうしても欲しくなって、海外のオークションで購入しました。
クリスチャンでもないのに、ロザリオを身につけ、教会に行くのはおこがましい気もしたのですが、偶然にも届いたこと、何か導かれているような気がして、身に付け教会に出掛けました。

パイプオルガンや大好きなハンドベルの演奏、そしてキャンドルの灯りにとても癒された気持ちになりました。
そして牧師さんの話がありました。
その牧師さんは、色んな出来事があって刑務所で教戒師になりたいと思われていた時に、偶然にもその話があって、40年間教戒師をなさっていたそうです。
殺人などの罪を犯し無期懲役の人たちに「あなたの罪を赦します。」と言うのが仕事だったんだと言われました。
どんな極悪人も、「赦す」と言ったとたん変わるのだと言われました。
でも、ある時、もし自分の妻や子どもが殺されたとしたら同じように赦しますと言う事が出来るのだろうかと悩まれたそうです。
最終的に出した結論は、赦すということだったそうです。

その話を伺いながら、私は、自分がつらい目にあっても、最終的には相手を許してきたかもしれない。
前回のカウンセリングで、カウンセラーに変なのって言われたけれど、でも、私は相手を許したいと思った。
でも、それは、本当に相手を許したいと思ったのか、許さなければいけないと思ったのか、自分が悪いのだと自分をさげずんでしまったのか、よくわからない。
でも、自分のことは一度も、許そうと思ったことがないなと思いました。

「私はあなたを赦します。」
牧師さんの強く優しい言葉に、私は自分が赦された気持ちになりました。
涙が知らず知らずの間に、ボロボロとこぼれてしまいました。
いつの間にか握り締めていた十字架が、手の中でとても暖かく感じました。
今まで、入っていた力がすっと抜けていくのを感じました。
初めて、自分を許そうという気持ちになりました。

今まで『ハイヤーパワーにゆだねる』ということがどうしても出来ませんでした。
「辛い時は、手放してお任せするんだよ」そう言われても、頭ではわかっても感覚的に感じることが出来ずにいました。
でも私の中で、その時初めてはっきりとした神様の存在を感じることが出来ました。
不思議な感覚でした。

カウンセリング59&ミーティング13 2


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壊れました

2006-12-25 21:09:12 | 私のこと
パソコンが壊れました。
昨夜、長い記事を書いている途中フリーズ。
諦めてそのまま電源を落としました。
今朝から立ち上がりません。
どうやらハードディスクみたいです。
子宮がん検診も、疑陽性の通知。

昨日は、素敵なイヴだったのに・・・
また、ネット接続可能になり次第書きます。
取りあえず携帯からご連絡。
気持ちは堕ちていませんからご安心を~

今の状況

2006-12-21 09:39:09 | 日々つれづれ
身体がとてもだるくて、何もしたくなくて、出来ればずっと布団の中にいて、死んでしまいたい気持ちが押し寄せています。
ただ、死んでしまいたい気持ちと、死のうとする衝動までには、ずいぶん遠いのです。
生きていたいという気持ちと死んでしまいたい気持ちと同じくらい、気持ちがかけ離れていると思います。

でも、何をしてもやる気が出ない。
気持ちが上がってこない。
もし子どもがいなかったら、仕事がなかったら、本当に私はダメになっちゃうかもしれないなって思うくらい。
初めてブログを書く気も、Mixiでやり取りする気持ちもなくなってしまって、お菓子を食べ続けたり、ネットで買い物し続けたり・・・
いい状態じゃないなって思います。

今までは、無意識でしていた部分も多いのかもしれないけれど、自分の行動がみえるようになったから、今の状態が余計に辛い。
抜け出さなければいけないと自分を責めてしまうから、余計に辛い。
無意識だった頃は、逆に開き直って行動していたような気がします。

火曜日、心療内科の診察日でした。
旦那が攻撃してこないだろうということは頭ではわかっているのに、いつまでも訳のわからない不安が押し寄せてきたり、悪夢を見たりすることが辛いのだと話しました。

PTSD自体、すぐに起こるものではないこと。
DVなどの場合、逃げたり生活を立て直している時には、そのことが必死で表れないこと。
人によっては、調停を始めたとたん起こる人もいるし、離婚して幸せな結婚生活を送っていてもやっぱり起こってしまう人もいること。
症状と上手く付き合っていくことしないんだと言われました。


その日の夕方、スーパーで元同僚の女性に会いました。
私も旦那も彼女も、採用時の研修で一緒でした。
そしてその女性の旦那さんとうちの旦那は、つい最近まで同じ職場にいました。
一週間違いで結婚し、上二人が同じ年で、同じ英語教室に通っていることから、時々顔を合わし、話をするようになっていました。
言わずにおこうと思っていた別居のことですが、旦那のことが話題に登るたびに嘘をつき続けるのは心苦しいので、春先に話をしていました。

買い物をしながら、PTSDの症状で苦しんでいること通院していることを話しました。
彼女自身も、旦那さんが病気になったり、事故にあったりと次々と色んなことがあって不安だったのかもしれません。
色んな苛立ちを抱えているみたいでした。

