私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

私の居場所

2005-11-23 00:24:48 | 私のこと
ふと考えると、いつも私は自分の居場所を探していたような気がする。
高校の時は、訳もなく、バンドの練習に使っているスタジオによって、仲間と話していたり、バンドを辞めてからは、楽器屋で、同じように過ごしていた。
短大の時は、それがライブハウスになっていて、就職すると、その場所を失った。
その代わり、不倫相手と会う、決まった場所を持っていた。
なじみになり、相手が居なくても、迎えてくれる店だった。
いつ行っても、温かく迎えてくれるそんな私の居場所、そんな場所を求めていたのかもしれない。

今日は、外での仕事だった。
3年半前から、教えるという仕事をしている。
頼まれて始めた仕事で、いつもプレッシャーに負けそうになるのだけれど、この仕事だけは、辞めようと思ったことがないことに気が付いた。
あんなに気分が落ち込んでいたのに、そこへ行くと、いつもの私に戻れていた。
私を必要としてくれる人がいて、私を認めてくれる人がいる。
それだけで、私は、そこに居る価値があるような気がした。
息が出来なくなるほど、大声で笑うことも出来た。

ここは、私の居場所なのかもしれないな。そう思った。
心地よくて、この仕事好きだな、初めてそう感じた。
今までは、意識していなかったのかもしれない。
教えるなんておこがましい、そう思っていたからかもしれない。
だけど、楽しそうな笑顔に包まれて、私もまた幸せな気持ちになれる。
気が付いてよかった。大切にして行こう。私の居場所を。

鬱状態

2005-11-22 00:44:09 | 日々つれづれ
今朝は、布団から抜け出せなかった。起きるのも辛かった。
でも、子どもを学校に行かせなければいけない。
やっとの思いで起きた。
上の二人を、送り出した後、金曜日にやり掛けた仕事がないことに気が付く。
とても焦るけれど、今、必要ないのだと言い聞かせて、探すのを見送った。

始まったと思った生理も、出血が止まっている。
気になるし、気分が晴れないので、長男を保育園に連れて行き、病院に出掛けた。
見た目は、異常がないこと、生理はまだ始まっていないことがわかった。
以前、長い間婦人科へ通っていた頃、生理前に、充血による出血が起きていて、粘膜を丈夫にするために、冷凍療法を受けたことがある。
失神してしまいそうなくらい辛かった。また、そんな風になるのだろうかと不安がよぎる。
取り合えず、ホルモン検査のために血液を採ってもらった。

人と話すと気が晴れるかと思ったがやっぱり無理。
買い物しても、気が晴れず、食事の誘いの電話を貰っていたけれど、結局、まっすぐに帰ってしまった。
明日までに仕上げないといけない仕事があるので、仕事は淡々とこなすが、気分は晴れない。
電話にも出られなかった。
子ども達以外の人と話すのが億劫だった。

食後、気になっていた失くし物を探すけれど、出てこない。
結局、気が晴れぬまま、過ごしてしまった。
明日は、外での仕事だ。
どうかテンションが戻りますように!!

今の旦那に対する気持ち

2005-11-20 20:29:47 | 旦那への気持ち
私の悪い癖か、ふと気を抜くと、旦那ともうやり直せるような気がしてくる。
何故だかわからないけれど、旦那の顔を思い浮かべると、思い浮かぶのは、争いの後、手を差し伸べる優しい笑顔。
なのに、恐いという感情が浮かび上がってくる。
怒っている顔は思い浮かばない。浮かべようとするとドキドキする。苦しくなる。
だけど、わけもなく始まる罵声は聞こえる。

旦那とやり直されるような気持ちになった時、私はブログを読み直す。
あくまでも客観的に。
自分の感情やその時の気持ちをあまり書かなかったので、今の時点での自分の感情を持つことが出来る。
もし、これが私ではなく、他の人のブログだったら、どうだろうかと考えながら読む。
今まで、何度も同じことを繰り返し、繰り返すたびに、学ぶのではなく、度が過ぎていくような旦那の態度。
それは、私も同じであったのだろう。

旦那が、自分から子供と遊びたいなんて言った事は、今までなかったし、そういう意味では、旦那も考えているのだとは思う。
それを認めないわけではない。
だけど、もし子ども達が、旦那と遊び、帰ってきて、旦那の話をするとき、私は絶えられないと思う。
楽しそうに話す子ども達を許せない気持ちになってしまうのが恐い。
親として、母として、それではいけないのかもしれない。
だけど、お母さんが一緒じゃないなら行かないという子ども達の言葉に、今は甘えようと思う。
例え、それが本心ではなく、私を気遣っての言葉だとしても、子ども達の思いやりに身を任せよう。

私は、私なりに努力しているんだと言うことを、自分で認めて行こう。
別居している状態が、決して何もない状態ではない。
別居しているからこそ、見つめなおすことが出来るのだと、今の状態が悪いことではなく、むしろいいことなのだと、今の状態を否定するのではなく、肯定していこう。
今、一番大切なこと。自分の存在を認め、愛すること。
簡単なようで、難しい。
でも、一つ一つ、何かあるたびに、自分の行動を見つめ、なりたい自分になれるよう見つめていこう。

妄想癖

2005-11-20 18:21:39 | 日々つれづれ
昨夜は、子ども達がお泊りで、朝から散歩へ行くと言っていたので、一緒に行こうと思って7時に起きた。
寝たのが3時だったから、少し眠たかったけれど。
いくら立っても、迎えが来ないので、妹の家に電話をしてみた。
誰も出なかったので、行ってしまった事を知る。
ちょっと寂しかったけれど、おやつにバナナパウンドケーキを焼こうと思った。

携帯メールには、朝から旦那のメールが入っていて、子供たちと遊びたいと書かれていた。
ふと、玄関に目をやると、鍵が開いていた。
玄関には、普通の鍵とチェーン錠と旦那が出て行ってからつけた電子錠がある。
昨夜は、子ども達が、いつ帰ってきても大丈夫なように、チェーン錠は閉めないままだった。

不安がよぎった。もしかしたら、以前のように旦那がやってきて、鍵を開けたのではないか?
昨夜は、車がずっと駐車場にあった。
実家へは帰らないで、車に泊まり、朝一番に子ども達を迎えに来たのかもしれない・・・・・
苦しくなった。
「人の行動を勝手に想像しないこと。惑わされないこと。巻き込まれないこと。」
必死になって、自分に言い聞かせた。
息苦しくて辛かったけれど、パウンドケーキを作った。
考えすぎてしまわないように・・・・・・。

子ども達が、帰ってきた。
鍵を開けたのは、長女で、電子錠の電池が切れそうで開かなかったと言う。
荷物を置いてから、散歩に行こうと思ったけれど、開かなかったからそのまま言ったことを話してくれた。
寝ていたら悪いと思って、ピンポンも鳴らさなかったらしい。
すべて、私の想像、いや妄想に過ぎなかったことを知る。
苦しくなってしまったけれど、自分で自分に言い聞かせることが出来た。
それだけ、進歩かな?

一人ぼっち

2005-11-20 00:39:40 | 日々つれづれ
今夜は、子ども達3人とも、妹宅へお泊りです。
絶対に帰ると思っていた長男も、
長男が泊まるんなら、家に帰ると言っていた次女も
この時間になっても、帰って来ません。
さっきまで、起きている気配がしていたのに・・・・・
(妹の家は、上階です)
お母さん、一人ぼっちでかわいそう。
次女も長男もそう言っていたはずなのに、
安心して、お泊りしてくれたことが、とても嬉しい。
子どもに、心配されるなんて、まっぴらごめん。
おかあさんは、一人で楽しんでるよ♪