買い物を終えて店を出て道路を渡ろうとした時、家の駐輪場に入る旦那がいました。
私は固まってしまいました。
立っているのがやっとの状態でした。

「旦那が帰って来た。」そういうのがやっとでした。

「私がなんか言ってあげようか?
 今、色々とイライラしてるから、なんでも言えるよ~。」という彼女に対して、

「お願いだからやめて」と言いました。

顔を合わすことだけは、絶対に避けたかったので、真っ直ぐに家に帰らずに、彼女と話を続けました。
彼女と別れると歩くのがやっとでした。
玄関を開けて家に入るまで怖くてたまりませんでした。
人が傍にいると必要以上に頑張ってしまいます。
辛いと泣ければ楽なのに、助けてって言えたら楽なのに・・・
家まで着いてきてって言えればいいのに、そう思いました。

フラフラと力が抜けてしゃがみこみそうになりそうなのを、我慢して食事の支度をして食べさせると、全身に倦怠感が襲ってきました。
今も、足の力が抜けたままです。
落ち着いて何かをすることも、何かに集中することも、なかなか出来ません。

前回、こうなった時には、新しく飲み始めた薬の副作用かと思っていました。
でも、そうではなくて『症状』の一つなのかもしれません。
今の状態を、記録に残しておきたくて書いています。
書くことも辛いし、ままならなくて、支離滅裂かもしれません。

ごめんなさい。
コメントのお返事が書けません。
考えることがなんだか出来ない状態です。
死にたい気持ちなんて書いたけれど、子ども達がいる限り、本当に死のうという衝動は起こさないだろうなって思っています。
だから、心配しないでくださいね。




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カウンセリング58

2006-12-18 17:52:25 | カウンセリング
まだまだ、私の住んでいるところでは、自治体の理解度も低く、自助グループの必要性などを感じていないこと、なかなか思うようにならないことを伝えました。
そして、先週のカウンセリングの後に、とても辛かったこと、感情がその時ではなくて、後になって噴出してしまうことを話しました。

もう一度、ケーキ職人との話をしていきました。
別れた後、相手の女性に対して、手紙を送ったことに対して、
「変なの。怒りとかそういう感情は生まれて来なかったの?」と言われてしまいました。
今の私には、よくわからないけれど、怒りを見せることで惨めになりたくないという気持ちや、これ以上嫌われたくないという気持ち、別れてしまっても二人といい関係でいたいという思いがあったような気がします。

その後、相手の女性は大学で、秘書検定の指導を受けていて、私は、独学で勉強していて、せめて秘書検定は受かろう、両方ともダメだったら惨めになってしまうと、必死になりました。
そうやって前向きになっていることで、自分を奮い立たせていたように思います。

私の生き方は、ポジティブな方だと思います。
辛い出来事も、結構、ポジティブに受け止めて生きてきたと思います。
でも、傷がなかったかといえば、そうではなかったのかもしれないなと思います。

恋愛に対していつも見捨てられ不安が付きまとうこと、どうしても自分だけを見てくれる相手と関係が作れないことを話しました。
その後の恋は不倫でした。
終わりがわかっているから安心できた。
初から自分だけを見てくれないってわかっていたから安心できたと話しました。
「奥さんに対して、優越感はなかったの?」と聞かれました。
奥さんに対しても、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、自分が一番になりたいという気持ちは、ありませんでした。

無意識のうちに、不安を与えてしまうような相手を選んでしまっていることを以前も話したのですが、それは、回復するにつれて、そういう相手を選ばないようになるからと言われました。
でも、それでも怖いこと。
カウンセラーとの関係も、せっかく築いたところで、カウンセラーがいつ辞めるかどうかわからないし、自分が辞めたら関係も終わってしまう。
それもすごく怖いのだと話しました。

でも、怖いという自分の感情を伝えられることは、私にとって進歩なのかなと思います。
たぶん、他の人にはこういう感情を話したこともないし、今までも、カウンセラーに対して、色んな感情があふれてしまって、それを受け止めてもらっているからこそ、きちんと話していけるのかもしれないなと思いました。

ただ、カウンセラーとの関係を、そのまま実生活に置き換えられるかというとそうではない気がします。
カウンセラーを一人の人間としては受け止めることが出来ず、カウンセラーだから、こういう私の感情にも付き合ってくれるのだ、もし他の人だったら、逃げ出してしまうのではないかという想いに駆られてしまいます。
その根底には、「どうせ、私なんて誰からも愛されないのではないか」という想いがどうしても頭から離れないのです。

でも、今回のカウンセリングは、きちんと自分の想いを吐き出すことが出来たこともあり、前回ほどは辛くなりませんでした。
心の中に、水風船を抱えている感じはありますが、感情だけが残ってしまう感じも残りませんでした。
前回と同じ内容を話したのですが、話すことで整理できた部分もあるのかなと思います。

過去の恋愛を見つめなおすのは、結構辛いです。
話すことによって、思い出される部分もあります。
そして、当時は気がつくことのなかった自分の無意識の行動を、ありありと見せつけられてしまいます。
無意識とはいえ、深い意味があったことも考えさせられます。
もう一度、卒論の小説も読んでみたいなと思います。



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女性であるということ

2006-12-18 01:08:42 | 私のこと
私はずっと、男性に生まれたかったと思っていました。
でも、それは、自分の身体が、性が受け入れられないとか、そういう問題ではなく、ただ男性に生まれたかったと思っていました。
自分でも、どうしてそんな風に感じてしまうのか、よくわかりませんでした。

でも、ようやく気がつきました。
私が、どうしてそんな風に思ってしまったのか・・・
私は、人一倍、男女間の差別を嫌いながら、本当は、自分自身がこだわっていたのです。

「女の子だから・・・」その言葉に、反発を抱きながら、すっかりその言葉に洗脳されてしまっている私がいました。
社会に出ても、男性の何倍も頑張らなければ同じようには評価してもらえない、そのくせ、少しミスをすれば「女はダメだ」と言われる。
かといって、頑張りすぎれば「女の癖に・・・」と言われる。

そうしているうちに、自分が男性だったら、何でも自由にすることが出来たのに、女性だから出来ないんだと思ってしまうようになってしまいました。
反発しながらも、それに対して囚われすぎてしまっていたのです。

私は、恋愛依存でありながら、自分からセックスを誘うことが出来ません。
11年の結婚生活においても、自分から口にすることが出来ませんでした。
相手から求められること=自分の存在価値としていたことももちろんなのですが、それと同時に、女性から誘うのははしたない、恥ずかしいことと思っていたところも大きかったのかもしれません。

ここでは、簡単にセックスについて書いていますが、実際、その話題を口にするのも恥ずかしい、特に男性を目の前にすると、それが恋人であっても恥ずかしいのです。
カウンセリングにおいて、何度話題に登っても恥ずかしい。
その気持ちの裏には、私自身が、女性がセックスを話題にするのは恥ずかしいことだと囚われているのかなと思いました。

旦那に対しても、自分が女性であることの怒りを抱いていたような気がします。
何をやっても要領が悪く、時間にもルーズである旦那が、男性であるそれだけで、職場においても評価され、家庭内でも傍若無人に振舞う様に、私は嫉妬していたのかもしれません。
そして、それ以上に、旦那は「男は偉いんだ」「女はつまらない」と口に出して、女性である私を卑下してきました。

セックスについて書くのも抵抗がありますが、もしかしたらカウンセリングでも、ミーティングでも、口に出して話すことが出来ないかもしれないし、だけど私は、自分を知るために一番楽な形で表現してみたいので書いてみます。

私は、寂しさを男性に抱かれることで埋められると思ってしまいます。
でも、セックスが好きなわけではありません。
むしろ、あまり好きではないのです。
求められることに対しての高揚感はあります。

齋藤先生のワークショップや、他の方のブログの中で、セックスでいくかいかないかの話題がありました。
齋藤先生は、
「19歳くらいの男性と付き合ってみればいいんだよ。
 精力的にも、あの頃が一番いいからねぇ。
 そして、ホテル代は、誰が出すかとかそういう問題なんだよ。」
そう言われました。
その時は、よくわからなかったのですが、女性が、セックスにおいて感じることが出来るか、出来ないかは、自分が解放できるか出来ないかの問題なのかなと思います。
支配下においては、むずかしいということで、自分より若い男性を相手に、ホテル代を自分で持つということは、支配する側になるのかなと思いました。

女性が男性よりも下だとか、劣っているとか、無意識にしろ思っている状態では、決して自分を解放することが出来ないのではないかと思います。
他の方のブログの中のコメントでは、想像以上にいけないという女性が多かったように思います。

ユタカは私の胸に顔を埋めると、時々チュッチュッという音を立てて乳首を吸った。ユタカの頭を撫でながら、まるで赤ん坊のようだと思った。男はこうやって赤ん坊に戻れるから、普段強いのだろう。ユタカの眼は蝶を追う少年のように鋭く、そしてキラキラと輝く。女は二つの乳房を持っている限り、男よりも弱い立場なのかもしれない。

以前も書いたことがあるのですが、短大の卒論小説の文章です。
無意識に書いたものだけれど、私はそうやって自分が男性よりも弱い立場であり、支配下にあるのだと感じていたのでしょう。

裸で、温もりに包まれて抱きしめられるという行為を手に入れるために、私はセックスをしたと言ってもいいかもしれません。
それとセックスの後の甘美な時間を手に入れるために・・・
セックスの最中、どうやったら早く終わるのか、そればかりを考えていたような気がします。

自分が快感を得るために積極的な行動をすることは出来なかったし、相手を喜ばせるための演技としては出来たとしても、自らのためには恥ずかしくて、何も出来ない、ただ受身の状態にしかなれなかったような気がします。
結局、セックスにおいてもありのままの自分を見せることが出来ず、女性であることに囚われて、自分を解放することが出来ないのかなと感じました。

自分自身が、女性であることの囚われから抜け出すことが出来ない限りは、この社会の中でいつまでも苦しみを伴うかもしれないなと思うようになりました。
社会がどうであろうと、誰がなんと言おうと、自分自身が囚われていなければ、もっと楽になれ、自由になれるのではないかと思います。
私自身が、回復していく上でネックになっている部分ではないかなと感じています。