寂しいという感情

2005-11-19 23:16:21 | 本箱
先日のカウンセリングで、寂しいという感情について話をしたのをきっかけに、1冊の本を購入してみました。
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
副題は、「寂しくて、退屈な人たちへ」
寂しい気持ちについて、より詳しく書いてありました。
この本を読んでいると、今までの自分の姿が、すべてここに書いてあるようでした。
ここまで、すべて書かれてしまっていると、何かしら見えない力に操られていたようで、おかしく思えてきます。
私が、抱きしめられたいと思っていたことも、寂しさがいつも付きまとっていたことも、人間関係で上手く行かなかったことも、旦那との関係も、すべて原因は一つだったんだなって思います。

自分のことを否定してしまう自分、自分のことを好きになれない自分、どうしてそうなってしまったかを考える時、私が親である以上、避けては通れない問題だったなと思います。
旦那と別れて暮らしたいと思った欲求は、とても正しかったなと思います。
子どもを巻き込んでしまったことに対する嫌悪感が付きまとっていたけれど、あのまま、自分の感情を抑えて暮らしていくよりも、今、私が変わろうとしていることは、きっと子ども達の将来にも係わっていく大切なことなんだなと思います。

母が、今の生活を楽しんでいる状況を見て、安心できる私がいるように、これから先、私が変わっていくことによって、同じように安心して暮らせる子ども達がいると思います。
私が負って来た傷を、子ども達が負わなくても済むように、子ども達が自分のことを愛し、認めることが出来るように、今の私があるのではないかなと思います。

今の状況は、私にとって決して楽ではないけれど、今まで不安に思いながらも解くことが出来なかった思いが、少しずつほぐれ始めていくのを見ていると、とても愛しい気持ちになります。
今まで、本を読んだり色々してきても、解くことが出来なかったのは、自分自身が変わろうという気持ちではなく、受身の気持ちでいたこと。
ただ、そうした努力は決して無駄ではなく、こうやって自分自身と向き合ったときに、自分の持っている知識などが役に立っていること。

知らず知らずのうちに、このブログに、自分の思いを吐き出して、カウンセリングを受けるようになったり、ここで同じような状況に陥っている人と交流を持ったり、自分が回復に向かう道を作ろうとしていたんだなと思います。

10月29日~30日(カウンセリング効果?)に様々な出来事が重なってしまったのですが、ここに書いていないもう一つ、私にとってプラスになった出来事があったことにも気が付きました。
29日、偶然、高校時代からの友人に出会いました。いつも彼女に相談を聞いてもらっていたのだけれど、ある出来事がきっかけで音信普通になっていました。年賀状を交換するものの、9年近く逢っていませんでした。
逢えた時、とても嬉しくて、私は思わず、彼女に抱きついてしまったのです。
こういう行動を、私は取ったことがなかったのだけれど、彼女もまた、抱きしめてくれました。

思わず取ってしまった行動なんだけれど、今思えば、これも私の心を癒す、大きな一つの出来事だったのかもしれないなと思います。
変わろうと努力している自分を、何かしら、暖かい力が一緒になって動かしてくれている、そんな気持ちです。
まだまだ、私の心は未熟だから、大きく揺れることもあると思います。
でも、その力に、身をゆだねて、自分の力も信じてみたいと思います。

とまどい

2005-11-19 15:59:15 | 日々つれづれ
昨日、飼い猫を抱いていると、急に眠くなってソファで眠りに落ちてしまった。
目が覚めると、次女が帰ってきていた。
そんなに長い時間ではなかったのに、熟睡していたようで、玄関のピンポンにも気が付かないで、眠っていたらしい。
起き上がると、けだるく、真っ直ぐに歩けなかった。倦怠感。
また少し熱があるようだった。
そして10月3日から、10月29日からと2回もあった生理なのに、また始まっていた。
けだるさと戦いながら、仕事を進めているうちに、楽になった。
そして、心も軽くなっていた。

昨夜は、友達とコンサートに行くために、出てきていた母が泊まった。
こっちにいた頃には信じられないような行動だ。
兄姉や同窓生と遊んだり、習い事をしたり・・・・・・・
いったい今まで、私が思っていたのは、幻だったのかと思えるくらい、別人のように輝いている。
孫である、子ども達と遊び、楽しそうに声を上げて笑っている。
こんなに楽しそうにしていたところを、私は見たことがないような気がする。
私の記憶にある母は、笑顔ではあったけれど、決して楽しそうではなかった。
いつも父や子ども達のことばかり考えて、どこか縛られていたのではないか?
ようやく解放された母の姿を見ていると、私もとても楽な気持ちでいられる。