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本当の気持ち

2006-12-15 00:10:47 | 私のこと
「Dr.コトー診療所2006」を見ながら、また泣いてしまった。
あやかさんの気持ちと自分の気持ちが重なった。
辛いのに辛いと言えない、頼りたいのに頼れない。
ただ、自分に後遺症が残ったとしても、自分自身がリハビリで克服することで、同じような人の支えになれるかもしれないと、前向きに考えることで自分の気持ちを精一杯支えようとしている気持ち。

泣いてばかりで、カウンセラーに話すことさえ出来なかった本当の気持ちを、ドラマの中で、改めて気がついてしまった。
先週、私は堕ちてしまった時に、婦人相談所に電話を掛けた。
本当は、カウンセラーに指摘されなくても、私が一番わかっていたのだ、
自分にとって語る場所が必要なことを、それは自分と同じ経験をしている人たちの中でだと・・・

私は、自分の身に何度も起こる自分では押さえきれない感情を、どうしていつまでもこんな風になってしまうのかと受け入れられずにいた。
でも、それは私だけに起こってしまうことではないのだと、同じような体験をしている人に同じように起こっているのだと、他の人のブログで知った。
自分ではコントロールすることの出来ない、不安や怖れや、そして自分を責めてしまう気持ちが、他の人にも起こっていることで、安堵した。

それでも、何度も何度も、予期せずに起こってしまうこの感情を自分では受け止め切れなかった。
その辛さを誰かに共感して欲しいと思った。
同じような体験をブログではなくて、生の声で聞きたいと思った。

婦人相談所で、DVの被害者の自助グループを教えて欲しいと相談した。
でも、活動休止中だった。
自分で自助グループを始めることは可能なのか、場所の提供をしてもらえるか尋ねた。
DVの自助グループは、他のグループとは違って、加害者からの被害を受けないために、完全にクローズされている。
ミーティング場所も、担当者も公表されない。
どこかを介してではないと、詳細を教えられない仕組みとなっている。

私は、自助グループの必要性を訴えた。
でも、相談員を紹介しますという回答しか得られなかった。
自助グループの必要性を、職員の人は考えていないみたいだった。
私は、仕方なく相談員についての詳細を聞いた。
特に、資格はなく、募集の条件は30歳以上の女性だということだった。
私は、自分が今の状態を乗り越えられた時に、そうやって誰かの話を聞いてあげることが出来たらと思った。

自分の経験が誰かを救うことが出来るのなら、私は今の状態を受け入れようと思った。
自分の身に何が起こっているのか、しっかりと見つめることで、知ることの出来る何かがあるはずだからと思った。
催事中、PTSDについての本を買った。
自分の中で起こっていることを、しっかりと知っておこうと思った。
そうすることで私は自分を支えた。

でも、それら一連の行動は、意識的に行ったわけではなくて無意識だったから、カウンセラーに話すこともなく、カウンセラーがネットの世界ではなくて、現実の社会で吐き出すことの必要さを唱えても、私は、何も言えず、ただ泣いていた。
どうしてこんなにも涙がこぼれるのだろうと思っていた。

カウンセリング中、「どんな気持ちだった?」と感情を聞かれてもよくわからないことがある。
出来事は覚えていても、感情が浮かんでこない。
涙が流れても、悲しいのか辛いのか、嬉しいのか悔しいのか、よくわからない。
何にも感じないのだ。
そして、後になって、じんわりと感情だけが訪れてくる。

カウンセラーに、もっとミーティングでって言われた時に、そうしようと思って出来なかったことさえ思い出せなかった。
頼る場所がなくて、絶望的に感じたことも、何故か忘れてしまって、カウンセラーの話に苦しさを感じながら、何故だろうと思いながら、思い出せなかった。
つい忘れていたことではないはずなのに、なんで忘れてしまうのだろう。
「しないんじゃなくて、出来ないんだよ。
 東京みたいに、そんな場所、たくさんないんだよ。」って言ってもいいはずなのに、すっかり忘れていて・・・

でも、私の中ではよくあることで、後になって、なんで言わなかったんだろう、あの時、気がつかなかったんだろうということが良くある。
本当の自分の気持ちってなんなのだろう。
自分でもわかっていないのかな。
必要がないから、思い出せなかったのかな?
忘れていたのには、理由があるのかな?



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カウンセリング57

2006-12-13 16:29:15 | カウンセリング
最初は、1週間の出来事、また堕ちてしまった話をしました。
前回は、玄関の前で、少し逢ってしまっても大丈夫だったのに、色んなことが重なると身動きが取れなくなってしまうと話しました。

そして、デパートの催事中は、パソコンに向き合う気持ちにならなかったこと、たぶん、寂しいからmixiやブログに繋がっていたいのだと思うことを話しました。

色々語ってきているし、癒されている部分もあるし、生き方も価値観も変わってきているし、寂しさを感じることが出来るようになっているのは良いけれど、現実の繋がりを大切にしていくことが必要だと言われました。

今までの人間関係よりも深くなっているし、けれど、寂しいときに寂しいと助けを求めることが出来ないこと。
友達にしても、お互いに子どもが居る以上、いつでも時間を気にせずに、電話できたり、逢ったりすることは出来ないこと、ミーティングにしても話したい時にいつでもあるものではないことを話しました。
話しながら、寂しさだけが切り離されたようにやってきて、涙がこぼれて止まらなくなりました。