今朝、早く眠りについたせいもあって、とても目覚めが良かった。
ちょっとしたことで、遊びに来ていた妹に、厭味を言われても、気になることはなく、「まぁ、いいか」って思えた。
今までなら、チクチクと胸が痛んで、何かしら言い返していたところだったのに、浮かんだ言葉も、口に出すことがなく、飲み込めた。
楽になるって、こういうことなんだなと思えた。

昼食を取り、母を見送り、その足で、長男と公園に行った。
長男は、上手に甘えて、長女の友達に遊んでもらっていた。
「可愛い」と言われて、本当に可愛い男の子を演じている。
大人である私よりも、人を騙すのが上手いんじゃないかと思った。
どうすれば、可愛がってもらえるか、ちゃんとわかっているみたいだった。

家に帰り、ポストを開けると、1通の真っ白な封筒が入っていた。
中を見ると姑が書いたものだった。
子ども達三人の名前の最後に、私の名前が添えられていて、
”最寄り(地名の社会福祉協議会)へ来る幸便が出来ましたので届けます。
本年の新米、富有甘柿です。食べてみてください。
畑では さつまいもが大きくなって ほりに来てくれることを待っています”
と書かれていた。
どんな気持ちで、これを書いたのだろう。

何度も、旦那と話をしてみて欲しいと伝えても、話をしてくれようとはせず、
最後は、夜中に電話をしてきて、女遊びをしたことを認めたことと、反省していることを伝えてきた姑。
それ以来、何の連絡もない。
私の両親が、隣の県から出向き、話をした時も、息子とよく話し合うからと言って、何の連絡もない。
旦那は、毎晩、うちの駐車場に止めている車で、実家に帰っている。

何を考え、何を思って、こんな手紙を入れるのだろう。
こうすれば、私の心が、動くとでも思うのだろうか。
子供たちがいる土曜日。もしかしたら子ども達に逢えると思って、来たのだろうか?
荷物は、たぶん、メーターボックスに入っていると思う。なのに出せない。
この手紙を見てからは、玄関のピンポンの音さえ恐く、おびえながら出てしまう。
今は、何も話したくない。自分がここへ吐き出すことは辛くないけれど、旦那を含め、旦那と係わる人たちと話すことは気が重いし、やっぱり恐い。

せっかく、心が穏やかになってきたのに、また戸惑ってしまう。
お礼を言わないことは私の意に反するけれど、電話をすること自体、話すこと自体出来そうもない・・・・・・

子ども達へ

2005-11-18 08:32:13 | 独り言
たとえば 雨上がりの虹
たとえば まあるいお月様
たとえば 息を止めるような夕焼け
一緒に見たいな そう思うこと

たとえば 友達と過ごして楽しかったこと
たとえば わかってもらえなくて悲しかったこと
たとえば いいようもない 憂鬱
受け止めて欲しい そう思うこと

そんな たわいもないこと
それが 一番大切で
それが 一番癒される

今日も あなたの温もりに助けてもらいました。

2005-11-17 20:36:00 | 日々つれづれ
胸の苦しさが消えていた。
昨日、夕方、熱が出た。
大人の癖に、知恵熱を出す。
本来、突発性発疹のことを言うらしいけれど、
本当に、頭を使いすぎたときに、様々なことを受け止めきれなかった時に、熱を出してしまう。

小学校~高校生までは、緊張状態が続くと、必ず胃が痛くなった。
その度に検査していたけれど、私の場合、胃液が出なくて、胃の働きが止まってしまう事による、痛みのようだった。
その後は、緊張するたびに、お腹の調子が悪くなり、試験や面接時は大変だった。
今も、緊張する時は、必ずお腹が痛くなる。

私の出す熱は、自律神経の乱れによるものだと気が付いてからは、特に気にならなくなった。
高校生の時に、続く微熱と頭痛に、病院に通ったこともある。
夕方に、大体それは起こる。
体のけだるさで、熱を測れば、37.3度から37.5度くらい熱がある。
夜になると、それは何もなかったように収まっていく。

昨夜もそんな感じだった。
「寂しさ」=「辛いこと」と捉えていた私の心は、「寂しさと向き合うことが創造性を豊かにさせる」という言葉に、救われた、そんな気がする。
私は、寂しいから、自分と向き合えるし、それによって生み出すことが出来るのだと思うと、寂しいことは、悪いことではないんだなと安心できた。

熱が下がるともに、肩の力がすっと抜けた。
それとともに、胸がすっと楽になった。
否定していたことを、肯定に変える。
それだけで、心って変わるんだな。
そう気が付いた。

無題

2005-11-17 20:14:26 | 独り言
誰もが 愛されていたいと思うけれど
誰もが 愛していたいと思うけれど

それが上手くいったり いかなかったり

それは誰のせいでもなく
それは自分のせいでもなく

眼に見えないことで
いいとか 悪いとか 考えるのはもうやめよう
素直な気持ちで いればいい


*************************


あなたの優しさが 辛くなるのは
幸せになる準備が出来ていないから
失ってしまうのが恐いから


*************************


好きだと思えば 思うほど
好きだって言えなくて
自分の心 もてあましてた

好きだと 口に出したとたん
壊れてしまいそうで
失ってしまいそうで

本当の気持ち 押し殺す
言えない言葉 失った心


大切だと思えば 思うほど
言葉が見つからなくて
自分の気持ちを 伝えるすべがない

どうして素直になれないんだろう
簡単なことなのに・・・・・・
ドキドキするばかりで 伝えきれない


*************************


「あいのうた」見ながら
心に浮かんだ言葉、書いてみました。

人生の岐路2

2005-11-17 14:46:32 | 私のこと
仕事を辞めてからの私は、辞めたからこそ、今の私がいると言えるようになりたいと思っていた。

夢を諦めた形で就職し、毎日、同じような日々を過ごしていた私を刺激したことがある。
辞める前の職場は、唯一、創造性のある仕事だった。
私の前には、庁舎や官舎などの設計に携わる人たちが座っていた。
「ねぇ、照明はどれがいいと思う?ドアの色はどっちがいい?」
ことあるごとに、声を掛けてくれた。

自分の選んだものが形になる。それが楽しかった。
新採用で入ってきた女性がいた。
以前は、とある乳製品を扱う会社で、研究をしていたのだと言う。
でも、急に家を作ることに目覚めて、もう一度大学に入りなおして、一から勉強したそうだ。
それを聞いたとき、やりたいと思ったときに、夢を叶えることが出来るんだなって、夢を追うのには、年齢は関係ないんだなと思った。
私が、仕事を辞めたのは、職場に通えないからと言う理由のほかに、ひそかになりたい自分になれたらいいなと思う気持ちがあったのかもしれない。

夢が叶って、今の仕事を見つけることが出来たのに、手放しで喜べない私がいた。
自分がやっていることに自信を持つことの出来ない私がいる。
アイデアが生まれてこなくなったらどうしようと不安に押しつぶされてしまいそうな私がいた。
もっと、自分に自信が持てたら、もっと自分のことを認めることが出来たらどんなに楽だろうかと思った。

自分では認めてやれないから、旦那に認めてもらいたい、そう思ったのかもしれない。
新しい仕事が来た話をしても、「それがどうしたの?」と言われ、
売り上げの話をしても、「それが、ずっと続くわけではないんだろう?」と言われた。
その言葉で、やっぱりそうだよね。今いいからって、喜ぶことじゃないんだそう思った。

外では、色々賛辞を頂き、嬉しい気持ちでいることが出来るのに、自信が持てない。
自分から自分を売り込むことすら出来ない。
ただ、一度だけ、売込みが出来た。一人ではなかったから。
当時、ペアのように仕事をしていた友人がいる。
彼女がいたから、彼女の作品が好きだったから、売り込むことが出来た。
いざ、一人で仕事をしていると、どうしても受身になってしまう。