「引きこもっていない?」の問いに、
「引きこもってる」と答えたら、
「今の言い方、可愛かったよ。
 なんか子どもになっていたよ。」って言われました。
不安や、寂しさを感じると、子どもになってしまうんだなぁと思ったのでした。

久しぶりに生育歴を話していきました。
ケーキ職人とのことを詳しく話していきました。
ブログには書くことが出来なかったけれど、ケーキ職人と彼女のことを知った後、私は、訪れた友達の家で、友達が居ない時に、友達の彼に抱かれてしまいました。
不安な精神状態で、しかも飲めないビールを飲んで思考が麻痺していたとはいえ、求められるまま、拒否もしなかったことは、私にとって、もっとも重い罪悪感を抱くことになりました。

翌日、もう一度ケーキ職人の元を訪れ、彼女のことを問いただしました。
「ねこは、独りでも大丈夫だから、彼女は、独りにしておけないから・・・
 それでも、ねこは妹みたいな気持ちで大切に思っている。」そう言われたのです。
「ごめん。」と涙を流しながら謝る彼を、私は許してしまいました。
そして、「私も友達の彼と寝た、最低の女だから」と告げ、抱かれてしまいました。

ケーキ職人を失った気持ち、そして友達を裏切った罪悪感で、私は苦しみました。
たぶん、彼女に手紙を書くことで私は、少しでもいい人になりたかったのかもしれません。

でも、その後、同僚から聞かされた「遊ぶのには最高の女」という言葉に、私はもう一度打ちのめされることにあったのでした。
それでも、私や周りの人が感じていたケーキ職人の姿を信じていたいと思ったのでした。

カウンセリングは、そこで終了だったのですが、カウンセラーからの
「今日は辛い話を聞かせてくれてありがとう。 大丈夫?」の問いに、
「もう、自分の中では消化できてることだから、大丈夫」と答えました。
「本当に?」
「うん」
そう答えたのですが、カウンセリングを終えた後、感情が押し寄せてきました。
詳細な情景まで、はっきりと思い出してきました。

ケーキ職人を好きになるまでの恋愛は、相手が私だけを見てくれなくても、思ってくれなくても、傍に居てくれたらそれだけでいい、そう思えていたのに、初めて結婚を意識していました。
今までの自分の夢をすべて捨ててもいい、一緒にお店がしたいなんて思うようになりました。
年上ということもあるし、信頼されている人物だったので、信じきっていました。

私はケーキ職人との恋が終わった時、やっぱり私だけを見てくれる人なんていないんだ。
私を本当に好きになってくれる人なんていないんだと打ちひしがれたような気持ちになってしまいました。
それ以降は、本当に誰かを好きになることが怖かった。
それでも、寂しさを癒して、埋めてくれる人が欲しかった。

二回の不倫を繰り返して知り合った旦那は、私のありのままを愛してくれるんだと信じてしまったのです。
容姿もタイプではなかったけれど、何をしても受け入れてくれるような寛容さがありました。
子どものように、私に体当たりしてくる姿に、この人なら私を幸せにしてくれるのかもしれない。
私だけを見てくれるのかもしれない。
自分が追いかける恋よりも、追いかけてもらうほうが幸せになれるのだと信じきっていました。

もしかしたら、それは、母のよく言っていた、
「容姿のいい人は、遊び人だ。」とか
「女性は、愛されてこそ幸せになれるのだ。」
そういう言葉に洗脳されていたのかもしれません。
母に紹介できる人の最初の人は、ケーキ職人だったし、その次の人は、旦那でした。

私は、回想しながら、カウンセリングを終えた後、3時間泣きっぱなしでした。
昨夜の「僕の歩く道」を見ながら、主人公の妹が、カウンセラーと話している場面
「あなたは、本当はどうしたかったんですか?」
「甘えたかった・・・」
を見ながら、自分と重ね合わせ泣いてしまいました。

ずっとじゃなくてもいい、悲しい時、寂しいときでいいから、ただ抱きしめて欲しい。
私が、男性に求めているのはただそれだけでした。
他には、何もいらなかった・・・
ケーキ職人に対しても、寂しくても逢いたくても、すがりつくことはなく、自分の感情を押し殺して、ただ、わかってもらえなくてもいい、抱きしめてくれさえすればそれでいいのだと思っていました。
今でも、同じなのです。
女性とはともかく、男性と関係を作るのが怖い。
カウンセラーとの関係でさえ、いつか終わるものだと思ってしまう。
カウンセラーが職場を去れば、私がお金を払わなければ続かない関係・・・
自分がいくらカウンセラーとの関係を築き上げてもどうしようもないのではないか、ただ辛くなるだけじゃないか・・・
それなら、最初から築かない方がいいのではないか・・・
そんな風に考えてしまいます。

傷付かなければいけないのなら、いつか終わりが来るのであれば、その場限りの優しさでいい・・・
そんな風に思ってしまうのです。
もう、不倫なんてする気はないけれど、自分が辛い時、寂しいときだけでいい、傍に居てくれればそれでいい、そんな人を求めてしまいたくなるのです。
それが、幻想に過ぎなくても、その場逃れでも、それでもいいから、寂しい心を埋めて欲しいと思ってしまうのです。