結局、その売込みがきっかけで、私は仕事を貰った。
そして、今の私がいる。
目標だと言ってくれる人がいる。
わざわざ仕事を紹介してくれる同業者もいる。
そんな中で、自分を卑下することは、その人たちに悪いと思うようになった。
以前、イベント会場で知り合った社長さんに、
「売込みが上手いですね」と話をしたことがある。
「何人もの社員を抱えているんだから、私が自信を持って必死にならないと付いてきてもらえない」そう言われた。

その通りだと思った。
私が、人を使うことが出来ないのも、自分に自信がないからだと思った。
まずは、私を陰で支えてくれる人のために、少しずつ努力したいと思った。
その賛辞にふさわしい女性になりたいと思った。

今までしなかった化粧をし始めた。
もともと色を使うのが好きなので、服の色に合わせて化粧を変えると楽しくなった。
服もシンプルだったのに、少しずつ選んで流行のものを取り入れるようになった。
そうしたら、体型が気になった。
次女を産んでから太り始め、長男を産んでから痩せたものの、また元の体重に戻っていた。
ダイエットをした。元の体重に戻った。
その努力を、多くのママ友たちが認めてくれた。
自分が努力をすることが、結果に現れるのが嬉しかった。

今の仕事を見つけたこと。
それが私にとって、今までで最大の岐路だったのかもしれない。
運が悪い、そう諦めるより、目の前にあることを少しずつ努力すること。
そのなんでもないことが、少しずつ、私を動かしたのかなとそう思う。
もしかしたら旦那と別居したことも、その延長線上にあったのかなそう思った。

人生の岐路

2005-11-16 21:33:04 | 私のこと
今まで、人生の中で選択すべき時、私は、自分で道を選んでなかったなと思う。
高校受験は、ずっと好きだった先輩と同じ学校を目指してしまったし、
その成果もあって、自分の実力以上の学校に入学してしまった。

高校の時、父の転勤があり、付いて行くか行かないかで散々揉めたけど、
私の引越し恐怖症?のせいで引越しすることが出来なかった。
実のところ言えば、その先輩との関係を切ることが出来なかったのだ。
それとは交換条件に、卒業したら、父の元へ行く約束をする。
そのために、買っておいた土地に、両親は家を建てた。

私は、その土地で、進学したい学校もなく、専門学校に行くことを決めていた。
一人暮らしをして、学校に通うことなど許されもしなかった。
それなのに、願書を出し始める頃、父は、また転勤になり戻ってくることになった。
結局、新居はそのままで、私の進路は、あえ無く変更された。
私は、受験勉強に取り組む暇もなく、自分のレベルで入ることが出来そうな短大を選んだ。
一つは、被服科。もう一つは国語科。選べなかった。
結局、一つは補欠合格で、一つは合格。
合格した国語科の学校に通った。

中学生の頃は、全国規模の詩のサークルに入っていた。
最年少で、会費も分割にしてもらい、小遣いをつぎ込んでいた。
高校になると、文章を書くのが好きで、書くことを仕事にしたいと思ったり、デザインの仕事をしたいと思ったり、
やりたいことはあるのだけれど、地方に住んでいたら、ダメだなって思っていた。
勉強もせず、アルバイトとバンドに明け暮れた。

そんな中で、何の目的もなく、短大を選び、進んだ。
高校・大学と働きながら通った父は、やる気がないのなら辞めさせる。
成績も半分よりも下なら、辞めさせると言った。
ただ、勉強することは嫌いではなかった。
短大で、教職課程を取ると、授業数はとても多い。
そんな中で、時間が余れば、他の科も履修した。