平常心では、満たすことが出来るのに、寂しさに囚われてしまうと、寂しさに怯えてしまう、抜け出せなくなってしまう・・・
これを自分自身でコントロール出来るようになるのかな、なればいいなそう思います。


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悪夢、再び・・・

2006-12-07 23:56:05 | 私のこと
今日から、デパートでの催事の仕事が始まって、昨日は搬入だった。
昨日の朝、友達が何を思ったのか、今日からだね、頑張ってねという内容に加え、「パパラッチに注意」っていうメールを送ってきた。

それが、何を意味するものかよくわからなかったけれど、私の頭の中に、旦那が来たらどうしようという想いが蘇ってしまった。
6月、私のHPを見た旦那が、催事のことを書いたメールを送ってきて、それがきっかけで、パニックを起こしてしまった。
来たらどうしようと、不安で不安でたまらなくて、病院に行ったら理解のない先生で、二次被害にあってしまった。

今回も、メールで心臓がバクバクし始めて、不安が押し寄せてきたけれど、自分で一生懸命言い聞かせて・・・
大丈夫だと思っていたら、夢を見た。
HPのBBSに脅しのような文が打ち込まれていた。
それでも、一生懸命自分に言い聞かせて、もしそうなったとしても、きっと助けてくれるだろう出展仲間の顔を思い浮かべた。

HPでは、販売も行っていたし、ブログも書いていた。
でも、旦那のメールを見てからは、HPに書くと見られる・・・
そんな想いで更新が止まっている。
今日も、お客さんに、ブログ書かれていないから心配していたと何人にも言われた。

HPは手放さざるえなかったけれど、私は家を追われることなく住めている。
「ねこさんにとって、今の家は居心地がいいんだね。
 だから、自分が出ずに追い出しちゃったんだね。
 居心地のいい場所に、置いて置きたくないもんね。」
前回のカウンセリングでそう言われた。
旦那に振り回されて、HPの更新が出来ないのは悔しいけれど、でも少しずつ取り戻せるようになりたいな・・・
そんな風に考えていた。

仕事が終わり、晩御飯を食べ終わると、疲れてしまいウトウトとしていた。
次女に電話だと起こされ、朦朧としながら電話に出た。
時々、電話をかけてくる母と同じ年の昔の上司だった。
そして、代わるねと、私と旦那の共通の上司が電話に出た。
母と同じ年の上司が、今の状態を話したらしかった。

「旦那とどうなってるの?
 わしが間に入ろうか・・・・
 別れようと思ってる?
 それは絶対にいけない・・・」
 
酔っているのか、大声でわめくように話す。
それだけで、嫌な気持ちになって、電話を遠ざけていたら

「聞いているのか?
 ちゃんと考えんと・・・」

と話は続く。
周りでは、笑い声がする。
きっと、私がどんなに苦しんでいるのかわからないのだろうとそう思った。
所詮、女が我慢しなくちゃいけないくらいにしか思っていないのだろう。
限界だった。

「ごめん。そういう話は止めてもらえますか?
 パニックを起こしそうなんで・・・」

消え入るような声で、告げるのがやっとだった。

「よく、聞こえないけど、切るね。」

遠ざけた電話から聞こえてきたような気がしたので、電話を切って電源を落とした。
しばらくは動けなかった。
ようやく起き上がって、頓服でもらったリーゼを飲んでお風呂に入った。

私が、悪いのかもしれない。
私の我慢が足りなかったのかもしれない。
パニックを起こすのも私が大げさなのかもしれない・・・。

そんな想いが次から次へと押し寄せてくる。
お腹もだんだん痛くなってくる。
そんな時、すーっと気持ちが楽になった。
薬が効いたのだ。
血が流れるのが判るように、肩から頭にかけてもすーっと軽くなる。

そう、私はああやって自分を守ったのだ。
相手にとっては些細な言動も、今は私にとっては命取りだ。
死にたくなる、消えたくなる想いに繋がってしまうのだから。


毎回、楽しみにしている「Dr.コトー診療所」を見た。
・・・・・DVがテーマだった。
思わず、二人で合わしちゃだめ~とつぶやいてしまった。
男性の突然出す大声が怖かった。
DV男性の病理性を描いたところ、治療へつなげる発言をコトー先生がしたところはいいなと思ったけれど、もっともっとDV被害者の心情を描いて欲しいと思った。
何もないのに、恐怖だけが何かのきっかけで襲ってしまって、いつまでも苦しまなければいけないことをもっとちゃんと描いて欲しいと思った。
離れたら、終わりじゃない。
離れたところから、新たなPTSDとの闘いが始まることを、もっと描いて欲しいと思った。
DVが身体の傷だけではなく、その時の心の傷だけではなく、もっと根深く残ってしまう傷を、それに対するケアや言葉掛けも、もっともっと伝えて欲しかった。

でも被害者の女性の言葉を聞いていると、胸が痛かった。
「私なんか・・・」
「迷惑ばかりかけて・・・」
自分を責めてしまう性格は見事に描かれていた。
もっともっと、今回で終わらず、時々、フラッシュバックに苦しむ姿も描いて欲しいそう思う。