学校が終わっても、アルバイトに明け暮れていた。
何もしないで、遊んでいることが、なかなか出来なかった。
そんな中で、ライブハウスに通うことが唯一の楽しみだった。

そして、パートの募集を見て、デザイン関係の仕事を見つけ、
学生は取らないということだったのだが、説得して働かせてもらった。
気に入られ、卒業後に就職することに決まっていた。
そんな中、公務員試験を受ける。
動機は、高校の時、成績が悪くて受けたいと言い出せなかったから・・・・
しかも、ケーキ職人の後に付き合っていた年下の彼が警察官を目指していたので、警察を第一希望にした。

受かると思っていなかったのに、試験に合格。
迷いに迷ったが、結局は公務員になることを選んだ。
理由は、親を安心させたかったから。

結局、自分の進路を、自分できちんと選ぶことの出来ないまま、
進んでしまった。

最初に、自分で選んだのが結婚だった。
一番好きな人と結婚しないほうが幸せになれると信じて・・・・・

次に、選んだのが、辞職だった。
そして、専門学校へ進むこと。

なんだか、自分で選んだものはすべて失敗のような気がして、悲しかった。
何か小さなことでも、自分の選択したほうは、いつも貧乏くじのような気がした。
運がないのだと思っていた。

カウンセリング5

2005-11-16 11:56:22 | カウンセリング
今までで、一番カウンセリングが待ち遠しいと感じられた一週間でした。
胸につかえていたものが戻ってきて、苦しい気持ちと寂しい気持ち、頼りたい気持ちがとても強くなっていました。
もしかしたら先生との会話に依存しようとしていたのかもしれません。
ただ、話を進めていくうちに、その気持ちを取り除くのは、他の誰かではなくて、自分なんだなと感じました。
そういう自分に出会えるからこそ、カウンセリングが待ち遠しいんだなと思いました。

1週間の様子を話していく中で、共依存関係からの回復のキーワードは、「巻き込まれないこと」だと言われました。
相手に対して、境界線を引いた時、相手は焦ってしまうので反撃にでる。
それに対して巻き込まれないようにすること、バリアを作って、自分を守ること、バリアの中で自分を癒すことが大切だと話されました。

今まで、「教えてあげないといけない人」として共有の権利を主張してきたことを手放すことによって自分の問題に気が付く。
旦那の問題は、旦那の問題であって、私の問題ではないんだと言うこと、少しずつ判り始めたなと思います。

依存症の心の中の状態は、水の中に沈んでいる状態で、とても苦しく、顔を出して息をするのが、依存だと言われました。
例えば、それがアルコールだったり、嘔吐過食だったり、けんかだったり・・・
朝、書いたブログの中で、もう一人の自分というのは、これだったのかなと思いました。
そんな風にして、息が出来る場所を求めていたのかもしれないなと思いました。
そして、今の胸の苦しみは、まさにもがいている状態で、どう息継ぎをしていいのか考えているのかもしれないと思いました。
水の外に出ることが回復で、それには時間が掛かると言われました。

ずっと知らないで、苦しんで生活してきたことを思えば、それに何年掛かろうと、これから先のことを考えると、決して無駄ではないなと思います。
むしろどんな自分になれるのか、それによってどんな生きかたが出来るのか、その事が楽しみだったりします。
そういう意味では、マゾっぽい性格かもしれませんね。
問題がある人を避けては通れなかったりして、わざわざ自分から困難な道を選んできていたような気がします。

自分自身の問題点は、良さの裏返しでもあること、もしそれが偏りすぎているのなら、自分の問題として解決していくことが大切だと言われました。
私は、何かをしていないと落ち着かないのですが、それは寂しさや退屈に身をおくことが出来ないせいだと言われ、大人の人生を生きるということは、寂しさに向き合って生きることなんだと言われました。
寂しさと向き合うことが創造性を豊かにさせるという意味では、それが出来ているのではないかと言われました。
確かに、学生時代は、それを文章に書くことをしてきたし、現在もデザインの仕事をしてきて、特にデザインをしているときは、夜、一人の寂しい時間を好んでいたし・・・・
寂しいと言う気持ちは、決してマイナスになると言うことではなく、今までの生活の中でも気が付かないうちに、プラスになっていたのだなと思いました。

カウンセリング中は、なかなか気持ちの変化に気が付かないのですが、改めて考えて整理していくうちに、自分の心が晴れやかになります。
今の私に、一番必要なのは、このままでいいんだっていうことを認めてもらい、自分でも認めていくことなのかもしれないと思っています。



カウンセリング中のアロマ
ティートリー
殺菌効果・心の回復
お気に入りのオイルで、いつもこのオイルを基本に、調合します。
メリッサ
副交感神経の働きを良くする・精気を回復

カウンセリング中の飲み物
ハーブティ
ローズ&レモングラス
ローズ
マイナスの心の状態をほぐすのに役立つ
ホルモンバランスを整える。
レモングラス=メリッサ

何も考えずに選んだオイルと飲み物ですが、今の私にぴったりでした。
もう一度、アロマも勉強してみたいなと思っています。

もう一人の自分

2005-11-16 08:40:05 | 私のこと
受験勉強をしながら、男に抱かれて、
短大生活を楽しみながら、ライブハウスで酔いしれて、
就職して、結婚するまでずっと不倫して、
いつも、現実の自分とは違う自分になれる場所を作っていたような気がする。

結婚して、その場所が持てなくなって、
真っ直ぐ、家に帰れなくなって、本屋で何かを捜し求めて、
今度は、ネットの中を、何か捜し求めて、
何かを探していることに気付きながらも、
捜し求めているものが、何なのかわからないまま過ごしていた。

そして”彼”に出会い、このブログを書き始めた。
そして、ブログから離れられないでいる。

私が、ずっと求めていたものは、もう一人の自分の居場所だったのかもしれない。

こんな女性になれたらいいな

2005-11-13 23:10:13 | 日々つれづれ
子どものダンスサークルで、中学校時代の友達に再会し、よく話をする。
彼女の生き様は、私にとって壮絶である。

高校2年生で、妊娠、結婚、第1子出産。そして離婚。
その後再婚、第2子出産、離婚。
ここまでは、私が結婚するまでの話だった。
クラス会をしたいという電話で彼女から話を聞いた。

そして、偶然に出会い、2人の子連れの男性と一緒に暮らし、第3子がいることを知った。
そして、昨年、その男性と入籍をした。
第3子は二人の子どもでありながら、その子どもが9歳になるまで、ずっと籍を入れなかったようだ。

もうすぐ二十歳になる長男は、お母さんである彼女と、第3子の妹と一緒にダンスにやってくる。
「お母さんが17の時の子どもなんよ」と平気で話す。
連れ子である女の子も、時々ダンスを教えに来ていた。
よく笑い礼儀正しく、これまた彼女と仲がいい。
私が、彼女と同級生だと言うことを紹介されると、嬉しそうに色々話してくれた。

この夏、15歳の第2子が、子どもを産んだ。
去年、「ぐれぐれでね、学校も行かなくて困ってるのよ。それなのにダンスには出かけるし・・・・・・」
彼女は苦笑しながら話してくれた。
「夜、心配で眠れなくてね・・・・・」
彼女は、孫の誕生を、とても喜び、嬉しそうに教えてくれた。
そしてあちこちに連れまわっていた。

そして先日、
「もう一人、欲しいなぁと思うのよ。大変だったけど、子育てしているときが一番楽しかった。それにパパとの子どもは一人しかいないし・・・・・・」
そう彼女は、話してくれた。

今は、旦那さんの仕事を手伝いながら、花を生ける仕事もしていると言う。
彼女の過去を振り返った時、私の想像を絶するほどの困難がたくさんあったように思う。
それなのに
「子育てしてるときが一番楽しかった」
彼女の言葉に、とても元気が沸いてきた。
かっこいいな、素敵だな。そう思った。
彼女は、スタイルもよく、見た目も素敵だ。
まさか5人の子供がいて、孫がいるようにはとても見えない。

どんな風に生きてきたかではなくて、今をどう生きているかが一番大事なんだな。
本当にそう思った。
彼女のようになれたらな。そう思った。