心が安らかになれば、何かが起こる。
一度であれば、自分で阻止できるのに、夢を見たり、出来事が重なると自己否定の渦に巻き込まれてしまう。
でも、やっと自分に合う頓服に巡りあえた。
薬を飲まずに、テレビを見ていたら、完全に堕ちてしまっていただろう。
不幸中の幸い・・・そう思っておこう。



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通院

2006-12-05 20:56:48 | 日々つれづれ
今日は、心療内科へ行ってきました。
身体がとても重かったことや、体調不良により精神的にも落ち込んでしまったことを話しました。

私「いつも一生懸命頑張ることで、自分の価値を見出しているようで、
  身体が動かなくなってしまったとたん、自分は必要のない人間のように思えてきて辛かったです。」

先生「そういう気持ちになるのは、昔から?
   小学校くらいから?」

私「たぶん。カウンセラーから恋愛依存を指摘されていて、
  そうしていることでごまかしてきたというか・・・」

先生「相手に求められること、誰かに認められることで、自分を認めて来たのね。
   そうじゃなくても大丈夫になっていかなくちゃね。」

私「カウンセリングを受けながら、普段は、自己否定的になった時、
  肯定的な言葉を自分自身で掛けることが出来るようになったんですけど、
  堕ちてしまった時には、ボーダー(境界性人格障害)というか、そんな感じになってしまうんです。
  自分では、感情のコントロールも出来なくて・・・」

先生「ボーダーというほどではないわねぇ。
   心身症っていうことにはなるかもしれないけれど・・・
   旦那も、性格的にはおかしかったわけでしょ?」

私「いつでも自分が中心で、子どもがいようが好きな時に寝て、
  好きな時に起きて、好きな時に遊んでっていう感じでした。
  そのくせ、私が同じことをすれば、絶対に許さないという感じで・・・
  時間にもルーズで、自分は1時間遅れても、文句を言う私が悪いみたいに怒鳴られて、
  そのくせ私が5分でも遅れると、もう大騒ぎで・・・」

先生「自己愛性人格障害のにおいがプンプンするわねぇ~
   ただ、お互いが歩みよる必要もあるからねぇ・・・・」

私「私自身、外れたことが嫌いで、旦那に対してうるさく追い詰めたところもあるかもしれません。」

そんな風に話していきました。

薬については、副作用出るの早かったねぇ・・・。
普通は、もっと後になって出るんだけど、少しでも効きすぎるのね。
ただ、身体がそれほどまでに必要としていないということでもあるから自信を持ってね。
どんなに効きやすい人でも、本当に悪い時には、どんなに飲んでも効かない時があるのだから・・・。
そう言われました。

今回の処方は、パキシル10mg×0.5錠

普通は1錠からだんだん増やしていくんだけれど、これ以上はまだ増やさない方がいいわねってことでした。

今までは、カウンセリングだけでしたが、こうやって話せる場所が増えたこと、とても楽な気持ちでいます。
いい先生に逢えてよかったなと思いました。
   


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カウンセリング56

2006-12-04 17:06:41 | カウンセリング
昨夜までとても身体が重く、辛かったことを話していきました。
それと昨夕、ゴミを棄てにマンションの前に行った際、車に乗った旦那を見たこと、慌てて走って帰ったこと、でも、パニックは起こらなかったことを話しました。
今朝は、身体が軽く、朝から冷蔵庫の掃除、ソファーカバーの洗濯、ソファーを移動させてソファーの下の掃除、そしてスウィートポテトを焼いたことを話しました。
薬の副作用が原因だと考えられること、何も出来ない状態がとても不安で、それがきっかけで、精神的に堕ちてしまったと思うと話しました。

常に何かに対して一生懸命頑張っていなければ、自分の価値を見出せないのかもしれないこと、それが出来なくなったことに対して、自己価値が下がってしまったこと。
消えてしまいたい。自分はいないほうがいい。そういう感情が噴出してしまって、いくら自分で言い聞かせてもだめなこと。
自分だけを見つめてくれる誰かに抱きしめられたいと思ってしまうこと。

普段の私とは違う、もう一人の私がいて、そうなってしまった時には、自分の感情では操れなくなってしまうこと、ボーダー(境界性人格障害)の症状とまったく同じ状態だと思うことを伝えました。
これまでは、普段の私と、もう一人の私とは、そこまで差がなくて、感じることがなかったけれど、普段の私が回復すればするほど、その差は大きくなってしまって、まったく違う人格が私の中に存在するような気がすると話しました。

そうなっている間中、とにかく寂しくて、泣いてばかりいたこと。
子ども達と過ごしている時はいいけれど、一人になると涙が止まらなくなったこと、トイレの中でも泣いていたことを話すと、
「つらかったねぇ」のカウンセラーの声に思わず涙がこぼれてしまいました。

たぶん、今までは、この寂しさをなんらかで紛らわしていたというか、寂しさがあるのに、何かのせいで寂しいと思えるような状況下を作ってきたような気がします。
寂しさは、元々私の内側で起こっていたのに、何かのせいにしていた。
そうすることでしか生きて来れなかったんだなと思います。

先生「寂しい自分、埋めても埋めても埋まらない自分を、二本の足で立って、きちんと受け止められたじゃない。すごいじゃん。」

私「この寂しさって、だんだんなくなっていく?
  回復したら、なくなる?」

先生「なくならない。」

私「それってひどい。すごい冷たい言い方じゃないの?」

先生「だって、本当になくならないもの。」

私「じゃあ、先生は、どうしてるの?」

先生「ミーティングに行くとか、誰かと話したり、ぼーっと映画見ながら寝ちゃったり・・・」

私「自分だけを見てくれる誰かに抱きしめられたら、楽になれるような気がするんだけど・・・」

先生「そんな人いないよ。」

私「どうして、そんな冷たいこと言うん(笑)」

妄想なのかなぁ・・・
堕ちている時だけでいいんだけどなぁ・・・
眠りにつくまで、抱きしめて頭撫でながら、傍にいてくれるだけで、他の時はいなくてもいいんだけどなぁ・・・
でも、それは結局、アルコール依存症者がアルコールを飲むのと同じで、過去と同じように、堕ちている時とそうでない時の境界がなくなって、ズルズルと生活してしまうことになるのでしょう。
アルコール依存症者は、完全にアルコールを断ち切ってしまうそうですが、恋愛を断ち切ってしまわないと、ズルズルになってしまうのかなぁ・・・

「ちょっと前までは、バスの中から旦那の車を見ただけで、1週間くらい『ひゃあ、ひゃあ』言っていたり、Kさんに対してどっぷりと共依存していた時に比べたら、変わったよねぇ・・・」と言われました。
自分では、変わっていない点について焦点を当ててしまいがちになるので、そういう風に言っていただけると嬉しかったです。

パキシルを続けて飲むことによって、アップダウンが緩やかになって、ダウンした時が楽になるかもしれないと言われました。
カウンセリングと同時に薬物療法も少し頼ってみようかなと思います。


アメリカの「アミティ」という団体の活動を話していただきました。
アメリカの5から6箇所くらいの刑務所の中で、死刑囚がプログラムをして回復し、施設内で死刑囚達が、他の囚人に対してプログラムを実施したりしていて、何もしていない場合の再犯率が77%なのに比べ、プログラムをした場合、20%になるそうです。
東アメリカでは、認知行動療法が主流なのに対し、西アメリカでは、このような受容共感をベースにしたプログラムが主流であること、日本では、認知行動療法が主流で、なかなかこういうプログラムが受け入れられていないんだそうです。

私にとっては、認知行動療法的なカウンセリングを学び、ピンと来なくて、現在のカウンセリングを選んだのですが、子どもの頃の共感や受容の経験がないがために嗜癖が起こるという考え方は、自分にぴったりと当てはまることもあり、受容と共感の必要性を感じています。

現在、育児本においても、今までのような認知行動療法のような本ではなくて、受容と共感において自己肯定感を育てようというようなものが増えているので、これからは少しずつ変わっていくのかなと思います。


追記
カウンセリングを始めたばかりの時にカウンセラーに、将来、フェミニズム系の活動をしそうな気がすると言われました。
その時は、話をしなかったのですが、元々、女性参画などに興味があり、仕事でそういう会社と付き合いがあったりします。
今、自分が、他の人よりも、女性として色んな経験をしてきたことは、もしかしたら、自分には、何か役割を与えられているのではないかと思うこと、そう思うことで、自分自身が救われていることを話しました。
他の友達は、『子ども』に焦点を当てるのに、私はどうしても『母親』なんだとも・・・
カウンセラーに、
「母親ねこは、まだまだ癒されていないんだよ。
 癒されたいから、そう思っちゃうんじゃないかなぁ~」
そんな風に言われちゃいました。

もっと、もっとミーティングに参加して癒されたほうがいいってことでした。
何を言っても(もちろん他人を傷つけることはだめだけど・・・)受け入れてもらえ、言葉はなくとも、うなずいたり、一緒に涙を流してくれる仲間の存在は偉大です。
回復は、当事者活動が一番なのかな?
もし、私のカウンセラーが、回復者でなく、同じ痛みを持たない別の人(たぶん、援助職につこうと思う人は、なんらかの傷を持っているのでしょうが)であれば、私は、これほどまでに信じてついて行こうなんて思わなかったかもしれないと思うのでした。
そして、カウンセラーが私の前で(性格には電話だけど)回復した姿でいてくれることが、私にとって大きなしるべになっているような気がします。




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携帯より

2006-12-03 00:49:48 | 私のこと
身体が重たいのは、薬スルピリドの副作用と判明。29日の夜、入浴中に胸が張ることに気がつき、試してみると母乳も出た。
一般の量の半分なのに、私には効き過ぎらしい。
30日から服薬中止。
でも、まだ身体は重くてやる気が起こらない。

今日の夕方から、胸痛が起こる。
肺に住む細菌が暴れはじめたらしい。
身体が弱ると駄目らしい。発熱。
痛み止めのボルタレン、抗生物質のスオード服用。

どんなに辛くても助けてくれる人もいない。
仕事も、勉強も、子供の世話もままならない自分が情けない。
消えたい気持ちが押し寄せてくる。
でも、自分の感情に負けたくない。
誰かに優しく守られたい、大丈夫だよって、抱きしめられたい。
不安な気持ちを包んで欲しい。
不安が押し寄せるだけで、私は私でなくなって、小さな女の子になって泣いてばかりいる。